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若き日の次郎長 東海一の若親分 わかきひのじろちょうとうかいいちのわかおやぶん
監督 マキノ雅弘
公開年 1961年
評点[C]
感想  今日は、中村錦之助主演の『東海一の若親分』を観た。監督はマキノ雅弘で、昭和三十六年(1961)の作品。

 清水次郎長(中村錦之助、のち萬屋錦之介)は、お蝶(丘さとみ)と祝言を挙げることになった。しかし、世話になった和田島の太左衛門(片岡半蔵)のために人を殺してしまい、旅に出る。その後、旅先で太左衛門が殺されたことを聞き、怒りに燃える次郎長は、その裏に身売り娘の市場を立てている親分たちの影があるのに気づく。

 “若き日の次郎長”シリーズ第二弾。この作品で森の石松(ジェリー藤尾)・大政(水島道太郎)関東綱五郎(渥美清)が子分に加わり、みき(仲宗根美樹)という女の子までついてくる。
 しかし、森の石松や綱五郎がからむところはコミカルで明るいが、全体に社会派的というか売春防止法推進映画みたいな感じでちょっと違和感がある。スターである錦之助を単なるヤクザにするわけにもいかなかったのだろうが、清水次郎長をここまで正義の味方にするのも……。それと、マキノ監督は女性をメインに描くのはあまり得意ではないな、と思った。(2003/05/18))

若き日の次郎長 東海の顔役 わかきひのじろちょうとうかいのかおやく
監督 マキノ雅弘
公開年 1960年
評点[A’]
感想  今日は、中村錦之助主演の『若き日の次郎長 東海の顔役』を観た。監督はマキノ雅弘で、昭和三十五年(1960)の作品。

 時は天保八年。清水は米不足で、地元に戸籍の無い無宿の流民には米を売ることが許されず、米屋の養子・長五郎(中村錦之助、のち萬屋錦之介)は米屋が嫌になっていた。ついにそのいざこざで死人が出たのを機に長五郎は米が余っているという尾張に乗り込み、ヤクザがからむ米不足のからくりを暴く。

 錦之助の次郎長シリーズ第一弾。清水の次郎長がお得意のマキノ監督だが、若い錦之助に合わせて、この作品では次郎長が一家を構えるまでの若き日の姿を追っている。
 錦之助の次郎長は非常に生きのいいお兄さん、という感じ。昭和二十八〜二十九年のシリーズの小堀明男とは異なり、訛の無い言葉で流暢な台詞を喋る。マキノ演出が冴えてテンポ良く、コミカルな部分とシリアスな場面とのメリハリも良い。また、昭和二十八〜二十九年のシリーズと同様に次郎長一家の絆の強さも見せてくれる。
 法印の大五郎だけが旧シリーズと同じ田中春夫で、他は新メンバー。まだ大政や石松は登場しない。桶屋の鬼吉は加賀邦男、豚松は中村錦司、増川の仙右衛門は流民の中から次郎長の子分になったという設定で、平幹二朗。旧シリーズでは石松の相棒だった追分の三五郎は、この作品では二枚目の旅人で、東千代之助。そして、次郎長の実父・三右衛門に月形龍之介、大前田英五郎に大河内傳次郎と、大物が脇を固めていい味を出している。(2003/04/20)

若き日の信長 わかきひののぶなが
監督 森一生
公開年 1959年
評点[A’]
感想  今日は、市川雷蔵主演の『若き日の信長』を観た。監督は森一生で、昭和三十四年(1959)の作品。

 尾張を支配する若き戦国大名・織田信長(市川雷蔵)は“うつけ者”の悪名高く、重臣・林佐渡守と林美作守(高松英郎)父子は信長の弟・信行(舟木洋一)の擁立を図り、服属していた武将・山口左馬之助も娘の弥生(金田一敦子)を信長のもとに人質に出しながら今川に通じようとしていた。

