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あばれ獅子 あばれじし
監督 大曽根辰夫
公開年 1953年
評点[A’]
感想  今日は、阪東妻三郎主演の『あばれ獅子』を観た。監督は大曽根辰夫で、昭和二十八年(1953)の作品。

 貧乏御家人の勝小吉(阪東妻三郎)は無頼が祟って若くして隠居させられていたが、のちに勝海舟と呼ばれることになる息子の麟太郎(北上弥太郎)には剣術と学問を学ばせ親の徹を踏ませまいとしていた。ある日、麟太郎がまだ妖しいものと思われている蘭学を学びたいと言い出す。

 阪妻の遺作。立ち回りや後ろ向きのシーンは代役が演じていて、声もしゃがれていて痛々しいところもあった。もしかすると、声も別人が真似ていたのかもしれないが。吹替え部分と本人が演じた部分との繋ぎ方があまり上手くなく、違和感を覚える。
 しかし、以上のような点はマイナスになるものの、『無法松』や『破れ太鼓』などと同様、阪妻の演ずる暖かくたくましい父親像は素晴らしい。ちょっと息子に甘すぎるような気もするが、麟太郎の婚礼で浮かれて踊る姿には感動……。最後まで阪妻は童心を失わなかった俳優だった。
 子吉の妻お信を演じた山田五十鈴は、この作品では少し押さえて阪妻を立てた演技が上手い。麟太郎の剣術の師・島田虎之助の月形龍之介も合っていた。麟太郎にはもう少し強さが欲しかったような気もする。
 子母澤寛の『勝海舟』が原作(脚本:八住利雄)。『父子鷹』というのは読んだことがあるが、その作品は麟太郎が幼少の頃に終わっていたので、『勝海舟』はその続編的な作品なのだろうか。(2004/07/22)

暴れん坊兄弟 あばれんぼうきょうだい
監督 沢島忠
公開年 1960年
評点[A’]
感想  今日は、 沢島忠監督の『暴れん坊兄弟』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 大名の江戸屋敷で昼あんどん呼ばわりされている典木泰助(東千代之介)が突然、主君の松平長門守(中村錦之助、のち萬屋錦之介)に国詰めを命ぜられる。国元では「殿様の意を受けた御目付役がやってくる」と、後ろ暗いところのある連中は戦々恐々。さらに、泰助とは正反対のせっかちな粗忽者である弟・泰三(中村賀津雄、のち中村嘉葎雄)も国元へ向かい、大騒ぎになる。

 原作は山本周五郎の『思い違い物語』(脚本:鷹沢和善)。周五郎によくある、お家の改革もの。山本周五郎作品は映画化されているものが多いが、この映画はかなりコメディ色が強くカラッとした演出。
 のんきな兄とせっかちな弟、彼らを見守る家老(進藤英太郎)、兄弟に思いを寄せる家老の娘2人(大川恵子・丘さとみ)、悪役たち(山形勲・原健作など)といった役割がかなりハッキリしていて、劇画的なキャラクターになっている。それだけに登場人物の動きが面白いが、ちょっとステレオタイプすぎるように見えるところもあるかも。国元の人間が泰助の正体を知ったところや、泰助が切れるところは、もうちょっと押さえた演出でも良かったかも。終盤の大立ち回りは、カットのつなぎ方が見事で長さを感じさせない。
 気弱な侍を演じた田中春夫と貴公子然とした錦ちゃんが儲け役。作品に登場する“青年組”は、安保闘争当時の全学連あたりを皮肉ったものだろうか。(2003/03/29)

阿部一族 あべいちぞく
監督 熊谷久虎
公開年 1938年
評点[A]
感想  今日は、熊谷久虎監督の『阿部一族』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 寛永十八年、肥後熊本藩主・細川越中守忠利が死去。許しを得られず殉死できなかった阿部弥一右衛門(市川笑太郎)に対する陰口がささやかれ、面目を保つため弥一右衛門は切腹。だが、そのため遺族はさらに冷遇され、長男の権兵衛(橘小三郎)は勝手に髻〔もとどり〕を切って罰せられる。次男の弥五兵衛(中村翫右衛門)以下阿部一族は阿部家の名誉を守るため戦うことを決意する。

