カフカの愛したガス灯/[1.前口上] > 2.皇帝の使者

書評連載 〜カフカの愛したガス灯〜

佐々木浩

第1回 前口上


 文芸書の新刊紹介は、新聞各紙や「本の雑誌」など、巷にあふれていて芸がなさすぎる。僕が暮らす京都のジュンク堂や丸善の各書店では、書評の本棚さえあるくらいだから、いよいよ、僕の出番はなさそうだ。
 映画の新作案内は、また別の話。封切りを観過ごしてしまうリスクがあるから、映画評を頼るニーズは存在する。情報誌の映画評はスポンサーによる売り文句で厚化粧されているから、信頼できる友人が「あれは観た方がいい」とすすめられるだけで、あたりはずれはさておき映画館に足を運ぶひとはきっと多かろう。
 僕はあれやこれやと悩んだあげく、読者が多くて、批評などのテキストも多い作家の作品群を読む(読み直す)ことにした。音楽ならビートルズを語るノリに通じるかもしれないけれど。書き手と読み手のコミュニケーションを諦めたくない、という僕なりの欲だろう。
 実のところ、作家やジャンルを十五ほど思いついたのに、最終候補として『シェークスピア・マラソン』と『カフカの愛したガス灯』まで絞り込んだ挙句の果てに、フランツ・カフカを選んだのは、若き日の僕自身が読みきれなかったという悔いが残っているからか。
 カフカの本は生家に置いたまま、だから買い直すことにした。手始めに『カフカ寓話集』(岩波文庫)を手に入れる。数ページ読みすすめただけで、ぞくぞくする。カフカってやばいな。こんなにやばかったかな。訳者はあの池内紀である。なるほど、そうか。エリアス・カネッティの『眩暈』(法政大学出版局)やパトリック・ジュースキントの『香水』(文春文庫)など、池内紀が訳した小説は、十年に一度の傑作ぞろいである。いやはや、僕はドイツ語が読めないから、池内紀は翻訳のふりをして、池内紀自身が創作しているんじゃないか、と疑いたくなるくらいだ。
 2001年には、白水社からハードカヴァーで池内紀訳のカフカ全集が刊行されたらしい。長編三部作など、懐具合ならば文庫だけれど、どうせのめり込むなら生活をやりくりして池内紀訳を中心に読もうか。
 さて、第2回以降は、カフカの作品そのものを直に触れる。未読の方は、読まれるか読まれないかをあらかじめご判断されたし。