CD誕生にまつわる話

                「出逢い」  2003.1月発売
                「花の宴」  2007.4月発売 へ


「出逢い」    2003.1月発売
 おもちゃのちいろばの遠藤邦夫さんのこと

   遠藤邦夫さんとの出逢い
 ―2003年1月に急逝された遠藤邦夫さんに寄せて―

 同じ団地の同じ棟、隣りの階段の遠藤さんと初めてお目にかかったのは団地の草むしりだったように思います。その後、204号室に住んでいる私が笛を吹くということをなぜか知っていてくださって(笛の音がお耳に入ったようなお話しでした)、お会いする度、目を輝かせて「僕もやりたいなー」とおっしゃってくださっていたことを覚えています。

 204号室、ここは当時私の両親の持ち家でした。小学生時代にここに住んでいた私はその後両親に連れられて何度か転居を繰り返しましたが、その間、204号室の住人は何度か入れ替わり、そのうちのお一人が遠藤さんであったこともありました。冒頭に初めて、と書きましたが、正確には小学生の私が既に大人であった遠藤さんと同じ団地内に住んでいた時期があり、私の両親と遠藤さんは随分前から面識があったことになります。’91年の秋、私は新婚で夫と二人、この部屋へ舞い戻りましたが、その時遠藤さんは同じ団地の同じ棟、隣りの階段の部屋の住人でした。

 遠藤さんがそれはそれは素敵なこだわりのおもちゃやさんのご主人であることを知った私は、子供が産まれてから、何度かお店に伺いました。ここでの遠藤さんとの会話はそれはそれは楽しいものでした。遠藤さんがいかに音楽を愛しているか、というごくごく個人的な歴史から、お仕事にも関係する考え方、本当の素の素材を使ったホンモノに触れることがいかに大切か、又、シンプルであればある程奥が深いというお話し。あふれ出る泉のように話されるそのお話しは私にとってはいつもとても興味深く、本当に大切なもの、それはおもちゃにも音楽にも共通することのように思えたものでした。

  

 全く飾らず、常に腰の低い、真摯な態度でお話しをなさる遠藤さんが、「やはり本気で笛を習いたいので教えに来ていただけませんか?」とおっしゃったのは’97年春のことで、前年の夏、既に私達は204号室をあとにして現在の家へ引っ越してからのことでした。

今思えば遠藤さんはこのころ癌治療が落ち着かれていろいろなことをお考えになっていたのではなかったのかな、と思います。

 当時私はまだ1歳の娘を抱えていたので、気がかりは稽古中の娘のことでした。結局、お稽古はちいろば(遠藤さんのすてきなお店です)の2階の事務所で行うこととなり、その間娘は1階で素敵なおもちゃに囲まれて、遠藤さんの奥様の冨美さんと、それは幸せなひとときを過ごすことになりました。とても有り難いことでした。

 遠藤さんのお稽古熱心はとても素晴らしいものでした。食事療法をきちんとなさり、お仕事もお忙しかったことと推察されますが、その上で毎月きちんとお稽古なさいました。毎回それはそれは小さなことにも感動してくださり、コンサートにもよく足を運んでくださいました。藤野での横笛合宿にも一度参加なさって、その時は「島原の子守唄」を舞台で披露なさいました。お仕事の時も、山へ登る時もいつも笛を持参して、時間があれば吹いている、といったご様子でした。

  

 笛を吹くことが、自分がまだ生きているという実感だ、とまでおっしゃってくださった遠藤さんが、コンサートを企画してくださいました。’98年4月19日のことです。場所は奥様の冨美さんの出身校である、埼玉県立川越女子高等学校の中の和室、明治記念館。

この時、共催という形で関わってくださったのが、川越おやこ劇場の皆さんで、特にこの時中心になって動いてくださった当時の代表、金子ジュンコさんとはその後も何かにつけてご縁のあることとなりました。又、この会の折に、語りをしてくださったこころ座の風間操さんとはその後随分と地元での会をご一緒させていただくこととなりました。私が地元、ということを考える大きなきっかけとなった会でもあります。