 原作は森鴎外の歴史小説(脚本:熊谷久虎・安達伸男)。私は原作は未読だが、映画は冒頭からラストまで“死”が付きまとい、異様な緊張感をたたえている。
 登場人物は、現在の我々の日常会話で何気ない話題を口にするように殉死のことについて語っており、殉死は先験的に是とされていてその価値を云々されることはない。前進座一同の演技は至極ナチュラルで、時代がかった大芝居なところはほとんどないのだが、登場人物たちの考え方が現代人とは全く異なっていることを知らされる。
 かといって彼らが武士道の権化というわけではなく喜怒哀楽を持つ人間として描かれていて、特に硬軟併せ持つ中村翫右衛門の演技が素晴らしい。河原崎長十郎は弥五兵衛の親友である隣家の主・柄本又十郎を演じているが、この作品では脇役という感じだ。
 現代人と作品世界の橋渡しとして、映画オリジナルのキャラである唯一懐疑的な隣家の女中お咲(堤真佐子)というキャラが作られたようで、彼女とからむ役の仲間・多助を演じた市川莚司(のち加東大介)が大活躍だが、原則として殉死や武士道に対する批判が作中で描かれることはない。そしてまた賛美的な描かれ方がされているわけでもないと思う。客観に徹したような演出。
 熊谷監督の演出は、時に象徴的な表現などの技巧を用いるものの、硬質で表に出さない力を内に秘めているような気がする。映像も全体にシャープで力強さを感じさせ(撮影:鈴木博)、黒澤明監督が熊谷監督の影響を受けた? というのもわかるような気がする。黒澤作品は情熱を表に出すところが全然異なるが。

 作中人物と現代人の意識のズレの大きさ、そして殉死・武士道に対する価値判断は全て観客にゆだねられているような感じ、それらによって独特の後味が残る作品になっている。(2005/06/19)

雨あがる あめあがる
監督 小泉堯史
公開年 2000年
評点[B]
感想
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雨あがる 特別版
雨あがる
特別版

 今日は、黒澤明の遺稿を映画化した『雨あがる』を観た。監督は小泉堯史で、平成十二年(2000)の作品。

 剣の腕は一級品なのに、人が良すぎて仕官できない浪人の三沢伊兵衛(寺尾聰)とその妻・たよ(宮崎美子)は雨で足止めを食って木賃宿(安宿)に永逗留していた。ひょんなことから、伊兵衛は当地の藩主・永井和泉守重明(三船史郎)に腕を見込まれる。そして…。

 黒澤明が山本周五郎の原作を基に執筆した脚本を、かつての黒澤組スタッフが映像化して話題となった。映像的には実に素晴らしい(撮影:上田正治)。美術(村木与四郎)が見事で、江戸時代の大名の生活(かなり質素)などの考証も行きとどいている。
 内容は、主人公夫婦の人物造形が江戸時代の人間としては少々非現実的に見えた。それは置いといても、山本周五郎流(黒澤流でもある)の心情説明的長台詞は少々気になる。もとの脚本を尊重して撮影時に変更しなかったのだろうか。
 それと、主人公などのベテラン俳優たちと藩主・近習たちとの演技力の差が甚だしい。特に、三船敏郎の息子の三船史郎の演技は…。怒鳴るシーンは父親そっくりだが。台詞もまさしく棒読みなものの、最後の方は、それが独得の味のように聞こえてきちゃったりして(笑)。
 ただし、脚本の構成はしっかりしていてわかりやすい。余韻を残したラストも良かった。(2001/01/08)

危うし!伊達六十二万石 あやうしだてろくじゅうにまんごく
監督 山田達雄
公開年 1957年
評点[A’]
感想  今日は、嵐寛寿郎主演の『危うし!伊達六十二万石』を観た。監督は山田達雄で、昭和三十二年(1957)の作品。

 江戸時代前期、仙台藩伊達家当主の伊達綱宗(中村竜三郎)は江戸で吉原の太夫・高尾(魚住純子)に入れあげて放蕩三昧。江戸家老の原田甲斐(嵐寛寿郎)は諌めようともしない。国元では老臣の伊達安芸(高田稔)らが事を憂えて白河主殿(沼田曜一)・松前鉄之助(明智十三郎)などを江戸へ派遣するが……。

