写真は扉頁
小竹文夫・小竹武夫訳『史記』上・下(筑摩世界文学大系1962,初版1956-52)

 弘文堂から出版された初版は本邦初の現代語訳『史記』である。筑摩版は上巻に本紀から世家までを収め、下巻には列伝を録す。訳文はおおむね平易で、語注を付す。ただし所々疑念を覚える箇所があるのはやむを得ないことではあろう。たとえば、「刺客列伝」の末尾の司馬遷による賛の一句「名、後世に垂るる、豈〔あ〕に妄ならんや。」を、「彼らの名が後世に流伝されたのは、なんと虚妄だろうか。」と訳してしまっている。これは反語であるから「……どうして虚妄であろうか」と訳すか、あるいは「……決して虚妄ではないのだ」と訳すべきであろう。こんな例を挙げて誤訳が多い書のように思われるかもしれないが、全体として訳文は明瞭であり、また初の現代語訳を完成させたという功は大きい。その上これは最近ちくま学芸文庫から復刊されて手に入れやすい。


 写真は扉頁
野口定男・近藤光男・頼惟勤・吉田光邦訳『史記』上・中・下(平凡社中国古典文学大系1968・1969・1971)

 「中国古典文学大系」中の一篇として訳されたもの。訳者が複数居るだけに訳文にばらつきを感じるのは仕方のないところ。この訳書で注目されるのは「書」の部分の翻訳で、図などを用いて決してわかりやすいとは言えない原文を理解できるようにしている。しかし、これは上の筑摩版と共通することであるが、「表」の部分は序文のみを訳して本体の表を略しているのは残念である。

小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(一)〜(五)・『史記世家』上・中・下(岩波文庫1975・1980〜91)

 「列伝」部分と「世家」部分の全訳(但し「列伝」は「扁鵲倉公列伝」・「亀策列伝」を略す)。各篇ごとに詳細な注が付され、大変有用な訳書となっている。特に『史記』の各篇相互で年代が矛盾しているような箇所(「表」の年代と他の箇所に記されている年代との相違など)は一つ一つ指摘されている。列伝・世家以外の部分の翻訳を待ちたい。


 写真は扉頁
吉田賢抗・水澤利忠訳『史記』本紀上・下、世家上・中・下、列伝一・二、八書(明治書院、新釈漢文大系1973・77・79・82・90・93・95)

 上の三書は現代語訳のみであるが、この新釈漢文大系版は原文・書き下し文・現代語訳の三文を示し、さらに語釈・余論を付す。語釈と訳文は精密である。世家下と列伝一との間にかなりの時間を挟み、訳者も交代したが、やむを得ない事情があったようである。全巻訳されるのは、かなり先のことになるだろう。


 写真は扉頁
公田連太郎・箭内亙訳『史記』一〜四(国民文庫刊行会、国訳漢文大成1921〜23)

 これは「国訳」といってもいわゆる「訓読」のみであり、現代語訳を付さない点で上の三書と異なる。『史記』を訓読した書はこれより先にいくつかあるようだが、この国訳漢文大成本が最も普及したようであり、筑摩版と平凡社版にも句読の切り方などで影響を与えているようである(伊藤徳男『史記十表に見る司馬遷の歴史観』)。現代の目から見るとテキストの信頼性や解釈などに異論が出るところもあろうが、安直に訓読文を得たいときに便利。そして現在でも古書店で手に入ることがあるので、とりあえず『史記』の全文を読みたいという人にはおすすめかもしれない。



HOMEPAGEに戻る
「『史記』に関する名著」に戻る

NEXT「近年の『史記』研究書」へ行く


メールはこちらへ

掲示板