高本茂

 ミハイル・ゴルバチョフが1985年にソ連共産党書記長に就任してから、彼が実行しようとした「ペレストロイカ」が私に与えた衝撃を私は忘れることが出来ない。日本の「反帝・反スタ」運動に絶望していた私は、今度こそ真の社会主義が実現するという希望を持った。
共産党ないしは党首自らが先頭に立って言論・出版・集会・結社の自由を率先して実現するというのは、チェコ・スロバキアに先例がある。だが「プラハの春」と言われたこの改革は「帝国主義による陰謀から社会主義を守る」という口実でソ連をはじめとするワルシャワ条約機構軍の進駐と軍事的制圧によって圧殺された。
だが今回は社会主義の本家・本元であるソ連からそれが始まったのだった。世界中で誰も使わなかった言葉だが、私はこれを「モスクワの春」と呼びたかった。
しかしソ連のような国でこんな事を始めればただではすむまいという懸念と危惧を私は抱き続けてきた。事実として何度となく暗殺や失脚の噂が流れた。だが彼はそれを恐れず「人間の顔をした社会主義」(先駆者ドプチェクの言葉)を求め続けた。
(真の社会主義とは何かというこれほどまで重要なテーマであるにもかかわらず、我が国の自称・他称の「思想家」の中で、ペレストロイカやゴルバチョフに対して注目したり言及した者は私の知る限りだれ一人としていなかった。ただ大学教授であった上島健、中野徹三、藤井一行氏らがトロツキーとゴルバチョフとの類似性を指摘したことがあるが、私は彼らを「思想家」とは見なさない)。
彼ほど勇気のある政治家がかつてこの世にいただろうか。私にとって最も印象的だったのは、彼が独立を求めるエストニアの首都ビリニュスに単身乗り込み、エス・ピーもつけず敵対的な感情を抱く民衆の中にたった一人でわけはいり、人々と対話と説得を始めたシーンだ。「エストニアに独立を!」という遠くにある横断幕を見て「ここから見えているよ。降りてきて話をしよう」という呼びかけに当初は敵意を持っていた周囲の民衆はどっと笑った。この対話は数時間に及び、あくまで連邦にとどまるように説得を続ける彼とあくまで独立を求める民衆との溝は埋まらなかった。だがこんな事は世界中の政治家のだれ一人として行わなかったことだ。

 もちろん彼は「レーニンに立ち返ってソ連社会の全面的立て直しを図り、社会主義の新生を目指す」という発言を著作や演説の至る所で繰り返すということで、マルクス・レーニン主義の欺瞞性を見抜けなかったという限界を持っていた。(そして残念なことに晩年はリトアニアに軍事介入をするという汚点を残した)。だがペレストロイカがきっかけで、「兄弟愛と平等の実現」という社会主義の真の精神を共産主義者(ボルシェヴィキ)が簒奪し、社会主義とは似ても似つかぬものへソ連を変質させたという事を見抜いていたボリス・カガルリツキー(モスクワ人民戦線)をはじめとする「下からのペレストロイカ」の担い手も輩出させたのだ。

 1991年8月の保守派によるクーデターを逆手にとって決起した民衆は、自分たちの苦しみとと不幸の根源であったレーニンの銅像を至る所で引きずり倒した。だが肝心の10月革命の真の精神は忘れ去られたままだった。
ユーリー・アファナシエフ、ロイ・メドベージェフ、エドゥワルト・シェワルナゼ、アレクサンドル・ヤコブレフ、ニコライ・ルイシコフ………というなつかしい名前が次々と心に浮かぶ。彼らは今何を考え、どのように生きているのだろうか。それともすでに世を去ったのだろうか。私にとってペレストロイカは第2の青春だった。私には1917年~1921年のロシア、1967年~1971年の日本、1985年~1991年のソ連が二重写し、三重写しとなって重なるのだった。

 1917年のロシア10月革命の中で私が深い共感を抱いた政治勢力のうち、左翼エス・エル(社会革命党)は党派として存立する階級的基盤(農民たち)をとっくの昔に失っていた。その思想を根絶やしにするには70年間という時間で十分だった。そしてアナーキズムについては、私が学べば学ぶほど「政府など要らない」という彼らの主張は「新古典派」の経済理論と酷似してくるのだ。「新古典派」とは政府による経済活動を有害無益なものとして否定し、全てを市場の自動調整メカニズムに任せるという経済理論である(これを矮小化したものがアメリカのティーパーティーだ)。
この「新古典派」が世界経済にもたらした害悪には果てしのないものがある。アメリカにおいても日本においてもさらに中国においても、弱者の切り捨てと貧富の格差をもたらした。「100年に1度」という大恐慌になりかねなかったリーマン・ショックも彼らの理論の必然的帰結である。皮肉なことに極左の政治思想は極右の経済理論と瓜二つなのだ。
結局今の私が最善と見なす体制は「自由民主主義」だ。そうだ。チャーチルが逆説的に語ったように「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」なのだ。人間にとって自由と人権ほど尊いものはない。これが66年間生きてきて私が最後に到達した結論である。もちろん市場原理主義(新古典派)のように血も涙もない冷血さではなく、リベラルな立場をとることが前提だ。経済学者は「冷徹な知性と熱き心」(ケインズ)を持たなければならない。人々の福利・厚生のために政府(国家)は必要なのだ。

 人権と自由の抹殺はまだまだ世界中に存在する。中国(豊かになっても奴隷は奴隷だ)、北朝鮮、キューバ、ベトナムは今でも「共産主義奴隷制(マルクス・レーニン主義)」を国是としているし、現代ロシアに君臨するプーチンは「非共産主義的スターリン」だ。我々は武器を取ってでもこれらと闘わなければならない。ミュンヘン会談において英・仏がナチスに対してとったように、左右の全体主義と妥協しては絶対に駄目なのだ。

[後記]
本稿は本来ならば、ゴルバチョフの訃報に際して追悼文として書かれるべきものだった。だが彼より先に私の方が死ぬかもしれないという予感と焦りが、私に筆を執らせた。彼の余生が安らかで幸多きものであることを切に願う。