側わん症診察・治療体験記



 脊柱側わん症の診察・治療の経過や体験を募集しています。これから新たに治療される方や
 今治療されている方に、少しでも参考にしてもらえればと考えておりますので、ご協力お願いします。 診察・治療で辛かったことなど記載していただけると幸いです。



あなたは    女性   男性             

年齢は       


メール掲載 可  不可

                   

              


    女性

新潟県在住です。
小学校6年のときに発症して、35度くらいまでいきましたが、コルセットで20度くらいで安定しました。私の小学校の頃は学校での側わん症の検診がなく、母が見つけてくれました。
学校側も私が発症したことでこの病気を知り、重大性もあるとのことで翌年度から、学校で検診が取り入れられました。ほかの子たちの発症を早期に見つける機会を作れたということで、そのことだけでも私は発症した甲斐が(?)あったなと。
今は子供二人生めましたし、普通に生活できてます。
今治療中の方、保護者の方、長くかかるのでいろいろ不安もあると思いますが、がんばっていきましょうね!

                                                                     2004.6.27


23才 女性

私は小六の時、母親に「なんか背中が出てない?」と言われ大きな病院へ行きました。
すごくごっつい装具を作られてびっくりしました。一人じゃつけられなかったし。。
しかし、隣県に側湾に力を入れている国立の病院があると婦長をしていた伯母から聞き、
「養護学校も併設されてるよー」といわれ好奇心旺盛な私は転校手続きをとってもらい入院しました。
うわさに聞いていた通りとても力を入れており、朝、4校時目(これは学校のカリキュラムの中にある)、夕方と側湾体操・ストレッチ・牽引などなどの訓練+装具をしました。40度近かった背骨は17度位までなおりました。
私は訓練でなおせるギリギリに近い「度」だったのですが、元が20度位の友達は0度まで戻っていました。
退院後も15才の成長が止まるまで続きました。この病院の装具はあんまり目立ちませんでした。自分でできるし軽い。まぁ、それなりに背中は出てましたが。。真面目に訓練をしていればもっと良くなってたはずですがたぶん30度くらいには戻っていると思います。先生におこられるのが嫌なので病院に行かなくなっていました。(笑)
病院・養護学校での生活は、想像していた以上に楽しいものでした。整形外科の病棟は小3から中3までの友達。
側湾友達もたくさんできました☆ 病棟・学校でも側湾症は身動きがとれるし軽い病気の類に入っていました。 
だから、自分が一番辛いとか、大変な病気だーと思ったことはありませんでした?もっともっと大きな病気と戦っている友達がたくさんいました。
自分のできることをせいいっぱいやればいい、できないことはクラスメイトがと手を貸す、そういうのが自然と身についていました。
毎日、毎日大勢の友達と遊んで婦長におこられてました(笑)。すごーく楽しくて退院したくなくて泣きました。
大体みんな退院したくなくて泣いてたけど。。
3ヶ月の入院。退院後は、訓練の日々。体育嫌いなのに先生になるべく体は動かすように言われ、、
中学時代は保健室を使わせてもらっていました。
クラスの阿呆な男に「なんだこれ?かたいぞー!」などと言われた日には相手が嫌になるくらい、しつこーく病気のこと、なんであたしがコルセットをしてるかを説明してやりました。(笑)
あとコルセットがとれたら絶対彼氏つくるぞ!と他を磨く努力をしました!!
なんでもかんでも側湾のせいにしたくないし、
今も「私の欠点、あえて言うなら背骨がまがってることだけかなー」といえるよう化粧やダイエットがんばってます。
彼氏もコルセットがとれた中三の夏からいますよー。(何人か、かわってる。。)
養護学校にいたことも自慢げにはなしてます。あ、今の彼はなんと入院当時の仲間でーす☆
職業も、映像か美容師か迷ったあげく福祉の学校に行って介護員してました。(他にやりたいことができたので今は休業中。資格あるのでそのうちまた働く予定。)
みなさん、側湾だからってマイナスにばっかり考えてちゃもったいないです!!
悩んでたって行動に移さなきゃ意味はありませーん☆
明るく生きたもん勝ち☆☆

2004.6.11


性別 男性

はじめまして。側湾症の娘を持つ父親です。新潟県に住んでおります。
 小学2年生の娘が側湾症と診断されたのは、2004年4月初めの頃だったと思います。S字に曲がった角度は25度だったと思います。
 県立病院の整形外科と、専門外来がある大学病院の2箇所で診察を受けましたが、両方とも「治療の方法はありません。しばらく様子を見ましょう。半年したらまた検査にきてください。もう少し曲がってきたら、コルセット?等を装着します。」というようなことを言われました。ひどくなるのがわかっているのに様子をみているだけなんて、そんなバカな話があるもんかと、悲しくなるやら、腹立たしくなるやら、医者とはそんなものかとがっかりしました。
 なんとか直す方法があるのではないかと、インターネットで検索していたところ、このサイトを見つけ経験談等を読ませていただいた中に、池袋の大塚治療院に通って良くなった患者さんの話を読ませていただきました。
 そこで、少し遠いのですが、大塚さんへ通い始め、朝夕の決められた運動を毎日やらせております。まだ1ヶ月半ぐらいですが、素人目に見てずいぶん良くなってきている様に思います。
 体の成長が止まるまで、あと10年以上続ける必要があるとの事ですが、それで直るものであれば、娘もがんばれると思います。
 私どものように、医者から「直らない。」などと言われた方たちの、少しでも参考になればと思い、ここに書かせていただきました。みなさん、直すことができると希望を持ってがんばりましょう。


