
渡瀬茂の「王朝の言語と文学の研究」
私は平安時代のことばと文学・歴史叙述を研究しています。最近10数年は、当時の助動詞の文体論的機能に深い関心を抱いて研究を進めてきました。以下に最近の私の研究を掲げます。
物語の辺境−「竹河」の時間をめぐって−
1992年7月 研究と資料第27輯
「竹河」の巻は『源氏物語』のなかでも特異な巻とされるが、実際にその時間は、巻の後半において殊に歴史叙述のそれに接近している。『源氏物語』の 他の部分の時間とは異なった性格を示し、その時間の性格は『栄花物語』のような歴史叙述の時間に近いのである。そしてこの時間の性格は「竹河」のの作品全体の中で果たす機能に由来している。「竹河」が「匂宮」「紅梅」とともに、宇治十帖の準備のための巻なのであることのよるのである。
臨場的場面の「つ」と「ぬ」−『源氏物語』における−
1993年3月 富士フェニックス論叢第1号
通常対にして扱われる完了の助動詞「つ」と「ぬ」であるが、「つ」が事象を瞬間に凝縮されたものとしてとらえるのに対して、「ぬ」は事象を延長と変化の相において捉える。そして「つ」は近い過去の出来事を報告する機能と叙述を省略する機能を果たし、一方「ぬ」は場面を転換させる機能を持ち、文学作品の場面転換を果たしている。したがって、この二つの助動詞は文学作品の具象的な描写に重要な役割を果たしているのである。
『栄花物語』の「けり」−その多用される記事をめぐって−
1993年11月 中古文学第52号
『栄花物語』は、王朝の他の多くの散文作品と同様に動詞終止形を叙述の基調としているが、そのなかに「けり」が多く用いられる記事が見られ、その部分は周囲の叙述と文体を異にする様相を示している。ところが、この「けり」を多用される記事の内容の検討してみると、いくつかの種類に分類でき、しかもそれらの記事を通じて副次的な内容の記事であるという共通の性格が見いだせるのである。
「蜻蛉」後半の虚無
1993年11月 水鳥第2号
「蜻蛉」の巻は「浮舟」末尾の浮舟の入水決意を受けた、彼女の行方不明の騒動から筆が起こされる。ところがこの巻の後半ではその騒動も一段落したあとの薫の生活が描かれるが、そこでの薫はただ無気力に彷徨するのみであって、物語の展開に生産的ではない。それは、宇治十帖を通じて大君や浮舟との関係を精神的なものとして昇華できなかったことによる当然の帰結なのであって、そこでは薫は退廃に陥っているからなのである。
王朝散文の動詞終止形(上)
1994年3月 富士フェニックス論叢第2号
王朝の散文の文章は、その叙述の基調は現代口語文の叙述の基調とはずいぶんと違ったものであった。現代語が、助動詞「た」を用いる形式を基調とするのに対して、王朝の散文では多くの場合に助動詞を用いることなく、動詞の終止形が叙述の基調となっている。それは、王朝の助動詞がテンスやアスペクトではなく、ムードの表現として機能するために、所謂過去や完了の助動詞は叙述の基調をなし得ず、動詞終止形が叙述の基調となるのである。
あなたなる場の近江−『栄花物語』の「けり」・補遺−
1994年11月 研究と資料第32輯
まず、国語学者の研究に依拠しつつ「けり」を完了の助動詞として確認し、その機能として時間的に過去と現在の両方にかかわることを確認した。次に「けり」の実際の用法について、『栄花物語』以外の作品についても見た。すなわち、『栄花物語』において「けり」は副次的な叙述に多用されたのだが、そのなかでも平安京を中心とする畿内からはずれた空間の叙述に「けり」が用いられる例を取り上げた。
王朝散文の動詞終止形(下)
1995年3月 富士フェニックス論叢第3号
前号掲載の本考前半に述べた、王朝散文における動詞終止形の機能について、物語以外の作品についての様相を検証した。まず、歴史叙述および日記文学について検証した。次に、近代における諸作家の日記について検証し、古典中国語との関連について述べた。最後に、和歌における動詞終止形と散文におけるそれとの違いについて述べた。
大和物語の「けり」−その文法機能と文体表現−
1995年3月 日本文学1995年3月号
近年の言語学の知見は、時制を「語り」と「説明」に二分する。これを王朝の古典日本語に援用すると、「けり」は完了の助動詞として「説明」の機能を果たすと考えられる。そして、『大和物語』はこの「説明」の「けり」を叙述の基調とするが、これは、この作品の中での和歌の重要性に由来する。そのためにこの作品の表現主体は過去と現在の両方に係わらざるをえず、「説明」の表現を叙述の基調にするのである。
初期王朝散文の疑問表現と推量表現
1996年3月 富士フェニックス論叢第4号
つくり物語・歌物語・日記の各ジャンルにおける、地の文の疑問表現・推量表現の使用の様相は、10世紀前半においては相互に大きく異なっている。この相違は、それぞれの作品の「事実」との関係のあり方に由来するのである。しかしこの様相も同じ世紀の後半には次第に変化する。つくり物語でも疑問表現や推量表現が多用されるようになってゆくのである。
