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まごころ まごころ
監督 成瀬巳喜男
公開年 1939年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『まごころ』を観た。昭和十四年(1939)の作品。

 小学生の長谷山富子(加藤照子)と浅田信子(悦っちゃん)は大の仲良し。信子の成績が下がったことから母親(村瀬幸子)と父親(高田稔)が口論となり、信子は自分の父親と富子の母親(入江たか子)が昔つきあっていたことを知ってしまう。

 石坂洋次郎の原作の映画化(脚本:成瀬巳喜男)。子供二人が主人公で、子役の演技はなかなか。大人の方では、入江たか子が凄く綺麗な母親なのが印象的。これでは信子の母親も嫉妬するだろう。
 自分の親の意外な一面を知って不安になる子供の心理がよく描き出されていて、親に気を使う姿は胸を打つ。一方、大人の方の描写がちょっと薄味な印象もないではない。終盤がいきなり昭和十四年当時の“時局”を反映したものになっていて、ちょっと「あらら」という感もあるが、この程度なら許せるかもしれない。いわば、ちょっとだけ小津の『お茶漬の味』(特に戦中の第一稿の脚本)に似た解決の仕方かな?(2003/03/01)

また逢う日まで またあうひまで
監督 今井正
公開年 1950年
評点[C]
感想
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また逢う日まで
また逢う日まで

 今日は、今井正監督の『また逢う日まで』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 戦争末期、山の手に住む学生の田島三郎(岡田英次)は町で空襲に遭って避難した地下鉄のホームで偶然、小野螢子(久我美子)と出会う。たちまち惹かれあった二人だが、時代の波は容赦なく押し寄せる。

 極めて真面目な映画を作られた今井正監督だけに、徹底して主人公たちを戦争の犠牲者として描いている。しかし、田島が非常にセンチメンタルに戦争を嫌悪してばかりいるので、かえって現実逃避的な無責任な人間のように見え、現代人の私から観ると共感できない。これもまた、同時代に観ないと良さがわからない作品なのかもしれない。
 時々挿入される田島の甘ったるい声のモノローグも邪魔。若き日の久我美子の可憐さだけが見所か。日本映画ベストなんとかの本の類で上位にあるのが、ちょっとわからない。(2001/02/16)

マダムと女房 まだむとにょうぼう
監督 五所平之助
公開年 1931年
評点[C]
感想  今日は五所平之助監督の『マダムと女房』を観た。昭和六年(1931)の作品。

 郊外の借家に引っ越してきた劇作家の芝野新作(渡辺篤)。締め切り間近の脚本を書こうとするが、子供は夜鳴きするわ隣の文化住宅から流れてくるバンド演奏の音楽がうるさいわで、なかなか進まない。芝野は隣に苦情を言いに行ったけれども、そこのマダム(伊達里子)にたちまち篭絡されてしまう。それを知って彼の妻(田中絹代)は嫉妬する。

 日本の本格的トーキー作品第一号。それまでもトーキーと称する作品はあったが、サイレント部分が中心で一部のみトーキーであるパート・トーキーだった。
 内容は特筆すべきところの無いナンセンスコメディで、後半は音楽を聞かせることが中心になりテンポが落ちる。また、上映時間も一時間足らずなので、プログラムピクチャーという感じ。出演者の発声も、まだ慣れてない雰囲気。しかし、当時とすれば音が出るだけでも凄いと感じられるだろうし、当時のアイドル田中絹代の肉声を聞けるだけでも、観客は感動したのだろう。
 ただし、資料的価値はあるだろうし、トーキー第一作としては完成度はまずまず高いと思う(既に洋画はトーキー化してしていたにしても)。(2001/09/28)

待って居た男 まっていたおとこ
監督 マキノ正博(雅弘)
公開年 1942年
評点[B]
感想  今日は、マキノ正博(雅弘)監督の『待って居た男』を観た。昭和十七年(1942)の作品。主演は長谷川一夫と山田五十鈴。