性別 女性

初めまして。私は中一の夏休み前に自分が側わん症ということを知りました。学校から手紙をもらい、すぐに近くの整形外科へ行きました。しかしそこの病院では詳しいことがわからなかったため、他の病院に行きました。そこの先生は大学病院の専門の先生だったので、色々な話を教えてくださいました。
私は側わん症というものが何なのか全くわかりませんでした。
夏休み明け、大学病院へ行き、装具を作るために石こうで型をとりました.
何日かたって装具ができ、病院へ行きました。初めてつけた装具は苦しくて苦しくて息をするのが辛かったのをおぼえてます。
病院の先生には「治すのには5年くらいかかる」と言われ、私は「こんなものずっとつけて生活しなきゃいけないの!?」と、とても悲しくなりました。しかし、5年なんて生きてるうちのほんの一瞬にすぎないと大げさに例えて自分に言い聞かせてました。
装具をつけてからの中学校生活は大変でした。物を拾ったり、着替えをしたり、全校集会で体育座りをしたりと、普段なら何も気にせず出きる事がとても大きな障害になってたのです。
廊下で友達とぶつかって「フライパン入ってる〜!」と、みんなの前で叫ばれたり、仲良しの子にも裏で「ロボット」とあだ名をつけられたりしてました。部活(テニス)をやるのにも動くのが大変でした。(部活は友達関係で色々あったので途中でやめてしまいました。)
ここに書ききれないほど、辛いことはたくさんたくさんありました。しかし、そんな私の支えになったのは親と友達。そして保健の先生です。保健の先生には本当にお世話になりました。
中学を卒業し、高校入学を控えた春休み。とうとう装具を昼間だけ取り外して良いという許可が出ました。その時は涙が出るほど感激しました。それからの高校生活は中学校生活とは比べものにならないくらい毎日が楽しく感じられました。高校2年生で完全に装具取り外しの許可をもらいました。
今は高校3年生になりました。今も時々病院に通ってます。
中学校からの5年間は楽しいことばかりではありませんでした。けれど、自分にとってその期間はとても大切なことだったのだとと思います。
今治療中のみなさん、これから大変なことはたくさんあると思います。でも自分だけじゃないんです(^^)お互いにがんばりましょう。

                                                                      2003.5.27


性別 女性

みなさん大変な思いをされているとしり驚いています。
私も中学2年の学校検診で側わんが見つかりました。
整形外科から専門の病院を紹介されました。
その病院は肢体不自由の方がたくさん通われている養護学校に併設された(学校が併設されているのが本当かな)病院でした。
幸い、中学時代の親友のお母様が看護婦長をされておりなにかと心配して頂いたり、アドバイス頂いて助かりました。
S字に曲がった角度などは詳しくは覚えてませんが30度以上であったと思います。
ミルウォーキーと呼ばれる装具(当時はそんなしゃれた名前なんてなかったと思いますが)を作りました。
石膏で型を取るのですが、石膏が熱を帯びて熱かった記憶だけあります。装具は沢山の方が作られた首から固定する物ではなく胸から下のものであったと記憶しています。
寝る時も体育の時間もつけて過ごしました。クラブ活動もしてよいということで、3年の夏まで続けることができました。
その他にも体操を教えて頂きましたが、一人で出来る物ではなく、共働きの両親でしたのでほとんどしませんでした。
2年間装具をつけて過ごしましたが、当時の浅はかだった私はこの病を簡単に考えており、中学卒業と同時に装具をしまい込みました。結婚後、妊娠・出産の折りに後悔しましたが、とりあえず普通分娩で2人の子供を出産できてほっとしました。
普段の生活の中で、外見上は多少腰の高さや肩胛骨の出っ張り具合などにアンバランスな物を感じますが、内臓などに問題はなく生活しております。中学2年間装具とともに過ごしておいて良かったのだと思ってます。
気をつけているのは、姿勢良く過ごすということ。
なによりの訓練だと考えています。

これから治療なさる方々は、思い残すことのない様にお医者様と話し合って治療なさってください。みなさんの体が出来るだけ良くなるようにお祈り申し上げます。


                                                                      2004.4.18


性別 女性

こんにちは、私は37歳で子供が2人仕事も持っています。
側わん症の手術を22年前にうけました。(^-^)

小学4年生の時に親が発見
東海大の整形に通いミルウォーキーブレスをつけました。
22度くらいだったと思います。成長にあわせて作り変え10度くらいになった時もありましたが中学に入ってから、自分でつけるの嫌だと外してしまいました。
親も無理なことは言わなかったので中学3年間つけずに針や整体に通うのみとなりました。

しかし高校に入ってバレー部に入ると片側(右手)ばかり使う生活で一機に悪化し、慌てて当時、側わんでNo1との先生のいる千葉大の整形外科に通いだし90度にも悪化してたのですぐ手術になりました。

2回にわけて手術し、1回めは丸ぼうすにして腰骨と頭にリングをつけて毎日背骨を伸ばすという痛みのひどい手術をしました。
1ヶ月後くらいに2度目の手術をし、腰骨から骨をとり手術、、当時Opeしてくれた先生も過労で亡くなったと聞き息子さんが同じ側わんのドクターで千葉大にいらっしゃるようです。

その後は大学にも浪人しないで進学したし就職して海外赴任も経験、今はスキーとスキューバが趣味です。
傷だらけの体でも結婚できて、子供も2人自然分娩で産めて、まだ仕事も続けてられます。
傷だらけだし、まだ背中はでっぱっているのですがアメリカに赴任した時に、この体も個性だと感じられるようになりました。(^^)
いろんな人がいるのもわかったので、気軽に手術したことも話せるようになりました。

コルセットしてる時はいろんな事をいわれた事もありましたがあんまり気にしませんでした。

なんだか懐かしくて書き込みをしてしまいました。

urara@cup.com                                                             2004.3.11


性別 女性

 はじめまして。私は中学3年の初め頃、側湾症と診断されました。今は医者を目指して猛勉強中ですが、やはり治療中は医療についての疑問等多々有りました。
私の場合もともと程度も軽く、あまり治療の成果は目立ったものでは有りません。みなさんの体験を読むと慚愧に堪え難い気持ちです。
私はたまたま病院で同じように側わん症を煩った友達をつくる事ができたのも幸運だったかもしれません。
彼は私より1つ年上で見た目にもかなり症状が重かったにもかかわらず、いつも私の前では明るく接してくれましたが、思春期の彼にとって、コルセットの矯正はかなり苦痛だったろうと思います。
 私よりも辛い体験を為さったみなさんに、何を生意気な事をと思われるかもしれませんが、一つ思った事が有ります。
それは検査の際の羞恥心や医者の治療を放棄した理由を「女の子だから」と言う事を理由にしている事です。これは数少ない男性の患者さんをどれだけ傷つけるか分かってもらいたいです。恥ずかしいのも辛いのも百も承知です。ですから「恥ずかしい」のも「コルセットが馬鹿馬鹿しい」のも同意します。でもそれは自己の責任でしょう。
先ほどの彼は「男だから」と、女の私のいる前で素っ裸で検査をされた事が有ります。
彼にとってそれはどれ程悔しかったろうか想像に堪え難いです。当然ですが、当時は看護師は全員女性でした。
先月、彼が内臓疾患で亡くなってから1年がたちました。人間の尊厳に女も男もありません、辛い者はともども一緒にがんばりましょう。

