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影狩り ほえろ大砲 かげがりほろたいほう
監督 舛田利雄
公開年 1972年
評点[B]
感想  今日は、石原裕次郎主演の『影狩り ほえろ大砲』を観た。監督は舛田利雄で、昭和四十七年(1972)の作品。

 “影”と呼ばれる公儀隠密と戦う“影狩り”の室戸十兵衛(石原裕次郎)・日光(内田良平)・月光(成田三樹夫)の三人は、公儀から大砲改めを申し付けられた豊後佐伯藩に呼ばれる。実は、既に佐伯藩の大砲は鋳潰されてしまっていたので、新たな大砲が完成し城に運び込まれるまでの警護を依頼されたのだ。

 さいとう・たかをの劇画を映画化した『影狩り』シリーズ第二作(脚本:池上金男)。前作同様、実写のマンガという雰囲気だが、山を越えて重い大砲を運ぶ過程が、紆余曲折や工夫があって面白い。
 この作品では、女子供で泣かせようとしているのがちょっと気になった。女の方は良いとして、ガキが馬鹿すぎるので共感できない(笑)。(2002/11/18)

影の車 かげのくるま
監督 野村芳太郎
公開年 1970年
評点[B]
感想
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影の車
影の車

 今日は、野村芳太郎監督の『影の車』を観た。昭和四十五年(1970)の作品。

 生真面目な会社員の浜島幸雄(加藤剛)は通勤バスの中で偶然、幼なじみの小磯泰子(岩下志麻)と再会する。自分の仕事と市民運動に夢中の妻(小川真由美)に飽き足りない浜島は、美しい未亡人となっていた泰子の家にたびたび足を運ぶようになる。しかし彼は、泰子の子(岡本久人)の目が妙に気になっていた。

 野村監督お得意の松本清張原作の作品(脚本:橋本忍)。
 造成中の郊外の団地の雰囲気や泰子母子の住む古い借家など、野村作品特有の“昭和”の雰囲気のリアルさはいつもながら見事。どうしてこう普通の風景をリアルに写すだけで恐くなるんだろう。媚のない子どもの演出も巧み。実験的な映像も面白い(撮影:川又昂)。30年以上前にこの題材を採りあげた原作者と監督の観点も先進的だと思う。
 ただし、全体に漂う恐さの雰囲気は良いのだが、終盤まで何度も似たパターンが繰り返される展開で、いささか食傷する。終わり方も唐突に思えた。原作は読んだことがないので知らないが、脚本にもう一工夫ほしかったような気がする。

 一つ、この当時のバスにまだ車掌がいたのが意外だった。いつごろからワンマンバスが一般的になったのだろうか。(2005/10/03)

影を斬る かげをきる
監督 池広一夫
公開年 1963年
評点[B]
感想  今日は、市川雷蔵主演の『影を斬る』を観た。監督は池広一夫で、昭和三十八年(1963)の作品。

 仙台藩伊達六十二万石の剣術指南役・井伊直人(市川雷蔵)は、昼間は天守閣で昼寝、夜は主君の忠宗(成田純一郎)を連れ出して遊び歩いていた。そんな彼に城代家老・伊達将監(稲葉義男)の娘・定(嵯峨三智子)との縁談が持ち上がるが、薙刀を振るう定との立ち合いに敗れて江戸へ剣術修行に行くことになる。

 題名を見てシリアスな剣客ものかと思ったら、コミカルなタッチで始まってちょっと意外だった。大映のコメディ時代劇の流れに連なる一作(脚本:小国英雄)。
 コミカルな作品での雷蔵は活き活きしていて良いし、井伊家の用人役の藤原釜足もいい味を出している。嵯峨三智子の演技は、もう少し幅が合ったら良かったな、と思った。ちゃらんぽらんな雷蔵の姿だけでも充分楽しく、雷蔵自身も池広監督を評価していたが、コメディの演出の切れは田中徳三監督の方に一日の長があるような気がした。(2004/06/18)

駕で行くのは かごでいくのは
監督 天野信
公開年 1955年
評点[C]
感想  今日は、勝新太郎主演の『駕で行くのは』を観た。監督は天野信で、昭和三十年(1955)の作品。

 長屋の住人・彦兵衛(葛木香一)が越前屋(玉置一恵)殺しの罪でしょっぴかれた。彦兵衛の娘お千代(小町瑠美子)と恋仲の三次(勝新太郎)や長屋の住人たちは彦兵衛の無実を信じて奉行所に訴えるが、相手にされない。実は、長屋の住人である駕籠屋の権三(田端義夫)と助十(渡辺篤)は真犯人を目撃していたのだが、口をつぐんでいた。

