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ちょっと出ました三角野郎 ちょっとでましたさんかくやろう
監督 佐々木恒次郎(佐々木啓祐)
公開年 1930年
評点[B]
感想  今日は、佐々木恒次郎(佐々木啓祐)監督の『ちょっと出ました三角野郎』を観た。昭和五年(1930)の作品。

 とある田舎の山下村と海辺村は近々、八木節大会で雌雄を決しようとしていた。風来坊の太市(渡辺篤)は流れ着いた山下村で海辺村のスパイと間違えられる。たまたま逃げ込んだ先の海辺村で美しい娘(花岡菊子)のいる食堂に拾われ、ひょんなことから海辺村代表として八木節を唄うことになったが……。

 「ちょっと出ました三角野郎」という言葉は何かで聞いた記憶があったが、この作品が基だったのか。この題名は上州地方の八木節の「またも出ました三角野郎」をもじったものか。しかし、三角野郎って何なんだ。
 主人公がルンペン、しかも母親に背負われた子供が手に持っている食べ物を主人公が食べてしまうという冒頭の展開はもろにチャップリンのパクリで、いったいどうなることかと心配になったが、その後は洋画の無声コメディ映画の要素を日本の田舎の風景に溶け込むよう巧みに翻案している。『猿蟹合戦』にヒントを得たと思われるネタが面白い。
 スカパーの衛星劇場で放映された版は全くの無音で八木節の音楽を聞けないのは残念だが、45分弱の短さなので飽きることはない。ところどころで観られるサイレントならではの演出が楽しい。 (2006/10/15)

藤十郎の恋(藤十郎の戀) とうじゅうろうのこい
監督 山本嘉次郎
公開年 1938年
評点[B]
感想  山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 元禄時代の京都。当代随一の役者・坂田藤十郎(長谷川一夫)は、新境地を開くべく斬新な脚本を近松門左衛門(滝沢修)に依頼する。これまでにないリアルな作品の役作りに苦心する藤十郎は、芝居茶屋を切り盛りする後家・お梶(入江たか子)に目を止めた……。

 初代藤十郎の実話を基にしたといわれる菊池寛の有名な作品の映画化(脚本:三村伸太郎)。
 林長二郎改メ長谷川一夫の東宝移籍後最初期の作品ということで、当時人気の菊池寛の原作を得、江戸時代の劇場が大規模なセットで再現された大作になっている(元禄頃にしては立派すぎるような気もするが……元禄時分ではまだ江戸より京大坂の方が文化の発信地だったから、それくらいで良いのだろうか)。特に冒頭とラストの芝居小屋回りの雑踏の対比はスケールが大きく効果的になっている。
 菊池寛の原作は非常に有名なので、どう料理されているかと思ったら、短編をそのままあっさりで映画化したという感じで、坂田藤十郎の身勝手ぶりが目に付いてしまうような気がする。サイレント映画的な字幕の挿入や超クローズアップ、すばやいカットの切り返しなど目新しい効果が多用されているが、舞台の描写が存外少なく、歌舞伎の魅力が伝えられていないため、坂田藤十郎の芸の素晴らしさというものが表現されていないのも一因だろう。
 入江たか子は美しいものの顔かたちが整いすぎているためか、未亡人の色気・妖しさというものが感じられず、どうも藤十郎や映画の観客を惹きつける魅力に欠けるような……。(2007/02/01)

藤原義江のふるさと ふじわらよしえのふるさと
監督 溝口健二
公開年 1930年
評点[B]
感想  溝口健二監督の『藤原義江のふるさと』を観た。昭和五年(1930)の作品で、溝口初のトーキー作品。

 海外から帰朝した藤村義夫(藤原義江)は世に出る機会がなく腐っていたが、敏腕マネージャー服部(土井平太郎)とパトロンを買って出た金持ちの令嬢・大村夏枝(浜口富士子)の後押しによって一躍時代の寵児となる。やがて、藤村は糟糠の妻あや子(夏川静江)を忘れ放蕩にふけるようになってしまう。