                                                                       2004.2.27


性別 女性

私は十二歳の娘をもつ父親です。2週間前娘は側わん症の手術をしました。娘に代わって体験記を記載します。手術は10時間ほどかかり、手術途中にトラブルなどあり、一時は最悪のことも覚悟しましたが、手術スタッフの連携により無事終わりました。術後の経過も順調で週末に退院できることになりました。親としては本当にほっとしております。手術を決断するためには未だ小学生の娘の将来を親として決めなければならない責任の重さに悩まされながら、このサイトの体験記を随分参考にさせていただきました。この病気で悩まれている方のために娘に代わって体験記を記載します。

娘は小学校5年生の集団検診(モアレ検査)で側わん症と診断され、現在の病院に行きました。その時は43度でした。担当医はこの年齢でこの角度であればどんどん進むでしょう。ほかの病院ではすぐ手術をというかもしれないけどうちはぎりぎりまで頑張る方針です。ということで首から腰まで風呂以外は装具をつけて、生活することになりました。この装具は50度を越えたら効かなくなるので、その場合は手術しかないとのことで、この装具を取れるのは成長が止まるまでとのことでした。長ければ5年ぐらいとのこと。最も多感な時期にこんな装具をつけて心の傷も心配となりましたが、娘も辛抱強く装着して生活しておりました。*その後定期検診を続けておりましたが、一年後には50度を超えるにいたりました。

担当医に手術をしたいと相談したところ、早いうちのほうが良いということになり、昨年の夏から貯血(自己血採取1200CC)が始まりました。当初は3ヶ月に分けてとる予定でしたが、子供だということで時間がかかり5ヶ月かかりました。その間特に治療をするわけではなく、病院から手術の連絡があるまで待機していました。今年に入り明日入院してくださいとの連絡があり、訪問すると2日後に手術とのこと。執刀する医師スタッフが手術の説明をしてくれました。

背中を開いて、背骨に20本ほどビスを打ち込み、これに金属パイプをあてがい、脊柱とパイプをワイヤでつなぎひっぱることで角度を調整する。その後骨盤の骨を削って、金属棒をその骨で覆い、そのまま背中を縫合するということでした。

気の遠くなるような話でしたが、手術のリスクはワイヤを装着する時、脊髄神経に触れること、骨を伸ばす過程で脊髄を損傷すること、金属棒に雑菌が付着すること、その他と決断をするものをこれでもかと苦しめるものでした。

執刀医の話を聞いたところで、外出許可がでました。手術の前日までに帰ってくれば良いということで、娘は随分リラックスできました。

手術当日は早朝から麻酔の準備が始まりましたが、特に変わったことはせず、迎えにきたベッドに娘は元気良く乗りました。

手術室まで送っていく時も随分明るい気持ちでした。手術予定は5時間ということなので、待合室で家内と時間つぶしをしていました。もうそろそろと思っていたところにスタッフが飛び込んできました。
手術室に言ってみると担当医が予想以上に出血が多い、自己血では足らない。日赤の血を手配することを同意して欲しいとのこと。自己血で何とかならないかと言ったところこのままだめになる可能性があるとのこと。その辺りから何がなんだか分からなくなりました。それから5時間後呆然としていると面会にきてくれとの連絡。娘に会うと血の気のひいた顔ではあるものの意識ははっきりしておりホットしました。
執刀医の説明を受けたところ、背中の静脈が発達しており、出血が多かった。無理をしないですすめたので時間がかかった。手術は成功したとのこと。角度は56度ぐらいから11度ぐらいまでなったので身長が3センチぐらい伸びた。これからは背中は縦に成長しないので足だけ伸びることになるようなことを説明してくれました。

手術の3日めまでは病院の方針で痛め止めをあまり使わなかったので、どうして良いか分からないほどいたがりましたが、痛みが止まってくると急激に回復することが分かり一週間後には立って歩けるまでなり、2週間経過した今では自分でシャワーに入れるところまでになりました。子供の驚くべき回復力です。

ということで昨日退院が決まりました。

できれば来週から無理をしない範囲で学校にも行って良いといわれています。

本当に手術を決断して良かったと思っています。友人の医者の話ではどんなに安全な手術でもリスクがあるといわれていたのですが、こんな大変な手術が成功し、順調に回復していることが奇跡のようです。

医師を信じるしかないと思いますが、これまでのミーティングで医療スタッフを信任できたことが一番よかったことだと思いました。ここまできたら後は運命を信じるしかないと思いリスクを受け入れることが大切かもしれません。

個別で何かご質問がありましたら、何でもお答えします。

atuko3@mbd.nifty.com                                                         2004.2.19



性別 男性

私は小学5年のとき側湾症に気がつきました。当時は17度くらいで病院で首まであるコルセットを作りましたが、学校へはつけていかず、寝るときだけしていました。その後、コルセットもしなくなり高校1年まできましたが、腰痛がひどくなり、病院にいくと80度位になっていて手術をしました。手術をして36度くらいになりましたが今もハリントン2本を背中へいれています。結婚もして子供3人います。ただ、28歳くらいから肩こりがひどくなり、現在は週に2回くらい針治療にいっています。いろいろな整形外科に行きましたが、効果はなく、私には針が一番あっています。年とともに筋肉が衰えていくので肩こりが激しくなっていき困っていますが、それ以外は普通に仕事もして生活しています。

ando@mrj.biglobe.ne.jp                                                       2003.12.8