 映画でもたびたび採りあげられる“権三と助十”ものの一作(脚本:御荘金吾)で、勝新太郎のデビュー翌年、出演第4作目の作品。
 ただし勝新が主演の扱いだが、権三と助十の物語にむりやり主人公をくっつけたような感じになっていて、主題歌を始めとして作中でたびたび唄う田端義夫と渡辺篤の方が目立ち、主人公の影が薄くなってしまっている。駕籠に“空かご”と表示するなど現代社会のパロディがあったりドタバタのギャグも多いが、空回り気味。脚本・演出共に今ひとつの感がある。田中徳三監督あたりなら同じ題材をもっと上手く料理できたかも?(2005/03/10)

貸間あり かしまあり
監督 川島雄三
公開年 1959年
評点[C]
感想
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貸間あり
貸間あり

 今日は、川島雄三監督の『貸間あり』を観た。昭和三十四年(1959年)の作品。

 大阪のある大きな屋敷は戦後、敷地内の数多い建物をそれぞれ人に貸して“アパート屋敷”と呼ばれるようになっていた。そこに陶芸家の津山ユミ子(淡島千景)が引っ越してきて、“先生”と呼ばれて隣人たちに頼りにされている与田五郎(フランキー堺)との交流が始まる。その他、癖のある住人たち(乙羽信子・浪花千栄子・清川虹子・桂小金治・山茶花究・渡辺篤・西岡慶子)が引き起こす騒動。

 “アパート屋敷”を舞台とした集団劇で、中盤までは中心となる筋が無いような感じで混沌としていて、一言では筋書きを言えない。とにかく奇矯な人物ばかりで、そこが川島映画らしいだろうか。小沢昭一(?)の演ずる受験生が特に面白い。原作は井伏鱒二の小説で、脚本は川島雄三と藤本義一。原作とあまりにもかけはなれているので井伏鱒二が怒ったそうだ。
 評価は高いようだが、個人的には『喜劇 とんかつ一代』などのわかりやすい作品の方が好き。ちなみに、川島雄三の伝記の題名にもなった「サヨナラだけが人生だ」という言葉(井伏鱒二が漢詩から訳したもの)は、この作品で読み上げられる。(2001/10/26)

風の女王 かぜのじょおう
監督 佐々木康
公開年 1938年
評点[C]
感想  今日は、佐々木康監督の『風の女王』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 英文タイピストの松永由紀子(三宅邦子)は、専務の福井五郎(佐野周二)に洋行しないかと声をかけられる。しかし同僚の三瀬良介(笠智衆)から福井の悪い噂を聞いていた由紀子は断ってしまう。それを知った由紀子の妹(高杉早苗)は勝手に福井に姉の洋行を頼みに行き、さらに福井に対して好意を抱いてしまうが……。

 片岡鉄平の雑誌連載小説の映画化(脚本:野田高梧)。
 高杉早苗がいつもの自由奔放な娘を演じているが、この作品では自由奔放以上のエキセントリックな感さえある。笠智衆が二枚目役、それも色悪とでも言うのか、プレイボーイ的な役を演じていたので驚かされた。笠智衆は一般的に小津映画と戦後の『寅さん』の御前様のイメージがあまりに強いが、実はかなり役の幅が広い。
 この作品は登場人物が私利私欲で動いている人間が多く、それ以外の役もうじうじして共感できない。原作からそうなのだと思うが、映画は展開が駆け足で登場人物が終始しゃべくっている印象があり、嫌な感じが増幅されているような気がする。今観られるプリントは1時間5分ほどしかないが、もしかしたら再編集されているのだろうか。
 ただし、プリントの状態は戦前の松竹作品としてはかなり良く、音声も聞きづらくなかった。撮影自体もまずまず良く(撮影:野村昊)、序盤のスキーの場面は松竹映画には珍しい雄大さを感じさせた。その他、スケート場のシーンがあったりして、都会に住んでいるごく一部の人間たちに限るとはいえ、戦前からスキー・スケートが娯楽だったことがわかる資料的価値もあるかもしれない。(2005/11/25)

風の中の子供 かぜのなかのこども
監督 清水宏
公開年 1937年
評点[A]
感想  今日は、清水宏監督の『風の中の子供』を観たっす。昭和十二年(1937)の作品。

 小津安二郎と同い年(1903年生)の清水監督の作品は初めて観た。児童映画の名手とのことで、なかなかの佳作だと思う。子供と動物を出すのは卑怯だし(笑)、途中、結構ベタな人情噺(にんじょうばなし)っぽくなる場面もあったけれども、作りが丁寧で、ラストが良かったです。
 笠智衆がチョイ役で出てたが、老けメイクなしだと若いわ。清水監督の作品に結構出演していて、主演作もあるそうだ。
 笠智衆は、近年ますます小津安二郎監督の評価が高まっているのに清水宏監督のことが全く語られないのが不思議です、というようなことを言っていた。小津監督を尊敬はしていたかもしれないけど、撮影が楽しかったのは清水監督の方だったのかも。小津監督作品では自分の芝居なんてできないから。(2000/04/25)