 大仏次郎による新歌舞伎の映画化(脚本:八尋不二)。織田信長ものは戦前は片岡千恵蔵、戦後は中村錦之助の主演の作品がよく知られているだが、それらでおなじみの濃姫とのロマンスや斉藤道三との対面のエピソードはなく、あえて“うつけ者”を演じている信長の内面に注目した作品になっている。
 観る前は市川雷蔵は信長の柄ではないと思っていたが、メイクやいつもよりも大きな台詞回しでそれらしく見せ、理知的な信長を作り出していた。また、脇役の弥生やその侍女の小萩(青山京子)、小姓の平手甚三郎(市川染五郎、のち松本幸四郎)などもよく書き込まれていて、信長の心理を描き出す助けになっている。原作によるところが大きいと思うが、一般的なイメージとは異なる織田信長像を生み出している。
 モノクロ末期の映像も美しく(撮影:相坂操一)、戦国時代の質素な城のリアルなセットとも相まって(美術:内藤昭)、映像でも信長の孤独感を強調しているように見えた。(2005/08/30)

若き日の歓び(若き日の歡び) わかきひのよろこび
監督 佐藤武
公開年 1943年
評点[B]
感想  今日は、佐藤武監督の『若き日の歓び』を観た。昭和十八年(1943)の作品。

 映画女優・梅原きよ子(轟夕起子)の後輩である高村裕子(高峰秀子)は、女子大を辞めて梅原の紹介で映画雑誌の編集部に就職した。裕子は仕事の厳しさに戸惑いながらも先輩の穂積泰子(原節子)や梅原きよ子の弟であるカメラマンの克雄(沼崎勲)に励まされながら成長していく。

 戦時中の作品で、所々にそれを感じさせる部分がある。ただし、直截的な戦意高揚スローガンを叫ぶようなところはまだなく、男手が不足している折から女性も社会に出て自立し“銃後の守り”を固めよう、というのがテーマであるようだ。
 しかし、女性も社会に出るべしという戦時の価値観と女性は家庭を守るのが最も重要な仕事だという戦前の価値観との対立・矛盾が解決されずに描かれているようで、中途半端な感がある。
 東宝の当時の三大女優の主演だが、原節子が持ち味に合った役で好演。華やかで美しい。高峰秀子はちょっと幼い感じがするが、役柄に合わせているのかもしれない。原節子が想いを寄せる画家を藤田進が演じている。
 生活の様子や服装などはほとんど戦時色がなく、空襲が始まるまでは戦前の暮らしとさほど変わらなかったという山本夏彦の説を思い出した。(2003/06/17)

若くて悪くて凄いこいつら わかくてわるくてすごいこいつら
監督 中平康
公開年 1962年
評点[B]
感想  今日は、中平康監督の『若くて悪くて凄いこいつら』を観た。昭和三十七年(1962)の作品。

 大学生の納屋浩(高橋英樹)・松村俊夫(和田浩治)・寺田新子(和泉雅子)らは、ひょんなことから歴代疑獄事件の秘密を握る佐倉総一郎(清水将夫)と知り合う。浩たちは“佐倉ノート”を狙う黒幕たちを相手に回して戦うことにする。

 柴田錬三郎による原作の映画化(脚本:池田一朗)。この『眠狂四郎』で知られる時代小説作家が現代ものも書いていたとは寡聞にして知らなかった。
 冒頭から自動車の中で俊夫が新子の服を剥いで一枚ずつ投げ出したり、浩たちの友人の伯母や黒幕の手下のやくざが奇矯なキャラクターだったり、中平監督らしい遊びがある。テンポ良い演出や歯切れの良い映像(撮影:姫田真佐久)も中平監督らしい。しかし中盤以降は失速し、題名の割りにおとなしい展開になってしまい、やや竜頭蛇尾の感がある。原作がそういうストーリーなのだと思うが。
 高橋英樹は声も姿も若々しく活きが良い印象。現代劇だとかなり長身に見える(実際、公称181cmだが)。彼が歌う谷川俊太郎作詞の主題歌が面白い。(2005/10/14)

