ここでは、私が今までに読んだ僅かな本の中から『史記』を主題とした名著を紹介する。

武田泰淳『司馬遷―史記の世界』(講談社文庫1972,初版1943)

 「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しからいきなり読者を「つかむ」古典的名著。第一篇「司馬遷伝」・第二篇「史記の世界構想」の二部に分かれる。「世界構想」においては項羽と劉邦の「鴻門の会」を二つの恒星の異常接近になぞらえ、「表」が時間的変化のみならず世界の空間的構成を看取できるよう作られていることを指摘した。特に文学的方面から『史記』に接近しようとする場合はいまだ無視できぬ書。今でも文庫で手に入る。

エドゥアール・シャヴァンヌ著、岩村忍訳『司馬遷と史記』(新潮選書1274)

 フランスのシナ学者エドゥアール・シャヴァンヌによる仏訳史記(1895-1905)の序文部分の全訳。第一章「史記の著者」・第二章「武帝の時代」・第三章「資料」・第四章「方法と批判」・第五章「史記の運命」で構成される。第三章「資料」の部分では『書経』と『史記』の関係を論じ、第四章「方法と批判」では「表」の独自性を指摘し、第五章「史記の運命」 では後世の竄入の問題を考察した。以上の部分は現在でも重要な意義を持つ部分であり、上に挙げた武田泰淳の書にもかつて出版された抄訳版が参考資料として挙げられている。これは残念ながら現在は絶版であるので、読みたい方は図書館などで求めていただきたい。

バートン・ワトソン著、今鷹眞訳『司馬遷』(筑摩叢書1965,原著1958)

 日本の京都大学において吉川幸次郎の下で学んだ経験を持つ米国人による書。第一章「司馬遷の世界」・第二章「司馬遷の伝記」・第三章「中国の歴史著述の開始」・第四章「『史記』の体裁」・第五章「司馬遷の思想」に附論「司馬遷の『任少卿に報ずる書』の制作年代について」を付す。「……しかし司馬遷のように、去りゆく時代を知り、賛美する人にとって生きて幸わせな時代とはいえなかった。武帝の下で、よいことが数多く成し遂げられた。がまたよいことが数多く滅び去ったのである。成し遂げたことではなく、滅び去ったことのほうがが、司馬遷の目にとまった。」・「過去の暗い話を扱う場合、いつも歴史家司馬遷の愛情と理解は、宗教的救済にも似た行為で、あらゆる不正を正し、あらゆる悲しみを和らげる。そして不朽の言葉をもってその個人の生涯の真の姿を伝え、未来のすべての同情ある人びとの理解を待とうとするのである。」・「彼の批判以上の人間は一人もなく、彼の同情以下の人間も一人もない。」といった言葉から読みこることができ、著者自らの「日本語訳序」(原文日本語)の「もう一度初めから書き直すならば、もっと円満なものができるかもしれません。しかしその代りに当時の私の史記に対する若者の熱狂が再現しないでしょう。」という一文が示すように司馬遷と『史記』に対する愛情が押さえられた筆致からも明瞭に読みとれる名著。また、ギリシャ人の非歴史性と古代中国の歴史主義を比較したり、漢の文帝を「中国と日本の歴史で尊敬されるタイプの模範ともいうべき『無為』の君主であったから、ただ平和と倹約に気をつけるだけであった。……しかしその尊敬は、高価な代償を払って得られたものである。彼は中央政府が直面している緊急問題に、ほとんど何の解決も与えなかったのである。彼は単に問題を糊塗しているに過ぎなかった。」と評するなど、西洋人独自の視点からも『史記』を分析している。個人的には今までの所『史記』に関する最良の書だと思っている。しかし残念なことにこれも絶版である。「ちくま学芸文庫」での再版を望む。

李長之著、和田武司訳『司馬遷』(徳間文庫1988、原著初版1948)

