側わん症診察・治療体験記



 脊柱側わん症の診察・治療の経過や体験を募集しています。これから新たに治療される方や
 今治療されている方に、少しでも参考にしてもらえればと考えておりますので、ご協力お願いします。 診察・治療で辛かったことなど記載していただけると幸いです。



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体験記                   

              


性別 女性

9,2,25こんにちわ。私は17歳の高校生です。私は13歳(中学1年)のときに「不整脈」のおかげで今の病気?「脊柱側わん症」がみつかりました。私はその時初めて「脊柱側わん症」という病名を知りました。
当時私はこの「脊柱側わん症」という病気をとてもあまくみていました・・・ていうかなめていました。当時は、「どうせ治療をすればすぐに治るだろう」と思っていました(最初に発覚した時の背骨の角度は42度でした)。そして、カイロプラクティックがいいと聞いたので、そのカイロ(←カイロプラクティックの略)で治療をしていましたが、治療しても治療しても全く効果がなかったのです。私は合計で5ヶ所くらいカイロに通っていました。行くとこ行くとこで、「だいぶん治ってきていますよ」といわれてきました。しかし実際はひどくなっていく一方だったのです。私はもう治療が嫌になったので、病院に行って「側湾」を専門に扱っている病院を紹介してもらう事にしました。・・・そしてその病院へ行ってレントゲンを撮って、先生に診てもらっていると「ここまで曲がっていると、もう手術をするしかないですね,,,」とこういわれました。その時私は、もうショックでショックでたまりませんでした。<発覚した時の背骨の角度は42度で、紹介してもらった病院でとった時の角度は65度だった。>
★ここから私の入院体験を書きます★・・・入院してから様々なことをしました。●まず1つめは自己血(じこけつ)です。これは言葉のとおり「自分の血液をとり、その血液を自分の体にかえしていく」といったものです…感染を防ぐために…。その自己血で、私は1200ccもの血液をとりました(3回に分けて…だから1回につき400cc)。●2つめは、血液を増やすように鉄剤を飲んでいました。●3つめは、MRIです。●4つめは、けん引(けんいん)です。これは治療器具で、手術をする直前まで行います(背骨を少しでもまっすぐにするため)。といっても1日2回だけですけど…。●5つめは、手術前に呼吸訓練をしました。これは、手術後に肺炎などを起こさないため、もう1つは手術後に麻酔で眠っている体を早くもとの状態に戻すためです。●6つめは、ミエログラフィーというものです。…これらの検査を受けてから=入院してから約1ヶ月半くらいで手術を行います。私は、1999年2月25日に手術をしました。・・・手術後・・・なんともいえない感じでした。手術を受けてから1、2日目はべつにどうもなかったのですが、3日くらいたってから、すごく背中が痛くなりました。それも、上を向いても横を向いても全然痛みがとれなかったのです。・・手術をしてから約2週間間は寝たきりです。食事をするのも寝たまま、排泄をするのも寝たまま・・・それはもう辛かったです。手術をしてから2週間ほどがたつと、ギブスを巻いてようやく歩くことが出来ます。しかし、2週間も寝たままだったので、立った瞬間貧血で頭がくらっとしてとても気分が悪かったことを覚えています。それから何ヶ月かたってから退院しました。私は退院してからコルセットをつけました。コルセットをつけてから数週間の間は、お風呂に入るとき以外ずっとコルセットをつけっぱなしだったです(寝る時も)。最初はとても苦痛だったけど、1週間もしたらコルセットに慣れてきました。
●以前は、手術は絶対にはしたくない、死んでもするもんか…と思っていたのですが、今は手術をしてとても良かったと思っています。手術をしてからもうすぐ(あと17日)で4年になるのですが、たまに激痛がはしるときがあります。あと、腰痛もすごいです。本当はもう運動をしても良いのですが、なんだか怖くて、運動はしていません。計算をすると、かれこれ4年は運動をしていません。

●これから入院をして手術をされる方や、軽度の側わん症の方々などにこの体験記を読んでもらい、今後のことに役立てていってもらえたらとても嬉しく思います。

●もし、背中が曲がってるな・・・とか、肩の高さがちょっと違うな・・・と感じている人は、病院(整形外科)に行って早めになんらかの処置(早期発見、早期治療)をすることをオススメします。でないと、だんだんひどくなって私みたいになってしまいますよ!

●もし、側わんの事で困っている方や悩んでいる方は、下のメルアドをクリックして下さい。私で良ければいつでも相談にのりますよ(知っている範囲だけど…)♪

                                                                 2002.2.9



性別 女性

私の息子も先天性側彎症です。病院でも患者がたくさんすぎて、違う個所の病院でも受付を始めたとは聞いていました。
 0歳7ヶ月、やっとおすわりができたころ祖父が「背中の左右の高さが違う」と言われ発覚しました。
 市立病院では、まる半日も整形外科、小児科と何度も回されレントゲンも何枚とったのかわかりません(それから病院に入る前で大泣きするようになってしまいました。) 
 3ヶ月後、再診・・・心臓エコーもしましたが、やや右よりだけど正常に動いてるそうです。この病院では、専門的にやってないということで千葉大附属の南先生を紹介してもらい早2年・・・
 南先生も技師さんもやさしいかたです。幼い拓のペースに合わせてくれ、同じ目の高さで話してくれます。 他のカキコを見ていると整体とかも試した方がいいのかな?と考えさせられますが・・
 先生いわく遺伝はないそうです。母のせいでもない。と言われ涙がこぼれそうでした。でも、私は明るく過ごしたいので拓の前では泣きません。泣いたら子供が心配になるし、不安になるから。
 ただ将来は心配です。小学・中学といじめなどです。今言えるのは、側彎症にしてもこれからについても一緒に戦うつもりです。
 毎日、風呂意外は胸から腰までのコルセットをしています。サボる時もありましたが、これ以上悪くなったら首輪のついてる昔ながらのにすると言われてしまったためです(より、矯正が強いそうです)救われるのは、装着にいやがらないこと。はずすと肩甲骨あたりや尻など赤くなってることも多いけど・・(拓は仮面ライダーが大好きなので、ベルト装着〜と万歳までしてくれます)  
 技師さんにコルセットず〜っとと言われちゃいましたが、いつかタンクトップを着れる日がくるのが夢です!
 話しがとんでめちゃめちゃ(*−*)

                                                                                           2001.12.12


性別 男性

こんにちは。 何となく検索エンジンに「側湾症」と入力してみて驚きました。 まだたくさんの方が同じ病で苦しんでいるのですね、私の事例が何かお役に立てばと思い記載いたします。

さて、私の「側湾症」についてですが、3歳位の時に一緒にお風呂に入っていた祖父が「背骨が曲がっている」ことに気がついたそうです。
早速近所の医院に行ってみたそうですが、そこでの診断は「くる病」だったそうです(内容についてはよくわかりません)。 気になった母が「新潟大学医学部付属病院整形外科」に連れて行き、「先天性後側湾症」と診断されました。
それからは年2回の通院です。 当時は近隣に専門の病院がなかったようで、土曜日の外来は大変混雑していて朝一番に入っても診察が終わるのは昼過ぎというような状況でした。
また、いつもギプス室から聞こえる「カッター」の音がとても怖かったことを覚えています。(音だけで全然痛くないことが後に判明)
外来診察にて経過を観察し、10歳の時に手術を行いました。
手術は2回に分けて行われました。
金具などは使用せず、肋骨の欠片を「くさび」のように脊柱に取り付けたと聞いています。(そのために手術痕は脇腹と背中の2カ所にあります)
出血はほとんどなく保存血200のみの輸血でした。(これが原因で後に献血ができなくなりましたが...)
入院期間は4週間程度、学校を休んだのは1ヶ月半くらいだったと思います。
術後はギプスを胴体に巻いた状態で数ヶ月、その後樹脂製の「装具」に変更してもらい、非常に楽になりました。
ギプスを巻いた方はご存じかと思いますが、「床ずれ」と「におい」との戦いだったように記憶しています。
「装具」は半年くらいつけていたでしょうか。もちろんその間は体育の授業は見学で、1年くらいは体育の授業を受けなかったような記憶があります。
2年くらいで「プロレス以外なら何でもやっていい」と先生に言われましたが、何か恐怖心のようなものがあり、スポーツが苦手な少年でした。(今ではスキーなどなんでもやります)
その後、上京するまでの8年間は年2回(後半は1回)の通院を続け、経過を観察しました。
上京後も何回かは経過を見せてほしいと言われておりましたが、何かと都合がつかず、ようやく昨年夏約10年ぶりに新大病院に行きました。
経過は全く問題ありませんでした。
当時の先生方は誰もいらっしゃらなかったのですが、お一人だけ私が5歳の時から「写真」を撮ってくださった「ヒゲ」先生がおられたのは驚きました。「ヒゲ」先生曰く「顔は忘れても背骨の曲がりと傷は覚えている」とのことで、しばし昔話など楽しくお話しさせていただきました。

その後も特に異常もなく、快適に生活しております。
しかし、少々猫背になる傾向があり数年前に腰痛を経験しました。
それからはなるべく意識して背筋を伸ばすようにしたことと、オフィスのイスを変えたことで改善されました。
今後は増えすぎた体重を落とすことと筋力の低下を押さえるべく、何か運動を始めようと考えています。

まとまりのない文章で申し訳ございませんでした。
また何か思い出したら書き込みたいと思います。
(今度帰郷した際、両親に詳しい話を聞いてみます)

                                                                                             2001.10.23


性別 女性

皆さん、こんばんわ。私は以前このページに自分の体験記を掲載しました。たぶん、一番最初の書き込みが自分だったと思います。それが、三年前です。
早いものですね。三年って。手術してコルセットつけてギャーギャー言ってたのが嘘みたい。今日は、一年ぶりに診察でした。先生にも久しぶりで元気にしてた?とか、その後変化ない?とか世間話をしながら三年前を振り返ったりしました。先生も懐かしそうでした。

さて、批判をするわけでもなく、自分の考えを押し付けるつもりもないのですが、、、一時の感情で落ち込むのはどうかと思います。
まっだまだ時間はあるんです。一生付き合っていく自分の体なんですから、もっと前向きに考えていくべきです。「私は繊細なの!」とか言われちゃうかもしれないけど。でも、体がかわいそう。何にも自分はしてないのに、どーして私の体だけこんなことになったのって考えるのはあたりまえのことだし。私もそー思ったから生意気なこといえないけど。でも、好きでこんな体になったわけでもないんだし、考え方一つで自分の気持ちにもゆとりができるし、前向きに何事もむかっていくべき!!

私は、今度また手術をします。三年間ずーーーーっと私の体にはいっているボルトと背骨をささえているのを取り出す手術です。
これで、すっきりって感じになると思うけど、ちょびっと愛着があるので困ったもんです。

皆さんは、こんな能天気に考えられないとは思いますけど、「病は気から」ともいいます。前向き前向き!!

                                                                                              2001.10.18
                                                                                                          


性別 女性

私は、まだ手術などはしていません。けれども、この間、病院に行ったときに、装具をした方がいいと言われ、型を取りました。装具は、ごっつそうで、私は洋服を着るのが楽しくて仕方がないのに、背中のところがぼこっとしてかっこ悪くなりそうで、病院で泣いて泣いて泣きました。
それに、人に可哀想だと思われるのもつらいんです。
とても悲しいです。

                                                                                               2001.10.14


性別 女性

私は、中学生の時にわかりました。普通の子より小柄ではありましたが、体育がとても得意でした。そんな私が、体育の授業でハードルをしていて突然足がつって倒れてしまいました。何かおかしと思い、近くのあまり大きくない病院に行くと、これといった説明もなく大学病院を紹介されました。
大学病院では、レントゲンを撮られインターンか大学生か4,5人の男の人の前で上半身裸で診察されました。その当時の私は、とても嫌な思いをしました。そして、これといって何も治療もなく終わりました。両親は、大学病院にまで行って体を治して貰えないのになぜ紹介して行く様に言われたのかと気分を害していました。私も疑問だけが残りました。そして夢も諦めなければならないかと悩みました。時間とお金を費やして辛い思いまでどうしてしなければいけないのかと思い悩みました。その後も症状は進み背中の筋肉はいびつな位になっていきました。それでも私は部活動も続けました。とうとう背骨は、今度は反対側に曲がってしまいました。運動をしていてあまりにも無理をすると、背中に電気が走ったような痛みがありました。身体に疲れが溜まると背中が痛くなり朝起きれない位になっていました。

                                                                                               2001.10.8


性別 女性

皆さん、はじめまして。私は今、生後五ヶ月の男の子の母です。我が家の二男は、生まれつき色々な障害があって病院通いが絶えません。先天性内反足、多指症、てんかん、そして 脊椎側湾症。今日も定期受診で病院に行ってきました。そうしたら二ヶ月前まで15度だったのが今日は55度にまで進行していて、さすがの私もビックリ、そしてまたのショックでした。たくさんの障害を私なりに、時間はかかったけど受け入れられるようになって、頑張ろうと思っていた矢先の事で、もう流すまいと決めた涙が帰りの車の中で止まらなくなってしまい、家に着くまでに普通の顔にするのが大変でした。だって 我が家の二男はまだ体重が3890gしかないから手術は出来ない、コルセットも作れない,これ以上曲がってきたら呼吸抑制がきて  その時は酸素を投与するくらいの対処療法しか出来ないって言われたんですよ。どうしてこの子ばかりがこんなに辛い思いをするのかって 考えちゃいます。でも、彼は彼なりのペースで頑張っているから やっぱり私や家族が守ってあげるしかないんですよね。神様は私達が乗り越えられるだけの障害しか与えていないって言うから・・・・・ 
家族皆で頑張っています。長男は 弟の病気を治すためお医者さんになるそうです。まだ四歳なのに こんな生意気な事言ってるんですよ。私もがんばりまーす。

cek67730@nyc.odn.ne.jp                                                                                                                                         2001.9.19


性別 女性

 現在私は、35歳、22年前の中学1年生の時、突発性側湾症と診断されました。姉が看護婦として働いていた病院の院長先生に、東京下北沢にある国立小児病院を紹介して頂き治療をうける事になりました。はっきりとした角度は覚えていませんが、30度位だったと思います。治療には、あごから骨盤まで矯正するコルセットを中学の3年間着けていました。通院の為の1時間電車のなかで、まわりの乗客から物珍しいというか、白い目で見られとても嫌な思いをしたのを覚えています。おしゃれをしたくても、一日着けているコルセットのせいで、洋服はすべて13号の大きなものばかり。夜寝るときも着けていたので,外すのはお風呂と体操の授業をうける時だけでした。今現在35度で、曲がりが気になるせいか、タイトスカートは履けないし、ジーンズを買うときは、右足と左足の長さを図ってもらわないと履く事ができません。子供が3人いますが、側湾症にならなければいいと思っています。たまたま別の病気で撮ったレントゲンで長女の背中が,少し曲がっていたのが気になります。最後に今治療している側湾症の子供達、つらい一生を過ごすか,今をがんばって、がまんして過ごすか、良く考えてみてください。成長が止まるまでのほんの少し、がまんしてください。後悔先にたたず。長い人生のほんの少し、がんばってみてください


性別 女性

今日、なぜ突然思いついたのかもわからないのですが、”突発性側湾症”を検索してみました。期待もしていなかったのですが、このページがでてきて非常に驚いています。そして同じ悩みを持つ人たちがこんなにたくさんいることにも驚きました。
現在私は28歳です。側湾が見つかったのは小学6年生の時に女子だけに行われた検査ででした。皆んなすいすい終わっていく中、私だけとても時間がかかり、前かがみのまま何回も背中に定規のようなものをあてられました。他の子たちに異常を察しられたことがとてもショックでした。後日学校から説明があり、それからはいろいろな病院・治療院を巡りました。父も、母も時間とお金を私のために費やしてくれました。無理もしたと思います。最初は整形外科。お決まりのコルセット。肌が弱くアトピー性皮膚炎だった私は蒸れてあせもやコルセットを固定するためのバンドが乳首にこすれてじゅくじゅくして下着に貼り付き、痛くて痒い思いをしました。皆さんと同様思春期に入った私は中学入学後ほどなくコルセットをクローゼットにしまい込みました。両親も私の気持ちを汲んでか、強くは何も言いませんでした。
その後は整体・気孔・あんま・はり・カイロプラクティックなどなど手当たり次第に時には怪しいものもありました。どれもなかなか結果が出ず、初めては辞めるの繰り返しでした。
 現在の技術はどうなのかわかりませんが、15年前の当時は手術は危険で神経を傷つける恐れがあるので勧められませんでした。
スポーツ好きの私には運動制限も辛かったです。成長が止まるまでは運動部には入るなと言われ、不本意な文化部に所属していました。
高校を卒業して成長期も終わり、やっと念願のテニスをはじめました。今まで抑えられていたものが一気に噴出し、誰よりも練習しました。その甲斐があって、テニススクールのコーチをするまでになりました。自分のやりたいことをしていたせいか、いろんなことに積極的になれ、彼氏をつくったり順風満帆でした。
初めて付き合った彼に背中を見せたときは振られることを覚悟していました。背骨がS字で背中の右側の筋肉が異常に発達していました。ところが彼は振るどころか”なぜそんなことを気にするのか?”と逆に驚いていました。”ぜんぜん関係ないよ。”という彼の言葉には嘘はありませんでした。それからも何人かとお付き合いしましたが、真剣に付き合った相手は意外なほどに気にしていませんでした。今は結婚し、来年には母になる予定です。主人もぜんぜん気にしないようです。
今、思春期のかた、恋愛・結婚等で悩んでいる方、あなたほど相手は気にしていないものです。勇気を出して、人生を楽しんでください。
最後に。このページに偶然出会えたことを感謝します。

jun-katsu-ueno@nifty.com                                                2001.8.11


性別 女性

みなさん、はじめまして。私は今日初めてこのHPを見ました。とってもビックリしています。
私は中学の時に側わん症と診断されました。確かその時は30度くらいだったと思います。コルセットをつけることを勧められましたが、とっても窮屈ですぐにやめてしまいました。そして、23歳のときにドキュメンタリー番組で手術のことを知りました。
病院は東京の慶応大学付属病院です。24歳の時に手術をしました。
54度に曲がっていた背骨も今は15度程度です。とっても健康で不自由なことは全くありません。私は手術をお勧めします。怖くなんかありません。今はどんな服でも着られるし、人目なんて全く気にしていません。私の手術はパーフェクトTVで放送されました。手術のことを考えている方、手術についてお知りになりたい方はお便りください。私でお役に立てるなら・・・と思っています。

july7th@f6.dion.ne.jp                                                      2001.7.4


性別 男性

 みなさん、はじめまして。私は、中学3年生の健康診断のとき、はじめてわかりました。昭和56年(1981年)のときです。2つ並べた体重計に右足と左足をそれぞれ別の体重計に乗せて、体重をはかると右足と左足にかかる体重差が15kgもありました。その時は、ボーリングなどはしてはいけませんと言われました。それから、高校時代の3年間は、指圧・マッサージに通って見ました。あまり良くはならなかった。高校を卒業して大学へ入学しました。その年の夏(昭和60年・1985年)家の近くにある整形外科へ行きました。レントゲン写真には、見事なS字がくっきりと写っていました。何度くらい曲がっていたかは、ショックで忘れましたが手におえないとのことで、国立病院を紹介されました。そこでは、成功するかどうかわからない手術をすすめられました。また、この手術は実験的な意味合いもあるような感じの口ぶりでした(今後の参考にしたいのでと言う感じです)。母親は、手術をすすめましたが、自分自身、肩が痛いとか腰が痛いという自覚症状はあまりなかったので、痛くて動けないわけでもないので、手術をするのをやめました。それから、コルセットもかっこわるそうだと思いコルセットもつくりませんでした。そのころは、社会で働いて生きていくことはできないと国立病院で言われましたけれど、ほんとそのとおりでした。仕事(アルバイト)をしても、すぐ疲れるし、寝ても疲れはとれないし・・・遊びに行く前などは体調を整えるために整体へ行っったりもしていました。これが18歳の男がすることでしょうか?すぐ疲れてしまうのでは生きていけないので、なんとかしなくては?と思い評判のいいカイロプラクティックの治療院に通い始めました。3〜4年通いました。少し良くなったのかなぁと言う感じです。大学卒業後は、就職したので、そのカイロへは遠かったので通えません。評判のいい整体治療院へ8年ほど通いました。仕事が忙しかったので、病気を治すというよりは、ひどくならないように疲れがたまったら治療するという感じでした。私は、側わん症になり、思春期のころから青春時代とイヤなこと、辛いことが自分なりにいっぱいありました。そこで、自分は自分自身が健康になるためもありますが、自分と同じように辛く、苦しく困っている方の助けになれるようにと、会社を辞め、カイロを勉強し今は、治療院をやっています。今は、自分の背中〜腰にかけての筋肉の高低差がだいぶなくなってきています。レントゲン写真を見るのがこわいので、もっと良くなって背骨がほとんど真っ直ぐになったら整形外科にでも行こうと今は、思っています。今は、こうすれば側わん症は良くなるのではという考えはあります。本当に自分が側わん症と出会い20年間どうしたらよくなるのか?背骨は真っ直ぐになり、健康になれるのか?ということを考えに考えて今思うことは、側わん症になった状態とは、体のバランスがくずれて壊れている状態だということです。その壊れた体を、少しづつでもいいから体のバランスをとりながら(背骨の歪みを減らしていきながら、当然筋肉のつき方は左右での違いを減らしていき、肩の高さの違いなどなど)背骨が真っ直ぐになるように自分の体にアクションをおこしてあげることだと思います。まだまだ試行錯誤をしていますが、より良い方法を考え出し、一人でも手術をしたり、側わん症で苦しむ人がいなくなるように今後がんばっていきたいと思っています。

jijizizi@nifty.ne.jp                                                     2001.6.27


性別 女性

みなさん。はじめまして。
まず皆さんの側湾発見時期が早いのに驚きました。
私は小学校で剣道、中学校でバレーボール、高校で柔道という具合に運動部に在籍しており、背中、肩や腰の痛みは運動のしすぎと勝手に解釈しておりました。20歳で就職をしたその年に、座っているのが苦痛で苦痛で仕事は始めたばかりで面白いのに何故これほど体が痛むのだろう?と考えながら職場から近い整形外科に行ったところ、ドクターが「お仕事は何ですか?」と問うので「プログラマーです」と答えたところ、何の検査もしていないのに「そういう仕事をしている人には多いんだよね。精神安定剤を処方しておきます。」と言われ「私って精神的に脆かったのかな〜」と思いつつ通院1年。次第に痛みがひどくなり寝ているのも立っているのも辛くてどうしようもなくなったときに知り合いから他の病院を紹介されました。そこで生まれて初めて自分の背骨のレントゲンを目にし、グニャッと曲がった背骨に愕然としました。それが21歳です。
「あなたの体は8時間勤務は無理です。とにかくバランス良く筋肉をつけなさい」という指示があり、退職しリハビリの日々となりました。我慢できる痛みになってからは通院をやめ、ジムに通い筋肉を鍛えつつパートで働きましたが、ちょっと無理をすると痛みに眠れない夜が続く日々を5年繰り返しました。やっと再就職をする自信がつき今の職場で働くようになって4年。私は病気に勝ったぞ!と思っていたのですが、またここ1ヶ月ほど痛みに悩まされているような状態です。今日9年ぶりに整形外科に行ったのですが、首まで歪んでいるのにはガックリ。
そろそろ結婚したいな(相手を探さなくてはいけませんが)と思っていただけになんとなく今夜はブルーな気分です。
でも、皆さんも頑張っているようだし、女30これからよ!頑張るか〜といった感じかな?