 歌舞伎の『伽羅先代萩』などの題材になっている伊達騒動を戦前の名脚本家・三村伸太郎のシナリオによって映画化。
 案外ひねりがなく、一般的に知られる伊達騒動をそのまま映画化しているが、かっちりとした演出と映像(撮影:河崎喜久三)で歌舞伎的ストーリーがリアルに映画になっているのも面白い。歌舞伎の政岡にあたる浅岡(日比野恵子)とその子(市川升丸)と若君(太田博之)が絡む“飯炊き”などのエピソードもちゃんとあり、浅岡の母親としての悲しみを示す場面は胸を打つ。
 しかし、それら以上に目を引くのは嵐寛寿郎の演ずる大悪役・原田甲斐。まさに悪の権化のような恐ろしいキャラで、他を圧倒。まさに歌舞伎的な演出の終盤の狂乱振りもすばらしい。
 新東宝製作のちょっと変な題名の作品なので、あまり期待していなかったのだが、意外な見ごたえのある佳作。(2006/02/12)

荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻(荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻) あらきまたえもんけっとうかぎやのつじ
監督 森一生
公開年 1952年
評点[B]
感想  今日は、三船敏郎主演の『荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻』を観た。監督は森一生で、昭和二十七年(1952)の作品。

 講談などで有名な“鍵屋の辻”の仇討。しかし、渡辺数馬(片山明彦)とその助太刀をした荒木又右衛門(三船敏郎)、仇の河合又五郎(千秋実)とその助太刀で荒木又右衛門の親友でもある河合甚左衛門(志村喬)を中心とした戦いの実相は、今に伝えられる巷談俗説から遠くかけ離れたものであった。

 脚本は黒澤明。ファーストシーンで白塗りのメイクをした三船たちが講談調の立ち回りをしてみせ、ナレーションに続いて実説の再現が始まったり、劇中の経過時間と映画の経過時間がほぼ同一でありながら又右衛門たちの従者(加東大介)の回想として過去を描くなど、凝った構成。真剣での戦いの描き方も大変リアル
 ただし、回想と現時点との切り替えのテンポが今ひとつ良くないように感じた。また、リアリティを増すために劇中の経過時間を全て“今”として描いたため、かえって一エピソードで終わってしまったような物足りなさもある。この辺は受け手それぞれで感じ方が異なるかもしれないが。
 又右衛門と河合甚左衛門の友情や二人の従者(加東大介と小川虎之助)の緊張の様子といった登場人物の感情の描き方は、なかなか細やかで良かった。(2003/12/14)

 あらし
監督 稲垣浩
公開年 1956年
評点[A’]
感想  今日は、笠智衆主演の『嵐』を観た。監督は稲垣浩で、昭和三十一年(1956)の作品。

 大正時代、フランスから帰国した水沢信次(笠智衆)は、妻を亡くしてから親戚などに預けていた四人の子供たちを手元に引き取った。大学教授の職を辞し、親しい出版社の社長(加東大介)の勧めで『フランス文学大事典』の編纂に取り掛かったが、婆や(田中絹代)を雇っても仕事と幼い子供の育児の両立は難しく、嵐のような毎日だった。しかし、そんな子供たちもやがて大きくなっていく。

 島崎藤村の原作の映画化(脚本:菊島隆三)。子供の登場する作品が得意な稲垣監督らしく、主人公の育児の様子が自然な演出で活き活きと描かれる。笠智衆は自伝で稲垣監督を好きな映画監督として挙げているが、実際、生真面目さと無骨さ・頑固さを併せ持った持ち味を伸び伸びと生かして演じているように見える。
 親子兄弟の間の小事件と育児が終わりに近づいたときに親が感じる寂寞というのは、小津映画を彷彿とさせるが、冷え冷えとした寂しさを感じさせる小津作品とは異なり、家族愛と子供を育て上げた満足感が強調されていて、基調は明るい。ラストシーン近くの演劇的な長台詞も笠智衆の口から聞くと、映像とも相まって爽やかに感じた。
 飯村正の撮影は、狭い日本家屋の中での生活をよくとらえていて、ラストシーンは強い印象を残す。特撮だと思うが。音声が痩せ気味でちょっと聞き取りづらいのが残念。(2004/05/08)

嵐に咲く花 あらしにさくはな
監督 萩原遼
公開年 1940年
評点[A]
感想  今日は、萩原遼監督の『嵐に咲く花』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 江戸幕府最後の年の慶応四年、慶応義塾の塾生・蜆平九郎(黒川弥太郎)は塾長の福沢諭吉(大河内傳次郎)や親友の鮫島(三田国夫)が止めるのも聞かず、塾を脱走して官軍に身を投じた。しかし、会津二本松の戦いで目を負傷してしまう。蜆は世話してくれた増水けい(山田五十鈴)に恩義と恋心を感ずるが、別れ別れになってしまう。明治になると、蜆は横浜に流れて……。