性別 男性

僕は名古屋に住む25歳の男性です。僕が側湾症の手術をしたのは今から13年前の冬、この時2回にわけて背中にメスをいれました。
名大病院で川上先生にお世話になり、現在は名城病院に場所を変えて2,3年に一度診察を受けています。
手術後の経過は良好で、今では嘱託社員という身分ながらも、一般企業の事務職に就き忙しい毎日を送っています。
13年前の手術では2度ICU(集中治療室)に入るなど、大手術だっただけにかなり苦労し、耐えられない苦痛が数多くあったことを今でもはっきりと覚えています。
曲がっていた背骨を矯正するため、1回目の手術後では牽引治療も経験しました。その時二週間程寝たきりの状態でしたが
牽引治療のため腰に巻いたギブスに取りつけられた金具が腰の骨に当たり、痛みで眠れない夜が何度もあったものです。
また手術後に長い間点滴を打っていましたが、針がうまく血管に入っていなかったため、点滴の液がもれて針の刺してあった部分が腫れ上がっていることもありました。
しかし、最も苦痛だったのは何と言ってもICU(集中治療室)での治療で、この時の経験が自分の人生で一番大きな苦しみだったと感じています。手術後目を覚ますと既に夜中だったのですが、体の自由が全くきかない上に、鼻からカテーテルを通し、酸素マスクが装着されていました。さらに腕には点滴の針が何本も刺さっており、手を上げようにも思うように力が入らなかったのです。当然、背中にメスをいれているために胴体も動かないし、麻酔による痰を出すために鼻から入っているカテーテルが喉を通り、胃にまで到達しているため声も出ません。唯一ちゃんと機能していたのは目と耳だけ。
この状態で2日間耐えなければならなくなり、2日後に酸素マスクが外されるとやっと声が出るようになり、うがいをさせてもらいました。何しろ絶食はともかく、水の一杯すら飲めないために喉が渇き、腹に力が入らないのでクシャミをするにもかなり苦しかったです。
ICUには1回目の手術で4日間、2回目の手術で3日間と計1週間いましたが、この1週間満足な睡眠はほとんど取れず
個室に戻ってからようやく充分な睡眠がとれるようになりました。昼夜を問わず、看護士の人が体温・採血・血圧・注射と常に1時間ごとにやってくるため、熟睡できた夜は一日もなく、心身ともにボロボロでした。体重はすっかり落ちてやせ衰え、腕には針の痕がしっかりと残り、牽引治療を行ったため額にも傷痕が残りました。その後、2回目の手術で背骨に固定された金具は、今から6年前に再び川上先生によって取り外され、現在に至っています。
川上先生の方からは「腰のほうは気をつけるように」と言われており、実は今の仕事に就いた1年目の6月下旬頃、激しい腰痛に見舞われ、腰痛用のコルセットを着用したらどうかとコルセットを作ってもらいました。しかし腰を強く圧迫することと、他にマジックテープで簡単に取り付けられる腰痛ベルトを見つけたため、現在はその腰痛ベルトを着用して仕事をしています。
いつ再び腰痛が再発するかはわかりませんが、極力重たい物を持たないようにし、腰に気を配り、仕事が終わったあとはストレッチをして体をほぐしています。
今後自分の体がどうなっていくのか、社会はどう変わっていくのか、不安を考えればきりがありませんが、できるかぎり自分の力を信じてこれからも戦っていこうと思っています。

s-shigeki@msj.biglobe.ne.jp                                                   2003.12.5



性別 女性

現在36歳です。中学生の時側湾症と診断され、コルセットも装着しました。S字型で上が50度近く、下が30度台だったと思います。
角度のみで判断され手術も勧められました。
ミルウォーキーも作りましたがやはり面倒なので、首から下のものに替えそれも就寝時だけ着用していました。
何の症状もないし、「大昔レントゲンなんかない時代だって
そういう人はいたはずだ。医学が進みすぎて、こんなつまんない事にまでケチつけるようになってきたんだ。」と思っていましたので
(可愛くないコドモですね)
あんまり真剣に治療していませんでした。
20歳くらいまで続けていました。良かったのは夜コルセットをしていたのでスタイルが良かった事ぐらいでしょう。
働き始めていつのまにかそんな事も忘れていました。
もう10年くらい病院に行っていません。
今は時々、健康診断でレントゲンを撮ると
やはり曲がっているので「姿勢に注意」と書かれるくらいです。
それなりにお肉もついてきて見た目にも普通ですし、
肩こりは運動不足なので人並みにはありますが
腰痛もありません。
ただ、大人になり自律神経失調症の症状が目立つようになってきました。いろんなストレスを抱えるようになっていますので、一概に側湾症のせいだとは思いません。
先生は「大人になったら大変な事になる」とさんざんおっしゃいましたが、私は大変な事っていつ来るの?と思いながら
今でも暮らしてます。

kusutomo@mub.biglobe.ne.jp                                                     2003.11.9


性別 女性

私は小学5年生のときに側わん症と診断され、高校を卒業するまで家族と一緒にこの病気と闘ってきました。私の場合、角度は30度を超えていました。そして2年間着け続けてきたコルセットによる治療はうまくいかず最終的には40度以上になっていました。なので治療法をかえ、手術によって背骨を固定し曲がりの進行をくい止
めるという方法をとりました。この病気によって私にとってとても大切なものを失いました。でもとても大切なことに気づかせてくれたのもこの病気です。だから決していい経験だったとは言えませんが、生きていく上でとてもタメになる経験をしたと今は思っています。病気にかかっていなかったらなん面白味もない「今」を生きて
いたと思います。

                                                                        2003.11.9


性別 女性

こんにちは☆現在中学校2年生です。 私が脊柱側湾と知ったのは小学校5、6年生の時でした。
その時の角度は26度。 とりあえず、コルセットはつけないで、体操で進行を予防しようと言われました。 その後しばらくはほとんど進行しませんでした。 しかし、中学校1年生の冬に診察に行った時33度になっていてコルセットをつけることになりました。 最初はショックでボー然となり、その後大泣きしてしまいました。 今では少しツライけどガンバッテ毎日つけています。(今では、18度にまでなりました) カイロプラクティックにも行っています。 最初は「ああ、私はみんなとはちがうんだ・・・」と凹んでいたけど今ではもうなんとも思いません♪ こんなもんです(^_^;) 
これからも、がんばっていきたいです!!  

k-nagai@hw.catv.ne.jp                                                            2003.8.28


性別 女性

こんにちは、38才のOLです。私の発症は中学2年生で、27度の側わんでした。整形外科でコルセットと牽引の治療でしたが、変化がなく私の努力が足りないせいだと医師に言われました。その後、左足のしびれから別の総合病院で診察を受けたところ、治す方法はないけれどマルファン症候群の疑いがあるので検査ならしますということでした。35才位から鍼灸・。療をはじめ、かなり良い経過をたどっています。でも、レントゲンを見るとまだまだショックは大きいです。でも、筋力低下を防ぐためにはじめたバレエの先生も驚くほど外見は普通に近づきました。私はコルセットはおすすめできません。脊椎は正常に近づいても、肋骨や骨盤のゆがみは別のひずみと病気につながるからです。実際、私の右の肋骨の中ほどは陥没の跡を残しています。Fュしずつ鍼灸治療でそろってきたものの、肋骨の左右の高さも違います。内臓の負担もさることながら、今、私は難聴が恒常化してきて治療にいきづまってます。脊椎の圧迫で血管や神経がきちんと発育しなかったせいかもと言われました。次は、鍼灸治療に加えて、むつう整体も試してみようかと思っています。様々な治療を試してきました。カイロプラクティックではセクハラまがいの・レにあいました。その時は一時的によくなっても効果が持続しませんでした。ちがうなと思ったら、次々とネットなどの情報をたよりに治療法を見つけていきました。どうか、治そうと思う気持ちを大切に、あきらめないで。今あきらめたら、後になって自分に返ってきます。自分の体にとって最善を尽くしていきたいと思います。
                                                                     2003.8.8


