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昭和残侠伝 しょうわざんきょうでん
監督 佐伯清
公開年 1965年
評点[B]
感想
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昭和残侠伝
昭和残侠伝

 高倉健主演の『昭和残侠伝』を観た。昭和四十年(1960)の作品。監督は佐伯清。

 時は終戦直後の昭和二十一年。浅草で代々続いてきたテキ屋の神津組は、新興の愚連隊に押されていた。神津組の親分が暗殺された直後、寺島清次(高倉健)が戦地から復員し、跡目を継ぐ。その後も嫌がらせは止まず、ついに寺島は…。客人の風間重吉(池部良)が、主人公に共感して加勢する。

 任侠映画のハシリで、長く続くシリーズ物となる。今まで任侠ものは敬遠していたのだが、この作品には映像美があると思った。キチッとフレームにはめこまれた古典的な絵作りだけれども、安定している。ストーリーも、今から観るとお約束の世界。でも、様式美だと考えれば良いだろうか。
 役者の演技も型を感じさせるけれども、それなりの美しさがある。高倉健と池部良は、さすがに魅力的。二人のカラミのシーンなど、男の色気がある(笑)。松方弘樹と梅宮辰男が神津組の若い衆役で出演していて…両人とも若い!主人公と恋仲だったが戦時中に他の男と結婚してしまっていたヒロイン役に三田佳子。
 余談ながら、既に80代半ばを過ぎている佐伯監督は、先日(2000/11/26)、NHKの『日本人を描き続けた男〜映画作家 伊丹万作〜』という番組にゲストとして元気な姿を見せていた。(2000/12/08)

昭和残侠伝 死んで貰います しょうわざんきょうでんしんでもらいます
監督 マキノ雅弘
公開年 1970年
評点[B]
感想
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昭和残侠伝 死んで貰います
昭和残侠伝
死んで貰います

 今日は、高倉健&池部良主演の『昭和残侠伝 死んで貰います』を観た。監督はマキノ雅弘で、昭和四十九年(1974)の作品。

 東京は深川の老舗料亭「喜楽」の息子・花田秀次郎(高倉健)は、家を離れ無頼の世界に身を投じていた。刑務所を出て、父が没して継母も失明し、板長の風間重吉(池部良)がほとんど一人で店を支えていることを知ると、名を変えて見習い板前として家に帰る。しかし、喜楽に新興ヤクザの魔の手が迫って……。

 『昭和残侠伝』のシリーズ第7作。シリーズ最高傑作とも言われている。自身も元ヤクザだったという設定の池部良が良い感じだが、全体として王道パターンというか様式美の世界。個人的には、様式美でも時代劇は好きだが、任侠ものの良さは正直まだあまりよくわからない。しかし、この作品は、高倉健の弟分役の長門裕之や高倉健と因縁のある博徒の山本麟一らの脇役もしっかり描かれているのが傑作と称される理由の一つだろうか。
 高倉健に惚れる芸者役の藤純子は……う〜ん、なんだか男に都合の良すぎる女性像というか、悪い言い方をすると頭の弱い女に見えるというか……。(2003/04/11)

女性の勝利 じょせいのしょうり
監督 溝口健二
公開年 1946年
評点[B]
感想  今日は、溝口健二監督の『女性の勝利』を観た。昭和二十一年(1946)の作品。脚本家の一人に、小津作品で有名な野田高梧が名を連ねている(もう一人は新藤兼人)。

 終戦直後、思想犯・政治犯の釈放によって、弁護士・細川ひろ子(田中絹代)の婚約者だった山岡敬太(徳大寺伸)も出獄することになった。実は、ひろ子の姉みち子(桑野通子)の夫である河野検事(松本克平)が山岡を告訴したという因縁があり、みち子と河野は自らの保身を考えて、ひろ子に山岡と復縁しないよう圧力をかける。その上、嬰児殺し事件の法廷で、ひろ子と河野が対峙することになった。