                                                                   2001.6.12


性別 女性

 はじめまして。私は中学2年の初め頃、側湾症と診断された22歳の女です。
 私の場合、側湾の場所がかなり背骨の下の方で、ちょうど生理痛が来る位の腰骨辺りに位置します。その為、小学校・中学校等で行われる診察では発見されませんでしたが、ある日お風呂に入ろうと服を脱ぎ、フ、と、洗面所の鏡に写った自分の姿を見て、ウエストのくびれが片方にしか無い事に気が付きました。最初は片方の腹部が腫れているのかと思い、慌てて母に報告し、翌日に内科の先生に見てもらいました。そこの先生に「これは側湾症だね」と言われ、初めて側湾症という物の存在を知りました。

その後、整形外科に行き、レントゲンを撮ってもらって曲がりの角度を測りました。
その時は確か49度位だったと思います。そのレントゲンを見た後、正直言ってショックでした。自分の背骨が、鮮やかにS字を描いていて、それが自分の体だと信じたくない気持ちでいっぱいでした。我慢しても涙が止まりませんでした。 その後「子供医療センター」を紹介され、そこに通い始めました。「突発性側湾症」診断されました。
裸になって石膏のような物で体の形を取り、専用のコルセットを作りました。
毎日、体育・部活の時間,入浴の時間以外は常にそれをつけていました。
制服の背中はコルセットで擦りへって、何度かブレザーだけ買い換えました。
しばらく数ヶ月に1回医療センターに通院し、とういう生活が続きましたがさすがにそうそう身長が伸びる年頃でもなくなってきて、曲がりの進行は防げているものの、良くなる事も特にありませんでした。(早期に発見し、ちゃんと体に合ったコルセットをすれば、成長に伴い、身長が伸びていきながらコルセットに押され、矯正せれると思います。)

高校に入り、今度は母がウワサを聞きつけてきて「中国気功整体」に通い始めました。
1週間に1度、料金は¥5,000程度だったと思います。
整体のイメージは「ボキボキ」って感じでしたが、気功整体はほとんど「指圧」です。
痛みは全く無く、気持ち良くっていつも眠ってしまいました。
1週間に1度通うのは結構大変でしたが、その後の検査では、角度が49度から38前後まで良くなっていました。コルセットは高校に入った頃から全くつけていません。
これには驚きました。

結局、整体も1年弱通い、今となっては全く何もしていません。
日常の生活で困る事と言えば、生理痛の腰痛が激しい事。生理痛で無い時でも,少し疲れたり,立ちっぱなし,座りっぱなしでも腰が痛くなる事。偏頭痛が良く起こり,肩こりがひどい事(側湾症が原因?)。
体の線が出る服はもちろん着れないし、ヒールの高い靴も腰痛の原因になる為履けません。
ズボンも丈を左右長さを変えてつめてもらったりもします。
浴衣や着物などの帯を結ぶ時もウエストが曲がっているので大変…。
そろそろまた、気功整体に通うつもりでいますが、「良い先生」に巡り合わないとあまり意味が無い気もしてなかなか実行できず…。

腰痛がひどかったり、出産の事を考えたり、女らしい格好が出来なかったり…
将来の事等を考えて不安になる事もしょっちゅうです。鏡に写った自分の姿を見て、
悲しくなることもしょっちゅうです。
だけど支えとなってくれる大事な人もいるし、その人とずっと一緒にいたいし、
頑張ってこの病気と不安を乗り越えていこうと思います。


性別 女性

はじめまして。この様なHPがあると知りびっくりし、そして少し勇気づけられました。私の症例も何かの参考になれば・・・と思い
投稿します。

側わん症と診断されたのは中学一年の時、今から24年前です。
東大病院で見ていただいたのですが、S字側わんで25度位でした。
当時は、手術の症例も少なく、先生にも「今はまだ手術をあまりお勧めできません。」と言われました。ミルウォーキーブレスと言う、首から下を固定するギブスを作りましたが、多感な年頃の女の子に付けろと言う方が無理な話で、一ヶ月ぐらいで止めてしまいました。結局私の身長は20歳まで伸び続けたのですが、大きな変化は無く、腰痛・肩こりはマッサージや針などでその場逃れをして来ました。しかし、30歳で出産したあと、腰痛は耐えがたいものになり朝立ち上がった瞬間息もできないほどの激痛や、股関節・足先の痺れなどが出てき、背中のもり上がりもまっすぐ立っていてもはっきり目立ってしまうようになってしまいました。
大学病院で検査していただいたところ、S字だった湾曲が、C字に変化し、50度ぐらいになっていました。椎間板もペッタンコで60歳代の物のようだ、ほんとに60歳代になった時歩けるかどうか解らない、40歳までに手術をした方がいい、と言われました。
でも、幼稚園児の子供がいるので長期の入院は今はまだ無理だし・・・と思い手術は見合わせている状況です。
今まだ出産前の若い方は、産後のことも考えて、お医者様とご相談されては・・・と思います。

yasue483@parkcity.ne.jp                                                  2001.4.28


性別 男性

 側わん症のHPや、この病気の人達がたくさんいることにびっくりしました。その当時このことを知ってたら、よかったなと思いました。
 8年も前なので、はっきり覚えてませんが・・・私は、今から8年前、中学2年の健康診断で発覚しました。
病院へ行き、診察をして、「今年の夏休み手術しましょう」って言われ、すぐ手術が決まりました。
入院するまでの間、コルセットをつけることになりました。胸の真ん中あたりから腰のあたりまでのです。ずっとつけておくように言われましたが、服を着てもボコッとでてすぐ分かって恥ずかしいし、窮屈なのであんまりつけてませんでした。
 夏休みを利用して手術しました。6週間ぐらい入院してました。
検査や採血のため、すぐ手術ではありませんでした。
手術の際出血するので、その時の輸血ようの血として、200ml×5とりました。全部使わなかったみたいです。
 手術は、約6時間かかりました。曲がった背骨を機械でまっすぐにして、金属みたいな棒で曲がっていかないように固定しました。
麻酔きれたあと・・・ものすご〜く痛かったです。背中に棒が入っているので体を曲げるのが痛いし30cmもの大きな傷跡があるので辛かったです。
 それから、骨がかたくなるころ・・19歳に金具をはずす手術をしました。3週間ほどで退院しました。
 手術をしてもやっぱり、少しずつもどっていきます。普段から姿勢に気をつけないといけないです。
 今は、背中がいつもこってるみたいで腰痛も少しあります。
 傷跡もまだなくなりません。少し消えてきました。2回目の手術の際、背中を縫うときは形成外科の医師が担当しました。整形外科の医師よりきれいに縫ってくれるみたいです。
 HPを見ていると、みんながみんな手術するわけではないってことが分かりました。私はかなり曲がっていたんだってことが分かりました。この病気のせいで・・・など考えていて、いいことなく辛かったです。そんな風に考えず、とても辛いと思いをしてると思いますが、病気とむきあって治していってください。

                                                                      2001.4.11


性別 女性

私も小学校6年生の時に側わん症が発覚して一年ほどコルセットをしていましたが、思春期の私にはその格好が我慢出来ず、その一年で外してしましました。
しかしその一年で最初31度あったのが21度ぐらいまでに治っていました。
それに案じて、側わんの事はすっかり忘れてしまい、15年程たちましたが、やはり体の線が気になったり、時々ものすごい生理痛に悩まされたり肩こりや腰痛など何かと背骨の歪みからくる病気に困っていました。
そして現在、整形外科でレントゲンを撮って頂いた時に、やはり以前よりかは、少し歪みが進行していて25度ぐらいになっていました。
そこで、私はカイロに行こうと思ってましたが、整形外科の先生はあまりカイロは勧められないとの事で、ネットやいろんな人からの情報をフルに活用して、たくさんの病院やら整体を探し、むつう整体という、治療法をしてる整体医院に通い始めました。
そこでは、とくに人の手や気などの外からのエネルギーを加えるという事ではなくて、人間の脳幹に特殊な刺激を加え、自分の自然治癒力だけで回復をはかるという治療法なんですが、不思議と生理痛の痛みや、長い間座ってた時の腰痛などがすっきり無くなりました。
先生もたった2回程の治療で姿勢がよくなったとおっしゃってくれました。
実際、レントゲンはあと半年ほどして撮ってもらおうと思います。

適当な考えではあるのですが、何らかの形で治療をしてる方も、自分の中で体がまっすぐなったイメージを繰り返し頭においておくと、相乗作用が働き、背骨の歪み具合も時機にまっすぐなるのではないでしょうか?
とにもかくにも、そこの治療は2回程しかまだ通っていませんが27歳の体ですが、まっすぐなるような気がするんです。マジで。気持ちが大切ですし。

私はそんなにひどい歪みではないのですが、一生かけてもこの歪みは絶対に治すつもりです。
なんか、そういう方向に意地が向いてきました。
みなさんも、歪みがひどいとか年齢がいってるとかで、歪みを真面目に受けとめ諦めずに絶対治して見せる!ぐらいの根性で、側わんと闘ってほしいです。

littlebitch@ma.neweb.ne.jp                                                 2001.2.5


性別 女性

私は15歳の時に肺炎にかかり、そのとき撮ったレントゲンで、随分背骨が曲がってるなあ、ということを指摘されました。しかしその時は痛みも何もなく、特に整形への受診もせずに過ごしてしまいました。今思えばあの時コルセットなどきちんとしていれば少しは進行を食い止められたのかもしれません。23歳の頃からひどい腰痛、嘔吐をもよおすほどの肩こりと頭痛。下肢、上肢のしびれが続き、整形に受診したところ側腕症と診断。私は33度と皆さんほどの曲がりではなかったのですが、この年令だと、今からコルセットしても無駄と言われ、何もせずに今に至っています。あれから4年が経ちますが、仕事も、夜勤のない、負担のないものに変え、時々マッサージに通ったり、温泉に行ったりして、対処的に痛みを和らげるようにしています。一生この痛みとつきあっていかなくてはならないと思うと気が重いところですが、慣れながら、私なりに楽しい人生を送っていこうと思っているところです。

tomo1223@mx8.ttcn.ne.jp                                                  2001.1.28


性別 女性

私は10才の時に発見され、ギブス、コルセットとしましたが、60度を越してしまったので、オペをし、10ヶ月ギブス固定しました。おしゃれができなかったりいじめにあったりしましたが、結婚をし、子供も2人います。腰痛もあまりなく、いまは元気です。オペの技術も進み、固定もあまりしなくても良くなったようですが、コルセットでの矯正など、年頃の人には辛いことだと思いますが、がんばってほしいと思います。
                                                                     2001.1.20


性別 女性

いつもこのHPで皆様の体験等を読ませていただき、とても励まされています。
私は今、夫の仕事の関係でドイツに住んでいますが、18歳の娘が側湾症です。
14歳のときに側湾症とわかり、当時は日本にいて側湾症外来のある病院で診察を受けましたが、40度くらいのS字型の湾曲とのことで、レントゲンを毎回撮り、コルセットをするよう指示されただけでした。そのコルセットも娘がとても嫌がり、1ヵ月でやめてしまいました
何か月か過ぎたところで何もしないではいられずに整体のような民間の治療を受け始めました。
特に良くはならなかったのですが、進行しなかったのは治療のおかげだったのかもしれません。
中学卒業と同時にドイツにきましたが、日本のお医者様はもう成長はほとんど止まっているのでドイツに行っても放っておいて大丈夫でしょうとおっしゃったのですが、親としては心配で診断書を書いていただき、赴任して数ヵ月後、整形外科を受診しました。すると、45度くらいあるのですぐに手術したほうがいいということでドイツでも有名だという側湾症専門のドクターを紹介されました。始めは簡単にそれならば手術をとも思ったのですが、手術の詳しい説明を聞くうちに痛みも呼吸の問題もない娘にとってはリスクの方が大きいのではないか、しかも3ー4年の滞在予定のこの国で手術するのはどうかと思い始めました。
ドイツではKrankengymと言って、外科や整形外科の関係の患者のリハビリやトレーニングをしてくれるところがあちこちにあり、保険も適用され、娘もそこに通っていたのですが、手術がとても不安だと話すといろいろ調べてくれて手術はしないで治療してくれるところがあると教えてくれました。
Asklepios Katharina-Schroth Klinik ( Bad Sobernheim, Germany ) というところで、そこの先生方は治るとはおっしゃいませんが、少しでもよくする、進行させないようにする、姿勢を良くするためのトレーニングを指導し、マッサージ等の治療をしてくれます。将来にわたって自分に必要な体操を教え、覚えさせてくれるのですが、コルセット着用の患者もいます。ここでもやはり保険(ドイツの保険)が適用されています。
4ー6週間の入院が必要ですが、退院して帰ってきたときにはとても姿勢がよくなっています。
そしてその後は、自宅で自分で体操をしたり近くの専門のKrankenngymに行ったりしています。
角度自体はあまり変わっていないようですが、あのまま手術をするよりは何かやれるだけのことをやったという気がして良かったと思っています。
今後、日本に帰って、また手術というような話しもあるかもしれませんが、そのときはまた家族でよく相談して決めたいと思っています。

今、娘は3回目の入院で頑張っています。ここでの生活は基本的にはドイツ語で中には英語の出来る指導員もいるといった具合なので(もちろんドクターは英語が出来ますが)初めは大変でした。
でも、言葉のこと以外は心配なく、病院もきれいでとても明るく、先生や指導員、職員の方々もとても温かい感じでした。
日本にもこんな病院があったらいいのになあと思いますが、世界でもここしかないということでドイツ以外の国からも来て入院治療を受けています。また、ここでは指導員の養成もしているようです。

今年後半か来年には日本に帰る予定なので、そのときはまた病院や治療院の情報を教えていただけたらと思っています。
                                   2001.1.4  
参考までに
Asklepios Katharina-Schroth Klinik http://www.skoliose.com 

tomkawai@duess.jis.de                                                      2001.1.4


性別 女性

私は中学生の頃に側わん症と診断されました。もう10年ほど前のことなので、記憶も曖昧なところがありますが、二度ほど通院しました。が、レントゲンと角度を測るだけでコルセットを作るわけでもなかったため、意味がないと感じそれきりになりました。
(ぶらさがり健康器が良いと言われ、試したこともありました。)
特に今まできちんとした治療をしていません。(生活上で特別困ったこともなかったので・・。)
気になることは肩こりと、ズボンを履いたときに左足だけ裾を踏んでしまう、平坦な道でもよくつまづいてしまう、という点です。
最近では自覚もしていなかったのですが、先日人から「体の歪みがすごい。肩こりとかひどくないか?」と言われ、他人から指摘されたことでショックを受け、側わん症の治療について真剣に考え始めました。
その人からは整体を勧められました。しかし、まず病院で診察を受けたほうが良いのか、悩んでます。
私のような書きこみは、このHPの主旨にそぐわないものかもしれませんが、おなじ病気で悩んでいる人、治療した人、たくさんの体験記があり非常に励まされました。
治療をはじめましたら、またここで報告しようと思っています。

                                                                    2000.12.21


性別 女性

 私は中学の頃、学校の検査で「側わん症」とわかりました。それから整形外科で診察を受け、「コルセットをするまででもないので、毎日体操をしなさい」と言われました。この頃は肩こりや腰痛があったわけでもなかったので、体操は三日坊主で終わってしまいました。これが後々大変なことになってしまうなんて・・・。社会人になって数年後、肩こり腰痛に悩まされるようになりました。湿布を貼ったりマッサージに通ったりしましたが、その時は気持ちよいのですが・・・やはり痛い。鍼や整体にも行きました。どこへ行っても痛みは解消されず、病気かと思い整形外科に行ってみました。そこでレントゲンを撮ってもらいましたが、「骨には異常はありません。牽引と電気治療をしていきましょう。」と言われ、痛止めの薬をもらっただけでした。私はこれではよくならないと思いほかの治療方法を探しました。その時出会ったのがカイロプラクティクです。私のイメージは骨をバキバキと鳴らして痛そうな治療法だと思いました。人に聞いても体をボロボロにされるということでしたし・・・。この時はどうなってもいいというなげやりな気持ちだったので、とりあえず受けてみました。そしたらどうでしょう。治療は痛くないし、何故肩こりや腰痛が起こるのか理論的に説明してくれました。何よりも一回の治療であれだけ痛かった肩こりや腰痛がどこかに行ってしまったのです。もう肋骨変形まで進んでいるので完治することはありませんが、あの痛みから開放され歪んでいた体もバランスがとれてきて私の人生は変わったと思います。カイロプラクティックは国家資格になっていないのでカイロプラクターはピンキリですが私がたまたま行った所は信用できるところでした。この治療法に出会ってから患者が賢くならないといけないと思いました。いろいろな治療法を試してみて痛感しました。

jun-you@h9.dion.ne.jp                                                          2000.11.19


性別 女性

保険の事ですが…。私は手術をした際、厚生医療(!?)というのを申請して障害者手帳を発行してもらいました。担当の先生と良く相談したうえでの結果ですけど、18歳以上は育成医療が受けられるのですが、手術をしたのが19歳だったので厚生医療の申請をしましたよ。少しでも、参考にしてみてください。

                                                                      2000.11.11


性別 女性

こんにちは。はじめて投稿させていただきます。
私は現在26歳です。中学2年生頃、学校の健康診断で側湾症だと診断されました。何度かは忘れてしまいましたが、肩の高さが4、5センチ程違う程度だったと思います。私は背が高いことがコンプレックスで、いつも片足に重心をかけて立っていたりしたことが原因だと思っています。すぐに母親と整形外科へ行きましたが、毎回何度曲がっているかを計るだけで、病院の先生は「良くはなりません。今より悪くならないようにするだけですね。」といったような事を言われました。コルセットも作りました。でも、寝る時にあんな硬い物を付けて寝れるわけがない、こんなのいやだと思い、一週間ぐらいでしなくなくなりました。思春期の大切な時に、そんな事を考えることさえ私はいやで、20歳ぐらいまでほっておきました。でも自分の体は鏡を見ても曲がっているのは分かるし、ものすごく疲れやすいし、いつかは真剣に考え、治していかなければならないと思っていました。そして21歳頃から自分の体を鏡で良く見てどのように曲がっているのかを理解し、ジョギングをしたり、数え切れないほどいろいろな整体院にも通いました。もし今、側湾症で悩んでいる方がいましたら、私なりの治療法(というほどのものでもないですが)をご紹介しますので少しでも参考にして頂けると嬉しいです。
私の経験上、やはり筋肉を鍛える、筋力をつけることが一番大切なことだと思います。ただ筋肉をつけるということではなく、姿勢がまっすぐな状態でいられる筋力をつけるということです。特に腹筋はとても重要だと思います。いつでも腹筋を意識しているだけで大分変わると思います。そしてすごく良かったのが、歩くことです。と言っても、毎日意識して歩くことは難しいし、夜ジョギングするのも恥ずかしいと思った時もありました。そこで私はルームウォーカーを買って、毎日歩きました。これは本当に良かったです。スポーツクラブにもあるのでそれでもいいと思います。ルームウォーカーは、それ自体がまっすぐ動くので、力を抜いて歩くだけで、自分の体がどのように偏っているのか、どこの筋力が衰えているのかがよく分かり、とても重宝(?)しました。そして毎日少しづつでも歩くことによって、みるみると良くなっていくのが分かりました。整体は、症状に合わせて定期的に行くのが効果的だと思います。
5年程自分なりに努力をして、今はほとんど完治に近い状態にまでなりました。(でも普通の人よりは少し疲れやすいし、腰痛、肩凝りなどは少しあります。)今はスポーツクラブに通って、楽しんで水泳やエアロビなどをしています。あの時「良くはならない」と言ったお医者さんに見せてあげたいくらいです。私もとても辛くて泣いた日もありました。でも、側湾症だからといってあきらめず、努力を続けることが大切だと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。
txd7s36j@hotmail.com                                                         2000.11.4