 南伊豆の大旅館・柊屋で、若夫婦の清次郎(大川平八郎)と おふぢ(山根寿子)のための離れを増築していると、おふぢの身に次々と危険が襲いかかる。たまたま逗留していた江戸の有名な目明かし文吉(長谷川一夫)の女房お光(山田五十鈴)が夫に代わって謎を解決しようとするが、やがて文吉自らが乗り出してくる。

 『昨日消えた男』に続く、マキノ監督と長谷川一夫&山田五十鈴の組み合わせによる「マゲを結った推理劇」。序盤から中盤にかけて、少々展開が遅いような気がするものの、まずまず楽しめる娯楽作。山田五十鈴が可愛い。山根寿子も山田五十鈴も人妻役なので、お歯黒をつけているが、さほど不気味ではない。白黒画面のためでもあるかもしれない。
 柊屋の若い女中に高峰秀子。地元の目明かし役にエノケンこと榎本健一。『昨日消えた男』も観てみたい。(2001/04/22)

松之助の忠臣蔵 まつのすけのちゅうしんぐら
監督 牧野省三
公開年 1910年
評点[C]
感想 『尾上松之助の忠臣蔵』(おのえまつのすけのちゅうしんぐら)を参照

祭りの準備 まつりのじゅんび
監督 黒木和雄
公開年 1975年
評点[B]
感想
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祭りの準備 ニューマスター版
祭りの準備
ニューマスター版
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ATG映画傑作選(1)
ATG映画傑作選1
祭りの準備
サード
遠雷

 今日は、黒木和雄監督の『祭りの準備』を観たです。昭和五十年(1975)の作品。

 信用金庫に勤めながら脚本家を目指している青年・沖楯男(江藤潤)は、親子そろって放蕩者の父(ハナ肇)と祖父(浜村純)、同じ集落に住む父の愛人2人、近所の泥棒兄弟などの、高知の片田舎のドロドロした人間関係からの脱出を夢見ていた。脚本を書いた中島丈博の自伝的な作品。この人は1999年度のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』の脚本を担当した人だ。
 なんだか全体に濃くって、閉鎖的な田舎の鬱陶しさのようなものはよく出ていたと思う。いかにも70年代的な泥臭さがあると思ったら、ATG製作なのね。主人公が憧れていた美人のヒロインは竹下景子。泥棒兄弟の弟の方に原田芳雄。
 濃いキャラが連発されたり、むやみに裸やベッドシーンが出てくるので(竹下景子のオッパイは吹き替えだと思う)、チョット辟易する部分もあった。好みの問題でもあるけど。ただし、主人公は当時新人だった江藤潤が好演して共感できるキャラクターになっていた。ラストシーンも結構いい。(2000/11/13)

瞼の母 まぶたのはは
監督 加藤泰
公開年 1962年
評点[A’]
感想  今日は、加藤泰監督の『瞼の母』を観た。昭和三十七年(1962)の作品。脚本も加藤泰で、原作は長谷川伸。

 股旅暮らしの渡世人、番場の忠太郎(中村錦之助、のちの萬屋錦之介)が幼い頃に離ればなれになった実の母を探し求める。サイレント時代から何度も映画化された有名な話っすね。

 加藤泰のシャープな映像が、関東の村や江戸の人々の暮らしを克明に映し出す。題材が題材だけに、演出はかなりウェットな感じ。しかし、浪花千栄子・夏川静江・沢村貞子・木暮実千代がそれぞれに演ずる母親像と、彼女たちに実の母親を求める忠太郎の姿が胸を打つ。ラスト、木暮実千代の「忠太郎!」の叫びが肺腑をえぐる。(2000/12/24)