源語古注の檀那僧正
1996年7月 研究と資料第35輯
『河海抄』などの中世の『源氏物語』注釈書には、紫式部が檀那僧正覚運について仏教を学んだと記されている。この伝説を事実と考えるか否かはすべて、平安朝において式部と覚運が出会ったかどうかの事実に関して論じられてきた。しかし、考察すべきなのは中世において覚運が天台宗の歴史上の重要人物と考えられていたことなのである。そしてその背後には天台本覚思想の興隆が古典注釈に与えた影響の大きさを見るべきなのである。
垣間見の「たり」と「り」
1997年3月 富士フェニックス論叢第5号
古典日本語の助動詞「たり」と「り」を論じた。この「たり」と「り」は perfektumとimperfektum の意味をあらわす。そしてこれらの助動詞には、垣間見の描写・事物の列挙・盛儀の叙述・ことばの引用などの働きがある。これらの機能によって具象的・視覚的な表現が可能となっているのであるが、これらの働きは「たり」と「り」が動詞による変化をとらえるのではなく、時間超越的な名詞をとらえるからなのである。
栄花物語と日記文学
1997年5月 風間書房刊 歴史物語講座第2巻 栄花物語
『栄花物語』には疑問表現や推量表現、いわゆる草子地的記述などの主観的な表現が多くみられるが、この文体の先蹤を求めると『土左日記』に行き着く。この両作品は事実への関わりかたの共通性が相似た文体をとらせたのである。そして約百年を隔てて成立した『栄花物語』と『土左日記』の文体を結ぶ回路として、一つは『紫式部日記』などの日記、もう一つは『落窪物語』から『源氏物語』へといたるつくり物語の文体の流れを指摘できる。
固有名詞と歌物語
1997年5月 日本文学1997年5月号
本考は歌物語のジャンルとしての構造を単に作品を並置した静的なものとしてでなく、動的な構造をもつものとして捉えようとした。そのために固有名詞の使用の情況に着目したのだが、それは固有名詞が作品の世界をその外部へと開くことによって歴史への関心と深く結び付いているからである。そして歌物語における固有名詞の使用情況は、作品間はもとより、諸本や注釈の間でも異なった様相を示すのであったが、その様相を『伊勢物語』及び『大和物語』について論じた。この使用の情況は歌物語のはらむ歴史と反=歴史の超克のあらわれなのである。
源氏物語の疑問表現と推量表現
1998年3月 富士フェニックス論叢第6号
『源氏物語』の疑問表現と推量表現は日記文学や歴史叙述ほどではないが、重要な役割を果たす。具体的には、視覚と聴覚の機能、心情推測の機能、事実朧化の機能を果し、『源氏物語』の卓越した文章の一端を担っている。ことに事実朧化の機能は事実性の判断の保留に関連して重要であり、『源氏物語』が歴史を偽装することを知ることができるのである。
『栄花物語』の花山院
1998年7月 研究と資料第39輯
道長家の栄華を寿ぐかのように見える「はつはな」の巻で、花山院は奇矯な姿を示し、道長の栄華を相対化する役割を果たしている。これは、この作品の中で花山院に与えられた性格の特質によっている。花山院は「花山たづぬる中納言」の巻でその出家の事件が描かれているが、その叙述には仏教信仰が大きな影響を与えていて、花山院は仏教的人間としてとらえられている。この信仰的価値が花山院の特異な扱いを許し、「はつはな」での描写を可能にしたのである。
『今昔物語集』の枠構造における「けり」の古代的特質とその変容
1998年11月 富士フェニックス論叢中村博保教授追悼特別号
『今昔物語集』の天竺・震旦部では「けり」は説話の枠として、その冒頭と末尾でもっぱら使われている。これは『竹取物語』など古代的な物語に見られる現象に通じる様相である。ところが本朝部、殊に本朝世俗部では、説話の全体に渡って「けり」が用いられ、叙述の基調となっているものが多く見られる。これは中世の散文に見られる「けり」の用い方に通じるものである。「けり」は『今昔物語集』の前半・後半で大きな違いが見られるのであり、それは古代から中世への文体の変化を反映したものなのである。
香雲房の語り口─『法華修法一百座聞書抄』の「侍り」─
1998年12月 研究と資料第40輯
『法華修法一百座聞書抄』の「侍り」と「候ふ」の使用については、その前後半で使用された比率の様相が異なっている。その理由は講師の年齢の違いに求められるのだが、実際には「侍り」はもっぱら説話に用いられ、「候ふ」は教理説明に多く用いられている。この両者の比率は各講説が説話を中心に行われているか、教理の説明を中心としているかによって異なっているのである。したがって、この比率の相違は講師の語り口の違いに由来しているのである。
「き」の中世へ─『今昔物語集』の枠構造における「けり」の古代的特質とその変容・補遺─
1999年3月 富士フェニックス論叢第7号
