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月は上りぬ つきはのぼりぬ
監督 田中絹代
公開年 1955年
評点[B]
感想  今日は、田中絹代監督(主演にあらず!)の『月は上りぬ』を観た。昭和三十年(1955)の作品。

 奈良に住む浅井茂吉(笠智衆)には三人の娘がいて、次女の綾子(杉葉子)は親戚のオバサンが強引に縁談を進めるので困惑していた。それを見た三女の節子(北原三枝)と知り合いの安井昌二(安井昌二)は、安井の友人で東京から出張で奈良から来た雨宮渉(三島耕)と綾子をくっつけようとする。

 女優の田中絹代が監督、珍しい女流監督(ただし日本初ではない)で、しかも日本映画監督協会が企画して新生日活で作られたというので話題となった作品。
 しかし、日活作品ではあるが、脚本は斎藤良輔と小津安二郎、音楽は斉藤高順なので、まさに“松竹大船調”の雰囲気。今の目で観るとテンポが遅く感じ、正直、ストーリーや演出に傑出したものは無いが、全体として丁寧に作られた作品とという印象を受ける。また、新人に近いはずの北原三枝が映画俳優らしく演技できているのには少々驚いた。本人の才能もあるだろうが、田中絹代監督の演技指導のおかげでもあるだろうか。
 ただし、ここに描かれている理想の女性像は、やはり古いかも。それと、娘たちが女中を「米(よね)や」とか「文(ふみ)や」と呼びつけて用事いいつけるのにはちょっと驚いた。昔の資産家の家では皆そうだったのだろうか。
 田中絹代自身も出演しているが、女中の“米や”役でホントにチョイ役。しかし、米やと節子のカラミのシーンは笑える。新人の北原三枝が大女優の田中絹代に向かって……脚本の小津安二郎の遊びだろうか。(2003/01/07)

綴方教室 つづりかたきょうしつ
監督 山本嘉次郎
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、高峰秀子主演の『綴方教室』を観た。監督は山本嘉次郎で、昭和十三年(1938)の作品。

 葛飾の借家に父(徳川夢声)・母(清川虹子)・弟二人と住む小学生の正子(高峰秀子)は、学校の綴方(作文)の授業で才能を認められ、時には彼女の文章が周囲に波紋を広げながらも、先生(瀧澤修)の励ましを受けながら綴方を書いていく。

 題名どおり、豊田正子の綴方が原作(脚色:木村千依男)。高峰秀子の子役時代の主演作として評価の高い作品。
 正子の綴方が物議をかもすエピソードは日本人の嫌なところを如実に映し出していて、その他の話も貧しい一家の苦しい暮らしが克明に描かれていて、観る前の印象よりもシリアスな作品だったので、ちょっとだけ驚いた。日本映画は貧乏描写がなぜこんなにリアルになるのだろうか。俳優の貧乏暮らしの演技も上手い。徳川夢声のしょぼくれた父親役は、まさにそのもの。もちろん高峰秀子も上手い。小学生にしては背が高い(そう長身でもないのだろうが顔が小さいので高く見える)のは仕方ないのだろう。(2002/12/07)

椿三十郎 つばきさんじゅうろう
監督 黒澤明
公開年 1962年
評点[A’]
感想
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椿三十郎
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黒澤明
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 今日は、黒澤明監督の『椿三十郎』を観た。昭和三十七年(1962)の作品。

 某藩の城代家老・睦田(伊藤雄之助)の甥である井坂伊織(加山雄三)を筆頭とする9人の若者たちは、次席家老の黒藤(志村喬)以下の奸物を除こうと談合していた。偶然その場に居合わせた浪人(三船敏郎)は椿三十郎と自称して、彼らを助けることになる。

 『用心棒』の続編で、同じく思いつきの姓を名乗る風来坊の浪人が大活躍する。前作の乾いたニヒルな雰囲気は薄れた感じで、ユーモラスなシーンが増えている。前作同様、奸物の一人の懐刀である室戸半兵衛を演じた仲代達也と三船敏郎との対決が見物(みもの)。
 9人の若侍の一人に田中KUNIE、もとい、邦衛がいる。睦田夫人に入江たか子、睦田の娘に団令子。(2001/05/12)

鍔鳴浪人(正・続) つばなりろうにん
監督 荒井良平
公開年 1939年
評点[A’]
感想  今日は、阪東妻三郎主演の『鍔鳴浪人』正・続編を観た。監督は荒井良平で、昭和十四〜十五年(1939〜1940)の作品。

 勤皇の志士・楓月太郎(阪東妻三郎)と高窓一角(沢村国太郎)は、幕府が五百万両と引き換えに蝦夷地を売り渡す契約をしたのを知り約定書を奪おうとし、約定書を手に入れていた異人シェリコフ(志村喬)、横取りしようとする清国人・白大河(上田吉二郎)、そして幕府老中・井上河内守(原健作)らが入り乱れた争いが始まる。

