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家光と彦左 いえみつとひこざ
監督 マキノ正博(雅弘)
公開年 1941年
評点[B]
感想  今日は、長谷川一夫&古川緑波(ロッパ)主演の『家光と彦左』を観た。昭和十六年(1941)の作品で、監督はマキノ正博(雅弘)。

 徳川家康(鳥羽陽之助)から秀忠(佐伯秀男)、そして家光(長谷川一夫)までの三代に仕えた大久保彦左衛門(古川緑波)。頑固一徹の彦左は、太平の世になって活躍の場を失ったかに見えたが、そんな彼を家光は温かい目で見ていた。

 大久保彦左衛門は江戸幕府の“御意見番”として知られているが、この作品では頑固者としてではなく、時代の流れに取り残された老人という面を強調して描いている。家光が気を使ったりするので、敬老映画みたいに見える部分もあるかも。しかし、お守り役の彦左と「じい」と慕う家光のやりとりは、何か感じさせられるものもある。
 有名な“宇都宮城吊り天井”の場面では、大がかりな建物のセットを爆破して迫力があるので、当時としてはかなりの大作だったのだろう。長谷川一夫は一人二役で踊るシーンも二つあり、これも見もの。
 ただ、画面が暗く解像度が低いので、何をやっているかわかりづらい部分があるのが惜しい。それと、全体に少々テンポが遅めに感じた。(2002/01/03)

伊賀の水月(剣雲三十六騎) いがのすいげつ
監督 池田富保
公開年 1942年
評点[C]
感想
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阪東妻三郎傑作選 DVD-BOX
阪東妻三郎傑作選
DVD-BOX
王将
素浪人罷通る
伊賀の水月
無法松の一生
剣風練兵館
木曾の天狗
狐の呉れた赤ん坊
月の出の決闘
富士に立つ影
国定忠治

 今日は、阪東妻三郎主演の『伊賀の水月(剣雲三十六騎)』を観た。監督は池田富保で、昭和十七年(1942)の作品。

 剣で名高い荒木又右衛門(阪東妻三郎)の舅(妻の父)が殺され、仇の河合又五郎(戸上城太郎)は江戸の旗本のもとに逃れた。荒木又右衛門は舅の息子であり妻の弟である数馬(滝口新太郎)を助けて仇を討つことになるが、仇の又五郎は又右衛門の親友・桜井甚左衛門(羅門光三郎)の甥であった。

 吉川英治の『宮本武蔵』が書かれるまで剣豪の中では一番人気だったという荒木又右衛門の“決闘鍵屋の辻”の仇討ちを題材にした物語。外様大名VS旗本という構図に加えて、親友同士が敵味方に分かれるという因果も加わる。
 阪妻の演ずる又右衛門は豪快さん一辺倒という感じで、友と戦うことになる苦衷が今ひとつ伝わってこなかった。全体の展開もわかりやすいがちょっとメリハリに欠ける。しかし、又五郎の駕篭を守る“三十六騎”が走る場面は迫力があり、最後の決闘も非常に迫力があった。又右衛門と数馬たちの少数が大勢を相手にするため、又右衛門と数馬が絶えず走り回る殺陣になっていて、戦前の作品としては非常に工夫された演出だと思う。(2003/09/21)

維新前夜 いしんぜんや
監督 渡辺邦男
公開年 1941年
評点[C]
感想  今日は、渡辺邦男監督の『維新前夜』を観た。昭和十六年(1941)の作品。

 水戸斉昭(高堂国典)のブレーンで尊皇攘夷論者の代表である学者の藤田東湖(月形龍之介)が襲われた。弟子の小谷虎之助(黒川弥太郎)が刺客を捕らえると、それは千葉周作(岡譲二)の娘・千葉真葛(桜町弘子)だった。その裏には、大奥で将軍を押さえている歌橋の局(沢村貞子)と筆頭老中・阿部伊勢守正弘(江川宇礼雄)の政争があった。

 題名通り幕末、黒船来航直後の混乱する江戸が舞台の作品(原作:貴司山治/脚本:渡辺邦男)。しかし、主役が藤田東湖か阿部正弘か千葉真葛なのか、どれも描写が中途半端ではっきりしないし、彼らが結局のところ何をやりたいのかよくわからないのでストーリーも不明瞭。なんだか皆が真面目にお国のために働こうとしているというのはわかるのだが。
 真葛の出生の秘密というのもストーリーの柱だが、それもあまり上手く料理されていないので娯楽性を得ることにも成功していない。今だったら真葛中心の脚本になるところだが、この作品の製作当時では、それは難しかったのだろうか。(2005/05/29)