性別 女性

私の側わん症発見のきっかけは、小学校5年生の時の学校検診でした。
その時は、7度と言われたのですが、クラスメイトのお母様がたまたま『特発性側わん症』について知っていたみたいで、『とにかく、一度整形外科に行かれたらいいのでは?』と私の母に電話をしてくれて教えてくれました。
それで、家の近所に大きな病院(総合病院)がありましたので、受診しましたら”32度”の側わんでした。
当時は、『突発性側わん症』という名称だったと思います。
それで、そこの病院では手に負えないので、もう少し大きい病院へ行くように紹介され、少し遠い所に通いました。
石膏でコルセットを作成して、お風呂・体育以外は常時装着していました。
私は保健室へ行って、保健の先生にまず報告して、体育の着替えに関してコルセットの後ろのマジックテープを保健の先生にやってもらいたい事を伝え、そして、保健室で着替えさせてもらうことをお願いしました。
コルセット装着に対して『恥ずかしい』とかそういった感じはなくて、むしろ自慢していた事を記憶しております。
そして、学校でいじめられたりひやかされたりされた覚えもありません。
聞かれたら答えるという形で自然体で学校生活を送っていました。
その頃の悩みは、コルセットによる静電気で体に穴があいてしまうことでした。今も、ウエストの両側が黒くくすみ穴があいています。
中学校へ進学してから、その中学校が保健室で着替えることを了解してもらえなくて、クラスで着替えなくてはいけないことになって、装着をやめてしまいました。中一でしたから、ちょうど異性を意識してしまうお年頃だったのかと思います。もし、中学校が保健室利用を許可してくれなくても、小学校と全く同じメンバーであれば気にしないでクラスで着替えることができたと思います。が、私の中学校は3つの小学校から成る中学校でしたので、3分の2が知らない人でしたので初めて”恥ずかしさ”を意識したものと思われます。
コルセットを始めて3ヶ月で”非装着時『32度』”から”装着時『18度』”まで良くなりましたが、それ以上経過が思わしくないこと、医者自体もよくわからないという時代でしたので、小学校を卒業と同時に病院へ行くのをやめてしまいました。
そのままの放置、情報の皆無などで時間が過ぎ、24歳となった時、改めて側わんについて調べました(笑)。
それで、私が発見された頃よりもかなり進んでいる感じがしたので、専門医のいる病院へ行きました。
『32度』でした。
結局、もとに戻ってしまったみたいです。しかし、こんなことはラッキーらしいです。
あの成長期にコルセットを装着しないで、現状維持できるのは確率的に少ないらしいです。
あと、レントゲンとMRIの結果で、「30歳までに最後の子が3歳になるようにしておいてね」と言われました。
今、25歳で4月に大学へ編入したばかりでこれからのやりたいことがあるので子どもを設けることは無理みたいです。
残念ですが、じたばたしても仕方がないので、子どもを持たない将来計画をたてています。
今、発見された子どもさんは辛いでしょうが、がんばってコルセットを装着してください。
私は自分にできることとして、自分のHPに側わん症について記載したり、友人知人に開示したり、子どもと携わる方たちにこういう病気があるので早期発見できるよう努めて欲しいとお願いしております。

koarabbit@mc.ccnw.ne.jp                                                      2003.4.26



性別 女性

私は確か小学校6年生の時に側湾症が確認され、横浜市大でコルセットを作ってもらったのでした。はじめの1週間くらいはまともに学校にもしていったものの、動きが自由でないのとやはり周りの友達の目が気になったので、首の出る部分ははずして腰の部分だけをして学校に行っていたのを覚えています(家に帰ると全体をつける)。
自分をだましだまししながらやっと成長期が終わるまでコルセット生活を継続していったようなものでした。
現在は34歳で結婚もし、子供もいます。前述のとおりまじめに治療に専念していたわけではなかったので、
現在も健康診断等で撮るレントゲンにはS字に曲がった背骨が写りますが、今のところ腰痛があるわけでもなく
困っていることは特にないので、「あ、私って側湾症だったんだよね」、とその時に思い出したりする感じです。
でもコルセット生活を余儀なくされていた中学生の時はいつも自分の側湾症のことで頭がいっぱいだったんですよね。本当につらい思いをしました。
今では「あの時に周りの目を気にしないで、ちゃんと首までいつもつけていれば、もっと今いい状態だったろうな」、と後悔の念があったりします。しかしひとつよかった事として、下の部分はかなりまじめにつけていたので、ウエストの部分がしっかりくびれていることです。締め付けられていましたもんねえ。
現在治療に専念しなければいけない方々が沢山いらっしゃると思いますが、後で振り返れば「あの時、頑張ってよかったな」、と思える日が絶対に来るはずです。自分が思う程、人は自分のことなんか気にしていない事も多いですしね、頑張りましょう!

  pandols2000@hotmail.com                                                   2003.1.15


性別 女性

私は最近、突発性側わん症と、病院で診断されました。2ヶ月ほどギブスで、その後は、コルセットで、生活する事になる事に決まりました。昨年の九月頃から腰痛が始まり、近所の外科や整体などで軽い側わんだとに通いましたが良くならず、結局、小さいときからお世話になった小児科の先生に医大に行くよう言われ、かなりひどい側わんだとしりました。

k-kmam@gaia.eonet.ne.jp                                                        2003.1.14


性別 女性

 実は私の長女で15才の娘のこと、先日、腰痛が原因で病院に行ったところ「突発性側湾症」と診断されました。
50°位に曲がってしまい手術を勧められていますが、心配です。
実際に手術をされた方のお話を参考に考え、最良の方法なのか考えたいと思います。

w.kyoko@kondouyosuke.co.jp                                                      2002.12.14


性別 女性

私の歪みは半端じゃないです15歳の時手術を勧められましたが手術しても20度くらいまでしか治せないと言われ首の下からお尻の上まで切る大変な手術と聞きやめました結婚して11歳の息子が一人います体はデコボコで醜いかもしれないけれどどうにか生きてます精神的に悩んで心療内科にも通っていた経験もありますこんな私ですが皆さんの何かお役に立てればと書き込んでみました皆さんの書き込み見て同じだって共感しっぱなしです違いは歪みの程度と今の進行状況今だに身長が縮んでいる現実体の痛みいまさら病院に通う気にもなれずにいます