 原作は角田喜久雄の時代小説(脚本:比佐芳武)。正続あわせても2時間強なので、現代の感覚だと2編に分ける必要もないと思ったが、昭和十四年の年末に正編、翌年の正月に続編を公開したお正月興行向けの作品だったらしい。
 戦前の時代劇映画に定番の勤皇の志士ものだが、メインキャラクターが多く彼らが交錯して争うので楽しめた。山中貞雄と交流のあった荒井監督の演出はテンポもまずまず良い。かつらをかぶって怪しげな英語を使う志村喬が面白い。そのため悪役らしさは足りなかったが。清国人を演じた上田吉二郎という人には中々凄みがあった。阪妻は持ち味の豪快さとユーモラスさを見せ、殺陣もまだ切れ味があり、一対多数の戦いでもスピーディで不自然さがない。
 全体に活劇中心という雰囲気なので、高窓の妹で楓の許婚でありながら身を捧げる千鶴(市川春代)や同じく彼らのために働く芸者おもん(川上朱美)という存在がありながら、その辺の突っ込みが甘く情感がちょっと足りないような気がした。正続編ある長編作品なので、もっとしっとり描いても良かったかも。これが監督の個性なのかもしれないが。(2004/07/02)

妻は告白する つまはこくはくする
監督 増村保造
公開年 1961年
評点[B]
感想
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妻は告白する
妻は告白する

 今日は、増村保造監督の『妻は告白する』を観た。昭和三十六年(1961)の作品。

 登山の最中、滑落して宙吊りになった自分と夫(小沢栄太郎)を支える幸田修(川口浩)を助けるため、夫のザイルを切断した彩子(若尾文子)。はたして彼女に殺意はあったのか。

 女の情念を描いた作品で、その激しさは若尾文子が演じきり、充分に描かれていた。ただ、ヒロインが単にエキセントリックな女に見えてしまう感も無いではないので、女の悲しさ・切なさがもっと表現されていると良かったかもしれない。もうすこし、彩子の深い描写が欲しかった。
 コントラストの強い白黒画面は作品の内容に合っていて美しい。(2002/10/21)

妻よ薔薇のやうに(妻よ薔薇のように) つまよばらのように
監督 成瀬巳喜男
公開年 1935年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 山本君子(千葉早智子)は、歌人である母・悦子(伊藤智子)と二人暮らしをしている。実は、父親の俊作(丸山定夫)は芸者上がりの お雪(英百合子)という愛人と駆け落ちしていた。君子は父親を連れ戻すため、二人の家に行く。

 戦前の成瀬作品の傑作とされていて、この年の『キネマ旬報』ベストワンに輝いた作品。原作は中野実『二人妻』で、脚色は成瀬監督自身による。
 ヒロインは丸の内に通勤するOLで、スーツと帽子に身を固めた彼女の“モガ”風の服装や会社周辺の風景と、父親の家族の和服や彼らの住む田舎との対比が鮮やか。映像はナチュラルな成瀬流の作り方だが、昭和十年の作品にしてはかなり現代的かもしれない。一度、君子が見失った父親を探すために街を見回すシーンで、激しいパンが用いられていたのが印象的。
 また、悲しいシーンで明るい音楽を流す対位法(?)の手法が用いられていた。日本映画としては、最も早い段階のものかもしれない。
 ストーリーは、正妻も愛人も古風で、特に後者がダメ男の俊作に尽くしぬいているのは、今から観ると不思議としか言いようが無い。特に女性の観客は共感できないかも。俊作の、ダメ男なりの寂しさ・やるせなさ・忸怩たる念等々…が描かれていれば理解できるかもしれないが、娘からの視点で話が進められているので、それは全く無かった。原作がそうだったんだろうけど。(2001/06/29)

鶴八鶴次郎 つるはちつるじろう
監督 成瀬巳喜男
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『鶴八鶴次郎』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 明治時代、新内語りの鶴次郎(長谷川一夫)と三味線引きの鶴八(山田五十鈴)は、互いにかけがえの無い存在であることを自他共に認めていながらも、芸の上での考え方の違いが二人を隔てる。

 新派の代表的な演目にもなっている川口松太郎の原作の映画化(脚本:成瀬巳喜男)。私は題名しか知らず芸道ものというイメージだったのだが、前半は敢えて言えばラブコメ的な雰囲気だったが意外だった。若い二人の掛け合いが楽しい。当時まだ二十歳そこそこの山田五十鈴が長谷川一夫相手に堂々と渡り合っているのが凄い。
 二人が本格的に別の道を歩みだす後半は、前半の二枚目半的な雰囲気とはうって変わって、長谷川一夫が男の孤独をよく表現していた。ラストは台詞がちょっと説明的すぎるような気がしたが、良い。演出的には、きわめてオーソドックスだが完成度の高さを感じさせる。

 ちょっと調べてみたら、川口松太郎の原作は1934年の米映画『ボレロ』をヒントにしていたというので、ちょっとビックリ。(2003/08/05)

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