 第一章「司馬遷と時代精神」・第二章「司馬遷の父」・第三章 「司馬遷と孔子」・第四章「無限の象徴」・第五章「必然の悲劇」・第六章「浪漫的自然主義」・第七章「文学史上の司馬遷」に「司馬遷の生年について」の一文を付す。章題に見られるように、司馬遷を「浪漫主義者」とし、『史記』を浪漫主義の文学作品と見なす。これから予想できるように、論法は主観が優先して独断に過ぎると思われる箇所もある。しかし、その情熱は訳文からも伝わって来、一気に読ませる。ただし、これは原著の抄訳であり、全訳はいまだ出ていない。そしてこれも現在書店で見つけることは困難なようである。日本語訳されている李長之の書は『陶淵明』(筑摩叢書1966)・『魯迅批判』(徳間書店1990)がある。

 写真は扉頁滝川亀太郎撰『史記会注考証』(史記会注考証校補刊行会1956-1960、初版1932-1934)

 この書は上に挙げた各書と異なり、『史記』の注釈書である。『史記』 は古来より三家注(『集解』・『索隠』・『正義』)が行われてきた。それらのオリジナルはそれぞれ単独に刊行されていたが、しばらくすると『史記』の本文の下に割り注の形で合刻されるようになり、それが『史記』刊本の一般的な形となった。合刻の際には節略が行われ、特に『正義』の文は多くの条文が失われ、単刊本も後に滅びてしまった。滝川亀太郎(号は資言)は東北大所蔵の慶長寛永活字本史記に『正義』が書き込まれており、いくつかの史記「抄本」に記載されている正義とほぼ合致することを発見した。それを手録し、『史記』の各条の下に復したのが『史記会注考証』である。この書に対する批判、特に復元されたとする『正義』の信憑性に対する疑念は、刊行直後から主に中国の学者によって提起された。しかしながら、現在ではその価値は広く認められ、『史記』研究において不可欠の書となっていることは中国大陸において1955年の司馬遷誕2100年の記念事業の一環として覆刻され、台湾においては幾度と無く再版されていることが証明している。一般向けの本はともかく、『史記』に関する学術書(専門書)と称する著作で『考証』を引いていない、或いは参考文献表に挙げていないものはモグリである。(この項は池田英雄『史記学50年』明徳出版社1995に拠った)

Stephen W. Durrant. The Cloudy Mirror:Tension and Conflict in the Writings of Sima Qian.State University of New York Press,1995.

 米国人による史記研究書では恐らく上記のワトソン氏『司馬遷』以来のもの。 Introduction(序文)・1.The Frustration of the Second Confucius・2.Sima Qian's Confucius・3.Sima Qian, the Six Arts, and Spring and Autumn Annals・4.Dying Fathers and Libing Memories・5.(Wo)men with(out)・6.Ideologue versus Narrator・Epologueから成る。
 著者は『史記』の鍵は「孝」(filial pietyと訳している)にあるとしている。つまり、当時は大事業を成し遂げること(司馬遷の場合は父の跡を継いで大歴史書を完成させること)によって自らと親(や先祖)の名声を高めることが最大の孝であるとされていたが、司馬遷は衷心を持って発した言葉が原因で宮刑を受け、自分と父親の名を地に落とした。このような恥辱を受けた場合は自殺するのが当然であったが、まだ歴史書を完成させていなかった司馬遷は簡単に死ぬわけにはいかなかった。そのような経験、すなわち自分が誤解され、中傷されて不当な扱いを受けること、恥を雪いで名声を得るためには生き続けねばらならないということが司馬遷の著作に大きな影響を与えたと著者は考える。「孔子世家」において、優れた能力を持つ孔子が行く先々で嫉妬と中傷を受けて登用されないこと(該書第二章)、「伍子胥列伝」において、伍子胥が父と兄の敵を討つために呉を助けて楚を攻め、後に呉と越が戦ったときに讒言によって死に追いやられたこと(第四章)、「刺客列伝」において匿名のまま死んだ弟の身元を明らかにした姉の役割を重要視していること(第五章)などは司馬遷の経験を強く反映していると考えている。その他、孔子が『詩経』や『書経』・『春秋』を作ったとする説が明確に現れるのは『史記』が最初であることを指摘し、司馬遷は儒家経典の伝承の上で大きな役割を果たしたとしている。独特な観点から『史記』を見た好著と言えよう。(実は密かに訳稿を完成させちゃったりしている。どこかの出版社で出してくれないかな)


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