性別 女性

側わん症のHPがあること、たくさん側わん症の人がいることに驚いています。
みなさんの話を読んでいて、忘れてたこととかいろいろ思い出しました。
私は今20歳です。6年前、14歳の5月に側わん症だとわかり、
すぐ夏休みに手術しました。
中学校の内科検診で、すぐに病院に行くように言われ、
次の日両親と一緒に病院に行きました。母親は私の背中がおかしいことも、
側わん症のことも全く知りませんでした。
父親は側わん症の知識が少しだけあったようです。
両親には自分もずっと気がつかなかったと言っているけど、
本当は半年前くらいから背中の左側が出ていると知ってました。
変だと思いつつも、叩いたりすればへこむかなぁとかその程度に思っていました。でも今思うと気にして、親に背中を向けないようにしていたかもしれません。
親に知られた時は「バレちゃった。来る時が来たか!」というように思いました。
病院でレントゲンを撮り、生まれて初めて自分の背骨を見ました。
背骨が途中から曲がっていました…!51度曲がってました。
先生も驚き、両親は放心状態でした。
当の私は、とくに驚きませんでした。
それまで、まっすぐだった背骨(のレントゲン写真)を見たことがなかったせ
いか、この曲がったものが私の背骨なんだ!とすんなり受け入れられました。
最初の診断で先生は「こんなに曲がった人は見たことがない!」と言い、
手術の可能性もあるけど、まずコルセットをしてみましょうとのことでした。
次に病院に行った時、主治医が別の先生に代わっていました。
2人目の先生は背骨と腰の専門の先生でちょっと有名(腕が良い)な人でした。
その先生はコルセットなんて無駄!手術でしか治らない!と言いました。
手術しなくて済むのは45度までらしいです。
それに背骨が曲がっていると内臓に良くないらしいです。
母親なんて手術と言う言葉に大ショックでした。
その時手術に関して言われたことは、2つの方法があって、
1つ目の方法だと背中を中心にした手術で、術後はコルセット1年。
2つ目の方法だと脇の方からメスを入れる手術で、術後はコルセット半年。
運動はどっちの方法でも1年間禁止とのことでした。
私は先生から手術についての話を聞いて、すぐに手術すると言いました。
両親はすぐに決めるな!手術なんて失敗したらどうするんだって反対でした。
私がなぜすぐに手術を決心したかというと、「体育1年間休める!」という理由でした。
当時、嫌なクラスだったので、スキー実習に行かずに済むと思うと手術なんて私にとってありがたいものでした。
でもさずがに、他にもいろいろ理由はありました。
背中が左側だけ出ていると好きな洋服とか着れないかもと思うと心配でした。
水着も水泳の授業では避けられないし、自分では気にしてなくても、
一応女の子だし周りの目は気になるものでした。
そして私自身にも衝撃的で、親の説得にとっても一番効果的だったのは隣の家に来ていた塗装業の側わん症らしき男性でした。
その人の背中は片側が私なんかよりずっと出ていました。
それを見て私もこんな風になるのかも!?と思うと、絶対手術しなきゃ!と思いました。両親も手術の心配以上に、私の将来や体のことを優先してくれました。
そして、7月の中旬に入院し、下旬に手術しました。輸血は自己血輸血で、手術方法は脇からするほうを選びました。術後は3週間寝たきり状態でした。トイレの世話をしてもらったり、お風呂に1ヶ月も入れなかったり、髪の毛を2週間洗えなかったり、
夏だったこともあって、術後は精神面でかなりきつかったです。
それに手術の場所が上半身だけに、検査など恥ずかしい想いもたくさんしました。でも入院生活は大変で、未知のものだったけど、私の人生でとても良い想い出、
貴重な体験でした。手術を後悔したことはありません。
ちょっと辛いのは、腰痛くらいでした。
手術するまで全く腰痛とかがなかったので、術後3〜4年は腰痛に悩みました。
今ではめったに腰痛はありません。
(目が悪いので、眼痛・肩こり・頭痛には苦しんでます)
あと、手術をするまで体が柔らかいことが自慢だったので、
手術をしてから体を反ることが辛いというか、あまり反れなくなってしまったことがすごく残念に思います。
それに肋骨を背骨に移植?したせいで左側の肋骨が少しないので、
横向きに寝る時はいつも右を下にして寝るようになっちゃうんですよね。
これもちょっと辛いです。
話が前後しますけど、8月の終わりには退院して、9〜1月までコルセット生活でした。制服を着てもコルセットが隠せませんでした。
自分では周りにどう思われるかとか大して気になりませんでしたけど、
何だろう?って思わてたと思います。おかしいって視線を感じた事もありました。1月にコルセットをはずした時は、体がぐにゃぐにゃした感じで、すごく変でした。不安だったので、腰痛の人がするようなコルセットをしばらく巻いてました。手術の傷跡を悩む人も多いけれど、私は何とも思いません。
母親なんかは、女の子の体に大きな傷があるってことを気にしてるけど、私は自分が頑張った証拠(勲章)だと思ってます。かなり長くなっちゃいましたけど、
手術ってあまり悩まず、した方がいいと私は思います。
信頼できる病院(医者)と頼れる両親がいれば、大丈夫です。

                                                                        2000.11.3


性別 女性

このサイトを、見て、たくさんの方が側湾症に悩んでいることを、初めて、知りました。自分自身、長い間、一人で悩みつづけてきましたので、このサイトを見つけたときは、うれしかったです。
この病気は、多くの場合、思春期に発見され、治療が必要なことが、一番大変な点だと、思います。その時期は、一番、感じやすく、悩みやすい時期で、私自身も、自分の病気を受け入れられず、大変つらい思いをしました。私の場合、13歳で、発見され、その後、体操などしましたが、効果がなくコルセットを、1年ほどしました。母親は、ものすごく私を心配しましたが、当時、思春期の私には、今から考えると、そうやって、心配されること自体でさえ、うっとおしい、と思いました。
私も、多くの方と、同じように、病院のあの雰囲気が、たまらなくいやでしたし、学校の先生などから、姿勢を注意されたりすることもものすごく、いやでした。あれから、15年くらいたちますが、幸い、ある程度のところで、曲がりは、止まって、痛みは全くありませんが、35Cくらいは、あると思います。
 私のことを、心配してくれた母も、今はすでに亡くなり、今、ドイツに、留学して自分の逃げてきたことに、向き合う気になりました。
そして、もう一度、こっちで、病院に行き、今は、ある、姿勢のテクニックを、勉強しています。
そして、今、思うのは、私の場合、側湾症という病気より、劣等感からの心の病気の方が、重かったように感じます。
当時、本当は、すごく誰かに頼りたかったし、悩みを、話したかったのに、そういう私が心を開くことのできる、大人(先生かお医者さん)が、居なかったことが、悔やまれます。誰だって、体は、大切だってわかっているしそのために、体操など努力してやるべきなのは、わかっています。
でも、反抗期のあの時期に、コルセットをつけて、学校に行き、姿勢に気をつける、というのは、本当に辛いことです。
それでも、側湾症にとって、一番大切な時期ですから、いかにその時期に、自分の病気を受け入れて、治すかが、勝負だと思います。それには、大人は、その子を、脅したり、叱ったりするのでなく、その子の、心を、開かせてくれる先生などが、近くにいることが、必要なのでは?と思います。
今、ドイツで、生活していますが、こっちの病院は、比較的プライバシーが守られていて、病院の雰囲気も、明るいし清潔で、お医者さんも、とてもやさしいです。医学的なレベルはきっと、日本も変わらないと思いますが、(もしかして、日本の方がいいのかもしれないですが)思春期の子供にとっては先生の人柄、病院の雰囲気などで、かなり、傷ついたり、救われたりするものです。ですから、今、思春期で、この病気で悩んでおられるかたがたが、良い先生、病院等に出会われることを、お祈りするとともに、もっと、日本の病院も明るく、患者さんが、必要以上に恥ずかしい思いをしたりすることが、少なくなればいいなあと思います。

                                                                      2000.10.26


性別 女性

このホームページに来て始めて、たくさんの人が側わん症と向き合っていることがわかり、とてもホッとした気持ちです。

 わたしは小学校6年生の頃に、母が背中の出っ張りに気がつき、当時かかっていた、「外科・内科」の医者に診てもらったのが初めでした。当時は今のように「側わん症」と言う診断が付く時代ではなかったようで、「姿勢が悪くて変形するので、姿勢に気を付けて。」と言うことくらいしかなかったと思います。大きな病院へ行くように、というようなアドバイスもありませんでした。
  私の場合は左側の肩胛骨したがこぶのようにでっぱりがあり、右の腰がかなり張りだして、スカートなどをはくと明らかに長さが違います。だからといって、体が痛いなどの症状がなく、思春期の頃は体が変形しているのが恥ずかしい、という苦痛以外はありませんでした。 そう言うことで、中学校、高校(高校生の時は一年間アメリカに留学)4年生大学、歩んできました。大学時代は社交ダンス部で試合にもでたりして、今考えると、側わん症と共に生きた「青春」だったと思います。

社会人になった頃、世間では「側わん症」ということが言われ始めていて、始めてこれが整形外科の範疇の、原因不明の、思春期の女性に多い「病気」という認識をしたのです。それから東京のT病院(有名な総合病院)で検査をしてもらったところ、何度が忘れましたが、かなりの彎曲でした。S字に曲がっているのですが幸いその場所が、内臓などに影響を及ぼさないところだったので、今までなんの支障もなく来たのだろう、といわれました。それにすでに成長期は過ぎており、「これ以上は進行しない。」けれど、矯正や治療も出来ない、とのこと。コルセットを着用することで、不自然な姿勢から来る腰痛の予防をする事になりました。石膏で固めて取ったコルセット、家にいるときはしましたが、やはり華のOLと言うことで、会社にまで着用して行くことはしませんでした。コルセットをする、ということはそのままの角度で固定すること、と思い、人の薦めで「カイロプラクティック」にしばらく通いました。ここの先生に、「あぁ、こんなに曲がっちゃって、これでは子供も産めない。」とまで言われ、愕然とした覚えがあります。

それでも30過ぎには結婚をし、二人の子供を無事自然分娩で出産し、今日に至っています。

側わん症がある、ということで、何度も「背中に何入れているの?」と言うことを聞かれて、イヤな思いをし、自然と、背中のこぶが目立たないような服、水着を選び、また、背筋をピンと伸ばして、姿勢をよくしたり、こぶが気づかれないような工夫をしてきました。ニット服、ビキニなどは着ることも出来ず、こんなでなければ、、、と悩んだこともあります。 あのとき、もし側わん症と診断され、コルセット、手術などをしていたら、治っていたかもしれないけれど、楽しく過ごした学生時代は全く違ったものだったかもしれません。 

コルセットはその後どこに行ったのやら、全く見ていません。実家にもありません。コルセットをする代わりに、側わん症によって腰痛などがでないように体を柔軟にしよう、筋力を付けよう、とヨガをやったり、エアロビをしたり、という努力は、ダイエットのためにもしています。

今は学校で内科検診の時に「側わん症」検査をしてくれるそうですね。うちの子に「遺伝」していないか、など心配でしたが、今のところは大丈夫です。 二人ともゲームが大好きでつい姿勢が悪くなるので、自分のことを「反面教師」にいつも注意しています。

このページを見ると、いろいろな方が悩み、また治療をして、側わん症としっかり向き合っている様子に、励まされます。私のように放置して置いて、こんな事を言うのはおかしいのですが、側わん症があっても命にはなんの支障もありませんし、ちゃんと出産もできます、側わん症のために青春を、また人生を棒に振らないように、前向きに歩きましょう。私は、このようなホームページがあって、たくさんの仲間がいることを知って、もう悩むことはしない、悩んだら、このページを頼ろうと、心強く思っています。 

riko2@m15.alpha-net.ne.jp 2000.10.25


性別 女性

 側わん症のホームページがあるなんて・・驚きました。
皆さん色々な体験をされているんですね。
 私も中2の時、学校の検診でみつかりました。
首まで金属のあるコルセットを中3までして、高1では脇からお尻まで全部を、硬いポリ(?)のような物でできたコルセットに替えました。
 幸い私は、高1ぐらいで骨の成長が止まりました。
 今34歳なので、20年ぐらい前の事ですが、今でも思い出すと胸が痛みます。
 今皆さんの体験記を読むと、皆さんすごく頑張っているんだなと感心します。
 皆さんが思われるように、私も初めて首まであるコルセットを見た時は、”あれをつけるの!?あれで学校行くの!?”と凄くショックでした。
 私は、お風呂以外は外してはいけないと言われました。
体育やクラブも見学でした。(クラブは陸上部でした)
勉強は嫌いだけど体育は大好きだった私はよく校舎の窓から泣きながらみんなを見ていたものでした。
(”なんで私だけが・・・”と言う思いが強くて)
 親も病気の事を凄く心配してくれていたので泣いている姿なんて見せれないんで、極力明るく振舞っていました。
 でも、やっぱり見慣れない変なものを着けて学校に行くと、心無い人は”くび〜””くび〜”とからかいました。(首の金属は少しでも目立たないようにと母が包帯を巻いてくれてました)
 毎日、毎日、どこにいても私を見つけると”くび〜”と叫んでからかいました。
 幸い私には、沢山の友達がいました。
男の子も女の子も、まじめな子も不良?と言われるような子も。
 でも心の中は”くび〜”と言われると凄く傷ついていました。(死んでしまいたいともよく思いました)
 でも死んでも”くび〜”と叫んでいた人たちは何とも思わないだろうなと思うとくやしくて。
”そんな人に絶対負けるもんか!!”と思いました。
 私の側わん体験は、病気が苦しいんではなくて、心が苦しいものでした。(もちろんコルセットはしんどかったけど、心の傷に比べたらそんなの・・・)
 テレビなんかでイジメで自殺する子を聞くととても悲しいです。
 もし、私と同じようにコルセットの見た目でいじめられたりしている人がいたら、いじめに負けないで頑張ってほしいです。
 友達は、本当に宝物だとおもいます。
いい友達を沢山作ってください。
 コルセットでいじめられていたのを人に話すのは初めてです。
20年たってようやく呪縛から解き放たれた気持ちです。
 今は、同じ気持ちを持った人たちが話せる場がありいいですね。気持ちが救われました。
 ありがとうございました。

kazumi1705@rs-ryokuchi.com                                                2000.10.22


性別 女性

側わん症で病院でギブスまで作りましたが、治らないので、行かなくなりました。去年姉の知り合いの気功の先生を紹介してもらい、1度の治療でなおりました。方法は手をあてるだけで、はずれてる骨をはめこむ感じ。

                                                                   2000.10.10


性別 女性

私の娘が8カ月の時に背骨の歪みにきずきました。知人の紹介で、診療所を紹介されました。(車いすで生活していた方が歩けるようになったそうです。)診療所に通い初めてもうすぐ2年になりますが、少しずつですか角度が、緩やかになってきました。娘は、現在5さい。
無理なく長い目で治療していこうと、おもっています。

ty-saeki@poem.ocn.ne.jp 2000.10.1


性別 女性

学校の検診で背骨の歪みを指摘されたのは、小学5年の時でした。それを親に告げたものの、たいしたことはないだろうと、そのままに1年が過ぎました。次の年も、同じことを言われ、整形外科へ行って告げられた事に親はショックを受けていたようです。「脊柱側彎症です。うちでは診られないほど進行してますので、病院を紹介します」とのことでした。翌日、私は母と共に紹介された大きな病院へ行きました。レントゲンをとり、医師の話を聞くと、母は静かに涙を流していました。その場で、来週にも入院と決まったのです。

入院して、即矯正のためのギプスをつけました。梅雨時で、ギプスの石膏がなかなか乾かなくて大変だったことを覚えています。1ヶ月ほどして退院し、今度はコルセットになりました。それをつけて学校に通いました。首のところまであるタイプで、鏡の自分を見て「うわー、ロボットやん」と言って笑いました。制服は着られないので、近所のおばさんに縫ってもらった前開きのワンピースを着て学校へ行きました。学旅行もコルセットをつけたまま。それでも、いい思い出です。

年があけて、診察に行くと手術を要するほどに状態が悪化していました。学校を1年休学することに決め、卒業式のあと数日たって入院しました。たくさんの検査、検査。親元から遠く離れた病院で、それでも私はけっこう明るかったと思います。自分が落ち込んだら、家族が余計悲しむということも思ってはいましたが。時間だけはたっぷりあったので、病棟にある本箱に寄付されているたくさんのマンガや小説を読みふけりました。ちょうど、ブラックジャックが連載されているころで、いつも楽しく読んでいました。

大きな手術で時間がかかると言われてました。麻酔からさめた時、主治医の先生が、出血多量で手術を途中でやめたことを私に告げました。しばらくたってから、もう一度手術になるけれど、頑張れそうか?と聞かれました。そうか、ならやるしかないな、と次の手術にのぞむことに。今度はうまくいき、金属柱で背骨を固定し、そのまわりに骨盤の骨を削ったものを置く、という手術は無事終わりました。その後、ギプスをはめ、しばらくの期間、寝たきりの生活を送りました。術後2ヶ月ほどで自宅に帰り、やがて歩くためのリハビリを始めました。最初の一歩のあのぎこちなさ。ただ歩くだけのことに汗だくになって。ギプスはやがて終わりになり、新しいコルセットをつけることになりました。それをつけて、次の年、中学に進みました。1年遅れの入学。やがてそのコルセットも外していいということになり、時々の検査通院になり、もう来なくていいよ、と言われた時の嬉しさは忘れられません。

あれから二十数年の時が流れました。背中の大きな傷は消えません。でもそれも自分の一部なのだと思っています。温泉に行くとまわりに驚かれたりすると、ああ、そうか、自分の背中には傷があったのだと思い出すような感じで毎日を過ごしています。今年の暮れ、私は3人目の子供を出産します。

                                                                      2000.9.28


性別 女性

中学2年生のときに側わん症と診断されました。コルセットは作ったのですが、痛いのと窮屈なのとで2,3回つけてやめてしまいました。そのときは、50度くらいだったと思います。
何かいい治療はないものかと、母が色々と探してくれ、背骨の歪みを直すことで病気を治療する、という気功のところに週1回ペースで通いました。気功の効果のせいかはわかりませんが、成長期でしたが、それ以上曲がることはありませんでした。
高校のときに順天堂医院で見てもらいましたが、日常生活には支障はないということで、手術の話しも聞きましたがやめました。大変そうだったので。
今も同じ気功整体に通っていますが、成長が止まったからか、少しずつですが良くなってきているようです。病院にはもう行っていないので正確な数値はわかりませんが。体の出っ張りは前より目立たなくなっています。
中学高校時代はなぜ自分がこの病気に、とか自分の体はなんて醜いのだ、とネガティブな考え方しかできませんでした。これが自分の体なのだからしょうがないのだ、と思おうとしても自分の体がいやでしょうがありませんでした。側わん症という以外はほかのこと同じように生活して、明るく振舞っていましたが、ものすごいコンプレックスでした。今でもコンプレックスには変わりませんが、この病気になってから知ったことや、考えたことなど、貴重な体験をしたとも思います。これは今になって思えることですが。
あと、この掲示板にある親御さんの気持ちなどを読んで、前は自分だけが苦しいと思っていたけど、親も自分のためにいい病院を探してくれたり、親は親で苦しんだのだろうと思いました。心配や、お金ばっかりかけさせてしまい、申し訳ないな、と思うし、すごく感謝しています。
病気のことはそれぞれの人がその人のやり方で受けとめるしかないのだと思います。私はこのまま気功整体に通って、気長に治していこうと思います。

2000.9.28


性別 女性

このホームページと出会って、「あの時代にこういうものがあったら・・・・」とつくづく思いました。皆さんの体験記を読んでいたら「そう、そう」とうなずき、また、自分と同じ事を思い、自分と同じような苦しみ、悩みを抱えている人がたくさんいるのだと、20年以上も抱えていた不安が、ほんの少し、緩むような気がしました。
私は今年、38歳になりました。側わん症を発見されたのは、中学3年生の頃だったと思います。きっかけはプールで友達に「すごい、ウエストがくびれていて羨ましい!」と。でも次の瞬間「あれ?反対側はくびれてない???」と言われて初めて自分の身体の様子を気にしたことです。母親に背中を見てもらい、驚愕されても、自分の背中を正面からみることはできないので、本当に自分の背骨が湾曲していると理解したのは、それから後の病院でのレントゲン写真を目にした時でした。
母が人づてに聞き、御茶ノ水の順天堂病院に通院しました。
自分の背骨が曲がっている事よりも、そこにいた物スゴイ装具をつけている、自分と同じ病気の人達を見た時は絶望的な気持ちになりました。
今・・・・この歳になれば、「治療の為」などと思えますが、15歳だった私にはとても、「あんな格好で人前に出られない!」と、自分が装具をつけて通学しなければならないことばかりが頭によぎったのです。
母は先生に「手術をして下さい」と頼みましたが、先生は手術に対して消極的だったように記憶しています。
でも、何度だったかは覚えていませんが、けっして軽い度数ではなかったです。
20年以上も前でしたから、(これは憶測)もしかしたら、医師も高いリスクがある手術はしたくなかったのかな・・・と思います。
結局、コルセットでの矯正ということになりました。
曲がっている部分が下の方だったので、コルセットは胸から腰までのものになり、病院で見た、洋服の襟から鉄の棒が飛び出しているような首からの装具をはめずに済んだことは唯一の救いでした。
(こんな言い方をして、そういう装具をつけてがんばった人、ごめんなさい!)
・・・・側わん症になって、イヤな思いをしたことがあった中で、今でも忘れられない出来事があります。
それは、コルセットを作る時。
診察室のとなりの部屋で石膏で型をとったときです。
そこは次から次へと他の患者さん達が入ってもくるし、その部屋の真中で、ほとんど裸に近い姿で立たされ、若い技師さん(?)達に囲まれる。思春期の女の子にとって、これほど恥ずかしいことはありません。背骨が曲がって入るという事実、これからの治療・・・・なんて事よりも、とにかく、その行為がたまらなく、イヤで恥ずかしくて・・・・そう思っていたら(そんな裸に近い格好で)貧血を起こして倒れてしまい、もっと恥ずかしい所を見られてしまいました。
コルセットでの矯正は・・・言うまでもなく、皆さんと同じです。
苦しかったし、肉が削げてしまって痛かったし・・・。

母は「洋服を着てしまえば分からないよ」と言ってくれましたが、ワンピースやジャンバースカートならまだしも、やはり、スカートやパンツはウエストも当然、サイズが合わなかったし、たとえ合っても、ゴツゴツした様子が見て取れたので、セーターを上に出して、着たり、自分でも工夫していました。
学校も女子校だったお陰で、皆にはわざと明るく、「こういうの付けるの」と話していて、励ましてはくれたけれど、でも、いつもコンプレックスに感じていたし、人から何気なく身体に触れられる事に、いつも緊張していました。
そうして、2回コルセットを作り直し、ほとんど24時間お風呂以外は付けていましたが、高校2年の時にアメリカに留学するのを機に辞めてしまいました。身長の伸びも止まっていたので、もう進行する事はないだろうと勝手に解釈もしていました。
・・・・そうして、何年もたちました。
誰にも指摘されもせず、普通に暮らしていても、それでも、いつも心の片隅では「側わん症」「背骨が曲がっている」ということがコンプレックスと不安でもありました。
結婚して、妊娠した時もまっさきに、「普通に生めるのだろうか」という思いと共に「背骨が曲がっているということは、きっと内臓(子宮)だって、何かしら圧迫されているから、お腹の子は大丈夫だろうか?」とよぎったものです。
出産は安産でした。
でも、子供は足首から下が曲がって(足の甲が足にくっつくくらい反っていた)生まれてきました。
先生曰く、「恐らくお腹にいた時のポジションが悪かったか、窮屈でいた為になってしまったから、お腹から出てしまえば治るだろう」と言われ、結果、その通りで、正常になりました。でも、この「お腹の中でのポジション」は、もしかしたら母体である私の身体に歪があったためではなかったか・・・と、今でも思っています。
そうして、健康に生まれた息子の成長過程でも、息子の「背中」を気にしていました。
年長の時「あれ?」と感じました。
「確かにまがっている・・・」それは、側わん症を知らなかったり、気にかけていない人では気づかない程度のものでしたが、私は息子の背中に敏感でした。
ショックでした。
「自分の子も!」と思ったら、まだ診断された訳ではないのに、涙が出ました。
愛する我が子が自分と同じ悩みを持ち、つらい思いをすると考えたら涙が止まりませんでした。
遺伝?????
そう、息子の体つきは私にそっくりなんです。
背が高く、やせている・・・・
慌てて、近くの大学病院へ連れて行きました。レントゲンでの背骨はやはり「真っ直」ではありませんでした。目の前が真っ暗になりました。
でも、「まだ小さい」ということで「要観察」と側わん症とは診断されませんでした。
その後、小学校に上がり、毎年、内科検診で指摘され、その都度、病院へ連れて行くと言うことを繰り返しています。今年5年生になりました。
それでも「側わん症」とは言われておらず、相変わらず「要観察」です。
側わん症が女子が圧倒的に多く、それも思春期の頃に発症すると言ううのに、まだ幼い息子が・・・・
確か「側わん症は遺伝ではない」と聞いた事があるのに、体型も私と似ている息子が側わん症の疑いがあるとなると・・・・やはり「遺伝」するのかな・・・・・と思っているのです。
この先の息子の事がとても心配です。