性別 男性 

僕ではなく高1の男の子が高校の春の検診で側湾症と診断されました。その前からよく「腰が痛い。」とか言っていて、布団を買い換えたりしていました。診断後、カイロプラクティクスに行き、肩を固定していたら、首が右に向かなかったのが(その時はじめて気がついた)、一回の治療で右にも向けるようになり、2から3回の治療で腰痛も治りました。症状は改善しても、いつまでもカイロに来いと言うので整形外科に行くと28度の側湾で有無を言わさずコルセットを買わされました。2ヶ月強の着用で左足太股の感覚が無くなりコルセットをやめました。他の整形外科医にはそれくらいの側湾ではコルセットをしないと言われました。整形外科の基本的考えは、左右のバランスが崩れているとき、機能が良い方に悪い方を併せられないので、良い方の機能を落としてバランスを保とうとするそうです。結局西洋医学も注意しなければ成りません。整形外科の医者に言わせるとカイロなんか何の役にも立たないだろうと言いますが、カイロの方が役に立ち、西洋医学の方が役に立ちませんでした。

afasd803@oct.zaq.ne.jp                                                        2002.12.1


性別 女性

はじめまして、40歳の主婦です。私は、小6の時に発症したのですが、腰のあたりが28度で、逆s字のようになっていたのですが、専門医からは、「手術の対象には入らない、治る方法はない」と言われていました。25歳頃から、腰痛、不眠、胃下垂、自律神経のみだれ、その他さまざまな体調不良がつづいていて、カイロ、鍼、などいろいろためしてみたのですが、これといった改善はありませんでした。ところがつい最近、「むつう整体」という、波動を利用したとても良い治療院に出会うことが出来ました。一度の治療で、かなりの効果を感じました。とても気持ちいいですよ、是非一度受診されてみてください。むつう整体に通ってまだ一ヶ月ほどですが、28年間の苦痛から、少しずつ開放されていく自分を毎日感じながら、この治療で、絶対、私の体は健康になると確信しています。体だけではなく、精神的な効果もかなりありますよ。

naoko_nishi@nifty.com                                                        2002.11.5


性別 男性

はじめまして、私は44歳の男性です。生き地獄というものがこの世にあるとしたら、きっと側わん症との戦いだったと思います。小学校4年生の時からギブスをはめ、中学校に入ったらミルウォーキーコルセットをはめていました。14歳のときに手術。60度あった曲がりも、手術でよくならず60度のままで背骨を固めることになりました。
本来ならば、ここで側わん症との戦いは終わりですが、戦いは終わっていないように思っています。思春期の多感な時期にこのような生活を強いられたことから、自分は潜在的に非常に強いコンプレックスを擁くようになっていました。男も女も少し色気づき、おしゃれもしたい年頃にできた心の傷は深いものがあります。
自分はこのコンプレックスのはけ口としていわゆる受験勉強に走りました。県下でも有名な高校で首席の成績で、大学も当然のことながら東京大学を受験しました。成績は良かったのですが、なぜか不運にも試験に失敗して、結局は慶應義塾大学へ進みました。その後、世間でいう一流企業に就職。一見、順調な社会人へのスタートでしたが、入社してまもなく思春期の心の傷から、心臓神経症、抑うつ神経症等になり、現在に至るまで薬を服用しています。精神的に壊れてしまったのでしょうか、鬱病でもないのに(精神科の医者の診断も受けている。)むなしさから、生きる気力がありません。仕事も20年間に8社も変わってしまいました。でもどんどん落ちてゆくのではなくて、超難関の国家資格などあったおかげと、英語ができたおかげで(TOEIC945)、一流企業を渡り歩き、現在でも大手の外資系で管理職をしています。家庭も持ち、家も建て、年収も高く、外からは何の不足もないように見えるかもしれません。でも、毎日が死にたいほど苦しんでいます。この苦しみは、言葉では表現できません。私の思春期に心に刻まれた傷がうずくのです。もちろん精神科にも通いました。まず鬱病を疑われるのですが、専門医に見てもらうと鬱病ではないようです。(どのような鬱病の薬でも改善がみられません。)結局は、何かわからないがとりあえず対処療法として安定剤を処方するということになります。

長々と書きましたが、私の言いたいことは、側わん症というのは、整形外科だけの治療ではありません。側湾との戦いの中で心がどんなに傷つくか、そして、それがどんなに将来に渡って残るかを考えてもらいたいと思うからです。側わん症のお子様をもたれたご両親がおられましたら、お子様の物理的な治療だけではなく、こころのケアについても十分に考えていただければと思います。

                                                                     2002.10.31


性別 女性

こんにちは。私は35歳の主婦です。11歳の頃に小学校の検診で側わん症を発見されました。右肩甲骨あたりに30度、骨盤のほうでや
はり30度弱の左側への曲がり方で、国立村山療養所で治療のため顎からお尻のあたりまでカバーするようなコルセットを作りました。その他カイロプラティックを試してみたり、自分なりに体操をしてみたり努力したつもりです。しかし高校1年生になるまで度数は一進一退でした。結局身長が16歳くらいで伸びるのが止まったため、もうこれ以上進まないだろうと病院に行くのをやめて今日に至ります。

私の場合、中学生の頃からひどい腰痛があり、たびたび悩まされてきました。また、コルセットで成長期に体を締め付けたためか、
顎の関節がつぶれてしまって口を大きく開けるとガクガクと音が鳴ります。
初めは顎関節症かと思い、大学病院の口腔外科でMRIをとって調べました。すると顎の関節がつぶれてしまっているので治療は困難だ
といわれました。自分自身考えられるのはコルセットで顎のあたりを締め付けていたことくらいなので、それが原因かもと思っています。

さて、私は時々ひどい腰痛に悩まされてきましたが、それも側わんのせいだとは思っていました。先日からまたひどい腰痛に悩まされていたのですが、友達の紹介であるカイロプラティックの診療所に今日、行って見ました。腰痛でも治してもらえたらという軽い気持ちだったのですが、そこの先生が私の両足を曲げたり、伸ばしたりして一言「階段から落ちたのは何年前?」ときくのです。突然の質問にきょとんとしましたが、確かに10歳ごろに当時すんでいた家のコンクリートの階段から落ちた経験がありました。その旨を話すと「そうでしょう。これは何十年も前のだなあ」などとおっしゃって、階段から落ちたことのある人はこうなることがよくあるんだと説明してくださるのには、私の尾てい骨に片方の骨盤が乗ってしまってるらしいのです。そのために側わんになっているのだとおっしゃってました。今日はとりあえず、尾てい骨に乗った骨盤をはずしてくださって、あと2回で側わんの方も治すといわれました。確かに腰痛はずいぶん良くなりました。

