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近年の『史記』研究書

 『史記』に関する書物は途絶えることなく出版されている。ここではそれらの内から幾つかを紹介する。伊藤徳男氏と村山孚氏の書を追加。

司馬遷と『史記』の成立 大島利一『司馬遷と『史記』の成立』(清水書院清水新書1984,初版1972)

 「1.ひとつの青春」・「2.天下漫遊」・「3.権力の世界」・「4.歴史家の誕生」・「5.憤りを発して」という構成で、巻末に「司馬遷年譜」を付す。司馬遷が龍門に生まれ、父の導きで学問の素養を身につけ、天下を周遊し、父の死後、跡を継いで史書を作ることを決意するものの李陵の過に巻き込まれるが、それに屈せず発憤して『史記』を完成させるまでをたどる。内容は独自の見解などはほとんど見られないものの穏当で、入門書としては好適かもしれない。ただ、手に入れやすい本ではないが。

史記 司馬遷の世界 加地伸行『史記 司馬遷の世界』(講談社現代新書1978)

 第一章「歴史家・司馬遷の誕生」・第二章「『史記』の時代―呪術と迷信とのなかで」・第三章「『史記』完成への道」・第四章「司馬遷の世界」の四章からなる。司馬遷の生い立ちから全国周遊、そして李陵事件によって腐刑を受けながらも『史記』を完成させるまでをたどる。第二章で『史記』が著された当時を迷信に満ちあふれた時代とし、その延長線上に巫蠱の獄(皇太子が武帝を呪っていると誣告され、死に追いやられた事件)があるとし、李陵の過の際にも司馬遷は単に李陵を弁護したのみにとどまらず、武帝の対匈奴政策を批判したのではないかと推測するなど、加地氏による新説も見える。しかしながら、第四章では腐刑による司馬遷の「去勢コンプレックス」を推定し、フロイト説を持ち出したりする。このような迷走はあるが、現在『史記』に関する書の中では最も入手しやすいものでもあるので、まずまずの入門書とすることもできるかもしれない。

史記十表に見る司馬遷の歴史観
写真は外箱
伊藤徳男『史記十表に見る 司馬遷の歴史観』(平河出版社1994)

 半世紀以上にわたる著者の研究生活の中でも(伊藤氏は1913年生まれ)大きな割合を占める『史記』研究の集大成的な書。『史記』中の「表」を分析した第一章から第六章(章名は略す)・第七章「武帝と『史記』と直筆」・第八章「十表の意義」からなる。第一章から第六章における「表」の分析によって司馬遷は封建制が古今を貫く治統であると認めていたとする。第七章では『史記』に見られる漢代史の暗い面(呂后の悪行・諸侯王たちの愚鈍さ)は『漢書』にも同様の記述があり、また『史記』は勅撰ではないものの制作されることは公に認知されていたと考えられることから、『史記』中にはあからさまな現代史批判は存在しないとする。第八章では第一章から第六章までの分析と第七章での考察から、司馬遷は十の「表」の中に漢代史批判を込めたとする。「本書は、徹底して、推理・推論の蓄積である。」と著者は称するが、論理の展開は明晰で著者の主張するところは了解しやすい佳作。

史記会注考証校補
写真は台湾版
水沢利忠『史記会注考証校補』(史記会注考証校補刊行会1957-1970、廣文書局1972)

 『史記会注考証』に「正義」逸文が多数収められているのに触発され、滝川氏未見の書をも含め、日本に現存する古抄本・刊本への「書き入れ」を渉猟して本文・注釈の校勘をおこなった書。それには第一巻から第八巻までの紙幅を費やし、第九巻に「史記之文献学的研究」を収める。「研究」では『史記』の抄本・刊本の系統を分析し、更には現在は存在しない「単正義本」がかつてあったことを想定する。『史記』のテキストを問題にする際には欠かせない書。台湾でも刊行された。

史記正義の研究
写真は外箱
水澤利忠編『史記正義の研究』(汲古書院1994)

 水沢利忠「南化本『史記』と『史記正義』の研究」・史記正義研究会編「史記正義語彙索引」・小沢賢二「史記正義佚存訂補」から成る。「南化本『史記』の総合研究」と称する共同研究班の研究成果報告書。水沢氏の「南化本…」は滝川亀太郎が直接には見ることのできなかった、上杉氏旧蔵南宋黄善夫本の由来・それに付された「書き入れ」を考察し、さらには「史記正義」に関して、「正義」注のみが付された「単正義本」が存在したと考えられることなどを述べる。小沢氏の「史記正義…」は昭和五十八年に小此木家から寄託された「寛永古活字本史記」の欄外の書き入れから「正義」の逸文をはじめ、唐以前の古注を発見した。

新編 史記東周年表
写真は外箱
平勢隆郎(※注1)編著『新編史記東周年表』(東京大学出版会1995)

 『史記』の「表」と「本紀」・「世家」の間、または「世家」・「本紀」各篇の間には年代の矛盾が多数存在する。矛盾の解消のために、これまでの研究では矛盾の一方を是とし、他方を非として否定する方法が採られてきたが、それで解決するには『史記』における年代の矛盾は多すぎる(同書5頁によると、のべ835件)。それゆえ平勢氏は本来史料相互に矛盾は無いはずで、矛盾が引き起こされた過程は法則的に説明されることができると考えた。平勢氏は君主在位の称元法に対する『史記』の作者の誤解(※注2)、各国の暦の違いによる年代のずれ、君主の謚号の誤解などを想定して、新たに年表を作成した。中国先秦時代を研究する避けて通れぬ、画期的な研究書。