私は結局、あの頃より進行しているのかいないのかも分からないでいます。
ズボンの裾が左右違っていたり、スカートのウエストが真っ直ぐにならないので、それをいつも気にしていたり、写真を撮られときはわざと真っ直ぐな姿勢をしないとか、くびれていない方のウエストを腕で隠すとか・・・・・そういう、身につけた生活の知恵を絞りながらもなんら不自由な生活はしていません。
でも、時々、背中の筋が痛くなったりするのは「側わん症のせい?」と、これから、歳とったらどうなるのかな・・・・と考えれば不安がいっぱいにもなりますが・・・・・答えはない・・・・・

今回、このホームページに出会って、「わざと忘れようとしていた現実」と向き合えて少し、心強く思います。
本当の「側わん症」は知らない。
本当に「原因不明」なのか。「遺伝的なことはどうなのか」
「側わん症体操ってどんなのか?」など・・・
今からでも遅くないのなら進行を防ぐとか、痛みなどを緩和するとか・・・・なにか少しでも役に立つ情報があれが、是非教えていただきたいと思います。
まして、私は息子の件もあるので・・・・・

noenoe@fra.allnet.ne.jp                                                         2000.9.22


性別 女性

私の娘が側わん症と診断されたのは小学校四年生の時でした。学校である検診ではなくたまたま風邪で訪れた小児科の先生が見つけてくれました。その時にはもうだいぶ曲がっていてコルセットもつけましたがなかなか良くなりませんでした。私自体も側わん症という言葉さえも知らなくてなんでもっと早く気ずいてやらなかったんだろうと、すごく後悔もしました。幸い子供はコルセットも嫌がらず学校に行ってくれましたが、夏場はさすがに汗疹が沢山できかわいそうでした。
ただ娘が通院していた病院の先生が無神経で、良くなる様にと毎日大変な思いをしてコルセットを着けている娘の前で「この子は骨が
硬いからこれ以上良くなる事はない」と言うのです。たまたまいつも診てもらっている先生ではなかったですが、その言葉を聞いて娘も私もしばらく落ち込んでしまいました。それでも良くなると信じて3年間コルセットを着け筋肉もつけないといけないといわれてスイミングにも通わせました。でも進行するばかりで良くはなりませんでした。
中1の夏休みに手術を受けて今はほとんどまっすぐになりましたが傷跡が大きく残ってしまいました。手術時間も長くて8時間くらいでした。下をむいてうつ伏せ状態で手術をするので顔は腫れて違う人みたいでした。しばらくは自分で動く事もできずに寝返りをするのも
手伝っていました。幸い私の娘はがまん強くて何とか痛みもこらえていたようです。将来傷跡が気になるようであればまた形成の手術を受けさせようと思っています。やりにくい運動もたまにあるようですが今はバレーボールクラブに入って楽しくしています。

hski-t@cc22.ne.jp                                                         2000.9.21


性別 女性

私は8才の男の子の母です。たっくんと呼んでいます。
うちの子は3歳児検診で側わん症だとわかりました。
3ヶ月、入院をした後、コルセットを作りました。
病院では泣きながら寝る時もつけたのですが、自宅に帰ってからはかわいそうでつけられなくなりました。
寝るとき以外は装具をつけて生活し、幼稚園、小学校へと通いました。それが小学入学と同時に子供の様子がおかしくなりました。
朝は元気に行くのですが、お昼前になると、38℃〜40℃の高熱がでるのです。毎日学校から呼び出しがあり、装具をはずして休ませるとすぐ元気になって、普段と変わりなく遊ぶのです。
そんな生活が1ヶ月ちょつと続いた頃、私はストレスがたまって体重が1ヶ月で14kgもおち、フラフラして歩けなくなりました。
食べることも、寝ることできなくなり、自分で精神科に行くことを決め、今も1ヶ月に1度薬をもらっています。
子供の入学当時の様子や、私の状態を手紙に書き、今診てもらってる福岡こども病院の先生に送ったところ子供自身もストレスで熱がでてたことがわかり、装具なしの生活を許してくださいました。
子供は今、62度曲がってるのですが、進行がおそいためもう少し様子を見ることになってます。
でも、もう1年も病院に行っていないので心配です。でもうちの子はひょうきんで明るいのですくわれます。
私はこのホームページを見て頑張ろうと思う気持ちがわいてきました。近いうちに病院に行くつもりです。
ぜひメールください。

kikuzawa@mx51.tiki.ne.jp2000.9.16


性別 女性

私は、小学校5年生の時の内科検診の時に発見されました。
その時は、25度ですぐコルセットを作りました。
でも今は、31度まで進んでいます。
毎日、寝る時に着けています。脇腹が、紫色になって、すごく痛いです。でも、手術は、怖いです。

DQK03430@nifty.ne.jp 2000.9.12


性別 女性

私は、31歳の時に手術をしました。1年後に第1子を産んで、2年後には第2子を産みました。はっきりとは憶えてませんが、手術前は50度位だったと記憶しています。高校生にはだいぶ脊柱が曲がっていたのですが、病院に行くのが嫌だったので受診は当時しませんでした。その後も、何度かは受診したのですが、手術適応までの度数ではないため有効な治療方法もなく28歳まで何もせずにきました。28歳で看護学校に入学し、30歳で准看護婦になり、ある程度の知識があると自分の体がどうなるのかすごく不安を感じ、整形外科を教えてもらった先生に受診し京大病院の清水先生を紹介してもらいました。3ヶ月に1回程の経過をしばらく診た後、骨が年齢のわりに軟らかく矯正が可能だということで手術をしました。手術後は大変でしたが、今はとても満足しています。私も、瀬本先生と同じ考えです。整体とかのことは詳しく解りませんが、手術を勧められている人は、安易に整体とかに頼るのはやめてください。手術にはリスクがあるので迷う人がいるのはとうぜんです。でも、時期というのがあるので18歳頃にするのが骨の矯正という点では1番ベストなのではと思います。その位の年齢の方は、将来のことまで考えて(出産や進行)慎重な選択をしてほしいと願っています。ちなみに私の背中の手術痕はとてもきれいで少しみた位ではわからないほどです。清水先生は今岐阜大学付属病院おられます。もしかしたら、外来の診察はされてないかもしれませんが、後進の指導はされていると思います。又解らないことなどあれば、看護婦として、女性として、相談にのりたいと思っています。

miyuki-f@mug.biglobe.ne.jp  2000.9.7



性別 女性

小3の時、習っていたピアノの先生が椅子に座っている私の姿勢がおかしい、というのに気付き母と共に近所の外科へ。その時はまだ普段の姿勢に気をつけていれば大丈夫と言われた。小6の時に再度見てもらうが前述と変わらず。中学生になり、ソフトテニス部で活動していたが、ますます悪くなっているような気がしてまた診察を受けたところ、青森市のあすなろ学園を紹介され、再診察。結果、装具着用&側湾体操なるものを実行せよ、とのことで中学生活3年間テニスをしながら続けるが良くなるはずもなく、中学卒業後の春休みに弘前大学医学部附属病院を紹介される。そして診察の結果「手術しかない」と言われ、高1の夏休み中に手術を受ける(青森県では弘大医学部附属病院でしか手術を行っていないらしい)。手術後は月1回の定期検査を受け、経過を見る。徐々に3ヶ月に1回、半年に1回、年に1回となり2年前ついにお医者様からOKが出た。現在は普通の人と何ら変わらない生活を送っている。今年3月に結婚、現在妊娠もうすぐ4ヶ月目に突入。手術はだいだい8時間位、術後1〜2日ICUにいて、回復室へ入り3〜4日、1週間は寝たきり状態。背中なので寝返りをうつのにも2人がかり。入院生活は約1ヶ月半位。

koh@infoaomori.ne.jp                                                         2000.9.3      


性別 女性

この4月,小学校の健康診断で8歳の長男が側わん症と診断されました.慌てて近所の整形外科に連れていってレントゲンを取ったところ角度は21度.親子共々,曲がった背骨のレントゲン写真を見て大変なショックを受けました.担当の先生から慶応病院の整形外科を紹介してもらい,早速その次の週(5月8日)に行くことにしましたが,その前に,ともかくできる限りのこ!!とをしようと,藁にもすがる気持ちで池袋の大塚整体治療院に行きました.先生に治療していただき,姿勢に関する注意や毎日の体操の指導を受け...そして5月8日,慶応病院のレントゲンの結果は10度.正常の範囲ぎりぎりのところだと言われました.「正常範囲」という言葉を聞いて,思わず身体から力が抜けてしまいました.大塚先生の整体治療の結果,確かに下がっていた右肩がまっ!82キぐになったように思います.今現在,1ヶ月半に一度の大塚整体治療院,6ヶ月に一度の慶応病院,というペースで治療を予定しています.まだ8歳なので成長期が終わるまで先は長いのですが,このまま悪化しないようにフォローしていきたいと思っています.



掲示板=6月に側彎症の診断を受けた5歳の女の子の母です

6/25にこの掲示板に書き込みをした時は、ものすごいショックを受けていて、娘の将来への不安と全く何をどうしたらいいのかが解らない状態でしたが、あれから1ヶ月とちょっとですけれどだいぶおちついてきました

まず、主人が病気の事を理解し受けとめ、協力してくれるようになりました

やっぱり家族が一丸とならないと!

絶対直すとはりきるのではなく、少しでも娘にとっていいじょう態をつくるように現在いろいろやっています

体操、バレエ、水泳、もちろん装具も使っています(でも、夜寝る時だけ*)

幸い、まだ5歳なのでこういうものだとあっさりと装具を付けています

幼稚園にも付けていきたがります「先生に見せたい」そうです

なんだかあの診断を受けた日から、急に毎日が忙しくなり、思い悩んでいる時間もありません

次回レントゲンを撮る日が待ちどうしい位です


それから、娘が側彎症と分って病気の事をいろいろ読みあさっていたら、発症時期や症状等から自己診断をした結果私も右側彎症でした

整形外科の先生にそのことを言ったら、「あっ*ほんとだ!親子で側彎!!お母さんのレントゲンもぜひ撮らせて」って目をかがやかせていわれてしまいました

洋服の上からの診断で私は、30度くらいだそうです

でもホントに全く知らずに過ごせちゃうんです

笑わないでね、学生の時なんかアルバイトでモデルなんかした事もあったのよ

ただ、計らズとも中学の時は、体操部にいました

不真面目で、あまり練習とかもしてませんでしたが、今娘が整体の先生に教えて頂いてやっているような体操とにか
よった事は、やっていました。自分では、ブリッジがよかったような気がします。側彎のせいで?体が堅かったので
お風呂上がりに柔軟体操を毎にちしていました

年頃のお嬢さんが多い病気なので、辛い所ですが、やっぱり悩んでいないで何かを信じて打ち込んでみてはいかがで
しょうか?きっといい結果がというよりも後悔がないと思いますよ

川島さんをはじめ、いろいろな方からアドバイスを頂きありがとうございました

皆様からのメール楽しみにしています

娘の成長が止まるまであと15年くらい忙しくしていますが、がんばります

Hiroe4@aol.com 2000.8.2


10才の一人娘が特発性側弯症と診断されて、11ヶ月がたちました。紹介された整形外科医の話では、現在、原因は不明で確立された治療方法もなく、ただ病状が進行すれば、コルセットを装着し、更に進行した場合手術しかないと聞きました。愕然として、目の前が真っ暗になりました。
ある日、友人に側弯症治療の記事が乗っている雑誌を見せられ、急いでその記事に載っていた大塚整体治療院に連絡してみたところ,治療院の案内と、写真付の治療例の記事がすぐに、送られてきました。さっそく大塚整体治療院に通うことにしました。(愛知県からなので,月に1回が,限度ですが、)
半年後のレントゲン写真では,少し病状が、進行しているようでした。娘は,ここ2年ほどで、20センチも身長が伸びました。背中の曲がりが,直るとまでは行かなくてもこのまま側弯症の進行がとまればと,祈るような気持ちでおりました。
娘は、文句を言いながらも治療院で指導されている運動や,姿勢を毎日1時間ほどがんばっています。
その後4ヶ月たって近くの整形外科で,レントゲン写真をとっていただきましたが,〈まだまだ整形外科医の,整体に対する認識は低く写真を病院から借りられるように説得するのも大変でした。)背骨の湾曲が、なだらかになり、斜めになっていた腰椎が伸びていることが,わかりました。この調子で行けば、きっと良くなると確信しています。また半年後経過を報告できればとおもいます。

tagawa@mis.ne.jp 2000.7.11


男性

私は自分の娘の経験から現代医学より違う可能性をご提案したいと思い投稿させていただきます。
私の娘は3年前(11才)、側わん症と診断されました。私ども夫婦は医者不信でしたから良さそうなカイロに1年通わせることにしました。その先生はいろいろと理論派のようで安心していたのですが、1年後の検診では悪化していることが判明。夫婦で驚くと同時に後悔しました。やむなく近くの有名な総合病院の整形で診てもらうと上40度、下25度との結果。身長もまだ伸びそうなのでこれ以上進むといけない。ギプスをほぼ24時間装着と指示されました。「これは治りません。今はこれ以上悪化しない方法を取るだけです。」という先生の言葉に家内と私はショックを受けました。もちろん本人も相当なショックだったと思います。私は神に祈る気持ちで考えてみました。
自分がお世話になっている「気」の先生に話してみようと思い当たり相談してみました。すると一度連れて来るようにと言うことで嫌がる娘をなだめすかして家内が連れてゆきました。私は5年前に脳卒中で倒れて以来かちかちの半身マヒをそこで随分弛めてもらいましたから、可能性を感じたのです。
結果は大成功!
40度は3ヶ月後に28度。半年後に20度。1年半後の今はもうほとんど分かりません。
治療していただいたのは「気の研究会」大阪本部です。詳細は以下述べておきます。
治療法はまず、脊柱の周辺にゆっくり気を入れてゆきます。すごく弛んできます。娘は鼾をかいて寝ています。驚いたことに先生まで寝ることもあるようです。そして、弛みきったところで矯正をします。これは少し痛いようです。この間およそ2時間。後は自宅で体操し腹筋・背筋の強化自主訓練ですね。念力でも何でもありません。合気道の極意の応用です。娘の場合、治療日とその次の日くらいは学校に行けないくらい身体がだるくて寝込んでいました。それだけ身体が大きく変わると言うことのようです。中1の3学期から中2いっぱいはかなり休みました。それが副作用と言えばそうです。
少なくとも私自身のマヒ拘縮の軽快と娘の側わん症の改善には適応症例と言うことです。ご興味のある方は以下へ一度ご相談されてはいかがでしょうか。すべての症例に合うかどうかは分かりませんがリスクのある手術の前にご検討される意味はあると思います。

気の研究会・大阪本部
山本先生(本部長) 06−6304−8621
全国組織です。場所によっては対応可能でしょう。但し、側わん症を扱える先生は限られています。家の娘は大阪の後藤田先生という方に治してもらいました。この方は週の半分は名古屋で診ておられます。
東京では大塚先生という方の腕が良いようです。いずれにせよ一度大阪の山本先生に電話していただき、対応可能か確認して下さい。
料金は(大阪の場合)
初診は相談料と言うことで2,000円。
一度どういものか確かめて決めたら良いようにしてくれています。
納得行けば
入会金10,000円
治療費 6,500円(正味約1.5から2時間)
地区により料金設定に若干の差はあるかも知れません。

もう一件、有望な治療院がありますが以下私宛メールにて
お問い合わせ下さい。もちろん無料。
メールアドレス a5508266@mb.neweb.ne.jp



性別 女性

高校一年生のときに、学校の検診で側弯症を発見しました。
すぐに近くの整形外科を受診しましたが、そこでは手におえないということで、群大病院の先生を紹介してもらいました。その時の弯曲は37度位だったと思います。確かに先生のおっしゃる通り、腰痛や疲れやすいなどの症状がありましたが、成長が止まっているということで、経過観察のみで治療は行いませんでした。特に治療らしき事をしてもらえなかったので、だんだんと通院しなくなりました。
 ですが、やはり腰痛や疲労感はひどくなる一方でした。そこでO脚を治療した友人に、カイロプラクティックを紹介してもらい、1年半くらい、週に1回ペースで治療を受けました。カイロの先生がおっしゃるには、内臓の弱っている部分の背骨が曲がりやすいとのとの事でした。確かに私も胃腸が弱く、冷たい飲み物などを飲むと胃痛がするといった具合でした。カイロで胃腸と筋肉をほぐすマッサージを受け、ほぐれたら骨の矯正をするという治療を続け、今では腰痛も疲労感も楽になりました。現在は特に治療は受けていませんが、カイロを受けた後、両親の目にも分かるほど、まっすぐに治ったようです。
 カイロプラクティックを受けようと考えている方、続ける事が大切だと思います。良い先生を見つけて、根気良く頑張ってください。

2000.5.25

性別 女性

初めまして。検索していたらこのページに出会い、体験をカキコすることにしました。
私は現在、都内に住む中学2年生で、小学6年生の時に学校の健康診断で脊柱側弯症がわかり、都内の大学病院に行き診察を受けました。1回目の手術で前から金属をいれて、S字に曲がっている下の方を矯正してもらいました。その後、首から両足の太ももまでギプスを巻くことになり、起き上がることも全く出来ず、トイレにも行けず、ずっと天井しか見えない生活が1ヶ月ほど続きました。
そして、首から腰骨までのコルセットを作成してもらい、お風呂以外はずっとつけなければならないものでしたが、寝たきりの生活のことを思えばあまり苦になりませんでした。約1年続きました。
その後2回目の手術を今年の4月に受け、後ろから上の方を矯正しました。現在、ギプスを首から腰にかけてつけています。
先週の金曜日から1週間、外泊許可がでて自宅療養しています。外に出ると周囲の人がビックリした目で見られるので…。

AND25951@nifty.com

2000.5.22

性別 女性

私は10代の時約4年間に渡ってコルセットを装着しました。16歳でコルセットを装着するのをやめ、現在に至っています。病院にもしばらくいっていません。というのはコルセットの装着は私にとって本当に意味のあるものだったのだろうかと疑問に感じるからです。
私は小学校6年の時に突発性脊椎側湾症と診断されて国立療養所村山病院に行きました。この病院を選んだ理由は側湾症の手術が上手な先生がいらっしゃるという話を医師である親戚が教えてくれたからでした。初診ではレントゲンを撮り、上38度、下20度のS字形側湾症と診断され、脊椎を矯正するコルセットをつけることになりました。コルセットをすると上26度、下16度でした。身長が伸びる間は着けておかないと進行する可能性があるのでお風呂と運動する時以外はコルセットを装着するように言われました。但し、コルセットを着けていると胴体の筋肉が落ちるので、胴体が痩せてしまわないようにいっぱい運動しなければいけないというのです。矛盾しているなぁと思いながらもコルセットをつけましたが、あの頃は中学受験の勉強で忙しかったので運動はあまりできませんでした。
窮屈なコルセットを着けながら晴れて合格した中学で私は水泳部に入りました。水泳は得意だったわけではありませんが身体のためにがんばりました。5月から11月までプールで泳ぎ、その他の期間は筋トレをやりました。練習はきつかったですが、私は水泳部で身体と共に精神力も養われとてもいい体験になったと思っています。コルセットを装着されているかたはぜひ水泳をやってみてください。とても健康になって風邪なんかひかなくなります。
先生の指示通り、もちろんコルセットは毎日装着していました。
最初は寝るのも苦しかったですがだんだん慣れてきました。
夏はかなりきつかったですが身体のため、と自分にいいきかせてがんばりました。
しかしどうしてもがまんならなかったのはコルセットによってできるあざです。私が装着していたものはお尻から胸までの長さで、胃と胸の部分はくりぬいてありました。あざができたのはパンツの下側のゴムの上あたりに位置する骨盤の出ている所と、びてい骨、コルセットの端があたる部分です。その部分の皮膚がコルセットの強い締め付けによって痛み、黒ずんで、皮がむけてしまうこともありました。あまりにも痛かったのでコルセットをゆるめたりもしましたが、しめつけてないと矯正の意味がなくなると言われ、あざの部分にハンカチをあてたりして過ごしました。
あざができることを先生に言うと、あざにオリーブ油をすりこむといい、と教えてくれましたがコルセットを着けてる限りあざを治すことは無理でした。
あざだけではありません。水泳部で身体を鍛えてはいたものの、コルセットで身体を締め付けていれば太れないのはあたりまえです。コルセットをつけている部分だけが太れないのです。ですから、食べたものは全部コルセットを着けてない部分にいきました。おかげでコルセットがある部分とない部分に境目ができ、段になってしまいました。他の部分はだいぶわからなくなりましたが、今でも足と胴体の境目には肉の厚さに差があります。
コルセットによる弊害はもう一つあります。コルセットによって背筋を伸ばすことに慣らされていたため、背中を丸くすることができなくなったことです。ですから私は“でんぐり返し”がうまくできないし、机に向かう時は背中を丸くできない分、首で本と目の高さを調節しなければならないため首が痛くなってしまいます。日常生活に大した影響はありませんが、身体が固くなってしまったのはやはり悲しいです。
このような悩みを抱えるうちに私は、側湾症の進行を防ぐためとはいえこんなにも身体を傷めてしまってはかえって悪影響なのではないかと思うようになりました。
病院には年に2回行っていましたが患者さんが多く、先生がお忙しいためか、2時間待たされて診察は2分という感じでした。最初の頃は側湾の角度が少し小さくなっていたことがあって、「がんばってコルセットを着けているおかげで治ってきたのかも」と喜んでいましたが、何回か行くうちに変わらない時もあれば良くなったり悪くなったりもして2〜5度の間で変化していました。悪くなった時は、コルセットして運動もしているのにどうして!と思い不安になりましたが、そのうちにレントゲンを撮る時の状態や、その日のコンディション、角度を測る時の誤差が影響しているのでないかと思いました。そこで私は、身体を動かしたり自分の手で触ってみたりすることによって背骨の状態を自分で感じるように努力しました。自分の身体をわかるのは自分しかいないと思いました。そうしているうちに無理をした時や運動不足になった時に悪化し、きちんと運動をして休養もとっている時は調子がよいことが自分でわかるようになりました。
そして私は16歳の時コルセットをするのをやめました。身長の伸びも止まったし、身体を傷つけるのはもう嫌だったのです。これからは自分で自分の身体を守ろう、と決めました。
コルセットをはずしてからはとても爽快でした。好きなように動けるし、あざも少しずつ回復しました。私はコルセットのせいで削げ落ちてしまったお尻の肉をつけるために近くのスポーツセンターに行ったり、市民プールに泳ぎに行ったりと、必死でした。
コルセットをつけない生活をして半年くらい経って病院に行きました。その時は先生に怒られるのが恐かったのでコルセットをして行きました。背骨の角度を測ってみると以前よりよくなっていました。「前より少し良くなってるからこのままコルセットをしてて」と言われましたが、私は「はい。」と返事をしただけで半年くらいつけてなかったことを言いませんでした。もちろんそれからも苦しいコルセットをつける気なんて全くありませんでした。
それ以来病院へは行っていません。コルセットもしていません。
これから先どうなるかわかりませんが、できる限り自分の身体は自分で守って行きたいと思っています。
脊椎側湾症は原因がわからないことが多い病気ですが、わからないからといってお医者様の言うことを聞いていれば良いというものではないと思います。そして自分の身体の状態にもっと敏感になることをお勧めします。
脊柱側湾症と診断される人は日本では100人に1人くらいの割合だったと思います。程度はいろいろだと思いますが、そんなに少ない数ではありません。辛いこともあると思いますがみなさん頑張ってください。