 ミナ・トーキーという方式(音声をフィルムでなく録音盤に記録する方法だったらしい)を採用した日活最初のトーキー作品。といっても、トーキー部分とサイレント部分が混在するパート・トーキー作品。音質は聞くに堪えないほどではないが、もちろん良くはないし、出演者たちがはっきり発音しようと心がけているのが気になった。その中でも俳優としては経験の浅いはずの藤原義江がかえって普通の話し方に感じられたのが面白い。藤原義江のことについてはほとんど知らないのだが、歌手としての実力と同時に派手な女性関係と浪費でも知られていた人だそうで、このキャラをどんな気持ちで演じたのかと考えると面白い。
 初トーキーということで冒険しようという意図があったのかどうか、ダンスのシーンなどでは深作欣二監督もビックリ(?)の激しい動きの手持ちカメラ撮影があったりして驚かされた。また、後の作品と比べるとかなりアップが多い印象。
 ストーリーや人物の描き方は、かなり類型的な感があり、これが本気なのか意図的に戯画化して風刺しているのか、溝口作品で悩むところである。後者の面が強いと思うが……。ただし、主人公がパトロンを中心とした金持ち相手から“人民”相手の「我らのテナー」へと生まれかわる様子は、この頃の溝口の思想を素直に反映しているように感じられた。(2006/12/15)

ふるさとの歌 ふるさとのうた
監督 溝口健二
公開年 1925年
評点[B]
感想  『ふるさとの歌』は大正十四年(1925)の作品で、断片を含めても今のところ現存する最古の溝口健二監督作品。

 東京の中学に通う関本順一(川又賢太郎)と商業学校に通う前坂太郎(宇田川寒待)が久しぶりに帰省してきた。家が貧しく進学できなかった竹田直太郎(木藤茂)は学生服姿の二人をうらやみ、村の若者たちは前坂が紹介する都会の風俗に溺れてしまうが……。

 当時の文部省の公募作品(原作:松居張二)の映画化で(脚本:清水竜之介)、フィルムが文部省に保存されたため奇跡的に完全に近い形で残されているらしい。
 この作品に対してよく言われているように、ストーリーは教条的で、頽廃的な都会文化を否定し堅実な農業こそ国の基本だとする農本主義的なテーマであり、いかにも当時の少壮“革新官僚”が喜びそうなものになっている。
 しかしながら、最初に帰省列車の中の生真面目そうな関本と大騒ぎする前坂(「騒ぐのは僕らの自由だ」と言うのは今の若者と全く変わらない)、故郷の駅に着いてからの乗合馬車(主人公の竹田が御者。映画評論家の佐相勉が指摘するように『瀧の白糸』を彷彿とさせる)と乗合自動車、といったように対照的なものを並べる冒頭の展開から目を惹きつけるものがある。
 また、その後の東京かぶれの前坂の滑稽さも、文部省推薦の都会文化批判の域を超えた滑稽さを感じさせ、のちの溝口作品に時折観られるユーモアの部分の源流のような印象を受けた。官推薦のプロパガンダ映画とはいえ、溝口健二の作家性を感じさせる作品になっていると思う。

 フィルムセンターでの上映では製作当時の速度で再生され、現在におけるサイレント映画の上映でありがちな違和感がなく、適切な条件で鑑賞できたことも明記したい。(2006/11/03)

武蔵野夫人 むさしのふじん
監督 溝口健二
公開年 1951年
評点[A’]
感想
武蔵野夫人
武蔵野夫人

 溝口監督の『武蔵野夫人』を観た。昭和二十六年(1951)の作品。

 戦争を期に東京の郊外の武蔵野の実家・宮地家に帰った秋山道子(田中絹代)は、宮地家代々の家と土地を守っていこうと決意したが、夫の忠雄(森雅之)は軽薄で頼りにならない。そんな中、道子の年下のいとこで学徒出陣していた宮地勉(片山明彦)が戦地から帰還してくる。

 当時ベストセラーとなった大岡昇平の同題作品が原作で、“潤色”として福田恆存の名がある(脚本:依田義賢)。
 従来の評価ではいわゆる戦後のスランプ期の作品とされてきて、評価は高くない。実際、主人公の道子や忠雄は良いとしてもその他のキャラクターの描写がちょっと薄っぺらく、道子の運命の相手であるはずの勉の片山明彦はあまり魅力が感じられない。
 しかしながら、戦後の成瀬巳喜男の多くを担当した玉井正夫撮影監督による武蔵野の描写は大変に美しく、溝口監督特有の厳しい人物描写は健在だと思う。特に“臨終場”の感傷を排した突き放したような描き方は『残菊物語』を彷彿とさせる厳しさがある。やはり凄い。(2007/01/03)

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