中国前漢時代(206B.C.―A.D.8)に司馬遷によって編纂された中国史上初の総合的歴史書。本
紀・表・書・世家・列伝のそれぞれ異なる形式をとる全百三十巻から成る。この形式は「紀伝体」と呼
ばれ、後代の中国の史書は皆これに倣っている。故に『史記』は「正史の祖」とされる。取り扱う
年代は上古の黄帝から漢の武帝の時代にまで及んでおり、複数の王朝を取り扱っていることから「
通史」と呼ばれ、後の『漢書』以降の正史が「断代史」の形式をとるのに比して『史記』を際だた
せる特徴となっている。
「本紀」
「太史公自序」に曰く「天下の放失〔ほういつ〕せる旧聞を罔羅〔もうら〕し、王迹
の興る所、始めを原〔たづ〕ね終りを察し、盛んなるを見、衰えたるを観、論じてこれを行事に考へ、略〔ほぼ〕三
代を推し、秦漢を録し、上は軒轅を記し、下は茲〔ここ〕に至り、十二本紀を著し、既にこれを科条〔かじょう〕す。」と。
以下に記す十二本紀から構成される部分。天下を支配した王朝、あるいは帝王の歴史を記したものと解釈される。

- 「五帝本紀」:黄帝から舜までの五人の帝王の神話的歴史を記す。最後の二人、堯・舜は後に理想的な聖王とされた。
- 「夏本紀」:舜から禅譲を受けて王位につき、初の世襲王朝の祖となった禹から最後の王となった桀までの夏王朝の歴史。
- 「殷本紀」:五帝に仕えた父祖たちの記録を序章とし、桀を放伐して湯王に始まり酒池肉林の故事で知られる紂王に至るまでの殷王朝の歴史を扱う
- 「周本紀」:堯舜や夏に仕えた先公から、殷の下で徳を積み、天下を支配する礎を築いた文王及び実際に殷周革命を行って周王朝を開いた武王の功績を記し、王朝が衰えて遷都せざるを得なくなり、実権が完全に諸侯に移った春秋戦国時代までの歴史を記す。
- 「秦本紀」:殷周に仕えた先祖から、諸侯に封ぜられて次第に力を蓄えて諸国を討ち滅ぼし天下統一へ向かう秦の歴史。
以上が先秦時代を扱った部分である。以下は司馬遷が著した「現代史」である。
- 「秦始皇本紀」:秦王、政は次々と列国を滅ぼし、ついに天下を統一して「始皇帝」を自称した。始皇帝による統一までの過程、統一後の政策、その死と秦王朝の滅亡までを記す。
- 「項羽本紀」:秦の圧制に堪えかねた人民は次々と蜂起し、天下は再び乱れた。その中で覇王となったのは楚の将軍の子孫、項羽であった。項羽の力による平定と、その暴虐さ故に人心を失って漢の高祖劉邦に敗れるまでの姿を描く。
- 「高祖本紀」:庶民の子として生まれた劉邦は粗野にして無教養でありながらもその人徳によって人材を得、ついには項羽と雌雄を決するまでに至った。個々の戦いでは敗れながらも臣下の策謀によって項羽に勝利し、大帝国を築くまでの過程を記す。
- 「呂后本紀」:豪族の娘であった高祖の妻、呂后は高祖の死後その愛姫を虐待し、柔弱な恵帝に代わって権力を振るった。天下を呂氏の物にしようとする呂后の企みと、高祖の遺臣たちの活躍によって劉氏の世が守られる様子を描く。
- 「孝文本紀」:呂后は次々と高祖の子を暗殺し、劉氏の天下は危機に瀕した。呂后の死後北辺の代国から長安に入って帝位についた文帝はその仁政によって天下を休息させ、国力の回復につとめた。文帝の即位とその「無為」の政治を描く。
- 「孝景本紀」:無為の政策によって民力は回復したが、先送りにされた問題から生ずる歪みもまた密かに増していった(バートン・ワトソン『司馬遷』参照)。それは力を増した諸侯王たちが漢に対して起こした反乱「呉楚七国の乱」という形で爆発した。しかし景帝はそれを鎮圧し、国家による支配を強めた。漢初の「無為」の政策から徐々に国家による統制を強め、中央集権体制が確立してゆく様を描く。
- 「孝武本紀」:漢初以来の国力の蓄積によって漢帝国の繁栄は頂点に達し、富は国内に満ちあふれていた。それを背景として北は匈奴を討ち、西は中央アジアに天馬を求め、南は南越を滅ぼして越南に至った。自らの支配する国が未曾有の盛世にあることを自覚した武帝は、その業績を天に報告することを望み、ついに「封禅」の祭祀を行った。この本紀は封禅を主とした祭祀を行う武帝の姿を中心として描く。しかし、「孝景本紀」および「武帝本紀」は武帝の忌避を受けて削られたとする説が早くから行われ、現在の「孝武帝本紀」は「封禅書」より採って補ったものだといわれている(エドゥアール・シャヴァンヌ『司馬遷と史記』参照)。
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