風の中の牝鷄(風の中の牝鶏) かぜのなかのめんどり
監督 小津安二郎
公開年 1948年
評点[C]
感想
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小津安二郎 DVD-BOX 第三集
小津安二郎
DVD-BOX
第三集

 今日は、小津安二郎監督の『風の中の牝鷄』を観た。昭和二十三年(1948)の作品。

 人妻の雨宮時子(田中絹代)は、出征して未だ帰ってこない夫・雨宮修一(佐野周二)を息子とともにひたすら待ちつづけていた。家財を売りながらの苦しい生活の中、息子が急病で入院し医療費に窮した時子は、身体を売ってしまう。その直後、修一が帰ってきて……。

 小津監督の戦後第2作目。前作の『長屋紳士録』も戦後の社会情勢を背景にしたものだったが、『風の中の牝鷄』は、さらに社会派的な作品になっている。
 この作品は、時子はまだしも修一の行動や心情に共感できない。妻の行為に傷つくのは当然だとしても、あまりにも妻への態度が酷い。今で言うDV(ドメスティック・バイオレンスをやらかしてしまうし。有名な階段落ちも、ちょっとやりすぎではないだろうか。
 この作品が失敗作だと言われるのは、メッセージ性の強い作風が小津監督に向いていなかったことに加えて(戦前も社会派的な作品はあったがユーモアが交えられていた)、生涯独身を通した小津監督の夫婦観にも一因があるのかもしれない。『お茶漬の味』や『早春』の夫婦も、どこかヘンテコだし。(2002/03/09)

風の又三郎 かぜのまたさぶろう
監督 島耕二
公開年 1940年
評点[A’]
感想  今日は、島耕二監督の『風の又三郎』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 夏休み明けの風の強い日、ある山村の分教場に都会からの転校生・高田三郎(片山明彦)が転入し、あっという間に去っていった。果たして、彼は風に乗ってやってくる風の又三郎だったのか……。

 原作は、言わずと知れた宮沢賢治の童話(脚色:永見隆三・小池慎太郎)。登場人物のほとんどが子供で、児童映画という雰囲気。ただし、教訓めいたエピソードが描かれるわけではなく(宮沢賢治原作なので当然だが)、前半から中盤は山村の自然、後半は又三郎のファンタスティックな世界を丹念に描いている。
 今の目で観ると展開がゆっくりで、終盤の特撮もショボい。しかし、風雨のシーンは良いし、子役たちにあまり臭い芝居をさせず、表情やしぐさで感情を表現させている演出には好感を抱ける。(2003/01/01)

家族会議(家族會議) かぞくかいぎ
監督 島津保次郎
公開年 1936年
評点[C]
感想  今日は、島津保次郎監督の『家族会議』を観た。昭和十一年(1936)の作品。

 兜町の株屋・重住高之(佐分利信)は大阪に住む仁礼泰子(及川道子)と好き合っていたが、高之の父が泰子の父のために破産して自殺した経緯があるので、二人の友人の池島忍(高杉早苗)がハッパをかけても一歩を踏み出せなかった。そんな折、再び泰子の父が番頭の京極練太郎(高田浩吉)に命じて仕手戦を仕掛けてくる。

 横光利一の原作の映画化(脚本:池田忠雄)。題名はファミリードラマのようだが、実際はドラマティックなメロドラマ。
 まず、高之が妙に消極的な男性に見え、なぜあんなに女性たちに好かれるのがよくわからないし、対して泰子以外の女性キャラの行動は非常に積極的でビックリする。特に、高之に恋する梶原清子(桑野通子)というキャラの行動には唖然。さらに大げさ過ぎる音楽で驚かされる。
 現存しているのはかなり切り刻まれた短縮版らしいので(オープニングのキャスト紹介に名があっても姿を現わさなかった俳優が何人もいる)、キャラの心理がよく見えずエキセントリックに感じられてしまうのは仕方ないようだが。ただし、それでもアップの多用やモンタージュ(?)など島津監督にしては大げさな演出が目立つ。洋画の影響を受けたのだろうか。蒲田から移転した松竹大船撮影所の第一作だそうなので、多少の力みがあったのかもしれない。
 ちょっと心境のわかりづらい登場人物たちの中でも、忍と練太郎二人の大阪人は比較的わかりやすく、好感を持てた。特に忍は自動車を運転したりゴルフをしたり、さらには今の目で見るとヘンテコな派手なドレスを着たり、当世風の金持ちのお嬢様風に派手に振舞ってみせるキャラを生き生きと演じている。(2005/05/02)

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