まだ私は半信半疑ですが、10歳で階段から落ちて腰に衝撃を受けて尾てい骨と骨盤あたりにゆがみが生じたとすると、その後に骨盤
の近くでカーブし、それにバランスをとるように肩甲骨で反対側にカーブしている私の側わん症にも説明がつくような気がしまし
た。昔、通った村山診療所でも、お医者さんはレントゲンの曲がっている個所ばかり観ていたような気がします。これからの治療で
本当にこの頑固な側わん症と体のゆがみが治るのか確かめようと思っています。

まだこんなこと言うのは早いかもしれませんし、側わん症の原因は人それぞれかもしれませんが(ほとんどの方は原因不明と言われ
ていると思います。私もそうでした)、もしかしたら過去のちょっとした事故などにゆがみの原因があるのかもしれないとふと思っ
たので、ここに書き込みをしました。どなたかの参考になればと思います。
側わん症の発見から治療の時期は多くの人の場合思春期と重なると思います。かっこわるいコルセットやそれを見る大人の好奇の目
が堪えられなかったり、私も嫌な経験をたくさんしました。今治療中のみなさんも大変だろうと思いますが、がんばってください。

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Yukari  ymiwa@mail1.accsnet.ne.jp                                              2002.10.24


性別 女性

こんにちは。私は夏休みをかけて側湾の手術を大槻外科病院で受けました。そこにはたくさんの側湾の人たちがいました。私の背中の角度は53度で、手術後はなんと7度に!!今、手術してちょうど一ヶ月たちますが生活で困ったことは得にありません。かがんだりするのは少し辛いです。右側がボコッと出ていたのもほとんどなくなったし、肩の差もほぼなくなりました。手術する前、自己血輸血(自分の血をためてそれを手術中に輸血する)のために400、200、200、200、と合計1000ccの血をとりました。あと、脊髄造影検査という脊髄に液をいれて脊髄を調べる(のかな?)をしました。この検査は何か怖そうなカンジがしますが全然痛くありません。手術後2日目で3分間立ち、3日目で歩行し自分でトイレに行きました。2週間たつとほとんどらくになり、同じ側湾の友達と遊んだり、(受験生なので)勉強などしていました。お風呂は2週間目で傷の調子が良かったら入れます。手術後4週目、血液検査をして何も異常がなければ退院です。手術してとても良かったと今思います。手術と言われたときはとてもイヤで不安でした。だけど、手術後の人と話していたら不安がほとんどなくなりました。なぜなら、みなさん手術前の人のようにとても元気だからです。これから手術をする人に私も話をしてあげましたが、相手の方も私を見て「手術前みたい」とビックリしていました。(そのとき手術後3週目)私が住んでいるところは島根県で東京にある病院に行くのは大変だけど、それ以上の価値がこの手術はあったと思います。 コルセットも作りました。胸のところからお腹の少し下ぐらいまであるコルセットです。お腹の部分があいているので苦しくはありません。このコルセットは退院してから外出するときだけつけて、家に居るときははずしていていいそうです。ゆったりした服をきれば目立ちません。私はあと2週間したら学校へ通えるようになります。今はもう少しで学校に行けることがとてもうれしいです。今、側湾で悩んでいる人はたくさんいると思います。だけど、ちゃんと治療してくれる先生を見つければ大丈夫です。この文章をみて少しでも多くの人が自分の病気の不安が取れれば良いなあと思います。

                                                                       2002.8.24


性別 女性

こんにちは、私は今20歳の大学生です。このHPをみて、同じ悩みを持つ人がたくさんいることを知り驚いています。私は、小学校6年生の時に学校検診で突発性側湾症だということがわかりました。私のいとこも同じ病気で手術をしていたので、側湾症についてはなんとなくは知っていました。すぐに病院にいくと、レントゲンや肺活量などをしらべました。その時は20度ぐらいだったとおもいます。
そして、コルセットをすることとなりました。でも、思春期の私には、コルセットを一日中つけていることはとても辛くて、小学校6年から中学1年までしかつけていませんでした。それでも、病院の先生も親もあまり厳しくつけるようにはいいませんでした。病院の先生は私にコルセットをつけるように軽く言うだけで、体操をしなさいとか重い物をもってはいけないということはいわれませんでした。そのうち、中学3年になる頃には60度を超すようになってしまいました。その時手術をすすめられましたが、学校を休むのもイヤだったし、手術後もコルセットをしなくてはいけないと聞いていたので、手術は断りました。今、思うとあの時手術をしていれば良かったと思うし、しなければいけない状態だったんです。でも、先生もあまり強く勧めなかったので、それに甘えてしませんでした。今は整体院に通っていて病院には行っていません。60度のままです。容姿もかなり悪いでしょう。肺も内臓も圧迫されているのが自分でも解ります。そして、肉体的な苦痛よりも精神的な苦痛の方が大きいんです。側湾症だとバレルのが怖くて人前にでたり、背後に人が来るととても胸がしめつけられて冷や汗がでます。普段はとても明るく振る舞っていますが、心の中は何で私が・・・この病気にさえならなければ・・・同じ年頃の子と同じように水着を着たいと思ってしまいます。ここまでほうっておいた私が悪いのですが。そろそろ病気から逃げないで向き合ってみようとおもいます。それも、このHPのおかげです。ありがとう!
文章構成がめちゃくちゃでごめんなさい。

                                                               2002.6.18


性別 女性

コンニチワ.私は13歳・現在中学生ですー.現在側わん症中で60度越してしまい、夏に手術を予定しています.
小3に側わん症が見つかりましたが、私には心臓も生まれつき悪かったため、そちらのほうの手術を優先したために、度が進んで、大学病院の方に行き、コルセットを作ったんだけど私はまったくしなくて手術の方向へ行きました.最初はこわいと思っていましたけど、今では早くして終わりにして2年のスキー自然教室行きたいとおもっとリマース.それに背の低い私にとってはチャンスだし、そう思わなければすごくすごく怖くて不安です.でも私はがんばります.

t-kumiko@parkcity.ne.jp                                                 2002.5.27