2000.5.14

性別 男性

体験記
息子が、この夏手術をすることになりました。7歳なのでとても不安です。でも、もう55度にもまがっているとのこと。都内のs病院ですが、簡単に決めていいものか悩んでいます。
手術ミスがあったら死にますから。今はただ、祈るのみです。

ucky@mth.biglobe.ne.jp 

2000.5.8

性別 女性

体験記
私は、最近手術をして、退院しました。
最初に側わん症がわかった時は、小学校5年生の時でした。
中1の時に、専門の病院に行きました。
その時は、54度で、手術かコルセットと言われましたが、私は、手術する事に決めました。
そして今は、半年間のコルセット生活です。
手術はやっぱり辛かったけど、今は、手術をしてよかったなぁと思っています。
痛い事も、イロイロあったけど、いろんな人と知り合いになれたし、順調に終わったし、よかったです。
これからもう少し我慢しなくちゃいけないけど、がんばります。
皆さんも、がんばって下さい。
何か聞きたい事などあったら、一緒にメールしましょう!

mai-h@bu.iij4u.or.jp

2000.5.3

性別 女性

私は、中学校2年です。小4の時の検査で側湾症と診断されました。
確か上20度下17度だと思います。でも、整体に通ったり接骨院に行ったりして上17度下14度と、少し楽になりました。
皆さん頑張ってください
ohta-mje@tctv.ne.jp

2000.4.27

性別 女性

体験記
私は中学1年時に学校の健康診断で脊柱側湾症がわかりました。
大学病院に行き診察を受け胸から腰までの装具をつけました。
学校に行くときも何回か装具をつけて通学しました。
人の目や動きにくさなどを理由に自宅だけしかつけなくなりました。
はっきりと覚えていませんがそのころの湾曲は35度ぐらいだった
と思います。
3年程病院に通いましたが病院が遠かったのと高校に入ってから
病院に行くのがおっくになり治る前に行かなくなりました。
それから10年以上経ちます。
最近になって腰がだるかったり、背中が重たいことがあります。
職業がら(保育園で保母をしてます。)子供を抱くことが
多いためかなと思っていたのですが・・。
これも側湾症のせいなのかなとこのごろ考え始めました。
大人になってからの治療方法など教えてください。

2000.4.24

性別 女性

体験記
はじめまして。私は中1で、京都市立病院で手術を受けました。
手術は、75度になったときでした。
1回目の手術では、前から金属をいれて、S字にまがってる下の方を矯正しました。
手術自体はいたくないんだけど、2週間、ずぅ――っとねてなければいけません。もちろん、トイレにもいけません。
そして、その2週間がたつと、次はギプスを巻きます。
それは、別にいやではありませんでした。
今までの事にくらべたら…。
そのギプスも2週間でとれました。
そして、そのあとはコルセットをしました。
それは半年です。
これは、ギプスよりも、もっとらくで、ぜんぜん普通でした。
2回目の手術は、後ろから上の方を矯正しました。
1回目よりも痛みはありませんでしたが、意識がはっきりしていてしんどかったです。
そして、今はギプスをはめています。
入院しているのですが、外伯中です。

これを読んで、知りたいことなどがあれば、
メールくださいね。

yamawaki@kcn.ne.jp 

2000.4.17

性別 女性


体験記
はじめまして! 九州に住む、2児の母親です。(高3・女/中3・男)  昨夜、3年ぶりの病院(西洋医学))の検査から帰って来るなり、下の子が、急いでパソコンの前につれてゆき、このHPを見せてくれました。まさか・・・まさか?!。全国にこんなにたくさんの仲間がいるなんて、思ってもみませんでした。               
 娘は、中1の夏、肺炎のX線写真で側わん症がわかり、内科の医師に精密検査をすすめられました。でも、その時は、あまり危機感もなく初めて聞く病名だったので、聞き過ごしていました。それよりも目前に迫った水泳のジュニアオリンピックのことがいっぱいで、不覚にも肺炎になりそれを治すことに必死でした。幼稚園の時から始めて、オリンピックは、夢でした。そして、無事出場でき、次の大会に向かっていく、そのほんのつかの間に(とにかく学校以外は、水の中)軽い気持ちで整形外科(全国でも有名)を尋ねました。トレ―ニングによる筋肉痛は、いつも抱えていたけれど、違和感のある痛み等ありませんでした。しかし、その病院は、有名にも関わらず、すぐに別の病院を紹介され、だんだん不安になってきました。そして、紹介された病院は、身体障害者専門(小児)で初めて見る待合室の様子は、今でも忘れません。全身にギプスをした子、車イスの子。二人とも言葉がみつからず、涙を抑えることができませんでした。次にくる自分の運命に比べると甘えていられないと娘の気持ちを大きく左右した待ち時間でした。初診で、39°のS状の特発性側わん症で特に腰椎がひどい。医師に こんなになるまで放置してと言われ、早く気づいてあげられなかった事の後悔で、倒れそうになる母親を、支えてくれたのは、当の本人の娘でした。(立場が逆!)その日は即、ギプス作成。生活は、今までどおりでギプス着用が加わるだけで、水泳は続けました。しかし、皆さんと同様にギプスに関していろいろと問題点が発生しました。その一つ一つを相談しても医師は、皆我慢している事だからといって何のアドバイスもなく半年が過ぎました。その間、44°そしていわゆる手術の数字・・・50°になりました。しかし、このギプスは、効果がなかったけれどこの間、二回目のオリンピック出場、国体強化選手に選ばれたり、と本人には納得いかないことです。そしてこの半年間の医師への不信感もあり、手術拒否。この時、親としてどう判断するべきか随分悩みました。相談する人も情報もなく、最後は家族だけで決断しました。娘の体であり、娘の人生だから悔いのないようにしようと・・・。その日から、娘は、精神的にどんどんたくましくなっていきました。その後、側わん症に関しては、病院(西洋医学)でなく、東洋医学を試してきました。漢方、整体、気功等いろいろ試してみましたが、 娘には、カイロプラクテイックが合っているようです。何よりも先生を信頼しています。元にもどすことは、不可能ですが、成長が止まるまで少しでも進行を抑えてくれればと思っています その娘も、この4月から高3の受験生です。水泳は、中3の夏、国体強化合宿参加を最後に引退。周りの人の声も聞かず、あっさりとやめてしまいました。自分なりの水泳への達成感に満足し、次の目標である大学進学に向かっています。そして、以前から側わんに詳しい医師がいる(福岡)と聞いていたので、先日行ってきました。前回のこともあったのであまり期待もせず・・・予想どうり、3年間もギプスを着けず、おまけに医師でもないカイロに任せるなんてと、ひどく軽蔑されました。数字は、不確かな58°(この医師も専門ではなかった.本当に九州には、専門医がいません。このHPで全国に専門医がこんなにいたなんて、驚きました。)この数字をどうとるか迷っている私に娘は、やっぱりあの時手術をしなくて良かった!。病気に負けたくないという娘の意思は、ますます強くなっていくようです。手術の数字は、医学書では決まっているかもしれませんが、その人の体形、骨のしくみ、それまでの経緯( 痛み、進行速度)すべて一人一人で違うと思います。それを数字だけで判断してほしくない。そして、医師は、もっと患者の声を聞いてほしい。
 これから、どうなるか予測がつかないのでとても不安です。だだそばで見守ることしかできない、頼りない親ですが、こんなにたくさんの皆さんが闘っていることを知り、とても心強くなりました。このHPに出合えたことに感謝します!そして、最後まで読んでくださったあなた、ありがとう!

2000.4.6

性別 女性

体験記
私は、中3から3年間、側わん症のためコルセットをつけていました。24時間中23時間はつけないと意味が無く、お風呂にはいるときが、唯一自由の時間。満員電車で人とぶつかれば、コルセットをつけているため、堅いので、驚かれたり・・・・。
結局、コルセットをはずしたのは、一日中体が空気に触れる事もないし、お風呂にちゃんと入っていたのに、体に、かびが生えてしまった
から・・・・。あれは、もう、精神的にも限界でした。
自分の体、どうしてこんななの??って、思う毎日。

そんな私は、この間、男の子を出産。もし、私の側湾が、この子にも遺伝してたら・・・・。と、不安でしたし、私自身、無事出産できるかどうかも不安でした。でも、無事出産。ホントに、良かったけど、
これから、健診で、小学校に入ったりして、側湾が出てこなければいいな・・・・。

o-neko@d4.dion.ne.jp 

2000.4.1

性別 女性

体験記
こんにちは。
私は、中3の頃に病院(群大病院)で側わん症と言われました。
その頃は、自覚症状はありませんでした。最初は父親と病院に行ったのです。
角度は何度か忘れましたが、先生に、『このままコルセットを付けるか付けないかは任せますが、もし、私の娘が同じ症状だったら
コルセットをさせる。』という話をされて、コルセットをすることになりました。
胸から下のコルセットを付けて、毎日過ごすようになりました。
病院で一緒になる、同学年くらいの女の子と、そのお母さんと少し話すようになりました。
その女の子のおかあさんは、『どうにかして、治してあげたい。できることは、何でもしてあげたい。』と、話していました。
すごく優しい人でうらやましかったです。うちの母親には、『お前の背骨は奇形の熱帯魚みたいに、くねくね曲がっている』と言われて、傷ついていたので・・・。
コルセットは毎日していましたが、成長に合わせて作り替えなくてはいけません。次の診療の予約日に、病院に連れていってと母親に言ったのですが、コルセット代が高いから、もう病院に行かなくてもいいよ、と言われました。私も病気の進行が不安だったのですが、コルセットに締め付けられた毎日も辛かったので、母親のせいにして病院通いをやめてしまいました。
コルセットは1年もしていませんでした。
今考えると、(私の気持ちも原因の一つですが)、母親のいいかげんさに少し腹が立ちます。
考えてみると、その後4cm身長が伸びたりして、父親や妹に、背中が出てきたと言われたりしたので、進行していたのだと思います。
症状としては、右側の肩甲骨の下辺りがいつも張った感じで、疲れていて、肩凝りがひどく、たまに頭痛がします。
背中が気になると、背中をボキボキならしているんですが、鳴りかた(鳴る位置)が変わって来ているので、やっぱり進行しているのでしょうか?
その10年後、(25歳のとき)、防衛医大の、側湾症専門の先生に、診てもらいました。前のレントゲンが無いので、進行している
かどうかは分からないが、このままで放置して、悪くなる可能性は5パーセント、と言われました。(どういう数字かよくわからない
ですが)角度は、30度くらいだったと思います。
成長は止まっているので、これ以上悪くならないとかってに自分で思っています。でも、悪くなったら・・・と思うと不安です。
これを書いている今も、背中の曲がっている部分が張った感じで、疲れます。これが一生続くと思うと、憂うつです。
このページを読んで、私と同じ症状の人がこんなにいるのか・・・と驚きました。
手術も、聞いただけで、すごく辛そうです。でも、手術して、
良くなった人の話を聞くと、うらやましかったりもします。
年をとった後のことも心配です。側湾体操とか、普段気をつけた方がいい事など、知っている人がいたら、教えてください。
今まで悩んできた、病気の進行のこと、母親への不信感など、誰にも話せなかった事なので、今回皆さんに聞いてもらって、
スッキリしました。ありがとうございました。

2000.3.11

性別 女性

体験記
11歳の時に発覚、最初に通った病院がちゃんとした知識の有る所ではなかった為、コルセットも「昼間装着し寝るときは外す」という反対の支持を受けて約1年半すごし、一向に良くならず、その後東洋の針治療が効くと人に薦められるまま(当時何も情報が無かったので「いい」と言われる者はなんでも試してました)約2年間通い(週に3回)
結局最初と別な病院(防衛医大)で専門医を紹介してもらい(国立・村山病院)手術を受けました。上90度 腰60度 にまで湾曲していました。術後は、60度 30度になり、身長も7cm伸びました。術後1ヶ月間寝返りも打てず、寝たきりでその後、上半身首から腰までの石膏のギブスで6ヶ月間、その後脱着可能なコルセットを4ヶ月....そして約18年経ち現在に至ります。当時を振り返るともう2度と経験したくないと思いますが、手術を受けて良かったと思っています。当時と今とでは技術も発達し変わっているとは思いますが....
今は背筋を鍛える為に水泳をして、腰痛を予防しています。

2000.2.25

性別
女性

体験記
小学6年生、特発性脊椎側わん症の女児の母親です。この病気とわかったのは、娘が5年生の運動会の後でした。父親が、座ってテレビを見ている娘の後姿をみて、「おい、○○の背中 ちょっとおかしいぞ」と言うのです。確かに、右側のほうが出ています。それでも そんなにたいした事と考えず、「また、こんど学校が休みの時に病院に連れて行くわ。」という私に、父親はすぐ連れて行くように強く勧めました。早速、次の日病院に行き レントゲン写真を見たときの あの驚きは、なんと表現すればいいのでしょう。「うそでしょう!?、これは何かの合成写真かなにかで うちの子の写真ではないに決まっている。背骨があんなに曲がっているのなんて見たことないもの!」  
信じたくない! 心の中でずっと思っていました。 けれど、医師は《普通に》、《さほど驚きもせず》「特発性側わん症です。現在33度の曲がりです。成長に従って進行します。原因はわかりません。女児に多い病気です。コルセットを・・・・・。」と説明を続けました。本当に頭がパニックになりました。家に帰ってからも、呆然としていました。(恥ずかしい話ですが、この年まで この様な病気があることも、こんなにたくさんの人がこの病気と闘っておられることも知らなかったのです。)
 次に、自分を責めました。お父さんが気づいてくれたから良かったものの、なぜもっと早く気づいてやれなかったのか。 もっと早く気づいていれば 運動会の組体操で もっと重みのかからないパートにしてもらえることも出来たのに。(娘は、背が高いほうだったので 小さな子を肩の上にのせて、毎日毎日練習していたのです。)だったら、こんなに曲がっていなかったかもしれないのに、..と。
 8月26日の「側わん症の子供さんを持つお母さん方の為に」を書いておられるお母さんに、共感することばかりです。
「なぜ 私の娘なのだろう」「なぜ 母親の私でなくて、私の娘なんだろう」・・・私も同じ気持ちです。代われる事なら代わってやりたい。だけど、どうすることも出来ない歯がゆさ.....。道行く子供たちの後ろ姿を見るたび、ついつい背中を見ている自分に気づきます。ああ、あの子もまっすぐだ。この子も どの子もまっすぐだ。だのに、何故、我が子だけが....と思ってしまうのです。
 とにかく、この子の治療のために 出来るだけのことをしてやりたいと思いました。地元の病院から 脊椎専門があるという京大病院にかわりました。けれど、ここではコルセットを装着する以外 何もおっしゃいませんでした。コルセットと平行して、進行を遅らせるてだては 何かないかと尋ねましたが、特にないとのことでした。でも、じっとしていることは出来ませんでした。人からカイロプラクティックがいいと聞けば、そこに通いました。接骨院にも行きました。テレビの『奇跡の体験アンビリーバボー』で同じ病気の女の子が手をかざされただけで治って、コルセットをはずして帰ったという番組を見れば、なんとか我が子も受けさせたいと、テレビ局や番組制作会社に電話して その先生をつきとめて、九州まで行ったこともありました。(これは、「先祖の成仏できていない霊がのりうつって病気になるのだから....しないといけない」とかいわれ、いかさまっぽいものだと
思ったので、受けずに帰りました。 今、思えば、そんなバカなこと・・手をかざすだけで治るなんてこと・・ある筈ないじゃないかと思えますが、その時は 本当に どんなことでもいい、治るというのならそれにすがりたいという気持ちで一杯だったのです。)
 病気がわかってから1年と数ヶ月経とうとしています。診察のたびに一喜一憂です。少しずつ進行しているようですが、今は ”やっぱりコルセットしかないのかな”という心境に達しています。 
 本人には「病気であることは何にも恥ずかしいことではないんよ。」と言い聞かせ、学校にも 友達にも娘の病気のことを話しました。先生方は勿論、クラスの友達も 良く理解してくれているようです。体育の時は、コルセットをはずしていますが 別室(先生の宿直室をお借りしているようです)にも、友達がついてきて手伝ってくれているようです。(今ではもう充分一人で脱着できるのですが..。)
やさしい友達にも恵まれ、楽しい学校生活を送ってくれているのが何よりの救いです。
 以前は、「何でわたしだけ こんな病気になったの?」と弱音をはくこともありましたが、『五体不満足』を読んでから、一言もいわなくなりました。手足がなくてもすばらしい生き方をしている乙武君から、6年生の娘なりに 何かを得たのでしょう。
 夏、汗びっしょりになって帰ってきても、「おかえり、あつかったでしょ」というこちらの心配をよそに 「うん!」と言うなり、パッとシャワーをあびて、服を着替えて またコルセットをつけて遊んでいます。矯正パットのあたるところが紫色に変色して、痒がりますが一言も泣き言をいいません。(体験談を書いておかれたお母さんの娘さんと同じです。) それがまた、よけい不憫なのです。
 毎晩、寝る前に娘の寝顔を見ます。まだ、こどもっぽい あどけない かわいい寝顔です。 髪を撫でながら「神様、どうしてもまだこの子の背骨を曲げなくてはならないようなら、どうぞ、その分を私に曲げてください。」と祈っています。(聞き届けて下さるといいのですが....)
 こうして、みなさんの体験談を読んでいると、心強くなります。
娘は今、骨の成長が止まって コルセットのはずせる日の来ることを楽しみに待っています。 私は、娘が「どこどこが痛い」というたびに内心ドキッとしながら「大丈夫!、きっと成長痛よ。」と明るくふるまうようにしています。誰かも書いておかれたように、『乙武君のお母さんのように、おおらかに 甘やかさずに』見守っていこうと思っています。 

kanatyk@mb.infoweb.ne.jp

2000.2.21

性別 女性

体験記
はじめまして、24歳、うさぎといいます。
このH.Pを見てこんなにたくさん側湾症で悩んでいる人がいることがわかり、少し心強くなりました。
私がこの病気を気にし始めたのは、中学3年生くらいからです。
ウエストのくびれが左右対称でなく、骨盤がゆがんでいるな。と思ってました。
でもこんな人だれもいないんだろうな。と思い誰にも相談しませんでした。
みなさんは学校の健康診断で分かった。とありましたが、私の場合一度も言われた事はありませんでした。特に腰が痛くなったりする事も。
一番気になったのは、ゆがんでいる所にはそこを守ろうとして変に脂肪(肉)がついてしまい、お腹、腰の部分だけキューピーちゃんのように太っている事です。
だから温泉や海にいくのがすごく嫌なんです。水着のうえには必ずTシャツを羽織っています。でも普段は楽天的な性格も手伝って気にしないようにしてます。
就職する時に一応と思い、整形外科でレントゲンを撮ってもらいました。
それを見た時はかなりショックで現実を突き付けられたって感じでした。
その時はもう20歳すぎだし、成長も止まるからこれ以上悪くなる事もないし、普通の生活に支障はない。と言われ、本で子供が器具をつけている写真もみせてもらいました。みなさんが言っている器具っていうのがその事なら本当に大変だと思うし、
私だったら自分に自信を無くしてしまうと思います。
 ところで最近カイロプラクテイスとか整体とかで側湾症を治します。という広告とかを見るんですが、体験した事ある方いますか?
私も2、3年まえに一度行った事があるんですが、そこでは歪んではいるけど、側湾症ではない。と言われ、治療をされてこれで歪みは治ってると思う。と言われたんですが外見は全然変わってなく、それ以来行くのをやめてしまいました。
 また最近別の治療院の広告を見つけたんですが、今行こうか悩み中です。
 もし、整体などですこしでも歪みが治ったっていう方はお話を聞かせて頂きたいと思ってます。
 これからも何か良い情報があれば、その治療法をやってみたいと思ってます。
 みなさんもこの病気に負けない様に頑張りましょうね。
yokomizo@fsinet.or.jp 

