Dec.8,98

寸鉄人を刺す言葉

一言でドッキリ?

 人間、口が付いている以上、それを動かしてみたくなるのは本能であり、字を知っていれば、それを並べたくなるのも後天的な本能のようになっていると思う。そういう「語りたがる」習性を具[そな]えているからには、人の書く文章が縷々長々となるのもまたやむを得ぬことだろうか。…って、人のこと言えるのかよ。>自分
 インターネット上のWeb pageやらBBS(掲示板)やらML(メーリングリスト)やら news group 等々でも語りたがる方々が“熱い”議論を戦わせていたり、御高説を評論やエッセイ、あるいは日記と称して発表されているわけである。しかし、私は世の中の議論(もめごと)の原因の95%は善悪正邪ではなく「好みの問題」であり争っても仕方がない…と思っていることは別として、それ以外の理由でも読む気にならない場合が多い。長すぎるのですね。やはり。米だって炊くときに水を入れすぎたら粥や重湯になってしまうように、文章だって長々しくなれば味が薄まり読む気も薄れる。それに、長々しい文章で人の意見を読まされると、説教されているようでイヤになる、ということもある。
 それに対して、ごく稀[まれ]に、短い一文あるいは一言の台詞にハッとさせられることもある。たとえば、人類として初めて月に着陸したアームストロング船長の「これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」という言葉は、おそらくアメリカ人以外では忘れ去られているのに対して、人類初の宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という一言は皆覚えており、これからも語り継がれていく台詞であろう…ということがある(ガガーリンの名台詞は感に堪えず思わず発した言葉なのに対して、アームストロングの台詞は考えに考え抜いた作為的なものであった、という要因も大きい)。
 異なった角度から物事を見つめて発せられたたった一言が他人の心を動かし、いわゆる「目から鱗が落ち」る。これを「寸鉄人を刺す」というのだろう。私個人のwww上での経験でも、たまにそんな台詞に接することができた。たとえば、先頃私が描いた「LADY DRAGON」という絵に対して、ある人は掲示板

「龍の絵はカバみたいな顔だけど」
と評してくださった(笑)。一時「この絵、結構上手く描けたのでは…」なんてかん違いしていた自分にとっては痛烈な一撃で、読んだときは思わず「だ〜っ!(泣怒笑)」と叫んでしまったが、冷静に見ればおっしゃるとおりだ(笑)。えてもすると、掲示板の類は誉め言葉や無難な書き込みばかりになり、書き込むメンバーも固定化して「取り巻き」のようになってサイトオーナーが「バカ殿状態」になってしまう危険があるが、こう言うことを言って下さる常連さんがいる限りは大丈夫。もっとも、私に取り巻きができるわけがないが。
 龍の顔が変だということを、もし懇切丁寧な文章で指摘してくださったら、かえって納得できなかったかもしれない。なにかの本で、どんなアドバイスも決して受け入れなかった自己中心的な婦人が、ある夜「自分がとある立派なパーティーに招待された。パーティー会場に着くと“ようこそ。貴方をお待ちしておりました”と鄭重に迎えられ、部屋に通された。ドアを開けると、そこは牛小屋であった…」という夢を見て、判然として自分がいかなる人物であるかを悟った、という話を読んだことがあるが、批評とは可能な限り短い方が効果的なのだろう。

 もう一つ、寸鉄人を刺す一言。こちらは、あるサイト(特に名・URLを秘す)の日記のようなコーナーで見かけた一文。そのまま引く。

とあるプロバイダ主催のホームページコンテストでグランプリをとったのは 人工透析かなんかをしている人の体験記だった。
ほかの入賞ページも車椅子だったりなんかそんな感じだ。
僕もすみっこのほうで入選したけど、健常者部門というのがあればきっと一位だったと思う。
 病気や障害を持った人がWeb pageを持つことの意味…とか言うことはとりあえず置いといて(それはそれで結構なことだと思います)、この一文はコンテストという場で「いい子」のPAGEばかりが高く評価されたことへの不信をよく表している。はたして、インターネット(www)のWeb pageが持つ価値とは、そのようなモノだけか…?と。

 やはり、贅言を垂れ流すよりは密度の濃い一言を…。ホント、肝に銘じたい…と思います。

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