維新の曲 いしんのきょく
監督 牛原虚彦
公開年 1942年
評点[A’]
感想  今日は、牛原虚彦監督の『維新の曲』を観た。昭和十七年(1942)の作品。

 幕末、池田屋事件から禁門の変、そして寺田屋事件から大政奉還・戊辰戦争に至るまで、国事に奔走した坂本龍馬(阪東妻三郎)・桂小五郎(市川右太衛門)・西郷吉之助(片岡千恵蔵)・中岡慎太郎(羅門光三郎)・吉田稔麿(尾上菊太郎)ら勤王の志士たちと、崩れゆく幕府を支えんとした徳川慶喜(嵐寛寿郎)・松平容保(沢村国太郎)・近藤勇(阿部九州男)・沖田総司(南条新太郎)ら幕府側の人々の活躍を描く。

 大映の第一回作品。登場人物が多く、キャストも非常に豪華だが、実質上の主人公は坂本龍馬になっている。昭和になると、龍馬の活躍も一般に知られるようになっていたのだろうか。阪妻の豪放な演技で、豪快な坂本龍馬になっている。
 龍馬・桂小五郎・西郷吉之助らとそれに対抗する幕府方のキャラクターを中心とするメインストーリーに加えて、吉田稔麿・沖田総司という若者二人と彼らと触れ合う娘あき(琴糸路)の関係を描いた横糸をからめて構成されていて、それぞれあまり溶け合っておらず途中少々冗長に感ずる部分があるのが惜しいが、全体としては堂々とした印象の大作。溝口健二よりも古いキャリアを持つ牛原虚彦は、最後の監督作が1949年の『虹男』だそうなので、『維新の曲』はキャリア末期の作品ということになる。この作品は非常に堅実な造りの印象だが、他の作品はどうなのだろう。現存しているのだとしたら、観てみたい。
 桂小五郎と西郷吉之助はキャスティングが逆だと思ったが、右太衛門が意外と細かい演技ができて、世間一般のイメージから外れない小五郎像を演じられていたのが意外だった。西郷吉之助は龍馬と小五郎よりも目立たず、ちょっと損な役かも。戦中の作品だけれども、新選組が単なる悪役に描かれていないのは良い。(2003/12/23)

韋駄天街道 いだてんかいどう
監督 萩原遼
公開年 1944年
評点[B]
感想  今日は、萩原遼監督の『韋駄天街道』を観た。昭和十九年(1944)の作品。

 時は幕末。木曽路を旅する若旦那風の男・長太郎(長谷川一夫)は駕籠かきの猪助(榎本健一)と馬子の勘三(岸井明)を助けてやり、猪助の相棒になって宿場町に居ついてしまう。たちまち人気者になって宿場の重要な役を務めることになったが、町の駕籠かきや人足をまとめる親方(鳥羽陽之助)一派は彼を快く思わない。一方、幕府の役人である前島密は長太郎に注目していた。

 木曽の山道や町を背景にして(長野ロケをしたという)長谷川一夫やエノケンが活躍する人情ドラマが基本だが、戦中の作品なので私欲を捨てて“公”に尽くそうというテーマとして、幕末から明治初期の運輸・郵便制度の整備までが取り扱われている。
 人情噺の部分は長谷川一夫と彼を慕う町の女(山根寿子)やエノケンとその子を主題としていて、萩原監督のしっとりした演出と映像(撮影:伊藤武夫)を楽しめる。ただ、ちょっとテンポがゆっくり目のような気がした。
 実力者たちの私利私欲や人間関係で混乱してしまう幕末の前近代的な運輸・通信制度から明治の近代的な郵便制度へ移り変わるというテーマは、やはり取って付けた感は否めない。脚本家(三村伸太郎)も日本郵便の父・前島密(一円切手の肖像の人)を登場させたりして苦労したと思うが……。(2004/09/26)

韋駄天数右衛門(韋駄天數右衛門/韋駄天數右衞門) いだてんかずえもん
監督 後藤岱山
公開年 1933年
評点[B]
感想  今日は、羅門光三郎主演の『韋駄天数右衛門』を観た。監督は後藤岱山で、昭和八年(1933)の作品。

