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ソナチネ そなちね
監督 北野武
公開年 1993年
評点[A’]
感想
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ソナチネ
ソナチネ

 今日は、北野武監督のソナネチ!……もとい、『ソナチネ』を観た。平成五年(1993)の作品。

 暴力団幹部の村川(北野武)は、ある日突然、友誼関係にある沖縄の組への助っ人として子分たちと共に沖縄行きを命ぜられるが、向こうではかえって厄介者あつかいされ、海岸近くの廃屋に身を隠す。しかし、それには裏があった。

 この作品では、かなり“キタノ・ブルー”の色調が意識的に用いられ、沖縄がトロピカルな南国ムードではなく、非常に乾いた冷ややかなところとしてとらえられている。廃屋での紙相撲や、海岸で相撲をして遊ぶシーンなども有名で、ここは映像的にも非常に面白かった。もちろん暴力描写も健在。
 巷間では、これを北野作品のベストとする人が多いようだ。確かに、映像美は素晴らしい。ただ、あまりにも登場人物の行動が淡々としており、イメージ・ショットも少々多すぎるように見え、私にはちょっと難しかったかも。

 この作品が公開時には不入りだったのは、題名が「コマネチ!」を連想させたのが大きな原因だろう(爆)。あと、魚が串刺しになっている妙なポスターも、まずかったのかもしれない(笑)。(2000/11/20)

曽根崎心中 そねざきしんじゅう
監督 増村保造
公開年 1978年
評点[C]
感想  今日は、増村保造監督の『曽根崎心中』を観た。昭和五十三年(1978)の作品。

 醤油屋平野屋の手代・徳兵衛(宇崎竜童)と曽根崎新地の女郎屋天満屋の遊女・お初(梶芽衣子)は、本気で惚れ合っていた。しかし、互いに結婚話と身請け話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、二人は心中することを決心する。

 近松門左衛門の代表作の一つ『曾根崎心中』を映画化。原作を読んだことのある私の目から観ても、この脚本(白坂依志夫・増村保造)はかなり忠実に再現していると思う。対して、演出の方は…この監督の作品を観るのは初めてなのだが…。
 登場人物たちが終始、息せき切ったような台詞回しなので、オーバーアクトに見えるというか一本調子というかなんというか…観続けるのに多少忍耐力が必要だった。溝口健二も出演者に目一杯演技させるタイプの演出だけれども、それとも違うように見えた。少なくとも、主人公二人が死を決する前と後とでは、様子が異なるのが自然だろう。
 “道行”の最中に事件の経過を回想することにした構成や、徳兵衛が袋叩きに遭うところとラストシーンのねちっこい演出など、見るべきところも一応はあるのだが…。同じ近松門左衛門原作の溝口健二監督作『近松物語』と比べてしまうと…。(2001/05/01)

その男、凶暴につき そのおとこきょうぼうにつき
監督 北野武
公開年 1989年
評点[B]
感想
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その男、凶暴につき
その男、凶暴につき

 今日は、北野武監督の『その男、凶暴につき』を観た。平成元年(1989)の作品。

 ホームレスを襲った少年の家に乗り込んで殴りつけたり、逃亡する犯人を自動車で轢(ひ)いたりする凶暴な刑事、我妻(北野武)。汚職の噂のあった親しい先輩刑事が死んだと知ったとき、彼のとった行動は。

 まさに記念すべき、北野武作品の第一作。突然の暴力と乾いた描写、そして極めて限られた台詞の、北野ワールドが既に確立。冒頭から“痛い”描写が連発される。後味が良くないので、私の好みではないけれども、やっぱり凄いと思う。
 ラスト近く、人があっさり死に過ぎてギャグに近くなってるかも。それを狙ったのかもしれないが。我妻の妹(川上麻衣子)のエピソードは特に必要なかったんぢゃないかなぁ。あと、ラストの1シークエンスが余分だったかとも思う。(2000/11/14)

その後の蜂の巣の子供たち そのごのはちのすのこどもたち
監督 清水宏
公開年 1951年
評点[A’]
感想  今日は、清水宏監督の『その後の蜂の巣の子供たち』を観た。昭和二十六年(1951)の作品。

 孤児たちを連れて旅してきた大庭(大庭勝)は、伊豆の山中に共同生活の場を築いた。自分たちで学校や農場を作ろうとしている子供たちのもとへ、取材の雑誌記者(田島エイ子)や手伝いたいという女性たち、入れてくれと言う新たな孤児など、様々な訪問者が訪れてくるのであった。

 前作『蜂の巣の子供たち』の続編。前作の反響が大きかったようで、それに答えるような内容にもなっている。ひたすらナチュラルな作りの前作よりはメッセージ性が強い感じ。かといって説教臭くなっているわけではないが。
 雑誌記者や手伝いをしたいという人々に対する描き方を見ると、清水監督のやっていることを好奇心で観られたことや自己満足のためにやって来る自称ボランティアの人間に迷惑していたことがわかる。子供たちが自主的に働くことに喜びを感じているのだ、という意味の台詞は重要だろう。
 その他も、子供も大人も素人であることは『蜂の巣の子供たち』と同様だが、蜂の巣学園内に起こった事件のエピソードが豊富で前作よりはかなりドラマ性が高くなっている。エピソードの中では、やはりメッセージ性の薄い“狸狩り”やヨシ坊が泳いでいた隙に……のエピソードが面白い。子供たちの動きや台詞も、前作よりは演技らしくなっているかも。(2004/10/21)