わが恋は燃えぬ わがこいはもえぬ
監督 溝口健二
公開年 1949年
評点[B]
感想  今日は、久々に溝口健二監督作品を観たっす。昭和二十四年(1949)の『わが恋は燃えぬ』。主演は田中絹代。

 明治十年代から二十二年の憲法発布の頃までの、女性運動家・平山英子(実在した景山英子がモデル)を描く。
 なんかちょっと、戦後しばらくの“戦後民主主義”の啓蒙映画って感じはしちゃいますね。田中絹代が似合わない演説調の台詞を言ったりして。そういう箇所は、依田義賢と脚本を共同執筆した新藤兼人が書いたに違いない(笑)。
 やはり溝口は、工場で女工がいたぶられるシーンや主人公たちが入れられる女子刑務所の描写の方が冴えているような気がする(笑)。しかし、この題名はどうも…。(2000/08/16)

わが青春に悔なし わがせいしゅんにくいなし
監督 黒澤明
公開年 1946年
評点[B]
感想
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黒澤明
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 今日も黒澤明監督の『わが青春に悔なし』を観た。昭和二十一年(1946)の作品。

 京大法学部の八木原教授(大河内傳次郎)の娘・幸枝(原節子)は学生たちと仲がよく、特に野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)と親しかった。昭和八年の思想弾圧で八木原は大学を辞し、野毛は左翼運動に身を投じて投獄され、糸川は学生運動から脱落して検事への道を進み、幸枝は野毛の後を追って苦難の道を歩む。

 京大の“滝川事件”と“ゾルゲ事件”を基にした作品(脚本:久板栄二郎)で、終戦直後の作品らしく、自由と民主主義と女性の自立を謳った作品。
 登場人物の描き方は、“転向”した糸川が、いかにもな悪役になってしまい、幸枝が理想化されすぎた感じで、やはり戦後映画だな、という印象が残る。作品のテーマ的なところよりも、むしろ幸枝が野毛に激しく愛情の告白をするようなシーンに原節子の魅力が出ているように感じた。あと、終盤に原節子が泥の中で田植えをするシーンには、のちの『七人の侍』を彷彿とさせる黒澤作品らしい力強さがあった。(2002/09/02)

若旦那三国一(若旦那三國一) わかだんなさんごくいち
監督 重宗務
公開年 1937年
評点[A’]
感想  今日は、藤井貢主演の『若旦那三国一』を観た。監督は重宗務で、昭和十二年(1937)の作品。

 商家の若旦那・藤村百助(藤井貢)はK大のボート部キャプテン。突然退部を申し出た部員の木下英介(中野英治)に理由を訊くと、日本舞踊の師匠である姉(藤間喜与恵)の弟子が減って生活が苦しくなり学校も辞めるという。百助は友人たちや妹(逢初夢子)の婿の庄吉(山口勇)まで弟子に引っ張りこむ。

 松竹にいた藤井貢が東京発声映画(のち東宝に合併)に移って作った若旦那シリーズらしいが、松竹でも近藤敏明が跡を継いで若旦那シリーズを作っていたのに別の会社で競作することができたのだろうか。なんだか面白い。清水宏監督の『大学の若旦那』では醤油問屋のせがれでラグビー部だったが、この作品では鰹節問屋とボート部になっている。舞台の大学のモデルは慶応で変わらない。
 この作品では、若旦那の善意に振り回される側の英介や庄吉もかなり描き込まれていて、面白い脚本になっている(原作・脚本:八田尚之)。サイレント時代の大学出身スターだった中野英治がちょっと弱々しいキャラクターを演じて藤井貢の脇役に回っているのは、新旧スターの交替の感もあるだろうか。題材が日本舞踏なので、藤井貢たちが踊って笑わせてくれる場面もある。発表会のシーンは、ある意味ちょっと凄い。
 保存状態が良く映像も美しい(撮影:吉田勝亮)。ただし、ボートを漕ぐシーンでアップになると背景の雲が全然流れていないので、ボートを陸上に置いて空漕ぎしているのがバレバレ。もう少し工夫してほしかった(笑)。(2004/11/13)