まぼろし城 まぼろしじょう
監督 組田彰造
公開年 1940年
評点[B]
感想  今日は、組田彰造監督の『まぼろし城』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 時は江戸初期、三代将軍家光の時代。豊臣の残党が、まぼろしの神を奉ずる“まぼろし党”と名乗って木曽の山奥にこもっていた。彼らは日本の山河の様子をあまねく描いた山絵図を奪おうとし、公儀隠密の木暮月之助(原健作)はそれを阻もうとする。

 『少年倶楽部』に連載された高垣眸の原作を映画化した、お子さまあるいは御家族連れ向けの娯楽作品。秘宝・謎の宗教集団・ヒーローなど、のちの娯楽作品に現れるパターンが既に出来あがっている。
 今観ても、そこそこ楽しめると思う。第一・二・三部を続けて一気に観ると、少々長く感ずるけれども。ただ、画質が今一つなのが惜しい。一時は題名通り幻の作品となっていたが、フィルムが発見されて観られるようになったそうなので、贅沢は言えないが。
 主演の原健作は、溝口健二監督の『浪華悲歌』で主人公(山田五十鈴)の兄を演じている。また、ヒロイン役の橘公子は戦後の溝口作品の何作かに出演した。(2001/04/29)

まぼろし天狗 まぼろしてんぐ
監督 中川信夫
公開年 1962年
評点[B]
感想  今日は、大川橋蔵主演の『まぼろし天狗』を観た。監督は中川信夫で、昭和三十七年(1962)の作品。

 田沼意次(山形勲)が御政道を牛耳っていた時代、世の中は賄賂が横行し乱れきっていた。若い町奉行所与力・守屋周馬(大川橋蔵)は麻薬がらみの事件を追うが、銃撃されて負傷する。彼を助けた無役の旗本・浅川喬之助(大川橋蔵)はなぜか周馬と顔が瓜二つで、彼に成り代わって悪を追う。

 キャラクターが善悪はっきり分かれていて、実にわかりやすい展開。まさに娯楽時代劇以外の何物でもない。“闇の御前”と称する悪の黒幕役は月形龍之介(やっぱり)。悪の手下の一人で周馬に惚れていた、お艶(桜町弘子)ちゅう女が「私は……これでも生まれたままの体なんですよ」なんて言うが、嘘つけ! と思ってしまう(笑)。(2002/11/22)

狸穴町0番地 まみあなちょうぜろばんち
監督 木村恵吾
公開年 1965年
評点[C]
感想  今日は、木村恵吾監督の『狸穴町0番地』を観た。昭和四十年(1965)の作品。

 麻布狸穴町に住む狸たちは、世知辛くなった人間を化かせなくなった上に周囲の開発で追い立てられ、生活が苦しくなってきた。古狸の泥八(花菱アチャコ)とその母おたね(武智豊子)は、娘おくろ(高田美和)を人間の娘に化けさせて働きに出すことにする。クラブで働くことになったおくろは、若い従業員・公彦(西郷輝彦)が気になってしまう。

 戦前からの狸映画の巨匠・木村監督の作品。狸映画は普通ファンタジー的なものだが、この作品は現代の日本を舞台にしている(脚本:桜井康裕・小滝光郎・木村恵吾)。
 西郷輝彦が共演者なので、彼の歌を含めた当時の流行歌がよく流れるが、その挿入の仕方が無理矢理で作品のテンポを損ねて退屈なものにしてしまっている。ヒロインの性格も暗くて、観ていてげんなり。
 高度成長期の日本では狸よりも人間の方がずる賢くなったという設定を生かすのなら、センチメンタルな部分や歌を極力少なくして徹底的に諷刺喜劇にし、『昭和狸合戦ぽんぽこ』にしてしまえば良かったと思うが、映画が斜陽になった当時は西郷輝彦の人気を当てこまねばならなかったのだろうか。
 昭和四十年では狸映画を作るのはもう無理だったのだな、と思わされる作品。実際、木村監督最後の作品らしい。昭和四十年ごろの風俗流行を知るためには役に立つ作品かもしれない。(2005/02/28)

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