2000.2.6

性別 男性

体験記
このHPを見て、たくさんの方々が側湾症と闘い、そして共生していることを知りました。私の経験から話すと、多感な思春期であり、友人と共に学校生活等を楽しみたい時期に、がんばってコルセット等の(私の場合は、ミルウォキーブレイスでした。)治療を継続すること本当に大切です。そうすれば、20代、30代に苦しく辛い思いをしなくて、いいと思います。
 私の側湾症による最初の治療は、中学1年生頃だったと思います。確かコルセットの完成するまでということで、頭から腰までギプスを巻いて矯正をしたように記憶しています。1か月位ギプスで過ごしましたが、重くて、暑くて、なにより入浴出来ないのが辛かった記憶があります。今と違って当時は、石膏の白いギプスでした。コルセットの完成後、正直ほとんど装着しませんでした。これが後々後悔することになるのですが、当時は若気の至りで、両親や医師、学校の先生目上の人々全てに反発してしまいました。結局この後、コルセットは自分で外してしまうので、検査と称して、麻酔の効いている間に、また頭から腰にかけて石膏のギプスで固定、矯正されてしまいました。ほぼ、1年6か月ギプスをつけて、学校も行かず、週に1・2回フードのついた上着をはおって、人の少ない午前中に書店へ行く生活をすごしました。幼稚園児にギプス姿の私を見て、白いおじぞうさんと言われた時や、怖がられて泣かれた時は、本当に死にたい位辛かった憶えがあります。結局、中学校は卒業できましたが、勉強をおろそかにしていたため、高校受験に失敗。これを契機として両親もあきらめたのか、私の 一切の治療拒否に同意してくれました。後から聞くと、長い間体幹をギプスで固定していたため、下顎の歯がほとんど抜けてしまったり、体の筋力(特に、腹筋と背筋)が衰えたこと、肺活量が極端に減少するなどの弊害が発生し、このままギプスの生活を送っても逆に寿命を縮めることになっていたからだそうです。
 この後、1年遅れて高校生となり、その後、大学生活4年間と社会人の2年間くらいは、体幹全てがしんどくて辛い時もありましたが、人並みに過ごすことができました。しかし、25歳過ぎ頃から我慢できなくなり、9年ぶりに病院へ行くと、15度以上も側湾がひどくなっており、90度近くまで変形しており、手術をすすめられました。でも、手術をすると下半身に麻痺がでるかも知れないと言われたため、結局手術は受けませんでした。この後、現10年以上も温存治療ということで、仕事中は、胸椎から腰椎までの硬性モールドコルセット、自宅に居る時や就寝の際には、頸椎から腰椎にかけての硬性モールドコルセットをつけて過ごしています。コルセットを付けないと、1時間もすると背中が痛くなり、足がしびれてしまうのです。このほかの対処療法として、年次休暇や夏期の休暇等を使って入院し、ギプスによる固定療法も年間30日位行っています。このギプスですが、現在はガラス繊維系の軽量でしかも壊れにくい材質にかわり、本当に助かります。頭から腰までギプスで固定しても以前の石膏のギプスと比べて1/3程度しか重量がなく、しかも通気性が確保されており、なにより数 10分で乾燥固化するので、ベッド縛られなくなりました。また、コルセットもセルロイド性からポリ性に材質が替わり、コルセットの悪臭や汚れから解放されました。
こう振り返ると、今、ギプスやコルセットを付け、辛い思いをするか、若い頃に辛い思いをするかということになります。できれば、今、側湾症との闘いを始めたばかりの人は、辛いでしょうが、コルセットをつけ、未来の自分を救ってあげてください。また、けっこう側湾症のキャリアが長い方は、私のように、体幹ギプスによる定期的な対処療法や、硬性コルセットの着用をしている方がいらしたら、情報をこのHPで提供してください。
 

2000.2.5

性別 女性

はじめまして。同じようなことで悩まれている方が沢山いるんですね。私もその一人です。私は中学2年生のとき脊柱検査で分かりました。それまでに、少し肩が落ちていたのでなんとなく自覚症状はありました。私より母がすごく悩み、色々と試しました。兵庫医大へ行きコルセットも作りました。着けた姿を見て母は悲しんでいました。
カルシュウムをとったり、色々しました。カルシウムは、牛乳でも低温殺菌のほうが摂取しやすいそうです。また、コルセットは筋肉を固くするためあまり装着してはいけなく、筋肉を動かさないといなけいそうです。側湾は、まずは骨盤の歪みからきているそうです。
1日一回だまされたと思って青竹のようなものを腰にあて左右交互に運動してみてください。腰痛がちがいますよ。首も同じようにしてみて下さい。

autopro@sage.ocn.ne.jp 

2000.1.25

性別 女性

はじめまして、最近、このホームページで、自分以外にも、そくわんで、悩んでいる人がたくさん入る事を知りました。私は10才のときに(昭和41年頃)発症しましたが、突発で、原因不明といわれ、その頃は、まだ珍しい病気でしたので、暗闇に落ち込むようなショックを受けました。先生の診断では、骨と筋肉の成長のアンバランスである事、又遺伝性はないとの事でした。1ヶ月ほど入院して、ベッドに寝たきりで、首と腰に砂袋をぶら下げる、牽引をし、退院後は、コルセットをつけての通学。自宅でもベッドや牽引の器具を買い、しばらくつずけました。25歳くらいで、骨の成長が止まるから、これ以上は、進行することはないだろうとのことでした。20代、30代は生活に何の不自由もありませんでした。
私は軽度のほうだったのでしょう。
しかし、30代中ごろで、出産した後ぐらいから、慢性の頭痛に悩まされ始めました。毎日朝から寝るまで、締め付けるようなずつうに苦しみながら、子育てをしました。
最近、慢性頭痛患者の会というのが、発足して、すぐに、入会しました。薬でも治らない原因不明の頭痛に苦しむ人がたくさんいます。そのなかで、自分の頭痛は側湾と関係があるのではないかと思い始めました。最近腰痛まで出始め、接骨院通いをしています。
もともと楽天家なので、あまり暗くならずに、前向きに生きてきたつもりですが、このぶんだと、老後の困難が予想されて、ちょっと不安を感じています。1人娘は、まだ7歳、まだまだ、親が元気でいてあげないといけません。とびっきり元気な娘の親として・・・・。
どなたか、わたしとおなじような、慢性の頭痛をかかえていらっっしゃるかた、メール下さい励まし合いましょう。また、水泳は筋肉の発達にいいといわれたので、娘には水泳を指せています。いまのところ、遺伝の兆候は見られません。

akiakane@mail6.alpha-net.ne.jp 

2000.1.21

性別 女性

体験記
私は小学5年の健康診断で発覚しました。
小学6年の時コルセットを着けなければならなくなりました
首から腰まであるものです。でも最初は聞いたところでピンとこなかったので「ふーん」と思っていたのですが、コルセットが出来上がってきた時かなりのショックを受けました
締め付けで目の前が真っ暗になり吐き気まで襲ってくるし...
こんなものをずっと着けなければならないのかと気が遠くなったのを思い出します。
慣れて来たころには気にならなくなり普通に暮らしていましたが、ある時自分の写真を見て「なんて不恰好なんだろう」と思いそれからは気になって仕方ありませんでした。
 中学2年のころから着けなくなりどんどん進行していきました病院にも行かず親を困らせていましたが、高校生になった時「もう二度とコルセットは着けない」と言う約束で病院に行くことにしました診断結果は「手術」でした。
今は普通の生活を送っていますがたまに背中が痛くなることがあります。 でも私が選んだ道を後悔していません。してる事と言えば
親を苦しめてしまったこと........です。
<最後に>
病気に負けず皆さんには頑張って欲しいと思います。きっと私達より大変な人達は沢山いるのですから。   <文章がへたですいません>

rock-on@nona.dti.ne.jp

2000.1.22

性別 男性

 こんにちわ。18才の弟が側わん症と診断されました。
実家の農作業の手伝い中、腰の痛みを訴えたので、翌日、市内の病院に連れて行きました。
以前から弟は、背骨がまがっていて、家族も猫背だと思っていました。
そのせいか、身長も年頃になってもあまり伸びず、(160cm)本人は少し気にしているようでした。
弟のレントゲン写真を見た時、ショックでたまりませんでした。
腰の部分の(短い曲がりでしたが)骨がまがってたのです。お医者さんからは、「もう、ある程度成長も止まってるので、いままで問題なく生活してきたのであれば、手術の必要はないけれど…」と言われましたが、大人になってから手足のしびれ等が出てくる可能性が大きいそうです。みなさんのコメントに、角度が何度…と書かれていますが、先生いわく「治療を要する角度」だそうです。
先の事を考えていても、仕方ないのでしょうが、不安でたまりません。弟の背中の異変に気がついた時に、家族にきちんと相談すればよかった、と後悔の念でいっぱいです。
先生には、手術で背骨をまっすぐにすることもできるけど、いろいろなリスクを考えると、なんとも言えない、と言われました。
本人も私も、手術は避けよう、という結論になりました。でも、進行をさけるため、コルセット等の機具はどうか、と考えています。
みなさんのコメントを読むと、機具を使うということは簡単なことではない、とも感じていますが、なにもしないよりはいいのではないかと考えました。
今のところ、弟は体調が悪いことはないそうですが、日常生活でどういうところに気をつけたらよいか等、アドバイスをいただきたいのです。
先生とじっくりお話したかったのですが、先生にお時間がなかったので、また病院に行ってみよう、とは思っていますが…。
側わん症に関しての知識は全くといっていいほど、ありません。これから、弟と一緒に、しっかり向き合って行くつもりです。どうぞよろしくお願いします。

sana_m@d2.dion.ne.jp 

99.12.29

性別 女性

体験記
私は31才の主婦です。今年の5月に2回に分けて手術をしました。
80度近く曲がっていました。そして50度弱まで矯正できました。
めずらしいのかわかりませんがそれまで痛みもなく普通に結婚し子供2人を普通分娩で出産もしました。
下の子供が4才になった頃将来に不安を抱き学生のころにもかかった大学病院へいき手術を強く勧められ決心いたしました。学生の頃は手術をしなくて大丈夫という先生につき定期的にレントゲンを撮っていました。でも今回50度以上だと重力に負けてしまうという理由で主治医の先生を信頼して1年準備期間をもうけて生まれて初めての手術を受けました。痛みはまだ少し残ってしますが家事はこなしております。はっきり言ってかなりなコンプレックスを持っていましたが側湾は、私の個性とばかりに強がってプールへも堂々と行ったり、細身の服も着ていました。私は右肩下の甲骨がかなり出ていたのです。
本当は誰かが後ろにいるととても緊張して息苦しいほどでした。
手術しても50度もありますがだいぶ出っ張っていた甲骨はへっこみました。側湾の手術をするにはおばさんの部類だったようですが手術をうけてよかったと思っております。
とてもプライベートな事を公表するのはすこし勇気がいりましたがあるきっかけがあって投稿してみようと思いました。
若い女の子たちが一番気にしてらっしゃる出産できるかどうかということですが、私もかつては絶対無理だという烙印を押されましたが、2人も正常分娩で出産することが出来ました。それだけを伝えたいと思います。最終的には手術を選択しました。80度にもなっていたので仕方のないことでしょう。でも今回の手術で手に入れたものもたくさんあります。

99.12.21

性別 女性

体験記
うちも息子が側わんで、コルセットをつけてます
まだ小学校一年生でかわいそうなんですが 根が明るい為たすかってます。私は落ち込みやすいタイプなんですけど子供の前ではウジウジしたところをみせないようにしてます。
半年後に病院に行く予定なんですが何もせずにいることは耐えられずあるところにかよってます。 靴の中に中敷きをいれて歪みなど少しずつなおす。効果はまだわかりませんがいれてます。
お風呂上がりには腹筋、背筋もやり少年野球では、遠くまで投げれたり別の意味でも効果がありました。これからもがんばっていきたいと思います。

99.12.15

性別 女性

体験記
皆さん、はじめまして。 私は30歳の独身です。 私も幼少の頃から側わん症と共存しています。 私の場合、中学1年の時の健康診断で初めて側わん症であることを知らされました。 今、思えば 私自身自覚症状があったことを認識しています。 小学校4年生くらいでしょうか、ランドセルをしょると 背中の右側にランドセルがあたり左側にすきまができていました。 子供でしたが、相当 不快な思いをしながら学校に通っていたことをはっきりと覚えています。私は その事を両親に告げましたが両親も「背中の右側が少しでっぱっているけど、きっとそれは ソフトボールをやっているせいで、筋肉が変な風についただけじゃない。」と真剣にとりあってくれませんでした。
その後は中学1年まで何も知らずに過しました。 その当時の診断では18度程度の曲がりなので何も心配はないと言う事でしたが、成長期での進行を防ぐ目的で首から下、身動きのできない装具を作りました。 夜眠るときと家にいるときしか装着しませんでした。 本当につらくて、痛くて、痒くて、 でも やっぱりこの時きちんと先生のおっしゃったことを聞いておけばよかった。。。と後悔しました。 19歳のときに思い切って手術を受ける決心をしました。 自分でもかなり進行してしまっていると自覚があったので 両親に相談し、手術をしたい旨を伝え、父の知り合いの方に東京都済生会中央病院の鈴木先生を紹介していただきました。 鈴木先生の診断では 私の場合は手術はしなくても支障はないが、した方が好ましいということで 先生にお任せしました。 手術前のCTスキャンで自分の体の中をみた時、本当にショックでした。 右側の肺が半分くらいにへこんでいるのです。 術後は回復も順調で、勿論、いまでも首からウエストのあたりまでの切った後はしっかり残っていますが、それに 右肩甲骨のでっぱりもそのままですが、それ以外は何の変化もありません。 呼吸するのも楽になりました。 ゴルフもします、ハイキングも。 健康に毎日過しています。 こんな私も、21歳で単身北米に渡り、語学を勉強して、その後、永住権を取得し そのまま住み着いています。 ただ単に、日本でのあの満員電車で通勤するのが耐えられなかったという理由なのですが。。。現在は、北米の航空会社でスチュワーデスとして飛んでいます。 とても楽しいです。 腰痛などに悩まされていないの? 側わん症でスチュワーデスとしてやっていけるの?と思う方が多いと思いますが、側わん症だから、自分自身、乗務中は細心の注意を払って仕事をこなしています。 他のクルーの方たちは 「腰が痛い!」といいながら仕事をしていますが、私は いまだに腰痛に悩まされた事がありません。 無理はしていませんから。 今、本当に毎日が充実しています。 側わん症で悩んでいる皆さん、私もその一人でした。 でも、悩んでいても何の解決にもなりませんよ。 自分のおかれた状況をしっかりと受け止めることができれば、すっきりしますよ。 頑張りましょう。 うまく文章をまとめることができませんでした。 読みにくいかもしれませんが お許し下さい。

  shoko@intergate.bc.ca 

登録日 99.11.8

性別 女性

  若い方の体験記が多いですが、私は41歳になります。そして、同じ側わん症でも皆さんと違うのは、小児麻痺(ポリオ)からくるものだということです。今でこそポリオワクチンは誰でも接種できて、過去の病気になりましたが、私が生まれた頃はワクチンもなく大流行しました。両足に麻痺が残り、その延長線上の背中の筋力もおかされて、筋力に左右!差ができたために、強い方に引かれて、背骨がどんどん曲がってくるという症状でした。
私の場合、中学一年生で手術をうけ、背中には金属が入ったままです。また、金属だけでなく、骨の隙間をふさいで再び曲がらないように、両足のすねの下あたりからと、両腰の四箇所から骨をとって背骨に移植しました。その頃はこんな大掛かりな手術だったのです。術後はギブスをまいて寝げDきりで、座ることができたのは、6ヶ月後のことでした。そして、ギブスがとれたのが、またその3ヶ月後だったと思います。
 その後側わんについては、定期検診を数年間うけただけで気になることはありませんが、最近、腰痛がでるようになりました。両足麻痺で松葉杖をついての歩行なので、そのためもあるかもしれません。しかし、手術をしたとは言え完治したのではないので2キから、きっと体のあちこちに負担がかかっていることと思います。上手に付き合っていくためには、無理をしないことではないでしょうか。

hisae-f@portnet.ne.jp 

99.10.6

性別 女性

体験記
 私は中学1年の健康診断で側わん症の疑いがあるので病院で検査をうけなさいと言われました。しかしその時は外見上何の異変もなかったので、そのまま放っておいてしまっていました。
 中学3年の頃、見た目にも背中がS字に曲がっていると自覚するようになり、その時やっと病院を受診しました。レントゲンをみたそのDrに「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」っと驚かれ
当時、東京女子医大におられた下出先生を紹介していただきました。
 成長が止まれば側わんも止まるからということで側わん体操を毎日行い、3ヶ月に1度、診察に通いました。ところが私の側わんは一向によくならず、高校2年のとき手術するよう言われました。
 手術は高校2年の冬休み、女子医大から社会中央保険総合病院に移られた下出先生に執刀していただきました。12月の中旬に入院し即手術を行い、退院は1月の中旬で、退院後2週間ほどは自宅で療養し2月からは普通に高校に通えました。
 手術後3日間位はすごく痛くて、背中にナイフが突き刺さったような痛みはいまでもよく覚えています。
 私の背中とお尻には今でも傷が残っていますが、形成のDrが手術に立ち会ってくれ、丁寧に縫合してくれたため、傷もあまり目立たない状態です。
 とは云え、背中には傷が残り、金具が入り、手術したとはいえ側わんは内臓に負担がかからない程度にしか直らなかったので、今でも背中が歪であるし、思春期に手術したため、やはりいろいろ恥ずかしい思いもしました。
 しかし私にとってこの入院は、こうしたマイナスな点に匹敵するほど貴重なもので、私は自分を不幸だとは全く思っていないません。
 生きていることの素晴らしさ、沢山の病んでいるひとがいるということを知りました。立ったり、歩いたり、ご飯を食べたりトイレにいくことがどれほどすごいことか知ることができました。
 入院中、私を支えてくれた家族、友人そしてなにより先生方、看護婦さんに私は本当に恵まれました。
 手術後数年間は半年に1度、1年に1度と定期的に検診に通いました。スポーツも特に制限されることなく、充実した大学生活を過ごし現在は薬剤師として病院に勤めています。
 入院中に毎日書いた日記がとってあるので、もし手術や入院に不安や悩みを抱えている人がいればメールでもいただければいつでも相談にのりますよ。私も沢山の人に相談をすることで、悩みを解消していきました。側わんは完全に治ることはないのだし、少しでも前向きに
考えましょう。
sakiko@pop07.odn.ne.jp 

99.9.27



性別 女性

体験記
 友人にこのサイトを教えてもらいました。
 私が発病したのは12歳のときくらいだと思います。
 学校の健康診断で発見されまして、父がよく行っている整形外科で診てもらいました。
 特発性脊柱側わん症という診断で、胸椎約30度、腰椎約30度の、S字状の側わんです。
 医師の治療方針でコルセット、手術、側わん体操、何もしませんでした。でも、進行はその時点で止まっていたようで、今もそのままになっています。
 多分、コルセットなどをしなかったのも、医師の長年の経験から、進行しないことを見抜いていたんだと今は思っています。
 唯一の指示といえば、重いものを持ってはいけない、ということで中学、高校と授業道具は全て学校に置きっぱなしでした。
 おそらく、なるべく腰に負担をかけないということだと思います。
 そのことを学校の先生で理解をしてくれたのは、保健の先生くらいで、あとの先生は診断書を持って親が介入してやっと理解してもらえるか、介入しても、他の生徒への影響やらとかで、全く
聞く耳もたずでした(でも、他の生徒が授業道具を置いていたので私もやりましたが)。
 整形外科の医師は「どこの学校も同じだな、教師は頭が悪い」とまで言っていたくらいです。
 厚生省の方で、側わん症についてのことが文部省に伝わりきっていないのではないでしょうか? その辺が、これから学校生活を送っていく方々への、私個人の心配なのですが。 ちなみに、側わん症はギリシャ時代からあった病気だそうです(難病連の側わん症の講演会みたいなもので聞いた話です)。
 そして、姿勢が悪いとかという原因ではないそうです。姿勢が悪くて背骨が曲がるのはただの「ゆがみ」です。
 今は会社員で、生活の方は何ら支障なく過ごしています。
 まぁ、腰痛がある、長い時間固い椅子に座っていられない、ズボンのすその長さが左右違う、スカートをはくと斜めになる、という程度のもので、普通にその辺に売っている服を買ってきていますよ。おしゃれもどんどんしています。
 整形外科の医師の話によると、何人も結婚して出産した人を、自分の目で見ているので、そんなに心配することはない、との話です(母は、出産ができるかどうかだけを心配していました)。
 私はその病気によって、親に甘やかされて育ったということは一切ありませんでした(他の兄弟と同じ扱い)。
 ですから、今、側わん症の患者のお母さん方、「どうしてうちの子が・・・」とか、あまり悲観的にならずに(子供まで悲観的になる)、できるだけ普通に生活させていって欲しいと思います(コルセット
は辛いでしょうが)。
 「五体不満足」の著者のお母さんのように、おおらかに、甘やかさずにお子さんを育てて下さい。

newyork@comco.ne.jp 

99.926

性別 男性

体験記
こんにちは。
30゜のS字の側彎症を持つ者です。(19才の時に発見)
23才までは無症状でした。
ところが、空手で激しいトレーニングをしたあと、ジョギング中に突然股関節がはずれたようになって走れなくなり、その後、上体の筋肉が、ガーッと引っ張られ(顔の筋肉まで引っ張られました)
その後、歩くのも、立っているのも、座っているのも、辛くなりました。
写真を見ると、発症後の写真は、明らかに、体が歪んでます。それでも無理して働いていたのですが、3年前、左腰担筋がパンパンに張り、左そけい部に鋭い痛みが走り、股関節がバラバラになったようで、再び、歩けなくなりました。
その後、様々な、整形外科を廻りましたが、その程度の、MildでBalanceのとれた側彎からは、そんな症状は出ないと言われ、精神科の受診を勧められました。
が、そこでもパッとせず(医師も原因が解らない)現在、寝たり起きたりの生活です。
歩くと、骨盤がガクガクして歩き辛く、腰が重くて、しゃがみしゃがみ、歩きます。
立っていても、座っていても、上体の圧迫感がひどく、支えているのが辛い。
民間療法も、数限りなく行きました。
こんな症状を出しているのは、僕、一人きりではないか、と思います。
今は、絶望の日々を過ごしています。だが、助かりたい。
毎日が拷問のようです。勿論、仕事も、結婚もできていません。
医師からは完全な黙殺・・・
側彎は、どんな症状も出しうる、危険性があると思います

99.9.20

性別 女性

体験記
初めてこの側わんのホームページを発見し、みなさんの辛い体験談を読んでここに私の仲間がいたと実感しました。
 私は小学校4年生か5年生の時に側湾症と診断されました。そのときで確か30度くらいだったと記憶しております。そのときにコルセットを作ってもらったのですが、これが私の体に合わず、大変でした。夏は汗をかいて体中に湿疹が出来、体育の時間が思うように動くこともできないし、何と言っても友達たちからの目が気になって仕方ありませんでした。
 その一年後、病院に行くと40度位まで進んでいたので、病院の先生は手術を進めたのですが、私の両親がどうしても手術と言うことに対して嫌悪感を感じたらしく、拒否をして現在に至っております。
 今現在の角度は58度です。もう成人もし、骨も固まったので、これ以上進むことはないだろうと言われ、手術はしてもしなくてもいいとのことでした。
 けれども、毎日腰が痛く、背中が痛く、体中がだるい毎日です。週に2・3回整体院に通っております。背中が痛いことを除けば、あとは普通に生活しているので、手術することもなかったのかな、とこのごろは感じております。ただ、小学生の時に手術をしていたら、少しは角度が進行することもなかったのでは・・・と後悔もしております。
 しかし、小学生の時の私には判断能力があるはずもなく、親の判断により手術をする事はしませんでした。それがよかったのか、悪かったのかは私の中で答えは見つかっておりません。
 ただ、この病気になり、あちこちの病院に行き、接骨院、整体医院、気こう術、いろいろ試しましたが、結局は改善されることなく、角度は進行しました。病院がよいの毎日は精神的に辛いです。
 手術する事が全てよいとは言えません。また、手術をしないと決めることに対しても大きな勇気が必要です。
 側湾症を子供に持つ親御さんはたくさんいらっしゃると思います。
親と同じように子供も悩んでいます。自分が悪い、自分のせいで子供が側わんにかかったと思うより、どうすればこの病気と一緒に暮らしていけるかを、まず第一に子供さんと一緒に考えていって欲しいと思います。