 溝口健二監督の戦後第1作。終戦とそれによる日本社会の価値観の変動が溝口監督に与えた影響を如実に示している作品。虐げられた女性を描くのは溝口お得意のテーマだが、田中絹代が封建的な社会を告発する演説をしたり、ひろ子の母役の高橋とよが妙に物わかりが良すぎるのが不自然に見える。
 女性を虐げる封建的社会の代表たる男(河野)・自由と民主主義を訴える男(山岡)・封建的社会に従っている女(みち子)・それに抗う女(ひろ子)という、わかりやすい図式のお説教映画。当時としては、こういう作品が求められていたのかもしれないが。ただし、嬰児殺しの女性(三浦光子)を描いている部分は、溝口健二らしい粘っこさを観ることができた。

 まだ旧憲法・旧刑法下の法廷を描いているため、判事・検事・弁護士が古めかしい法衣と法冠ををつけているのを観られるので、資料として貴重かもしれない。映像は所々美しいが(撮影:生方敏夫)、音声の状態が悪いのが残念。(2002/03/12)

女性の戦ひ(女性の戰ひ/女性の戦い) じょせいのたたかい
監督 佐々木康
公開年 1939年
評点[C]
感想  今日は、佐々木康監督の『女性の戦ひ』を観た。昭和十四年(1939)の作品。

 伊勢丹デパートで働いている田澤なほみ(川崎弘子)は映画会社重役の秋田子爵(上原謙)から女優になるようスカウトされたが、強く固持した。そのころ彼女の養父が亡くなり、死際に実の父親が高い身分の人であることを聞かされる。

 菊池寛の『婦人倶楽部』連載原作の映画化(脚本:斎藤良輔)。菊池寛原作で斎藤良輔脚本と来れば、松竹の定番メロドラマの世界が展開される。
 主演の川崎弘子はおとなしそうな雰囲気の美しさが役にハマっているが、現代の目で見ると『女性の戦ひ』と言えるほど戦っているかどうか疑問に思うくらいひたすら耐えるばかりの展開が続き、いささか退屈する。運命の荒波に耐える女性の古風な美しさ、というものは描かれているが。昭和十年代にしても、受身過ぎるのでは。
 川崎弘子には内面の強さを見せてもらいたかったし、脚本・演出にも工夫が欲しい。主人公の葛藤がもっと表現されていれば、彼女が最後に取った行為に対する感動ももっと増すのではないだろうか。また、主人公以外のキャラクター造形も映像も平凡。
 ただ、当時のデパートガール(作中では“ショップガール”と呼称)の仕事風景が見られたのが面白かった。しかし、楽しい職場としては描かれていないのに、伊勢丹もよく名を使うことを許したなぁ。テレビのない当時、映画に登場することの宣伝効果の方が上だと判断したのだろうか。(2005/02/14)

女優 じょゆう
監督 衣笠貞之助
公開年 1947年
評点[B]
感想  今日は、山田五十鈴主演の『女優』を観た。監督は衣笠貞之助で昭和二十二年(1959)の作品。

 日本で近代演劇を上演するため、芸術協会を設立した島村抱月(土方与志)。そこへ女優志願の松井須磨子(山田五十鈴)がやって来る。教養は無いものの魅力あふれる彼女に引かれる抱月。彼女との関係が問題になり独立して芸術座を旗揚げするが、奔放な須磨子を当時の人間は理解できない。

 同年に溝口健二監督の『女優須磨子の恋』が作られ、競作として話題となった。私は溝口ファンだが、この衣笠貞之助作品の方が、周囲との葛藤などを通して松井須磨子の姿をよく描き出されているように感じた。映像的にもこちらの方が工夫されている印象がある。純日本的な顔立ちの山田五十鈴が新劇女優を演ずるのは、ちょっとイメージが違うような気がしたが、さすがに上手いし若い頃の彼女は魅力的。
 ただし、『女優須磨子の恋』よりも島村抱月の死後の部分が長いので、ちょっと重くなった感じ。それと、島村抱月は『女優須磨子の恋』の山村聡の方が存在感があった。(2001/12/23)