 冒頭部分を観て、昭和十五年にもなると勤皇ものを作らざるを得なくなったのか……と思ったら大間違い、官軍に攻められる二本松藩の視点からも描かれているし、主題は勤皇運動ではなくむしろ明治維新によって運命を狂わされた男女を描いているので、この時点ではまだこういう作品が作れたのかと少々驚いた(原作:木村毅/脚本:山崎謙太)。
 蜆と増水けいが出会うまでと、会ってから別れてしまうまで、そして再会と、おおむね三つの部分に分かれていて、多彩なキャラクターが登場する。若い頃の黒川弥太郎は青年の客気をにじませていて、山田五十鈴はいつもながら見事。蜆を慕う横浜のチャブ屋の女お秋(志賀暁子)というキャラも面白い。演出的には、萩原監督らしい“物”を使って異なる時間と場所を繋ぐ手法がこの作品でも用いられている。
 保存状態が良いので、構図が巧みでシャープな映像を楽しめる(撮影:安本淳)。(2004/09/20)

アリオン ありおん
監督 安彦良和
公開年 1986年
評点[B]
感想
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アリオン デラックス版
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 今日は、アニメ映画の『アリオン』を観た。監督は安彦良和で、昭和六十一年(1986)の作品。

 古代ギリシア、まだ神と人とが分かたれていなかった時代。地を支配するゼウス(声:大久保正信)と海を支配するポセイドン(声:小林清志)と地下の冥界を支配するハデス(声:大塚周夫)とが相争う中、神々と戦うことになった少年アリオン(声:中原茂)と少女レスフィーナ(声:高橋美紀)の運命。

 『機動戦士ガンダム』で有名な安彦良和が、原作・脚本(田中晶子との共同脚本)・監督を兼ねた作品。キャラクターデザイン協力として漫画家の山岸涼子の名もある。私はガンダム世代のためか、キャラクターデザインが非常になじみやすく感じた。主人公も良いし、レスフィーナも薄幸の少女を描かせたら安彦良和の右に出る者なし。
 内容の方は、神話的世界が舞台のためスケールが雄大で、キャラクターや舞台の設定も凝っている。ゼウスの娘である女神アテナ(声:勝生真沙子)やアリオンの子分のセネカ(声:田中真弓)などのキャラクター設定が面白い。
 ただし、各要素には魅力があるものの、物語の展開やキャラクターの行動が唐突な感がある。アイデアの一つ一つはユニークなのだが、それをまとめる何かが少し足りないように見えた。もう少しで傑作になることができた惜しい作品、という感じ。
 主人公二人の声優は新人だったのか、周りのベテラン声優に比べるとちょっと素人っぽい感じがした。(2003/03/18)

有りがたうさん(有りがとうさん) ありがとうさん
監督 清水宏
公開年 1936年
評点[A]
感想  昨日は、清水宏監督の『有りがたうさん』を観た。昭和十一年(1936)の作品。

 伊豆の天城越えのバス路線に、警笛を鳴らして人が避けてくれると必ず「ありがとう」と言うので“有りがたうさん”と呼ばれている運転手(上原謙)がいた。今日も彼のバスには、伊豆から出る女給(桑野通子)・東京に身売りする娘(築地まゆみ)とその母(二葉かほる)・怪しげなヒゲの紳士(石山隆嗣)など様々な乗客が乗り、有りがたうさんは街道を歩く様々な人とも声を交わすのであった。

 清水監督の代表作の一本とされる作品。バス旅行を舞台にしたロードムービーと言おうか、あるいはモーパッサンが元祖の“乗り合わせもの”か。
 バスの乗客を個々に見ると少々類型的かもしれないが、全体として見ると一つのの乗り物の中の独立した小世界が巧みに作りあげられている。時折、バスとは別世界である街道を歩いている人々との交渉があるのも良い。多少予備知識はあったが、朝鮮人労働者の少女のエピソードがあれほど時間を割いて描かれるとは、ちょっと驚いた。
 よく清水監督は自然な作風と言われるが、この作品は実は大変にドラマティックで、それをバスとその周りだけで描いている凄い映画なのかもしれない。
 監督の演出によるのか、出演者全員が非常にゆっくりとした台詞回し。演技は、だる〜い感じの女給役の桑野通子が特に良かった。(2003/06/03)

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