99.916



性別 女性

 初めて、このサイトを知りました。
今も悩まれてる方が大勢いらっしゃるのに驚きました。
そんな方たちに、少しでも明るく、前向きに考えて頂きたくて、私の体験談を書かせてください。
 現在31才です。まったく、健常者と変わりなく生活しています。
11才で、側わん症であることがわかり、東大病院に通院しました。首から、腰の下まであるコルセットを付けていました。
夏休みなどの長期の休みの間に、3回ほど、一週間ずつの入院で、牽引をしていましたが、結局、S字で50度以上になってしまい、まだ成長過程であったため、小学校を卒業した翌日に、入院。
一ヶ月は、輪を頭に4点のビスでとめて、牽引をしました。まだ、先生方もいろいろと試しているような時期だったと思えます。
その後、手術。一ヶ月は痛みに苦しんだ記憶があります。術後は、療護園(現在、名称が変更になってると思います。)で、養護学校の分校が園内にあったので、中一の一学期をそこに通って、療養していました。ここでは、まったく痛みもなく過ごしました。
それから、半年もたたずに、首から下のコルセットは取れて、まったく、健常者と変わりなく生活しています。
腰痛や肩こりは、他人よりもヒドイと思う時もありますが、湿布を貼ったり、鎮痛剤を服用すれば、治る程度です。
仕事の面でも、転職も何度かしていますが、一度も困ったことはありません。未婚ですが、これが側わんのせいとは思ってません。
私の手術した頃、側わんの患者さんは、みなさん痩せてました。私も、ガリガリで、背中が目立っていたように思えます。現在は、やや肉付きもよいので、まったく外見からはわかりません。たまたま、背中を触った友人に「あれ?」と言われるぐらいですが、その時には、側わんのことを話します。抵抗はありません。
確かに、手術の頃は、家族や親類にも、とっても迷惑をかけて、大変な時期がありました。しかし、それからは本当に、平穏です。今も、何かあったら通院するように言われてますが、ここ何年か行ってません。数年前に通院した時は、海外旅行で、背中に入ってる金属プレートが空港で反応した場合に掲示するための、英文の診断書をもらいに行ったくらいですから。
このサイトを見つけて、とっても悩んでいらっしゃる方が多く、私と同じ症状の方に、悲観せずに前向きに考えて頂きたいと思い、下手な文章ですが、書かせてもらいました。
私にとって、側わんを通じて知り合えた人たちが、大きな財産です。
つらいことも、タダじゃ起きない精神で、がんばりましょう!!!

bluevelvet@anet.ne.jp

99.9.7

性別 女性

私は19歳の大学生です。
中学2年頃に側わんと言われ、コルセットなどをつけ、けっこうきつかったことを覚えています。それまでバレエを習っていて、舞台にも立っていましたし、姿勢も良かったと思います。(もう今はやめましたが。)
コルセットをつけて38度くらいだったと思います。
S字に曲がっているせいで、最近は右の背中だけに肉がつきはじめ、左はちょっとへこむとまではいかないけれど、見た目は悪いです。あとウェストの位置も右の方が高いです。
このホームページを見て思ったことは、「なぜ私だけが」とか「私の娘にかぎって」とか悲観的な人が多いなということです。私の楽観的な性格のせいかもしれませんが、私はこの病気についてそれほど深くはあまり悩んでいません。
もちろん水着を着れないとか、ズボンのすその長さがちがってくる、長時間座っていると疲れる、など特殊な悩みはあります。でも、ふつうにおしゃれしてます。
「姿勢がいいよね」ともよく言われます。バレエを習っていたおかげだと思います。たまに、「あれー?」ってバレルので、その時は「側わんだ」って言ってます。友達もそんなに驚かないし、全然わからなかったと言われます。
ファッションに興味があるので、自分が欲しいと思った服は迷わず買ってます。
体型がバレルとか考えて買ったことはそんなにないです。側わんって、周りの反応を気にしすぎるから大きなコンプレックスになるんじゃないかなあー。
私もまあ悩みはあります。でも楽観視してます。だって、この病気とはきっと長い付き合いになるでしょうから。悩んでばかりはいられないですよね。
とりあえず、私が言えるのはこのくらいです。
このページに出会えてよかったです。
くみ。
noda_kumi@hotmail.com

99.8.28

性別 女性

体験記
側彎症の子供さんを持つお母さん方の為に

私の娘が側彎症と診断されたのは、中学三年の春だったと思います。
学校の検診で、大きい病院にくように言われ、広島県呉市の総合病院に行きました。
レントゲン撮影の結果、ギブスを装着しなければいけないとの事。
目の前が真っ暗になりました。何故だ。どうしてこんな事があるのだ。何故私の娘でなくてはいけないのか。
その時、ギブスの型どりをしました。医師や看護婦さんや、技師、その他の医師。
きている物をパンツ一枚だけ残して、他人の視線の中にいる娘の悲しそうな顔を、今も忘れられない。
小学校の六年生のころから裸を見せることを嫌い、親の私達にも何時もタオルを巻いた入浴姿でした。思えば、あれも、側彎症の発見を遅らせた一つだったかもしれない。悔やんでも、遅い。それからです、少しでも良いお医者さんにかかりたい。必死で探しました。私の家からは、車で、一時間半かかる、広島市の泉整形クリニックの門をたたく。泉先生は、側彎症の研究を長年されていて、『何でも答えてくださった』。『僕を信頼して任せて見ますか』の一言で、病院を替わることと決意。呉の総合病院で、すでにギブスを作っていたのだが、思いきって、『病院を替わります』と、告げる。総合病院の医師は、『何処でも大して変わりはありませんよ』と吐いて捨てるようにおっしゃった。もし自分の子供が同じ病気になったら、世界中を捜してでも、良い医者に見てもらいたいんじゃないの。それから、泉先生のもとに通うこと三年を過ぎようとしています。 はじめてギブスをつけた時の事一日中、入浴時を除いてはギブスを着けていなくてはいけない。学校のクラス担任の先生に、事情を説明。この先生のお蔭で、学校生活はそれほどいやな思いもせず、登校することが出来ました。先生どうもあ りがとう。一週間、学校から帰ると顔色が蒼い。見るからにつらそう。でも、どうにもしてやれない。代わってやれない。
ギブスを着けてのはじめての夏、矯正のパットがあたっている部分が紫色に変色して、痛くて痒いと言う。泉先生に聞くと、マッサージをしてやるようにとのこと。マッサージをしても、それはホンの気休め。皮膚科にも通う。けれど、娘は、決して泣き言を言わない。
それからは毎日いっっしょにお風呂に入って、紫の部分をさすってやる。涙が次から次へとこぼれるのだが、幸い入浴しているので娘には気づかれない。
身長を計ることも、始めはついつい忘れがちになる。
けれど、今を我慢して、将来を見つめようと、娘の根気の良さに圧倒される。
そのころから、もともと出不精だった私は、ますます人が苦手になる。中学校へ行ったとき、他の先生が、『自分は、側彎症の子を知っているが今も結婚できないでいる』と言った言葉に深く傷つく。また、他の先生は、『良くなるかねぇ』・・・これにも深く傷つく。
娘の将来を考え、少しでも人に知られたくないと思った。友人には『すぐにとれるのよ』と、強がりを言って、。ホンとは大声で泣きたい。
我が子が愛しい。主人が、『いいじゃないか受け止めていこう。』と言うが、私の耳には入らない。
三ヶ月に一度、診察に通い、シルエットを見せて貰うたびに、一喜一憂。少し良くなっっては、また次に行った時悪くなっている。その繰り返しで、三年経ちました。
今、もうちょっとで先が見えそうな所にいるのだと思います。病院に診察に行くと、他のもうすぐギブスの外れそうなニコニコした顔の人達を横目で見て、うちはいったい何時だろう。と溜息をつくことしばしば。そして今日に至っています。
娘に、この体験記に投稿してはどうかと言うと、『不自由が無いのだからいい』と言いました。
けれど、ここまで来るのに、どれほどの努力をあの子がしているのか、どれほど、苦しんだか、せめて同じ思いをしている人がいることを知って皆で頑張れればと思い投稿しています。
孤独な戦いを皆さんしていらっしゃると思います。
ただ最近、娘も私も、ギブスの生活に慣れました。これは、幾分かは気持ちが軽くなります。
(自分の気持ちに正直に書いたので、読み辛い所も間々あります。)

fujioka-a@mub.biglobe.ne.jp

99.8.26

性別 女性

体験記
 私の娘が、脊柱側彎症と診断されたのは、娘が中学三年生になった春のことです。
始め、学校の検診でひっかかり、きちんと検査をするようにとのことで、その時は、「そんなにたいしたことは無いや」と、たかをくくっていたのです。広島県呉市の総合病院で、レントゲン撮影した結果、ギプスを装着しなくてはならないとのこと。
ショックでした。ただただショックでした。
それからです。まず、少しでも信頼の出来る、側彎症の専門のお医者様を探して歩きました。
まったくといって良いほど知識がこのことに関してはありませんでしたので、あっちこっちで聞きまわりました。
そうして行き当たったのが、現在も側彎症の治療に通っている、広島の泉先生のクリニックでした。
「どんな質問でも答えてあげる。」とおっしゃる言葉に甘えていろんな質問をしたりもしました。
泉先生の所へ病院をかわるとき、総合病院の先生が、「何処へ行っても同じですよ」と、はき捨てるようにおっしゃった事。
吾が子がかわいいから少しでもその道を専門にしているところに変わるのに、何が悪い。
なぜ、これが、母親の私ではなくて私の娘なんだろう。いったい何故こんなことになったのだろう。
泣きました。
娘は小学校の六年生くらいから、お風呂に入るときも、何時いかなる時も、私達に恥ずかしがって裸を見せなくなっていたことが、発見を遅らせたのかもしれません。
何をいくら悔やんでも取り返しがつかないし、唯、娘がギプスを着けてとてもしんどそうな顔をしているのを眺めているだけしか出来ない。
ギプスをつけた始めの一週間は、学校から帰ってくるととても青い顔をしていました。夏が始まるころギプスを着けて、初めての夏を迎えたときは、パットがあたる部分が紫色に変色しとても痒いらしく、皮膚科にも通いました。クラスの担任の先生が、とても力になってくださいました。
その当時、とても私が傷ついたのは、少しでも明るい話題の欲しかった私に、「知っている子が、やはり側彎症なのだが未だに結婚していない」とか「良くなりますかねぇ?」と言うことをおっしゃった他の先生方。
その当時私は極端に人に会う事がいやでした。いちいち他人に娘の事を聞かれたくなかったのです。
毎日お風呂から上がったら紫色に変色した部分をマッサージしてやりました。マッサージするたびに、涙が出てくるのを、娘に気づかせてはいけないと必死でこらえました。
今誰よりもつらいのは、私ではなく吾が子なのだ。
娘は、何時も何も言わない。しんどい?と聞くと、うん、暑い。と答える。そのくらいしか、泣き言を言わない。
ある日、娘が、兄弟と遊んでいて、後ろに仰向けに転んだ。
亀のように手足をばたばたさせているけど、ギプスが邪魔をして中々起き上がれない。
娘の一挙一動に、涙をこらえる事しか出来ない私。
・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから、二年が過ぎ、泉先生の診察の時、少しでも良くなっている時は、帰りに、美味しい物を食べ、悪くなっているときは、どよーんと暗い。
ギプスが殆ど取れた患者さんを、横目で見送り、うちの娘が、ギプスの外れる日は何時だろう。

fujioka-a@mub.biglobe.ne.jp

99.8.25

性別 男性

体験記
無事退院することができました。

僕は6月14日から「群馬大学付属病院」に入院しました。
僕の側湾は112度とかなりの側湾です。
手術の結果70度位になりました。
入院中約1カ月半も寝たきりでした。でもリハビリをしていたのですぐ歩くことができました。がんばり過ぎて歩いて2週間で退院できました(8月12日)今はコルセットをつけながら歩いてます。

 皆さんもあきらめずに自分を好きになってください。
cay41600@pop02.odn.ne.jp

99.8.23

性別 女性

 こんにちわ!私が発見したのは 父の会社の小雑誌に「側湾症」が取り上げられていて簡単に出来る検査で手を合わせて前屈みになってみたら 雑誌のとうりでっぱっていて すぐ雑誌に載っていた千葉東病院に行きました 初めは28度ぐらいでコルセット着用し18度くらいまで押さえられていましたが 何せ小学6年生遊びたい時だったので中学に入ってからはなかなか苦しくて反抗期で着用しないときが多かったです 現在は40度ちかいのかな?私の場合 あごもずれてきて かみ合わせもどんどん悪くなっているので 頭痛 腰痛 などやっぱり人に比べて体調は悪いですね(苦笑)首から支えるギプスも試したけど高いだけで意味なかったなぁ 千葉東病院は側湾専門の先生もいるので毎週木曜日は側湾症の日みたいです やっぱりコルセットしか方法はないのでしょうかね・・・?原因不明の病気 しかも子供に遺伝すると聞きますが そのうち結婚して子供が欲しくなったら考えちゃうな あんな苦しい思いと毎日の不快感を背負わしたくないって思います 私は夏が辛いなぁ 水着や裸になるとやっぱり目立ってしまうので (骨盤のずれで左右のクビレが違う) よく側!湾症は腰痛な ど痛みは発生しないといいますが 絶対そんなこと無いと思う 実際曲がってるところが気になってボキッて自分でやるし 疲れやすいし 足の長さも変わってくるから長時間座ってたり 立っていたりかなりしんどいと思う 一時期カイロプラクティックに通っていたけれど治っていたか解りませんが 体の不調は楽だった!けど 高いんですよ 通いきれなかった・・・私の場合 15歳で親元離れて東京に上京して通院しなくなったりコルセットなまけてて今後悔してるから 現在戦っている人は少しでも 夜だけでもコルセットして 姿勢に気を付けて 毎日少しでも運動して下さい!鉄棒や水泳がいいらしいですよ 私の場合首から骨盤までS字にまがっている「突発性脊椎側湾症」です 今でも腰や背中がつらいとコルセット付けて寝るけど朝起きたら そこら辺に転がってる・・・確かにつらいし苦しいし痛いけど 大人になって困るのは自分だからね・・・(泣  早く原因解明してほしいものですね!  みんながんばろーー!

99.8.6

性別 男性

自分がこの病気にかかっていることを知ったのは、中学1年から2年に上がる春休み中のことでした。朝目を覚ました時に、突如右脇の下から肋骨にかけて起き上がれない程のしびれがあり、近くの病院へ診察を受けに行ったのです。その結果、私の背骨はS字型に彎曲しており、すでに30度くらいまで進行していました。撮ったレントゲンを初めて見た時、側彎症という病気が頭の中になかった私は、自分の目を疑いました。しかし思い起こせば、同じようにしびれが走ったことが小学5年生の時にもありました。その時はレントゲン撮影をしても正常な背骨だったのでした。6年生になって学校で行われた検査の時、ちょっと曲がっているとは言われていましたが、当時はもちろんこの病気の存在すらも知らず、そしてこんなに進行するものだとは少しも思わず放っておいたのでした。
早急に治療をしなければならないということとなり、神奈川県立こども医療センターを紹介されました。そこでは、50度を超えたら手術をしなければならないと言われ、コルセット着用による保存的な治療を受けることとなりました。原因はわかりませんでした。コルセットの型どり作業は、例え男であっても思春期に入ったばかりの私には、恥ずかしく屈辱的な出来事であったことは今でも忘れられません。
そしてそれ以後3ヶ月おきに定期検査のため通院を続け、結局成長がほぼ止まった高校2年生までコルセット着用を続けました。コルセットは腰から首までを鉄棒で完全に真っ直ぐに固定させるタイプのもので、さらに背中の出っ張っている箇所を押すパットをあてるために、左右からもベルトで締め付けられるという窮屈なものでした。医者からはコルセットは基本的に入浴時以外は着用していなければいけないと言われていたのですが、中学の約2年間は学校と睡眠時のみ、高校の約1年半は睡眠時のみの着用しかしませんでした。今思えば、それでもよく我慢して着けていたものだと、自分のことながら感心してしまいます。困ったことはいろいろありましたが、体育の授業で教室の皆の前で脱着をしなければならなかったことや、今思えば笑い話ですが給食で麺類が出た時に、麺をすすることができずに食べ終わるのにえらく苦労したこと(結局麺類の出る日は給食時間前にわざわざコルセットをはずしていました)、などなどです。治療の結果、彎曲は成長の過程で20〜40度の間を推移しながらも、手術を受けるまでには至らずに成長が止
まりました。それから既に15年近く経ちますが、自分の触った感じではおそらく当時と変わらず、30度台で固まっているようです。困難はありましたが、コルセットを根気よく着け続けたのは正解だったと思います。数ヶ月間コルセット着用をさぼったために、明らかに彎曲が進行したことも
ありました。あのまま装着をさぼっていたならば、きっと手術をせざるをえなくなっていたことと思います。現在の自覚症状としては、ごくたまに彎曲している側がズキッと痛むことがありますが、日常生活や運動等に影響はありません。ただ、前かがみになるなど背中に負担のかかる姿勢での動作は、真っ直ぐな背骨をもっている人に比べて、多少持久力や耐久力がないようには思います。しかし、現在はごくごく普通の会社員として特に不自由なこともなく暮らしています。
完全に治すことは難しいことであるとは思いますが、それ以上の進行を防げば、成長が止まったその後は特に問題なく暮らせるのだと思います。
 今現在側彎症と闘っている方、長い目で根気よく頑張ってください!きっと私たちは、人の痛みのわかる思いやりのある強い人間になれるチャンスを与えられ、他の人にはできない貴重な経験をしているのだと思います。対人面やそして自分の将来について、決して自分から壁を作るようなことはしないでください。前向きに、自分の可能性を信じて頑張ってください!!
 最後に、私のような側彎症の持ち主が今後(成人後)どのようなことに気をつければいいのか、また何か良い治療法等をご存知の方がもしいらしたら、教えていただけませんでしょうか。

czs12533@nifty.ne.jp

99.7.25

性別 女性

 ●自己紹介 34歳 主婦  12ー13歳の時に半年入院し3度  のOpe
  現在は、夫と3人の娘との5人暮し
  趣味 細かい作業が好きで「ドールハウス」や子供服、手芸ならほとんどのものは自分で作ってしまいます.
   家にこもって作業するのも好きですが、友人、知人とおしゃべりしたり、飲むのも好きです.(料理は苦手ですが、酒の肴づくりはばっちりです)

 休職中ですが、職業は歯科医師です.
 
  私の場合は先天性で最終的に原因は背骨を形作っている[椎]とでもいうのでしょうか、それが、3つだけくっついてた為に左右均等な成長が出来なかったために、身長の伸びとともに曲がっていったものと思われます.
 今でこそ学校検診で行う項目にはいっているようですが、今から20年ちょっとまえは、一般の人はほとんど知らなかったのではないかと思います.
 学校の検診時はさして勉強熱心とも思えぬ校医に、かならずおじぎをしたりして背中を見られ人一倍時間が掛かった記憶があります.
 
 私自身の性格が明るいためか、術前術後(とくに術後はギプス、コルセットと目立つ格好をしていっましたが)今にいたっても「いじめ」にあったことはありませんでしたし、奇異な目で見られていたかもしれませんが気にしていませんでした.
 クラスメイトも落ちたものが拾えなかったり、靴下が上げられなかったりと、私の不便を自分の身になって(?)手伝ってくれました.

  手術は千葉大学で行いましたが、それまで、通院していた札幌医大から紹介状をもらうまでは、自分がすごく珍しい病気だとおもっていました、千葉という遠い所に行く事で、母親に何故こういう体に産んだのかとあたったこともありました.
 
 どんな病気でも自暴自棄になる時はあると思いますが、それ以後、沢山の患者と接してからは以前の自分を取り戻したように思います.
 
 辛かったことといえば、検査や手術の痛みは健康な人には想像しがたいほどの痛みがありましたが、そんなことは過ぎてしまえば忘れてしまうものですが、医師の言葉に深く傷つき、幼いために言葉を返せなかったことが悔しくて、今でも思い出しては腹がたちます.
 (当時講師クラスの医師に、病気とは全く無関係のことで)

 思春期の多感な時期だけに検査、レントゲン、などとにかくはずかしかった気がしますが、今では懐かしくさえ、感じます.
 当時は、女医が居ない事で、私自身志しましたが、断念.

 上の娘が小3になりますが、時々背中を診てしまいます.
 今の所問題無いようですが、この頃の子供たちの遊びかたを見ていると、ついつい、姿勢にうるさくなってしまいます.
 
 長い入院生活で寝たまま読書やテレビを見ていたため、目が悪くなってしまいました.1、5あったのに、その後どんどん進み、今では眼鏡なしではいられません.
 
 何だか、まとまりの無い文章ですがこれからOpeなどを受けられる方の、力になれればいいと思っております.

pacchiri@yd5.so-net.ne.jp  

99.7.20

性別 女性

体験記
はじめまして。
皆さん、こんなに悩んでらっしゃるんですね。
私も、コルセットをつけていやなことがいろいろありましたが、友達のお母さんに「おしゃれをしたい年頃なのにかわいそう」といわれたことが、一番辛かったです。かわいそうと思われてたなんて。
 今もからだの歪みで体形は悪いわ、肩・腰などの痛みはあるわでまったく良いことがないですが、側湾症のほかにも悪いところがたくさんあるので、側湾症はこうやって、他に一緒に悩める人がいるだけ、救われています。
コルセットは、当時(15年以上も前)試験的に導入されたミルキーウェイという胸から腰までのコルセットでした。
みんなに気づかれにくいということでそうしましたが、今思うと、首からのコルセットが良かったのかもしれないと思います。
なぜなら、そのコルセットでは私の場合は全く治らなかったばかりか、余計にからだのバランスを歪めてしまったように思うからです。
今後どう影響するかわかりませんが、できるだけ良い姿勢を心がけて生活していきたいと思います。

99.7.18

性別 女性

体験記
はじめまして、みなさんの体験談を読んで勇気づけられました。
私の場合はコルセット作る時は、皆さんが言うようにイヤな気分は特に無く、(装具を作る担当の人のみだった為)ジロジロみんなに見られる、、、事も無かったですが、石膏の包帯をまく時に不安はありました。それよりも実際に出来上がって、かなりの大きさと(腰から胸まで)装着の悪さに加え、思春期と言う時期に1日8時間、体育の時間や(保健室で脱着し)水泳はとても恥ずかしい気持ちと屈辱でした。
制服も、ワンサイズ大きめにしたり、、、、。
17歳まで医師に勧められていたのですが、後少しというところで(16歳、当時30度)通院を止めてしまいました。
やはり、装着していると不自由な事が多かったのでその点が一番今でも心に残っています。
あのとき、コルセットを装着していたので今の私は元気に出来ているのかなと思います。
医師に言われた通り17歳まで付けていれば今の痛みは軽減していたのでは、、、と思います。
なんだか、文章で書くとオオゲサな様に感じると思うでしょうが、将来の事を考えるとやはりコルセットも、必要かな・・・とおもいます。
今現在は将来の結婚、出産、育児にとても不安に思ってます。
医師からは、遺伝はナイと以前言われましたが私たち姉妹にとってはとても深刻な悩みです。
この病気は、いまだ原因不明で治療不可能の為、未来の我が子が私と同じ境遇にならないようにと祈るばかりです。
先日掲示板にも載せたように、今私たち姉妹は日々痛みに悩んでいます。
皆さんは、普段の生活の中でなにか気をつけていることはありますか?

