【2 芸術の構造】

● 2・1 芸術の特徴 ●

 芸術について正しく理解するために、まず芸術の特徴について考えてみたいと思います。音楽や絵画に限らず、私達が芸術と呼んでいるものは、いったいどのような特徴があるのでしょうか。
 まず一つ目は、当たり前のようですが、「人間が創造したものである」ということです。そんなことは言われなくても判っていると思われるでしょうが、この特徴が実は一番重要で、名のある哲学者ですら物事の細かな分析に没頭しているうちに、この当たり前の理解をいつのまにか置き去りにしてしまい、それどころか出来上がった複雑な理論を正当化するために、これを誤りだとするような本末転倒の議論までなされたりします。
 芸術は人間が創造します。人間以外が造り上げた芸術などは聞いたことがありません。何故ならば、芸術という言葉は、人間が創造した作品に対して与える称号であるからです。
 夜空に輝く満月は言葉では言い表せないほどの美しさを放っていますが、これを指して芸術だとは言いません。富士山は雄大で秋吉台の鍾乳洞の硫黄柱の造形は目をみはるばかりですが、結局、自然に出来上がったものは芸術とは言えません。ここでは美しさがあると言うべきでしょう。
 人間が創造するといっても、ただ無意識のうちにいつのまにか出来上がってしまったというようなものも芸術とは呼べそうにありません。ついうっかり誤ってシャッターを押してしまって出来上がった写真は、たとえどんなに美しいものであっても、このままでは芸術と呼べません。何故ならば、芸術の一つ目の特徴である人間が創造するものであるということのポイントは、人間の頭脳によってあれこれ工夫を凝らし、いわば頭脳を通過するというところにあるのであって、芸術は人間の思考・精神活動によって決定付けられるということになるからです。
 次に二つ目の特徴としては、一つ目の特徴を受けて、芸術は人間の思考・精神活動によってその思考・精神活動のあり方が物質的に表面化されたもの、すなわち「芸術は表現である」ということです。
 人間の創造は、ただ頭の中だけで考えをまとめるような例えばアイデアのようなものは当てはまりません。なぜならば、これらは目には見えませんし、仮に創造と名付けようとしてもどれを指してよいのかも判らないからです。
 人間の頭脳を使って、その人の思考なり精神のあり方が表現されて初めて創造したことになります。
 その他の特徴として、形式的・要素的なものは幾つも挙げることは出来ますが、特筆すべきものとしてはこの二つが大きな特徴となります。
 よく芸術の特徴を説明しているものに、例えば大きな動きを感じさせるものであるとか、神秘的なものや儚いものであるとかいった特徴を挙げていますが、これらは作品からもたらされた印象の説明にすぎません。
 結局、芸術と呼ばれているものの特徴は、「人間の精神活動の結果、その精神のあり方が物質的に表現されたものである」ということになります。
 芸術を解き明かすためには、この特徴が大前提となるのです。 