中国古代紀年の研究
写真は外箱
平勢隆郎『中国古代紀年の研究―天文と暦の検討から―』(汲古書院1996)

 上『新編 史記東周年表』の、いわば理論編。第一章「天文・暦と紀年問題」では前著でおこなわれた天文暦法の検討をさらに進め、範囲も上は殷末から西周、下は漢初にまで広がる。第二章では音楽理論の三分損益法、夏正・楚正・センギョク暦(※注3)などの理論的背景を探り、中国古代帝王の理論的背景を探る。そして、「結びにかえて」では全体のまとめと、それがもたらす問題提起を述べる。と、紹介したが、大変高度な理論に基づいた書であり、私は一読して理解することはできなかった。思うに、平勢氏以外にこれを全て理解できる人は、そう多くはないだろう。まさに東洋史界の相対性理論だ(?)。

史記を探る吉本道雅『史記を探る―その成り立ちと中国史学の確立』(東方書店1996)

 第一章「『史記』と先秦史の史料」・第二章「『史記』の材料」・第三章「『史記』以前の歴史認識」・第四章「『史記』と『春秋』・第五章「『史記』と戦国史」の各章から成る。『史記』の先秦史の部分を対象として、原資料がいかなるもので、どのように用いて編纂されたかを検討している。西周時代の部分に関しては『詩(経)』・『書(経)』・系譜資料の利用を想定し、春秋時代の部分に対しては系譜資料と、主に『春秋』の各伝が利用されたとする。戦国時代の部分に関しては複数の秦系資料・趙系資料・口碑・司馬遷家の家伝の利用を想定する。精緻な検討がなされており、独自の説が多い。しかしながら、先行研究への配慮を欠いた面があったため、軽々しくこの書を引用できないような状況になってしまった(※注4)。惜しい哉。

『史記』と司馬遷伊藤徳男『『史記』と司馬遷』(山川出版社1996)NEW!

 上に挙げた『史記十表に見る 司馬遷の歴史観』および、著者によるその他の『史記』に関する論文を基として著された書。第一章「『史記』の成るまで」・第二章「年表の秘密」・第三章「司馬遷の生涯」から構成される。第一章・第二章の論旨は概ね『史記十表に見る 司馬遷の歴史観』と同じく、第一章では『史記』が武帝の意を受けて編纂されたこと、第二章では司馬遷による同時代批判は年表、特に「漢興以来将相名臣年表」に隠されていることを説く。第三章は李陵事件の際の司馬遷の行動と、それに対する武帝の反応を考察し、「仁安に報ずる書」から司馬遷の立場・心情などを読みとる。この書は今まで広く認められてきた「発憤著書説」の見直しを提唱し、下に挙げる村山氏の書が紹介する、将来日本でも流布すると思われる「司馬遷伝説」に対して危惧を感じて出版されたものである。一般読者に、まず読んでもらいたい書。

『司馬遷「史記」歴史紀行』村山孚『司馬遷「史記」歴史紀行』(尚文社ジャパン1995)NEW!

 人民中国雑誌社編集顧問であり、中国に関する書を多く著している村山氏が、豊富な中国旅行体験と『史記』とを結びつけた書。第一回は司馬遷の故郷とされる韓城県を訪ね、第二回から第二十六回までは概ね時代順に『史記』に現れる名所を訪れる。第一回に伊藤徳男氏が衝撃を受けたという伝説が紹介されている。 それは、司馬遷は『史記』によって武帝の怒りにふれて獄中で没し、残された二人の息子は姓を「同」と「馮」に変えて逃れた云々などという話であるという。
 伝説は別にして、この本には誤記が多い。いきなり「まえがき」に「劉備に敗北して王朝成立にいたらなかった項羽の生涯…」とあるのを見たときは一分間 失神した(嘘)。これはケアレスミスにしろ、ほかにも秦が魯を滅ぼしたとかいう記述があったり(正しくは楚が魯を滅ぼした)、奥付の部分に、この本の題名として『馬遷「史記」歴史紀行』 とあるのにはあきれた。まあ、「読み物」として読むべき書。

(※注1)平勢氏の正しい漢字表記は平勢氏の名前である。↑もどる

(※注2)中国の特異な称元法である踰年称元法(ある君主が死んで新たな君主が即位しても年内は改元せず、次の年首から某王一年とするやり方)は戦国時代四世紀半ばに始まったものであり、それ以前は立年称元法(日本の改元法と同じく、君主が死んで後嗣が立ったら即座に某公一年とするやり方)であったことを『史記』の作者は知らずに記事を配列したため多くのずれが生じたと平勢氏は考えた。↑もどる

(※注3)センギョクの漢字表記はセンギョクである。↑もどる

(※注4)この問題に関しては東方書店のPR誌『東方』第187号(1996年10月)および第188号(1996年11月)を参照のこと。私がここで云々できる問題ではない。↑もどる


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