「書」

「太史公自序」に曰く「礼楽損益し、律歴改易し、兵権・山川・鬼神・天人の際、蔽を承け変に通ず。八書を作る。」と。

1.「礼書」:「自序」に「維〔こ〕れ三代の礼、損益する所各々務めを殊〔こと〕にす。……」とあり、「礼書」の冒頭部分にも「余、大行礼官に至りて三代の損益を観、……」とあることから、「礼」の変革を記したものだと予想されるが、実際は礼の必要性やそれが持つ効用を説いた論文になっている。これは、司馬遷の真筆は冒頭のみであり、本文は亡びて現在あるものは『荀子』の「礼論」から採って補ったことによると説明されている。

2.「楽書」:この「楽書」も歴代の音楽の変革を記すことを意図して作られた。しかしこの書もまた現存する者は司馬遷の真筆ではないとされ、『礼記』「楽記」などから採ったものだと考えられている。

3.「律書」:「自序」に「兵に非らざれば彊からず、徳に非ざれば昌〔さか〕んならず……」とあるように、兵法の遠隔を記述することを意図したものだと思われる。しかし現存するものは音律に関する記述のみ多く、兵に関する文は僅かしかないので、この篇もまた残欠があるものだと思われる。

4.「歴書」:歴代の暦の変遷を概観し、武帝の太初元年の改元の詔を記す。この書に付されている「歴術甲子篇」は、太初暦と合致しないことから信憑性が疑われている(司馬遷は改元の際にここに見られる伝統的な暦の採用を主張したが、論争に敗れて実際の作業には参加できなかったとする説がある(川原秀城『中国の科学思想―両漢天学考』創文社1996参照)。

5.「天官書」:星辰の動きとそれに応じて発生すると考えられる出来事の例、そして実際の歴史的事件とそれに呼応して起こったと考えられる星座や彗星・星々の運行を記している。しかし、天体の動きと人事が密接に関連しているという考え方は他の篇にはほとんど見られない。これは司馬遷が「通史」を編纂する上で歴史のみならず思想の百科全書をも目指したことによるとする説がある(Durrant,The Cloudy Mirrer参照)。また、当時の「官学」であり主流だった董仲舒の「天人相関」の説を全く無視するわけには行かなかったからだとも考えられる。

6.「封禅書」:舜の時代に行われた祭祀の記述に始まり、それに続いて夏・殷・周三代の王朝の祭祀及び春秋時代の秦国の祭祀や斉の桓公が封禅を企てて管仲がそれを諌止した出来事を記す。続いて天下を統一した秦の始皇帝が行った封禅の故事を語る。そして漢の高祖が四帝を増して五帝とし、祭祀の制度を確立したことを記す。次の文帝は、一度は新垣平に欺かれ、祭祀を盛んに行って服飾を改めようとしたが、後に新垣平の言は虚偽であることが発覚した。そして武帝に到ると「今の天子初めて即位して、尤〔もっと〕も鬼神の祀を敬す。」とあるように、さかんに祭祀し、ついには封禅まで行う様子が描かれている。ここに見える武帝は周囲の進言のままに振る舞っており、「此よりの後、方士の神祠を言ふ者、彌々衆〔おお〕し。然れども、其の効〔しるし〕睹〔み〕るべし。」という言葉で結ばれている。

7.「河渠書」:まず、後に夏王朝を開く禹が五帝の時代に行ったとされる治水を記し、春秋戦国時代の各国の治水政策や漢代の諸帝が行った事業を述べる。そして、武帝が自ら指揮した瓠子での治水工事の様子と武帝御製の歌を記録し、結びには司馬遷自らも工事に加わったことを記す。

8.「平准書」:この篇は以上の書とは異なり、漢初の経済の記述から始まる。漢王朝が成立したばかりの時点では、天下は疲弊して物資が高騰していたが、高祖・文帝・景帝の時代を通して、その適切な政策によって国力は増して行き、武帝即位当初は「府庫は貨財を余し、京師の銭は巨万を累〔かさ〕ね、貫〔かん:銭に通す紐〕朽ちて数ふべからず……」という状況になっていたことを記す。しかしながら武帝による度重なる外征は財政を大いに圧迫し、たちまち国庫は空となる。塩鉄の専売や諸侯に上納させる酎金の律、そして商人出身の桑弘羊〔そうこうよう〕が推し進めた均輸法などによって財政を再建しようと悪戦苦闘が行われたが、結局焼け石に水であった。

HOMEPAGEへ戻る

「表」へ戻る

NEXT(「世家」へ)


メールはこちらへ

掲示板