性別 女性

このようなサイトがあるとは驚きました。
私は中学生の時に発見され、順天堂大に行きました。
確かその頃は25度程度だったと思います。
けれど、その先生に何もする必要はないと言われ通院もコルセットもしませんでした。
「背中が痛い」と先生に訴えても、「痛いはずがない」と鼻で笑われておしまいでした。
それから何年かして、頭痛、腰痛、疲労などが酷くなり防衛医大に行きました。その時には40度を超えていました。
けれど、私の成長はもう止まって骨も硬くなっているので、コルセットや手術は意味がないと診断されました。
背中の痛みも、何が原因なのかは分からないそうです。
 私は去年の7月に娘を出産しました。その際、「側わんは出産に差し支えない」と説明しても、受け入れてくれる産院は見つかりませんでした。
そこで、何年か整形にかかっていたので、防衛医大の産婦人科に相談にいきました。 けれどその看護婦は、私の母子手帳を見るなり「病院ショッピングなんかしてどうするの?こんななんこも病院替えて、母親になる気あるの?」・・・と、ほかの患者さんが沢山いる中で言いました。
私は恥ずかしくて、悔しくて、その場で泣き崩れてしまいました。
結局、9ヶ月の時に受け入れてくれる産院を見つけ出産しました。
出産の際、予定日をかなり過ぎても子供が降りてこないため、入院し、色々な方法で自然分娩に持ち込もうとしました。
けれど全く効果が見られずに、緊急帝王切開。
硬膜外麻酔で行ったのですが、その麻酔がなぜかあまり効かないのです。
壮絶な痛みの中無事に出産したのですが、なぜ麻酔が効かなかったのか気になりました。
産院の先生は、「側わんと関係があるのでは?」と言うのですが・・・。
 今私はどこの病院にも通っていません。防衛大に行っても、先生と話をして、痛み止めを処方しておしまいなので意味が無いと思いました。
 ほかの側わんの人に聞きたいのですが、
<腰痛以外の痛みはありますか?>
<成長が終わると、手術の意味が無いのは本当ですか?>
<出産に影響ありましたか?>
<手術の際の傷跡は何センチくらいですか?>
その他、何でも構いません。
側わんのこと、教えてください。
お願いします。 

pink_lemoned@nifty.com                                                   2002.5.2


性別 女性

わたしも中学1年生の時、脊椎側湾症が発覚し、手術には至りませんでしたが、コルセットを着用して、華の?青春時代を過ごしました。現在、コルセットを着用している皆さんに伝えておきたいことは、今サボると後悔するよ。コルセットをつけない時は、支えがなくて、ダラーっとしてしまいがちかもしれないけど、柔軟体操とか、筋肉づくりに気をつけて、そしてなによりも前向きであることです。今も背骨は曲がっていて、不安もあるけれど、コイツとずっと一緒に生きていくと腹をくくったよ。

natsee@nifty.com                                                         2002.4.27


性別 女性

 三度目の投稿になります。側わんの手術をしてまるっと4年目突入です。そこで、私自身にビックニュースが到来してしまいました。
 なんと、結婚しました♪しかも、今妊娠七ヶ月です!!!
 でも、心配なことが・・・。まだ、ボルトをぬいてないんです。そこで!某病院のK先生のところに(主治医です。)いってきました。 出産に関しては何の問題もないよ(^^)vと言われ、ニマニマしっぱなしです。しかし!産後にはちゃんと見せに来てください。と・・・。何も心配することは無いと思ってますけどね。旦那さんも病気のことをきちんと理解をしてくれているし、義母も「今度の入院の時は皆で応援に行くから!」って元気づけてくれるし♪今、幸せ1人占めな気分です。側わんの事で悩んでいた頃がうそのようです。
 後は、無事に赤ちゃんが生まれてくれることを祈るのみです!
 先生にも遺伝は無いって言われたし。100%とはいえないけど・・・。でも、きっと大丈夫と信じてます。

yukihide@d5.dion.ne.jp                                                   2002.4.10


性別 女性

皆さん、こんにちわ!
側わん症患者が沢山いると知りました。
私は難聴でもあり耳も聞こえません。
側湾にかかったのは中学時代でした。
側湾症と診断されるまで気づかずバレーボールクラブとかスポーツをしていました。
それが・・・背中が痛み始めて気のせいと思い気づきませんでした。
高校受験も体中がだるくて必死で・・・学校で倒れて意識を失いました。
すぐ、病院へあっちこっち検査に行き側湾症で肺とかが、ふだんになり危ないと言われました。
腰から肩までコルセットみたいなもんをつけられました。(2年間)
学校も中退しリハビリに励み辛くて泣いたのを覚えています。
無事に成長が止まり背骨も少しマシになりました。

ひどい方もいますが、自分を責めないで今を頑張って欲しいと思います。
私はみみが聞こえないと両方あり苦しみました。
今もトレーニングジムへ鍛えに歪みを治そうと頑張っています。

勿論、ずーっと元気ではなく過労に襲われたら体中痺れ激痛、吐き気に襲われ救急車で運ばれる時もあります。
今は身体と相談しながら疲れたら早く寝るとか工夫しています。


性別 女性

体験記
皆さんこんにちは。私は現在28歳です。
側湾の手術を15歳の時に大阪医大で受けました。
初めは神戸の病院で診てもらっていましたが手術と言う事となり、両親が背骨という重要な所を手術するのに、たったひとつの病院の診断だけでは心配だ言う事で側湾症の名医と言われる先生がおられた大阪医大へ診察してもらいに行きました。
結局、大阪医大でも手術を勧められました。角度は一番きつい所で50度くらいでした。

手術となると入院、看病が付きものとなり立地条件では神戸の病院の方が家族の負担も軽く済むのですが、大阪医大で手術する事に決めました。
どうして大阪医大にしたかと言うと、神戸の病院の先生の説明と比べ術後の措置が格段に楽だったからです。
もう、13年も前になるので記憶も薄れてきていますが、神戸の病院での術後はコルセットかギプスを巻く事になり、入院期間も長かったように思います。
大阪医大では術後コルセットもギプスも巻く事はなく、入院期間も短く、実際 私は手術後1ヶ月で退院できました。(合計の入院期間は2ヶ月でした)退院後もコルセットをつける事はありませんでした。
それまでは側湾の手術法は日本全国どこでも同じだと思っていましたが、その時に同じ病気の手術でも病院によって違いがあると言う事を知りました。

このHPを読んでみると、ごく最近でも術後コルセットをしたと言う方がいらっしゃるので驚きました。
私が手術して10年以上経つので、現在ではコルセットをしなくてもいいような手術法が浸透していると勝手に想像していたからです。
でも、同じ側湾症でも曲り具合や場所など、個人差があるのでしょうし、私がしたような手術法が不向きな方もいらっしゃるのかもしれません。だから、その手術法の善し悪しは分かりませんが、
私のように同じ人間でも病院によっては術後ギプスを巻くと言われ、別の病院では巻かなくていいと言われたという患者がいたという事を、現在治療されている方にお知らせしたいと思い書き込みしました。
今、治療されている方、そのご家族の方のお役に立てれば幸いです。