その前夜 そのぜんや
監督 萩原遼
公開年 1939年
評点[A]
感想  今日は、萩原遼監督の『その前夜』を観た。昭和十四年(1939)の作品。

 時は幕末。池田屋の斜め前にある大原屋は、大繁盛のお向かいに引きかえ逗留客は絵師の滝川(河原崎長十郎)ただ一人。それなのに主人の彦兵衛(助高屋助蔵)は池田屋の主人と将棋三昧の日々を送り、せがれの彦太郎(中村翫右衛門)が友禅染職人、長女お咲(山田五十鈴)が芸妓となって家を支えていた。そんなある日、滝川のもとを武家の奥方風の女性・芳江(千葉早智子)が訪ねてくる。

 昭和十三年に中国大陸で戦病死した山中貞雄の遺稿『木屋町三條』を、山中も一員だったグループ“梶原金八”名義で脚本とし、同じくグループの一員だった萩原監督が演出、『人情紙風船』に主演した前進座総出演で映画化した作品。
 大原屋一家や滝川を狂言回しとして新選組や池田屋騒動を描く作品かと思っていたら、まさに大原屋の面々が主人公と言って良い作品だったのが意外だった。新選組側も、平隊士の安田(橘小三郎)・松永(市川扇升)・茂木(市川莚司、のち加東大介)がメインで、歴史の流れに翻弄され、なす術(すべ)ない一個人の姿を克明に描いている。歴史の動きを知らず日々の暮らしを過ごす庶民、時代の潮流を薄々察しながら何もできない滝川、各個人では人間らしく生きようと望みながらも組織に従わざるを得ない新選組隊士……と、それぞれの描写が丹念。市井の人々を描こうとした山中貞雄の原案を生かそうとした仲間たちの思い入れが伝わって来る。
 表面ではいがみ合いながらも、心の底では家族を思っている大原屋一家の描き方が実に良い。抜け目ない商人風の中村翫右衛門も面白いが、芸妓お咲の山田五十鈴が圧巻。滝川らと絡む時の表情の演技が素晴らしい。新選組の松永と淡い想いを交わす次女役に高峰秀子。

 映像(撮影:河崎喜久三)は、江戸時代の家の中の暗さがよく再現されていて、昼間の映像は時々意外なほどシャープなものがあったが、所々暗すぎるところもあった。現存フィルムは、まずまずな映像の状態に対して音が今ひとつなのが残念。(2004/01/18)

空飛ぶゆうれい船 そらとぶゆうれいせん
監督 池田宏
公開年 1969年
評点[C]
感想
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空飛ぶゆうれい船
空飛ぶゆうれい船

 今日は、劇場用アニメの『空飛ぶゆうれい船』を観た。監督(演出)は池田宏で、昭和四十四年(1969)の作品。

 その頃、世界の海には謎の幽霊船が出没して多くの船を沈めていた。平和に暮らしていた隼人少年(声:野沢雅子)も街を突然襲った巨大ロボットによって両親を殺され、それを操っているとされる幽霊船長(声:納谷悟郎)に対する復讐を誓うが、思わぬことから事件の真相と黒幕を知る。

 石森章太郎(石ノ森章太郎)原作『ゆうれい船』のアニメ化(脚本:辻真先・池田宏)。原画スタッフの一人として宮崎駿の名もある。
 あの『太陽の王子 ホルスの大冒険』の翌年の作品で、同じく強い思想性を持ったアニメ作品になっている。日本の大企業が“国防軍”と癒着して戦車から戦闘機に至るまでの軍需産業で儲けていたり、世界を支配しようとする組織が世界中で清涼飲料水を売りまくり、それを飲みすぎると体が溶けて消えてしまうという設定は、皆モデルを連想できる。コーラを飲むと骨が溶けるって、私が子供の頃もまだ言われていたな。
 『ホルスの大冒険』以上にメッセージ性が露骨で、とにかく大企業=悪である作品をよく作ることができたと思うが、当時の東映動画労働組合の力がそれだけ強かったのだろう。しかしながら、主人公とヒロインが悪の組織と戦う動機が両親の仇討ちだったりして私怨と公憤をごっちゃにしているところは、思想性というよりも労働条件が劣悪なアニメーターたちのドロドロしたルサンチマンを感じられないでもない(笑)。
 ジュースを飲んで人間の体が溶けたり幽霊船長がのんきに幽霊船の構造を主人公に説明しようとしたり時々脱力感を誘う笑いの場面があり、当時としては奇抜な巨大ロボ“ゴーレム”と幽霊船のメカニズムなど見どころもあり、メッセージ性の異常な強さも含めて今の大人が観るとある意味「面白い」作品ではあるが(子供はどう思うだろう?)、現在ではやはり名作というよりも珍品になってしまうように思う。

 ゴーレムが街を襲い、それを戦車が攻撃するモチーフはテレビ版『ルパン三世』(1978〜1980年放映版)の最後のエピソードにちょっと似ている。宮崎駿が関与してるし。(2004/12/02)

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