「春霞―しの笛と語りのひととき―」と題されたこの日のコンサートは次のような内容でした。

篠笛独奏5曲(「出逢い」「さくらに寄す」「島原の子守唄」ほか) 二重奏「“綾”能管と篠笛のために」 伴谷晃二作曲 (第二篠笛・能管 金子弘美) 休憩をはさんで、語りと笛で「たつのこたろう」(語り・風間操 琴演奏・綿貫里織 =こころ座 に、大野の笛が加わったもの)最後に再び金子弘美さんと篠笛二重奏で「さとの子守唄」。

この日の聴衆の一人、武田久仁子さんが主催者宛てに書いてくださった感想からこの日の様子を汲み取っていただけたら、幸いです。

   *

 若みどりをゆく風が心地よい季節となりました。

  …

 「篠笛」このような形では、はじめてきかせていただきました。透明感と、母の声のような優しみを合わせ持つ音なのですね。

 遠くから近づきつつ舞台に登場したその笛は、小さくて細いきわめてシンプルなものでした。しかし、その音色は小宇宙とでもいいたい精神性を有し、そこはかとない懐かしさを連れてきてくれました。

 いつしか目頭が熱くなり私はその音の上に、すでに逝ってしまった人々の面影を重ねておりました。長い間、つなぎ繋がれてきた「民俗の音」であることを、肌感覚で感じとっていたのでした。

  …

 数曲のソロ演奏から二本の笛による合奏へと進みました。

聴きながら、

“ああ人は一人もいいが、二人もいいなあ”

と独りごちしていました。

 きっと一本の笛を堪能したのちだったからだと思います。それに篠笛が単音をきかせる楽器であって、和音が可能ではないゆえに、二本の演奏になった時、こんな感慨をいだかせてくれたのかもしれません。

 まさに綾織りのごとくもつれあい、からみあい、重なりあいます。笛の音は、男を女をそして人生を描き出してくれています。

 私にとってそれは次第に音のみの世界ではなくなっていきました。“二人になった時、人はこんなにも美しく魅惑的な空間をつくり得るものなのか!”と声にして叫びだしたいほど驚嘆していたのです。

 休憩をはさんで第二部は語りから始まります。

 音の表現からこんどは言葉による表現へ。いい企画だなと、期待感がつのります。

  …

フィナーレは、奏者の手になる、“さとの子守唄”でした。沁み入るごとく奏でられる篠笛は、稲穂を吹きわたる風に似た「里の笛」であることを、しみじみと悟らせてくれました。

  …

 ともかくも 胸うたれる演奏会でした。

 隣りの席には木のおもちゃの技師さんが、その隣りには牧師さんが長い足を折って几帳面に座していらっしゃいました。

  …

 ありし日、父母が祖父母が先祖たちが生命を重ねた音ゆえに、こうして同じ笛の音が響く時、彼らの魂は瞬時のうちによび醒まされ、今を旅する私たちの上に、得もいわれぬ懐かしさとして甦ってくるのではないでしょうか。――― 

 それにしても音に色があることを、この日ほど感じたことはありません。

 たよりな気にさえ見えるただ一本の笛を通るとき、空気はたちまちのうちに音色という色になって響きわたってくるのです。

 それは篠笛を通ると同時に、吹き手である奏者の、この笛をこよなく愛する熱き魂を通りぬけてくるゆえに、私たちを感動という喜びの色に染め上げてくれたのでは、―――と思われてなりません。

 よい会を企画して下さいまして誠にありがとうございました。厚く御礼申しあげます。

’98・4・25 武田久仁子 

  

このような会を企画してくださったちいろばの遠藤ご夫妻、そして川越おやこ劇場の皆様に今、改めて感謝申し上げます。どのような会もいろいろな想いといろいろなご縁が結びついて実現しますが、今振り返ってみると、この会も私にとっては何かの節目であったように思え、忘れ得ぬものとなりました。

  

 ほかにも遠藤邦夫さんのご縁で呼んでいただいた会がいくつかあり、また、保育園などでもよく声をかけていただいています。今、改めてこのひとつひとつのご縁を大切にしていきたいな、と思っています。