Kaorinnn@aol.com

99.7.14

性別 女性

体験記
こんにちは。
私は98年の1月に手術をして、今はとっても元気です。
私が側わん症と診断されたのは小学校4年生の頃だったと思います。それからずっと病院に通いつづけて、小学校5年生の終わり頃からコルセットをつけはじめました。最初、コルセットをしなさいとお医者さんに言われた時は悲しくって涙がでてきました。しかも私はS字に曲がっていて、背中の上の方まで曲がってたので首までのコルセットをしなくってはいけなくてとてもイヤでした。だから私はお医者さんに首までのじゃないのならする。っといって結局、首のちょっと下までの物になりました。その後、治療を続けましたが、やっぱり角度が進行していって、手術となってしまいました。手術はツラカッタけど、してよかったなと思います。これから手術するか迷ってる人はもし、お医者サンがしたほうがいいってゆーんだったらしたほうがいいと思います。コルセットなんかをして自分を押し殺して気が重い生活をしてゆくより絶対イイと思います。側わんだからといって暗くなることはないですよ。今学校でプールをやってるんですが、やっぱり背中の手術の後や、腰の高さの違いは気になるし、そのキズどうしたの?っときいてくる子もいます。でも、キズなんかってゆうのは誰でもあるし、しょう がないことなんだし、友達だってちゃんと理由を話せばわかってくれます。私は側わんだからといって自分と人とは違うんだって思ったことはありません。確かにこの病気はつらいです。でも、そのことで悩んだりする必要は全然ないと思ってます。私と同じ年くらいの側わん症の子!一緒にがんばろうね!

chikau@singnet.com.sg

99.6.27

性別 女性

体験記
もしかしたら?と思って探しました。
久しぶりに自分の病気のことをじっくり考えました。
皆さんのお役に立つかどうかわかりませんが、自分の気持ちを整理するために書きたいと思います。

病歴について
小学4年生か5年生のの健康診断で、側湾症が発見されました。
 そのときはそれほど気にするでもなく、授業中の姿勢に気をつけるようにと言われたぐらいでした。
これは後日談ですが、母はそれ以前に私の背中の異常に気がついていたのですが、祖父や祖母から「自分の子供を身障者だというのか」と責められ、何もできないでいたそうです。側湾症に対する世間の認識が低かったのだと思います。
初めて診察を受けたのは小学6年生のときだったと思います。
最初に行った病院では、リハビリの先生からいわゆる「側湾体操」を教えられ、家でそれを続けながら経過をみるということでした。
しかし、側湾の進行が母から見ても明らかだったようで、中学生になってから次の病院に行きました。
その病院で側湾専門の病院を紹介され、冬休みに受診、即入院ということになりました。
入院生活は約3ヶ月で、はじめはコトレル(?)牽引と「側湾体操」の治療、次にコルセットを約1ヶ月、そして装具をつけました。
コルセットを作るときは、皆さんが体験記にかかれているように、軽く牽引した状態で薄い布の上からギプスをぐるぐる巻かれました。
恥ずかしいという気持ちよりも、自分がこれからどうなるのかとても恐かったと思います。
退院後、高校3年生まで装具をつけ、牽引を続けました。
理解のある心強い友達に助けられながら、牽引も装具もさぼりがちになりながらも、何とか続けました。
今思えば、あの時もっと牽引や装具をきちんと続けていれば曲がりも小さくなったのに・・・と思うこともありますが、思春期のあの頃の自分を思うとあれが精一杯だったのかなとも思います。
装具をはずした後は通院して経過を見るようにといわれたのですが、1度も受診しませんでした。
装具も牽引の道具も全部捨てました。
3年ほど前、自動車事故でむち打ち症になり首のレントゲンをとりました。
そのときのお医者さんがたまたま脊椎専門の先生で、側湾症のことを聞かれ、その先生の勧めで8年ぶりくらいに受診しました。40度の曲がりでした。
それが以前より悪くなっているのかどうかわかりませんが、S字のバランスがとれているので問題はないとの事でした。
でも、久しぶりに見る自分の背骨は醜く曲がっていてショックを受けてしまいました。
経過を見るために1〜2年に1度は受診するようにといわれたのですが、それ以来何もしていません。

入院生活のこと
私が入院した病院は、養護学校が併設されていて、難病の筋ジストロフィー症の生徒から短期入院の生徒までがいっしょに勉強していました。
入院生活は、自分よりも重い病気の友達がたくさんいる中で、自分は不幸だと思ったことはありませんでした。
毎朝、筋ジス病棟にクラスメイトを迎えに行って、車椅子を押して登校していました。
初めて接したときはとても緊張しました。でも、慣れるのに時間はかからず、病気を超えて友達になれました。
退院するとき、退院の嬉しさはありませんでした。
ただ、病院という特別な空間から普段の生活空間に戻る不安と、友達との別れがつらかったです。

側湾症の皆さんへ
病気になったのは不幸な事だと思います。
でも私の場合、普段の生活では接する事のない人達と出会ったこと、装具をつけていることで好奇の目で見られる側の気持ちが分かったこと、病気のおかげで得た事も多かったと思います。
私も最初からそんなふうに思えたわけではありません。
病気の事、入院の事は他人に知られたくない事のひとつで、ずっと隠しつづけてきました。
家族に囲まれ大切に育てられ、いわゆる優等生で、まわりからチヤホヤされてきたそれまでの人生の中で唯一の挫折だったとも思います。
挫折がひとを強くし優しくするといいますが、私にとってはまさに側湾症が、私の弱さを教え、耐える力を与え、人を思いやる心を育ててくれたと思います。
今も病気で悩み苦しんでいる方にはわかってもらえないと思いますが、病気は悪い事だけではなくいつかきっと良い事ももたらすと信じて、治療に励んでほしいと思います。
私も現在の生活には何の支障もありませんが、結婚、出産、子供への影響等々、将来への不安はいつも消える事はありません。
でも、側湾症は特効薬ができて治るような病気ではありませんから、一生付き合っていく覚悟で、ゆっくりと考えていきたいと思います。

私は病気の事を話せる相手がいない事がとても苦しかったです。
このような形で情報交換し、お互い支えあっていくことができる事を幸せに思います。

99.6.27

性別
女性

体験記
やっと私と同じ悩みの人たちと出会えました。
皆さんの体験記を読んでいると涙が出てきました。
 私は高校1年のときに手術をしました。親からも、医者からも私への手術への同意はなく、強制的に手術させられました。
今考えると、あの時手術をしてよかった、とも思うんですが後遺症のつらさを考えると少し悔やまれるような気もします。
手術が終わって目がさめて少したつと、足にひどい激痛が走りました
手術によって脊椎にある足の神経が圧迫されて痛むらしいのです。
先生方は1ヶ月くらいでおさまると言っていましたが10年以上経った今でも痛みはあります。
確かに手術当時から比べると痛みは軽減しましたが(痛みに慣れたのかもしれないが)今でもつらいのは確かです。
痛みで1ヶ月くらい寝不足が続きました。
 気にすると痛みがどんどんひどくなっていく気がして自分でどうしていいのか分からなかったです。
 私は、冬にはスノーボードをしています。
医者は「危ないから絶対だめだ」と言いますが自分のしたいことのできない人生なんてつまらないとおもいます。
危険だということはよく分かっていますが、みんな「危ない、駄目だ」ばかりでなくもっと私たちの
きもちを分かって接してほしいです。
 今は後方固定術はあまりされないと聞いたのですがどのような治療をしているのでしょうか
 早くもっと楽な治療法がみつかるといいですね。

99.6.18

性別
女性

体験記
同じ悩みをもっている方へ

私は、手術を終えて今やっとコルセットも外れ自由に動き回れるようになりました。

去年一年間(4月〜今年4月まで)で、いろいろな経験をしました。
側わん症と分かったのは、5年生の時でした。
その当時からコルセットは着用しなければいけないほど側わんが進んでいました。多分その時58度だったと思います。
でも、中学にあがったころからコルセットをつけているのが苦痛に感じ、コルセットをつけることもしませんでした・・・。
そして高校も卒業して、無事に大学にも合格したのですが、思っていたよりも側わんがひどくなっていると母に言われしぶしぶ病院に行きました。
大学の事もあり下宿先から近いし側わんを専門で診ているという名古屋の名城病院に診察に行く事になりました。
そして、私の運命はそこでまったく別の方向に変わってしまいました。なぜそこまで大げさに言うのか不思議に思われるかもしれませんが、わたしは自分で言うのもなんですが、とてもあかるくじめじめとした事がなによりも嫌いで、病院というのは、私がこの世の中でいちばん嫌いなものだったからです。
98年4月3日初診に行きました。そしてレントゲンを撮り診察を受ける。「なぜ、もっと早く診察を受けれなかった!!」っと主治医にしかられる。「側手術」と言われて母が気を失いました…。
ちょっとびっくりしたけど、80度近く曲っていました…。
同5月8日 精密検査 造影剤というのを脊髄に注射してレントゲンを撮りました。
同5月26日 検査結果 側湾症とキリア奇形というものが見つかりました。キリア奇形とは、生まれた時に脳が首の近くにまで降りてきていたというものでした。そして、まず頭の手術を最初にしてしまうということになりました。側湾の手術の時に神経系の負担を少なくするためにということでした。
同6月26日 キリア奇形の手術
7月11日 退院 これはちょっと、無理を言って退院させてもらった。あまりも元気過ぎたので、2週間で入院生活があきました…。
この手術が終わった時は、首にむち打ちの人が良くしているコルセットをしました。なぜか?頭蓋骨を削ったので首と頭を保護するためです。
同10月13日 側湾症手術
わたしの場合、後ろからの後方〜手術というものでした。(〜の所は名前を忘れました…。)全身麻酔で5〜6時間くらいでおわったようでした。手術後は、オシッコの管を通して点滴を2本くらい通していたと思います。とりあえず、クシャミはできませんでした。なぜか?背中に響いて死ぬほど痛かったから…。笑う事もできませんでしたね…。皆さんは、コルセットを作るときすごく恥ずかしかったと言ってますが、でもこれって、治療の上では仕方のない事だと思いますよ。私の時はまだ起き上がる事が(手術後)できなかった時でなすがままの状態で、担当医師が4人くらいで技師さんが3人くらいそして看護婦と母親がいました。そりゃぁ、もー死んでもいいよこんな恥ずかしいの…。っておもいましたよ。でも結局は、自分のためでもあるしこれをしたら綺麗な体に戻るんだって、おもいでいっぱいになったなぁ。だって、今まで水着もきれなかったし、肌を露出する
服だってきれなかった。(ちょっとくらいきたけど…。)それができる喜びのほうが大きかった。今では手術して良かったって思う。
でもこれは、結果であってコルセットをしていた半年間は、ストレスがすごくって親にもあたりちらしてたし、友達は遊んでるのになんで私は、自由に遊べないの?って思ったりもしてた。
でも、今はほんとによかったって思えるようになってきた。
ジメジメ考えるよりは、ずっと先の方を見て明るく考えたほうがいいと思う。なんか暗く考えた時期もあったけど、なんかどつぼにはまってしまいそうになったし。
こんな病気、他の病気に比べたら軽い軽いって感じです。
前向きに考えたほうが自分にもプラスになるし、
同じ悩みを抱えている方、がんばりましょう。
自分がこんなだからとか考えずにプラスに考えてください。
いろいろあると思いますけど…。
私は、こんな考え方をしてたから、今とっても幸せですよ!!

msatoko@quartz.ocn.ne.jp

99.5.16

性別 女性

 私は現在31歳の女性です。治療の経過や苦痛に感じた事等、思い出しながら書きたいと思います。
<治療の経過>
私は生まれつきの側湾症のため、赤ん坊の頃から小児科でレントゲン検査等を受け、4歳より千葉医大でコルセットによる治療を始めました。背骨の上部と頚椎、それから肋骨にも軽い奇形があり、腰椎が特に曲がっていて、片方の足を曲げないとバランスを取って立てませんでした。
小学校の5年の時自治医大に変わりましたが、腰椎の側湾が増加したため、腰椎用コルセットも併用し、16歳まで これらの治療を続けました。現在は、60度以上の曲りがあって、右肩甲骨の下と左の腰に鈍い痛みと違和感があります。
<治療で嫌だったこと>
やはり、背中を診せるために上半身は全て裸になるのが嫌でした。その上 、若い男性のインタ−ンが何人も入ってきて、その人たちに診察の様子を見られるのが本当に苦痛でした。治療の成績を上げるためなのでしょうが、レントゲン写真を使って研究するとか、もっと患者の、特に女性の気持ちをくんだ方法はないのでしょうか。コルセットを作るために型をとる時は、薄い布をかぶって、その上から石膏を塗られました。裸でないだけましですが、鉄の棒のようなものに中腰で腰掛けたところに、男性が2人か3人がかりで体中に石膏を巻き、手で何回も体の形の通りにこすったり押してきたりするのは、特に中学の頃はとても嫌でした。そこにもインタ−ンが何人も来て見学されて、なんかとても屈辱だったのを覚えています。
<精神的な苦痛>
首から腰までの重量なコルセットの大変さは、経験した方すべてがおっしゃる通りです。体の自由を奪われるだけでも苦痛なのに(特に夏は最悪でした)、見た目にも非常に目立つため、好奇の目で見られて傷ついたことも多々ありました。
子供のころだって、かわいいワンピースや、夏はゆかたも着たいのに、実際に着れるのは、できるだけコルセットが目立たないような、大き目のジャンパースカート等ばかり。クラスメートに「いつもマタニティドレスみたいな服ばっかり着てる」とからかわれたこともありました。
 側湾症が原因で深く悩んだのは、やっぱり中学生の頃でした。ただでさえ「見た目」が気になる時期なのに、成長期ということで側湾が急激にひどくなり、右側の腰が深くへこんで、制服の上からでもわかりました。腰だけのコルセットも作ってもらったのですが、これをつけて学校へ行くのが嫌で、寝るときにだけつけていました。手や足は普通に成長して伸びていくのに、側湾のために極端に低い座高。後ろから名前を呼ばれても、上体を回して振り向く事ができず、「気持ち悪い」等、からかわれたり、意地悪されたりしました。
自分は皆と違うんだ、だめなんだと根強いコンプレックスを持ちました。
おしゃれもしたいし、クラブ活動でギタ−も弾きたかったのに、とてもできませんでした。この時期は、疲れやすく、コンプレックスから何に対しても消極的になっていて、他人に心を開くことができませんでした。今考えれば、側湾症とは関係なく、そういう受け身な態度が原因だったのかもしれませんが、この頃の事は、今でも心の傷になっていて、思い出したくありません。
 20代の頃から、友人もいて普通に働けて、生活していく上で、側湾症だから特に困ったことはありません。今は、体に対するコンプレックスもかなり消えて、水泳に行って鍛えたりもしています。もちろん今だ解決してない悩みやわだかまりもあります。例えば、服ひとつとっても、体形をカバ−することを優先するため、本当に気に入ったものでも着られないとか。結婚の問題もあります。
そんなこともひっくるめて、側湾症のことを気軽に話せる友人がいるだけでも、どんなにか精神的に楽になるでしょう。治療が終わっても、一生側湾症とはつきあっていかなければならないし、自分の体験を話したり、同じように悩んでいる人に何かアドヴァイスしたり、お互いがそういうことをしていけたらいいなあと思います。どうも文章が下手なもので長くなってしまい、全部は書ききれませんでしたが、今後も何かと書いていきたいと思いまので、よろしくお願いします。

EZT03634@nifty.ne.jp

99.5.14

性別
女性

体験記
中学1年の健康診断で側わん症と診断され大学病院へ行きました。
35度の歪み。肩の左右の高さは5cmの差があり、形状はS字型に歪んでいました。
病院での検査で両親からの遺伝性はなく、原因は幼少の頃2階のベランダから落ちた時に腰を痛め、その腰を無意識のうちにかばいながらの歩行が原因ではないかとの診断を受けました。
手術と矯正ギブスでの治療との選択を迫られた時、1年間の入院が必要と言われ、1年休学する勇気がなかった私はギブス生活を選びました。
私のはめていた矯正ギブスは腰をプラスティックのコルセットで固め、前に1本、後に2本の鉄棒が首まであり、鉄棒同士を脇の下からベルトを通して固定するような物です。
進行を防ぐため完全に腰から上は固定されました。
ギブスを着用し始めたころは自分で靴紐も結べず移動教室があるたびに友達に結んでもらう毎日でした。
不自由さがその頃の私にとって一番の苦痛でした。
確かに「怪物みたい」とか「なんで鎧きてるの?」とか心ないことも言われましたがすぐにまわりの人達もわかってくれたし、色々私を気遣う母の前ではくよくよするのが悪くて私は結構明るくギブス生活を送ってたように思います。
母の気遣いは私の励みになりました。
あごまである鉄棒を目立たないように肌色のストッキングを巻きつけたり、どういうデザインの服なら目立たないか雑誌をみて試してみたり、長髪願いを出して(私の通っていた学校では女性とは肩に髪の毛がついてはいけない規則でした)髪の毛で隠せるように学校にお願いしたりと私がまわりの人から向けられる興味の目を少しでもカバーしようと一生懸命でした。
そんなお母さんのためにもと私はけっこう堂々と外を歩きまわってたものです。
しかし、私は受験が近くなった頃からギブスをはずし整体治療を受けるようになりました。
進行を防ぐだけのギブスより少しでも歪みを治す努力をしたほうが効果があるのではないかという母の判断からです。
休み休みの通院ではありますが、S字だった歪みが少しずつではありますがスプーン型の歪みへと変わりました。
ただ整体治療を受けた翌日は発熱し、体がだるくなりましたのでこれまた楽な治療ではありませんでしたけど。
今でも背中に痛みがあるのでギブスをはめ続けた方が良かったのかどうかはわかりませんがこれからも私は自分の脊柱と付き合っていかなければならないので少しでも歪み・痛みを和らげられるよう整体治療は続けていくつもりです。
でも手術をして治したほうがこれからの人生のためになるのかな?と今はちょっと考えたりもしています。

totoro-k@tokai.or.jp

99.3.14

性別
男性

体験記
僕の今の曲がりは112度です。
そして今年に手術をすることになりました。
四月に前方手術 五月に本番手術をする予定です。
でも、怖いとかイヤという事はないです。もしそう思うことがあれば「自分が本当の自分(親からもらったからだ)でなくなることかな?
この体でもたくさん友達がいるから・・・できることならこのまま生きたいです。皆さんは僕より曲がりはないはずです。
だから自分の体に自信をもって下さい。
そして自分の体で人生を楽しんでください。
僕もがんばろうと思って毎日生きてます。

mailto:cay41600@pop02.odn.ne.jpp

99.2.11

性別
女性
わたしは、10月のあたまに手術をしました.
やはり、突発性のものでした。小学校5年生の内科検診のときに分かりしばらくは通っていたのですが、思春期にはいって診察がいやになりいかなくなりました。でも、高校を卒業して違う病院に行き即座に手術の日程がくまれていきました。
はじめはやはり、とても不安で「なぜ私だけが・・・」という思いでいっぱいでした。
でも今は、手術をしてよかったとおもいます

mailto:msatoko@quartz.ocn.ne.jp
98.12.2

性別
女性

体験記
 はじめて自分の体がおかしいと感じたのは小学校5年生ぐらいだと思います。肩甲骨のあたりに違和感があったのを覚えています。
 特発性側わん症と診断されたのは中学2年でした。J医大の小児科で自律神経失調症の診断を受けたとき一緒に発見されました。
当時のギブスはひどいものでした。
ギブスを作るために石膏を含んだ包帯みたいなものを腰から肩にかけてぐるぐる巻きました。そのときすでに大人になりかけていたにもかかわらずずいぶんたくさんの人にじろじろ見られながら(教材ですね)丸裸でしかも看護婦さんに無造作にバンソウコウで大事なところをガーゼで隠されました。思わず泣いてしまったら、我慢してといわれました。
ロボットみたいなギブスをして外なんか歩けなかったから、学校には行きませんでした。家で本を読んだりしていました。母も学校に行きなさいとはいいませんでした。さすがに長期間になってくると母も心配だったのでしょう。別のC大病院に行き、この程度ではギブスは要らないという診断をいただきました。
14度だったと思います。軽いほうでしょう。でも未知の病気だったしあのギブス。思春期だからかもしれませんが、将来にも夢がもてなくなりました。いつも私なんてダメなんだといつも考えていました。
薄い上半身にぺこんとへこんだ右の胸郭。
プールの授業のときは水着の内側に手ぬぐいを縫いこんでみたり、休んだり。薄着になる夏は嫌いでした。
それからあのギブスをしている子を見たのは1回だけです。私が通った高校のそばの中学生でした。家にこもった私に比べて強い子だと思っていました。
劣等感がなくなったのは、最近です。人並みに結婚出産し、特に主人がそんなこと気にすることじゃないといってくれたのが大きいと思います。子供が小さいときは子供も側わん症にならないかとても心配でした。
最近は小学校でも側わんの検診があって、軽い度で発見されることも多いようです。いたいわけでも苦しいわけでもないのですが、自分の体が人と違うのは、とてもつらいと思います。水着や温泉は、今でも好きになれません。そう言えば学校の健康診断ではいつも骨格だったか胸郭だったか「正常」の診断で、どこを見てるのかなといつも思っていました。
少し前になりますが、腰痛で整形外科に行きました。そのときそくわん症でギブスを着けていたことを話したら先生が「あのギブスですか。お気の毒に」とおっしゃいました。その一言で長年のもやもやしていたものが晴れました。
いたくも苦しくなくても若い女のこにとっては容姿にかかわるのでつらいと思います。
若くなくなってきた私には、もっと年をとったら体のまがったおばあさんになるのではと恐れています。せいぜい背筋腹筋を鍛える努力ぐらいしか出来ないのですが。
中身が大事なんて患者本人には、慰めになるでしょうか。若いお嬢さんの気持ちを汲んであげてください。

hsj-koji@sb3.so-net.ne.jp

98.12.14