 赤穂藩士の不破数右衛門(羅門光三郎)は主君・浅野内匠頭に寵愛されている実直で腕の立つ武士だが、途方もない粗忽者で殿の月代を剃ったときも他家に使者に出たときも失敗ばかり。あるとき数右衛門は、旅姿の兄妹の仇討を助太刀しようとして、誤って次席家老・大野九郎兵衛の息子に深手を負わせてしまう。

 赤穂四十七士のうち、堀部安兵衛や赤垣源蔵(赤埴源蔵)と並んで人気の高い不破数右衛門を主人公にした作品。不破は松之廊下刃傷事件の頃は浪人していたため、粗忽者(うっかり者)ゆえに主家を辞したという話が作られたらしいが、浅野内匠頭の月代を剃って失敗したり使者に行く家を間違えたりするエピソードは同じく四十七士である武林唯七のものという伝承もある。
 史実とはほとんど関係ない講談調のストーリーだが、サイレント特有のパントマイム的な演技やギャグが面白い。52分ほどの短編なので展開もスピーディー。もうちょっと続きを観たいという感じもあるが。
 羅門光三郎は阪妻・大河内より一段下がるB級的存在ながら、ちょっと珍しい槍の殺陣も見せてくれて楽しめた。庶民や少年たちに人気があったというのもうなづける。忠臣蔵の義士外伝であるが、重いところは全く無く娯楽に徹した一作。(2005/01/24)

イチかバチか いちかばちか
監督 川島雄三
公開年 1963年
評点[A’]
感想  今日は、川島雄三監督の『イチかバチか』を観た。昭和三十八年(1963)の作品。

 一代で南海製鋼を築いた島千蔵社長(伴淳三郎)は、全財産200億円をかけた世界最大級の製鉄工場建設を発表した。たちまち島社長と企画室長の北野真一(高島忠夫)のもとに工場誘致の自治体が列を成し、中でも東三市の大田原市長(ハナ肇)はその強引な馬力で二人を振り回す。しかし、東三市には市会議員の松永(山茶花究)を始めとする反対派も存在した。

 川島監督の遺作。公開の5日前に急逝したという。しかし、諦観めいたものはなく川島監督らしさも健在で、こじつけめいた見方をしなければ特に死期を予感させるものはないと思う。
 この作品は現代社会を舞台にしたものであり派手なところは全くないのだが、所々非常に大掛かりで金をかけた贅沢な作品のように見える。それだけ川島監督の実力が認められていたのだろうか。伴淳は老人役でちょっとおとなしいが、ハナ肇は相変わらずの押しの強さで大活躍。一筋縄では行かない人物を演じている。山茶花究も徹底して大真面目な演技で存在感あり。
 原作は城山三郎で私は未読だが、真面目な経済小説だったのだろうか。脚本の菊島隆三と川島監督が料理したためか皮肉なユーモアを感じさせる。社会批判色が濃いが、説教臭さが出る前にコメディで中和するのは巧み。終盤の大田原と松永の演説合戦は『ジュリアス・シーザー』のブルータスとアントニーに倣ったのか、面白いシークエンスだった。ラストも、あっさり気味に放り出したような終わり方が川島監督らしい。
 この作品では奇を衒ったところはないけれども、自動的に屋根を開閉できるオープンカーやテープレコーダー、ポータブルテレビなどモダンなアイテムが登場するのは川島監督の趣味のようだ。(2004/11/27)

一心太助 男の中の男一匹 いっしんたすけおとこのなかのおとこいっぴき
監督 沢島忠
公開年 1959年
評点[A’]
感想  今日は、中村錦之助主演の『一心太助 男の中の男一匹』を観た。監督は沢島忠で、昭和三十四年(1959)の作品。

 いよいよ、一心太助(中村錦之助、のち萬屋錦之介)とお仲(中原ひとみ)が婚礼の式を挙げ、晴れて一緒になる。しかし、魚河岸の利権を松前屋(大河内傳次郎)から奪おうとする丹波屋(阿部九洲男)と彼と結託する神尾備前守(進藤英太郎)・神尾主膳(原健策)たちの悪行を知った太助は、落ち着いて新婚生活を送る間もなく、また大活躍する。

