栃赤城よ、永遠に・・・

昭和54年から56年にかけて幕内上位で活躍した栃赤城の相撲は、その粘り強い取り口からサーカス相撲と称され、数多くのファンを魅了しました。
私も昭和54年3月場所の活躍を目にして以来、栃赤城の相撲のとりこになってしまい、栃赤城の相撲とともに、青春時代を過ごしてきました。
この度、栃赤城の思い出を何らかの形に残しておきたこのページを作成することにしました。そして、栃赤城の命日にあたる8月18日に公開するに至りました。
この場を借りて、謹んで栃赤城さんのご冥福を心よりお祈り致します。

since 2002.8.18 14:40

栃赤城の略歴

1954(昭和29)年10月31日 群馬県沼田市生まれ
1973(昭和48)年1月 初土俵、18歳
1976(昭和51)年1月 新十両、22歳
1977(昭和52)年5月 新入幕、22歳
1979(昭和54)年5月 新関脇、24歳
1990(平成2)年3月 最終場所
新関脇時の栃赤城 1997(平成9)年8月18日 急性心筋梗塞のため死去、42歳
大相撲 記録の玉手箱栃赤城のページ)も大変参考になります。

栃赤城の相撲ぶり
中学時代の水泳、高校時代の柔道で培われた柔軟な足腰を生かして繰り出される豪快な右半身からの小手投げ、掛け投げ、すそ払いの足技、相手の腕を小脇に抱えるような逆とったりで大いに土俵を湧かしてくれました。また、相手に背中を向けても、驚異的な粘りを発揮し、背中で相撲を取るなどと評されました。このような多彩な技を出すことができる反面、正攻法の相撲になりきれなかったことから、当時の相撲解説者の玉の海梅吉氏からは「器用貧乏」とよく言われていました。変態相撲と称された昭和54年春場所の横綱若乃花戦は、後々まで語り継がれていますが、土俵際で自らまわしを離して一回転して突き落とした昭和56年名古屋場所の大寿山戦、相手に背中を向けながら逆転の小手投げで勝利にこぎつけた昭和56年九州場所の巨砲戦が個人的には印象に残っています。

栃赤城の珍しい記録
当時では珍しい柄パンを着用するなど茶目っ気たっぷりの栃赤城は、現代っ子力士のはしりで、当時の相撲界では、異色の存在でしたが、記録の面でもいろいろな珍しい記録を残しています。

内容 コメント
群馬県出身力士 群馬県出身力士としては、その後、琴錦、琴稲妻、湊富士といった幕内力士が活躍しましたが、当時としては、67年ぶりの群馬県出身の幕内力士ということで、福田首相(当時)にもお目にかかっています。
前相撲なしの番付外 初土俵の昭和48年初場所は、新弟子の数が少なかったため、本割形式の番付外制度が復活し、新弟子も序ノ口力士と対戦するという変則場所で相撲人生のスタートを切りました。
効率良く出世して入幕 あまり大勝ちもなかったのですが、初土俵から26場所での新入幕となりました。特に十両では、8勝、8勝、9勝という成績でしたが、3場所での十両通過となりました。最近入幕した安美錦も十両昇進から入幕まで同じ勝星数となっています。
新入幕の場所に不戦勝 ただ単にラッキーなだけの記録ですが、栃赤城以来平成4年までは、この記録は出ていないとのことです(その後は確認しないので分かりません)。
小結を通り越して関脇 単に小結を通り越して関脇に昇進するのはたまに見かけますが、2回目も小結を通り越して関脇に昇進しているので、こちらは珍しいと思います。
一場所三金星 平成4年末の時点で、初代若ノ花、朝潮、栃赤城、大ノ国の4人です。他の3人は皆横綱です。
三場所連続金星 こちらも12人しかいない記録です(平成4年末の時点)。3場所とも平幕にいて、しかも横綱との対戦圏内という条件がつくので、かなり制限されてしまうためです。
公傷適用、張出番付 今では、公傷休場力士は続出していますが、栃赤城の公傷の適用は、制度自体が適用されるようになって、かなり最初の方だったと思います。番付も当時は、前場所と同地位に張出されるといったものでした。
前頭15枚目 現在の幕内定員は40名ですが、当時の定員は少なく、前頭15枚目ができるのは、かなり久しぶりだったような気がします。
蔵前国技館最後の場所で優勝 と言っても、十両優勝です。多賀竜は、この場所、幕内最高優勝を記録することにより後世まで語り継がれる力士となりましたが、栃赤城もこのような場所にちゃっかりと十両優勝を記録するなんてニクイですね。
元関脇で、三段目に陥落 昭和13年5月場所の出羽ケ嶽以来52年ぶり。
金星獲得数:8 当時としては、確か、かなり上位に入る成績でした。
三賞受賞回数:8(殊勲:4、敢闘:4) 当時としては、確か、かなり上位に入る成績でした。