● 2・2 表現とは ●

 人間はたった一人では生きて行くことが出来ない、社会的な動物です。当たり前のことですが、例えば、子孫を残すことも人間一人では不可能で、必ず配偶者を必要とします。
 衣・食・住についても、人間が生活するうえでの要求は、多種多様かつ多量で、これはとても一人の人間で自足できるものではありません。必ず第三者の力を利用する必要があります。 ところで、第三者の力を利用するといっても、ただ黙っていただけでは第三者は何も気付いてくれません。そこで人間は、利用しようとする人に声をかけたり、文書を作って提示したり、時には身体を動かして身振りや手振りで相手に自分の精神的な要求なり思索なりを伝えようとします。
 このように、人間の精神的な働きかけは、そのままでは第三者の精神に勝手に入り込むことが出来ないので、一旦外部の物質的なものに働きかけを行って、第三者に対してアピールしようとします。
 形のない人間の精神的な働きを、物質的な形をかりて表面に現すということで、これを「表現」と呼びます。
 人間は日常の生活の中で、様々な表現を行っています。
 朝起きればまず「おはよう」と家族に声をかけ、外出して近所の人に逢えば「今日は良い天気ですね」などと挨拶をします。食事時が近づくと子供達は「お母さんお腹が減ったよ」と表現します。
 また、洋服を着るにしてもネクタイは背広とシャツにマッチしたものを選んだり、玄関には花を飾り、食事の盛り付けも食欲をそそるように色の組み合わせに気を配ったりする表現も行われます。
 普段何気なく行っているこれらのことは当たり前のことなのですが、このように考えてみると、私達は、寝ている時や一人で考え事をしている時を除き、その生活のほとんどは周囲の第三者や物に対して何らかの働きかけを行っており、このことから、私達が生きるということは表現することそのものと言っても過言ではないことが判ります。
 表現をするということは、何の経験も無い生まれたばかりの赤ん坊ですらお腹が減るとしきりに泣いてオッパイを要求することからも判るように、私達人間に本能的に備わったものであるといえます。私達人間には本能的に表現をしたいという「表現欲」があるのです。
 本能的であるということは、生物の進化の理論を借りれば、少し回りくどい考え方ではありますが、仮にこの表現欲を持たない別の種が居たとしたならば、その種は自らの子孫を残すことが出来なかったということになるため、したがって表現欲は人間が自らの生命及び種の保存を行うために必要不可欠な重要な機能、いわば人間にとっての自然の本性であるということになります。


● 2・3 芸術が科学的に分析されなかった理由 ●

 芸術についての理解ほど、昔から多くの哲学者・美学者などに議論され様々の分析・定義付けが試みられてきたにもかかわらず、未だに合意が形成されていないのも珍しいと思います。
 自然科学などは、日進月歩で新しい理論が発見された当初は色々な議論が巻き起こりはするものの、様々の科学的な検証によって次第に洗練された理論として落ち着きます。そして、その理論は、いわば全世界共通の概念として人々に引き継がれていきます。文化の発展は、これらの作用の賜で、これからも科学の進歩は乗数的に行われてゆくことでしょう。
 それでは何故、こと芸術については科学的な分析がなされなかったのでしょうか。
この事実は一体何を私達に投げかけているのでしょうか。
 それは、科学と芸術とは、全く別の性格を有するものであるにもかかわらず、科学を分析するのと同じ手法で芸術に対しても分析が行われたからと解釈してみてはどうでしょうか。この解釈は、大変勇気が必要で、何故ならば、プラトンやカントの功績すら一部否定しなければならないからです。
 いささか暴論ですが、今まで行われてきた芸術に対する分析・定義付けの方法なり方向なりに、実は見落としていたものがあったということになるかと思います。
 科学は、認識の一つであるとか認識の一つの方法であるとか言われています。例えば私達が赤色を認識する場合、誰もが直感的に認識を行うのですが、何故人間は色を認識するのかといったことを今までの哲学の定説である「直覚」という認識についての理論を使ってうまく説明することができました。事実、この理論が基になって、現代のコンピュータのCPUの仕組みである制御装置と演算装置の設計に役立っていると言われています。
 ところがいざ芸術にこの理論を適用しようとすると、結局は鑑賞者の認識の違いによるということとなって、うまく説明することが出来ませんでした。
 芸術は、表現された作品を示す概念であるので、科学をその方法とする認識とはそのアプローチの仕方に違いがあります。後ほど説明いたしますが、認識と表現とは丁度反対の仕組みで成り立っているため、「認識」の仕組みを解き明かすための認識論を使っただけでは、うまく「表現」の仕組みが説明されるはずはありません。
 今まで芸術が科学的に定義付けられなかった最大の原因は、認識の仕組みとは違う表現の仕組みについて、認識の理論をもって無理矢理説明しようとしていたため、科学的に理論立てすることが出来なかったのです。
 非科学的な科学などというとおかしな話しですが、科学はどこまでいっても科学です。表現は科学とはまったく別のものなので、これを科学的に分析するためには、まず「表現についての理論」を科学的に確立する必要があるのです。


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