よい書・美しい書とは

 「よい書とは一体どんな書であるのか」「美しい書とはどのような書を指すのか」といった問は、書を学ぶ者にとって一番身近な問題であると同時に、恐らく一番重要な問題ではないでしょうか。
 実際、私も折りある毎に、この問いかけに想いを巡らせております。このことは、少なくとも私にとっては、書を学ぶ上での本質的な問題ということになり、したがって、この問に対する明確な答えを自分自身の中に確立しないかぎり、書の発展・向上は望めないであろうと思っています。
 書について、よく「あの人はとても字がうまい」などと言います。一般的には「よい書」「わるい書」というよりも「うまい書」「へたな書」という言われ方が多く聞かれます。
 私は、一つの問題を解く場合、なかなか回答が得られないときは、すでに答えの解っているものに置き換えて考えることにしています。
 「書」を別のものに置き換えて考えるのです。これは、この世の中の総てのものの根元は、共通する一つの法理によって成り立っているからだろうと思うからでありますが、このような考え方は、なにも特別な考え方などではなく、通常、学問の基本になっているように思われます。例えば、物理学では、大宇宙の生成を解明するのに、極微の世界である原子の生成について研究がなされています。ニュートンは「りんご」の落ちるのを見て「りんごが地球に向かって落ちるのだから、たぶん月も地球に向かって落ちているに違いない。」として「万有引力の法則」を発見したのですが、これは結局、ニュートンが「月」と「りんご」を置き換えて考えたからに他なりません。
 私は、「よい書とはどんな書であるのか?」という問題を解りやすくするために、「書」を「人」に置き換えて考えてみました。「書は人なり」と言われるように、「よい書」であるための条件と「よい人」であるための条件とは、同根であると思うからです。
 ここで、「よい人」の条件を列挙してみましょう。
・稜々たる気骨を持っている人
・大言壮語などではなく、鍛錬の果てに根底からにじみ出るような気魂を有する人
・格調の高い自由精神を持っている人
・仕事に対する態度や生き方が厳正で集中徹底を好む人
・ただ気まぐれに弛んだ心で遊芸することを好まない人
・まるで子供のように天真爛漫な人
・人生の生き方が明快な人
・決して俗にならず、どのような境遇にあっても境涯が高尚な人
・偽善ではなく、心の奥底から不純を忌み嫌う人
・自分をいかなる理想像に向かって完成してゆくかという「士気」を強く備えている人
・単なる思いつきの冒険心だけではなく、緻密な計算や鍛錬のもとに開拓精神を併せ備えている人
・他人の痛みや人間の内面の矛盾を自己自身の問題として深く憂慮する切実さを持った人
 この辺りまで来ると、もうお解りになったかと思います。
 以上のような条件の中の「人」を「書」に戻してみると、「よい書とはどんな書であるのか?」の答えになるかと思います。
 蛇足ですが、それではもう一つ次の条件はどうでしょうか?
・地位や名誉を得るために立ち回りのうまい人
 これはいかにも「よい人」の条件には当てはまりそうにありません。結局「うまい」とか「へた」とかいった表現は、ある目的達成のための一つの方法が、妥当であるか否かといったことを主に表す言葉であるためで、書を学んで行く過程においては、「早く書を上達させたい」といった目的意識からこのような「うまい」「へた」という表現を用いようとすることは理解できますが、この「うまい書」をもって「よい書」の条件とすることは到底次元の違うことであり、適切な考え方ではないと思います。