栃赤城の星取表(<---クリック)
・栃赤城ファンの掲示板への投稿者のおおすかさんが制作してくれています。

栃赤城を訪ねて40里
・平成13年11月、私が横浜に住んでいたときに、栃赤城さんの実家を訪ねて、40里強の道のりを経て、沼田を訪れました。

沼田駅到着。情緒ある駅舎でした。昼飯がわりに立食いそばを食べました。 栃赤城さんの訃報の際に知った町名、番地をもとに実家を探そうとしたところ、ちょうど地番案内図を発見。いざ、国道17号を北上。 しばらくすると、住宅地図を発見(栃赤城さんの実家はどこでしょう?)。そして、間もなく実家に到着しました。栃赤城さんが以前洋品店を営まれていた実家は何となくひっそりとした感じで寂しかったです。 栃赤城さんの母校、沼田高校も訪ねてみました。写真を撮る良い場所がなかったので、路地から無理矢理撮影しました。

栃赤城 マイ・コレクション

今年入手したサイン色紙(昭和52年10月のもの) 実家に掛けてある昭和56年春場所初日 千代の富士戦のパネル(千代の富士の新大関初日ということで、栃赤城はブレているのが残念です。この取組にはすくい投げで勝ったのですが・・・) 昭和57年岡山巡業でのスナップ写真です。学業に専念していた私は、学校をさぼって巡業を見に行くなんてことはできませんでした。この写真は母親が撮影したものですが、写りが鮮明でないのが残念です。 幕下陥落後も十両復帰を目指して頑張る栃赤城さんです。

その他の栃赤城に関する所有資料
・NHKビデオ 昭和の名力士20 昭和後期の名脇役 富士桜、麒麟児、鷲羽山、出羽の花、栃赤城、多賀竜
・栃赤城の中入り後取組(昭和56年春場所以降)、第四回大相撲トーナメント、栃赤城出演の歌合戦、あの人は今(正確な番組名は忘れました)等のビデオ(年代が年代だけに映りが悪いものが多いです)
・各種雑誌(相撲(ベースボール・マガジン社)ほか)
・スナップ写真 若干数
・他

栃赤城との因縁?
・私の学生生活の終わりと同時期に、何故か力士生活を終えている。
・栃赤城が相撲界を去って、家業を継いでいる様子を放映した「あの人はいま」という番組が放送されることは事前に知らなかったが、当日のテレビCMでその放送があることをたまたま目にし、ビデオに収めることができた。
・栃赤城の訃報は、亡くなられた翌日朝のテレビ番組で知ったが、そのテレビを見る前の夜には、人間の体が半分に切断され、その下半身が歩くという夢を見ていた。栃赤城の粘り強い下半身からの霊が伝わってきたのかも・・・。
・このHPをUPしようとした時期が、偶然にも栃赤城の命日であった(実は、あとから気付いたのです)。

栃赤城にまつわる話 
・栃剣を主人公にした「のたり松太郎」という漫画があり、赤城山という栃赤城そっくりな力士が出てきているそうです。赤城山は、その主人公、松太郎と対戦し持ち前?の足技とねばりで苦しめているようです。最後は負けてしまうのですが。(by 肩すかし)

参考資料
・戦後新入幕力士物語第四巻(ベースボールマガジン社)
・相撲(ベースボールマガジン社)
・他

栃赤城ファンの掲示板
栃赤城に関することなど、書込みをお待ちしています。
栃赤城の名勝負集が、ビデオで復刻されることを心から望んでいるのですが、この掲示板を契機に話が盛り上がるでしょうか?

*このページは、個人的に入手、購入した情報をもとに作成し、第三者に迷惑をかけないように十分配慮しましたが、不具合などがありましたら、ご連絡下さいますようお願い致します。また、一部敬称を略させていただいておりますので、ご了承下さい。