忘れられた子等 わすれられたこら
監督 稲垣浩
公開年 1949年
評点[A’]
感想  今日は、稲垣浩監督の『忘れられた子等』を観た。昭和二十四年(1949)の作品。

 新任教師の谷村(堀雄二)は、精神薄弱児(現在では“精神遅滞児”)を集めた特別学級を受け持つよう校長(笠智衆)に命ぜられてショックを受ける。最初は約束の2年が早く過ぎるよう指折り勘定していたが、次第に知能の低い子供たちの中に潜む人間性に気づいていく。

 前年の『手をつなぐ子等』と同じ原作者(田中一二)による原作の映画化(脚本:稲垣浩)。
 前作では最初から主人公の先生が精神遅滞児の教育に問題意識を持っていたのに対し、この作品は新任教師が主人公であることが大きく異なる。そのため、児童への接し方が最初はいいかげんで馬鹿にしたような態度なので現在人が見るとちょっと眼を見張るが、これが当時の実情を反映していたのだろう。
 児童の方も様々なエピソードによって、一くくりに“阿呆”(舞台は京都の小学校)と言われていた精神遅滞児を各々個性豊かな子供たちとして描いている。稲垣浩監督による子供の動かし方は相変わらず生き生きしていて、イベントシーン(夢の中の運動会や学芸会の練習)の盛り上げ方もいつもながら見事だった。
 ただ、上記のように前作よりもリアルな面があるが、生徒の成長に加えて教師も成長するという要素が加わったため“いい話”が盛りだくさんになり、作り物的な感じは前作より増したような気がした。これは清水宏監督の『蜂の巣の子供たち』とその続編でも感じたことで、ドキュメンタリータッチの傑作映画の続編を作ることには難しさがあるのだろう。
 しかし、『手をつなぐ子等』と清水監督の一連の作品と同様に、子供たちを“かわいそうな存在”としていないことや指導者側を正義の味方的に描いていない点は好ましく、後味は悪くない。今から観るとあまりに牧歌的に見えるかもしれないが、現在でも作品の価値は消えてはいないと思う。(2005/05/10)

私が棄てた女 わたしがすてたおんな
監督 浦山桐郎
公開年 1969年
評点[A’]
感想  今日は、浦山桐郎監督の『私が棄てた女』を観た。昭和四十四年(1969)の作品。

 自動車販売会社に勤める吉岡(河原崎長一郎)は美しい女性社員マリ子(浅丘ルリ子)と交際していたが、彼女は社長の姪であり、打算半分の付き合いだった。生活に虚しさを覚えている吉岡は、学生時代に付き合って捨てた女・森田ミツ(小林トシ江)と偶然再会する。彼女は相変わらず与えることしか知らない女だった。

 遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』の映画化(脚本:山内久)。
 学生時代に安保闘争に参加していながら、現在はしっかり企業の歯車の一つになっていることに強い喪失感を抱いている主人公・吉岡、陰りのある彼に惹かれるマリ子、愛を与えることしか知らない田舎娘ミツ、の三人が中心で、吉岡が学生時代の付き合いを回想したり、現在では再会したりして、作中時間は現在と回想とがたびたび交錯する。
 暗いストーリーであり、あまりにもミツが哀れなので見ていてしんどくなるが、登場人物の心情描写が巧みなので、単に悲惨さを強調しただけの社会派的作品とは趣が異なる。リアルな貧乏の描写の中にシュールなシーンが現れたりして、映像にも力がある。
 主人公は自分勝手だし、ミツという女もなぜそこまでするのかわからず、男が作り出した身勝手な理想像なのかもしれないけれども、主役級の三人の演技と映像の力によって、心に残るものはある作品。(2005/03/16)

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