  

 私が遠藤さんにいただいたものは計り知れないように思います。それはご自分の体験談であったり、たわいのない雑談の中にでてくる本の話しであったり、一見何気ないようなお話しの中に実は深く込められた信念であったり、といろいろです。’02年の年末に病床に臥され、’03年の1月に急逝された遠藤さんは、1冊の絵本を遺されました。ポプラ社から出版された「おかえりなさいキリンさん」という、保育園で実際にあったお話しをもとに出来た絵本です。この絵本の話しを、こんな本を出したいと思っているんだ、という話しを生前の遠藤さんから聞いていたことを私は即座に思い出しました。

「大野さん、CDお出しなさいよ、応援しますよ。」とおっしゃってくださったその後に、ご自分の夢である絵本の話しをなさっていたことを。

  

 勝手な思い込みかもしれませんが、私にとって遠藤さんの夢の実現であるこの絵本を手にすることが即ち、「あなたもがんばりなさい!」と応援してくださっているように思えました。そう、ちょっと遅かったけれど、今、やっておくべきじゃないか?と背中を押された気がしました。私が今、一歩を踏み出すことができたのは遠藤さんのお力が大きいのです。

 2004年にようやく出来あがったCDを、奥様の冨美子さんがしっかりと引き継いで応援してくださったこと、今、ご自分のことだけでも手いっぱいな状況にあられるのではないかと思うと、このお心遣いに頭が下がります.

遠藤さんの志は、遠藤さんと親交のあった人それぞれの中に確実に息づいて今も生き続けていると素直に思えます。

いつも目を輝かせて語っていらした遠藤さんの夢が、これから様々に芽を吹いてくような、そんな気持ちがしています。

2004年8月記

CHIIROBA(ちいろば)〜心を育てるおもちゃ〜のホームページへはこちらから

このページの最初へ戻る

トップページへ戻る




「花の宴」  2007.4月発売

  

第一作より三年程の間に、大切な方達との別れを余儀なくされることになりました。
平成16年(2004年)師走、お世話になった敬愛する一噌幸政先生が、
平成18年(2006年)の4月に第一作「出逢い」にお言葉をいただいた俳優の沼田曜一先生が、
他界なさいました。→追悼:沼田曜一先生

能楽笛方、一噌幸政先生には二十代の頃より十三年間お世話になりました。
笛は勿論、お人柄も素晴らしい先生に、親しく教えを受けることのできた幸運に対して、幾重にも感謝したい想いです。
生前、先生は常に何事にも好奇心旺盛でいらして、お稽古場で様々なお話しを伺うのは私達にとって大きな楽しみの一つでした。
絵画や建築・工芸から、動植物、あるいはいろいろな人物の話題へ、かと思えば一転して戦闘機のお話しまで。

出逢いと別れは運命なのでしょうが、実際にそんな目に遭ってみないと、それどころか遭ってみてさえ、それが本当はどんなことだったのかを理解したり実感したりすることは難しいものなのだろうと思います。

拙くとも今の自分なりの能管を吹いてみたい、と思い、「花の宴」の製作に入ったのは、平成18年の2月でしたが、自分の未熟から、途中いろいろと問題が表れてしまい、この仕事は思うようには進みませんでした。
いろいろと手を加えて何とか完成したのは、当初の予定の一年後、平成19年4月末となりました。
精一杯を込めたつもりですが、出来上がってみればもっとああもこうもすればよかった・・と思うのですから、本当にキリのない話です。

一年延期して、ああでもないこうでもない・・とやっているうちに、このCDのレコーディングエンジニアである 岡部氏に第一子誕生の朗報が舞い込みました。
こうやって誕生する命もあるということを思うと、涙が溢れてしまいます。

ともあれ、無事完成できたことに感謝!
関わってくださった全ての方へ、全ての出来事へ、又、これからこのCDを聴いてくださる皆様へ
心よりの感謝を込めて、このCDを捧げたいと思います。

(2007年4月記)


このページの最初へ戻る

トップページへ戻る