女優須磨子の恋(女優須磨子の戀) じょゆうすまこのこい
監督 溝口健二
公開年 1947年
評点[B]
感想  今日は溝口健二監督の『女優須磨子の恋』を観た。昭和二十二年(1947)の作品。

 これは題名通り、明治末〜大正時代にかけて新劇運動を推し進めた島村抱月と松井須磨子の恋とその結末を描いたもの。溝口作品としては、あまり評価は高くないが、ある邦画評サイトで傑作と言っている人もいたので興味を惹かれて借りて観た。
 ん〜、確かに松井須磨子を演ずる田中絹代は“熱演”だけれども、チョットやりすぎな感じもあるかも。対する島村抱月の山村聰が結構良かった。堂々たる風采と教養を持っていながら、婿養子という引け目のあるインテリ像をよく演じていたと思う。山村聰ってまだ生きてたっけ?(補注:2000年5月26日没)
 あと、上で言ったのとは別のサイトを作品を観たあとに覗いてみると、そこでは画面の端正さに注目して、光は基本的に左に置かれていて人物の構図は基本的に三角形、と書かれていた。う〜、全然気づかなかった…。

 これと同年に、やはり島村抱月&松井須磨子を描いた『女優』(監督:衣笠貞之助/主演:山田五十鈴)という映画も作られて、こちらの方が一般には出来が良いとされているが、『女優須磨子の恋』を誉めていた人は溝口版の方を推していたので比較してみたいと思ったのだけど、『女優』はキネマ倶楽部発売でレンタルは無かった。残念。(2000/04/18)

女優と名探偵 じょゆうとめいたんてい
監督 川島雄三
公開年 1950年
評点[C]
感想  今日は、川島雄三監督の『女優と名探偵』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 自称名探偵(日守新一)は銀座でぶつかってきた若い女(西條鮎子)に謝られてニヤニヤしていると、財布をすられていたことに気づいて呆然。ボロアパートに待ち受けていた金融業者(河村黎吉)やアパートの管理人(坂本武)から逃れるように町に出て、女スリを見つけて後を追うと、彼女はなぜか松竹大船撮影所に入っていった。

 川島監督の9本目で、上映時間31分の短編。“原案”として監督の瑞穂春海の名がある(脚本:中山隆三)。
 主人公の探偵がちょびヒゲを生やしてステッキを持っていることが示しているように、チャップリンその他の外国製喜劇映画を意図的にパクっている作品。ドタバタも最初のうちは面白いが、そのうち少々くどく感じられるようになってくる。以前、川島監督自身が「自作を語る」で「おまえはあいているから、というんで、短編の仕事がまわってきました。意気消沈の時で、ただやっている、という感じ」と語っているのを読んでしまっていたので、先入観が影響したのかもしれないが。
 ただし、終盤のナンセンスな展開は川島雄三らしさが多少なりとも感じられるような気がする。とは言うものの、映画館の番組の埋め草的な印象は否めないと思う。
 佐野周二に始まって、田中絹代・高峰三枝子・木暮実千代・淡島千景などなどの当時の松竹スターたちがカメオ出演しているのと、撮影所内の様子が見られることは興味深い。(2006/01/12)

自来也 忍術三妖伝 じらいやにんじゅつさんようでん
監督 マキノ正博(雅弘)
公開年 1937年
評点[A’]
感想  今日は、マキノ正博(雅弘)監督の『自来也 忍術三妖伝』を観た。昭和十二年(1937)の作品。

 信州の城主・更科輝隆(市川正二郎)は野武士の佐久間正盛(河部五郎)・五十嵐典膳(尾上華丈)・矢尾郡太夫(志村喬)らに殺され、その一子の太郎丸(宗春太郎)は深い土牢に投げ込まれ餓死を待つだけとなった。しかし一夢仙人(香川良介)に助けられて妖術を学び、長じて自来也(片岡千恵蔵)と名乗って佐久間らに復讐の刃を向けた。