 一心太助もの第三作。この作品では冒頭から大立ち回りで、裸で結婚式を挙げてしまう一心太助が面白い。太助はいつもの大活躍だが、登場人物が増えて新婚夫婦のもとに転がり込む居候の男二人やお仲の故郷の幼なじみ二人なんてキャラが出てきたので、ちょっとゴチャゴチャした感じがした。
 しかし、今作は月形龍之介の大久保彦左衛門が特に良い。太助と居候たちや長屋の住人たちが楽しそうに宴会している様子を陰ながら覗き見て、「太助も一人前になった。自分の役目は終わった」というような笑顔を浮かべ(こんな台詞を口に出したわけではない)、黙って去っていく彦左の姿に涙……。それにしても、シリーズ完結作の予定だったそうということだけれども、あんなことになろうとは(実際にはこのあとにも何作か錦之助主演の一心太助ものが作られている)。
 ストーリーは前作と似た、高官の陰謀を太助が暴くというものだが、終盤の盛り上げ方が見事。(2003/04/19)

一心太助 天下の一大事 いっしんたすけてんかのいちだいじ
監督 沢島忠
公開年 1958年
評点[A’]
感想
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一心太助 天下の一大事
一心太助
天下の一大事

 今日は、中村錦之助主演の『一心太助 天下の一大事』を観た。監督は沢島忠で、昭和三十三年(1958)の作品。

 大久保彦左衛門(月形龍之介)の病が癒えて元気を取り戻した一心太助(中村錦之助、のち萬屋錦之介)は、魚河岸で自殺志願の妙な男・幸吉(田中春夫)と出会い、彼の口から旗本・川勝丹波守(進藤英太郎)らの悪事を知る。

 一心太助もの第二弾。2作目からカラーになり、モブシーンやアクションシーンも増え、全体のテンポが速くなった感じ。1作目がヒットして予算が増えたのだろうか。太助が魚河岸を駆け抜けるところや終盤の神輿(みこし)のシーンは盛り上がる
 この作品は、大久保彦左衛門を慕う太助と家光に加えて、太平の世にあって敢えて毒舌を吐いて憎まれ役を演ずる彦左衛門の心中が前作よりもよく描かれている。月形龍之介の彦左衛門は本当にハマリ役だ。珍しく正義の味方役の山形勲も良い。(2003/04/17)

偽れる盛装(僞れる盛裝) いつわれるせいそう
監督 吉村公三郎
公開年 1951年
評点[A’]
感想  今日は、吉村公三郎監督の『偽れる盛装』を観た。昭和二十六年(1951)の作品。

 京都の芸妓・君蝶(京マチ子)は美貌と男を落とす凄腕を以って知られていた。同じく芸妓であった昔かたぎの母(瀧花久子)や堅気である妹・妙子(藤田泰子)までもがこの仕事ゆえに辛い思いをするのを見ると、君蝶は一層男からむしりとってやろうと思い、山下(菅井一郎)・伊勢浜(進藤英太郎)などの男を渡り歩くのであったが……。

 吉村公三郎監督と新藤兼人脚本コンビの一作。オリジナル脚本だがテーマから連想できるように、溝口健二監督の『祇園の姉妹』に対するオマージュだという。『祇園の姉妹』が必要最小限のエピソードと登場人物に絞り込んだドキュメンタリーのような作品だったのに対し、この作品は多くのエピソードと登場人物から構成される。
 伝統的な京都を代表する君蝶の生き方と戦後社会の象徴である妙子を巡るエピソードが二本柱で、その対比はやはり少々図式的にならざるを得なかったようだ。新藤兼人もがんばっているし、妙子が市電でなく自転車(=自分の力で動かす乗り物)で京都府庁へ通勤するシーンは彼女のその後を象徴していて面白い描写だったが。
 エピソードの数ももう少し絞った方が良かったような気もするし、吉村演出は細かすぎて説明的すぎる部分がある(『安城家の舞踏会』のように)けれども、時折面白い演出もあり、なんといっても京マチ子の魅力は圧倒的で表情の演技も巧み。その他、進藤英太郎はいつもながら見ていると楽しくなってしまう(笑)。
 テーマ性が表に出ている部分は新藤兼人のアクと時代性を感じさせるが、戦後しばらくの作品ということを頭において観れば、佳作だと思う。

 撮影は中井朝一で、のちに黒澤監督と組んでシャープな映像を作った人だが、この作品ではソフトフォーカス気味で女性の美しさを強調する絵作りになっている。監督の意向だろうか。(2004/12/18)

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