 題名通りの忍術映画だが(原作・脚本:比佐芳武)、昭和十二年の段階ではちょっと珍しいネタではないだろうか。
 これでもかとばかりに当時としてもチープに見えたかもしれない特撮が多用されているが、マキノ正博監督の父マキノ省三監督&目玉の松っちゃん(尾上松之助)主演作品の定番ネタだったので、オマージュの意味で作ったのだろうか。特撮の多用も空回りせずなんとも楽しく、千恵蔵もマキノ監督の意図を理解しているようで、いつも以上に重々しくオーバーな演技をしている。
 忍術以外にもラブコメの要素まであり、自来也とは別に佐久間正盛を狙う綱手姫(星玲子)と自来也との掛け合いが楽しく、綱手姫に横恋慕する大蛇丸(瀬川路三郎)というキャラもおかしい。
 57分ほどの短編の中によくまとまった忍術コメディ(?)作品。(2005/03/20)

白鷺 しらさぎ
監督 衣笠貞之助
公開年 1958年
評点[A’]
感想  今日は、衣笠貞之助監督の『白鷺』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 明治四十年代、ある老舗の料亭が破産し、そこの娘お篠(山本富士子)は、かつて料亭の女中だった女主人が経営する待合で働き出す。彼女はそこで、若き日本画家・稲木順一(川崎敬三)と知り合い、互いに惹かれあったが、お篠は芸者になり五坂の御前(佐野周二)に気に入られて……。

 原作は泉鏡花(脚本:衣笠貞之助・相良準)。映像が実に美しく、芸者姿の山本富士子も作り物のように綺麗。ストーリーは“新派大悲劇”といった感じで、描かれている女性像も今では古臭いかもしれないが、とにかく美しさに圧倒される。山本富士子が所作や微妙な表情で感情を表現しているのが良いが、これは女形出身の衣笠監督の演技指導のおかげかな? 助平な旦那に扮した佐野周二の極悪っぷりも見事。(2002/12/14)

不知火検校(不知火檢校) しらぬいけんぎょう
監督 森一生
公開年 1960年
評点[A]
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不知火檢校
不知火檢校

 今日は、勝新太郎主演の『不知火検校』を観た。監督は森一生で、昭和三十五年(1960)の作品。

 子供の頃から悪知恵が働く盲人・杉の市(勝新太郎)は、不知火検校(荒木忍)に弟子入りしてからも生首の倉吉(須賀不二男、のち須賀不二夫)や鳥羽屋の丹治(安部徹)と組んであくどいことで金を稼ぎ、ついに二代目不知火検校の座に昇りつめる。

 これまで二枚目役を演じていた勝新太郎が初めて悪役、しかものちの『座頭市』に通ずる役を演じてキャリアの転換点となったと言われている作品(原作:宇野信夫/脚本:犬塚稔)。
 とにかく主人公がワルで、自らの目が見えぬという障害まで利用してのしあがっていく手腕には感心して見入ってしまうほど。主人公のあまりのあくどさにはある種のブラックユーモアさえ感じられて笑えてしまうくらいで、ここまで悪に徹したキャラも日本映画では珍しいかもしれない。勝新の味が生きていて、二枚目から転向したのは大正解だったのだろう。私個人的には若い頃の勝新も好きだが。
 こういう作品は現在では問題視される部分もあるだろうが、例えば最近では身体障害者の性欲の問題が一部でとりあげられているように、障害者を全て無垢の聖人と見なすのも一種の偏見であり健常者と同じ欲も得もある人間と認めるべきなのだから、こんな作品が一本くらいあっても良いと思う。ただし、決して同情的には描いていないが、盲目の主人公が出世する唯一の手段として悪事を選んだということは読み取れるようだ。

 モノクロの光と影を強調した絵作りが、主人公の視界の闇と心の闇を強調していて効果的だった(撮影:相坂操一)。(2005/01/04)

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