助動詞「けり」は、『今昔物語集』の前半では叙述の枠として機能しているが、その後半では「けり」は叙述の基調として働いている。そのために、作品後半では「けり」以外のことばが枠として求められることになった。そして「き」はこの『今昔物語集』後半で枠として働くことばの一つであった。この「き」の枠機能は『延慶本平家物語』などの中世文学作品にも引き継がれているのであり、『今昔物語集』における「き」の枠機能は中世的文体の先駆をなすものであった。
堀辰雄「不器用な天使」の文体における動詞終止形
2000年3月 富士フェニックス論叢第8号
王朝の散文による文学作品は概ね動詞終止形を文末表現の基調として、その文体を形成していた。一方、近代以降の口語文体では、叙述の基調は助動詞「た」になっている。そのような中で、堀辰雄の「不器用な天使」は文末に動詞終止形を多用した珍しい例である。この作品における動詞終止形の使われ方を分析すると、かえってその使われ方が逆説的に、口語文体では動詞終止形は安定した基調となり得ないことを証立てていると確認できる。
物語における奇遇主義─『源氏物語』における─
2001年3月 富士フェニックス論叢第9号
虚構の物語では、その物語の展開において、登場人物の偶然の出逢いという技法がしばしば用いられる。この技法は物語の展開を豊かなものにする普遍的な技法なのであるから、当然わが王朝文学でもその例を見いだすことができるのである。そしてこの技法は物語の特質である全体性への指向を実現する力となっている。一方、作品の特質を部分性に置く歴史叙述ではこのような技法は用いられないのであった。
縦書き横スクロールのホームページとXMLについて
2002年4月 潮廼舎文庫研究所年報 01号
Webページにおいて、ブラウザ「インターネット・エクスプローラ」を用いて縦書き表示を実現するための、スタイルシートについて解説した。また、このスタイルシートをXMLと併せ用いる方法についても解説した。国文学研究にWeb技術を応用するための試みである。
世界の尼・花の尼
2002年10月 山中裕氏編『新 栄花物語研究』(風間書房)
作品の登場人物「世界の尼」「花の尼」に着目して、この作品の信仰にかかわる面について論じた。「世界」が仏教語に由来する言葉であることから、作品の登場人物としての「世界の尼」の構造を論じ、その存在が作品の歴史叙述の面とは異なった一面に由来し、時代の信仰に深くかかわることを述べた。
日本古典文学の研究におけるXML利用の可能性
2003年3月 パソコンリテラシ2003年3月号
前半においては,日本の古典文学研究におけるコンピュータ利用の現状を概括し,後半で古典の作品をXML(eXtensible Markup Language)文書化する利点について,その具体的な例を挙げて述べた。ことに,XMLがデータ操作だけでなく,視覚的な表示にも有効であり,その両面へのXMLの柔軟性が,コンピュータ技術を専門としない古典文学研究者にとっても魅力的であることを述べた。
古典本文のホームページ画像表示による研究
─縦書き横スクロールの対照表示およびルビ付きXML文書の検索について─
2003年4月 潮廼舎文庫研究所年報 02号
インターネットエクスプローラ上おけるCSSを利用した画像の縦組み表示と、フレームを利用した画像の段組表示について解説した。併せて、縦組みXML文書にルビを加え、なおかつ検索可能にする方法について解説した。
人はいかにして人を殺すかの描写について─今昔物語集巻第二十三残存部冒頭の三説話その他─
2003年12月 研究と資料第50輯
『今昔物語集』の説話を資料として平安時代の検非違使および武士の様相を考察し、それを通じて平安時代における武力についての意識を文化の問題として考察した。また、検非違使と蔵人を兼任する「上の判官」について考察し、その具体相から武士の武力に対する貴族の意識の二重性を指摘した。すなわち、武力を目的として武士を雇用しながら、その武力を忌避する貴族の姿が『今昔物語集』に描かれていることを指摘した。
日本紀略内部の異質性について
2006年3月 都留文科大学研究紀要第63集
『日本紀略』は平安朝に成立したと目される漢文史書であり、その前半は六国史の抄録であるが、その年紀記載における「春」などの四時記載の有無に着目して論じた。すなわち季節を表す語彙が年紀記載に含まれる部分と含まれない部分があり、従来考えられてきたようにこの史書が一貫した編集によるものだということと矛盾する。この史書の他の徴証ともあわせて考えれば、従来考えられてきたようにこの史書が一体のものとして成立したとは考え難いのである。
編年的時間の思想性と機能性─日本紀略の四時記載をめぐって─
2006年9月 日本文学2006年9月号
日本紀略の年紀における四時の記載の、巻ごとの有無の問題を通して、日本における漢文史書のありかたを考えた。この問題の背景として中国の史書における四時の記載を検討することにより、編年体の形式が記事を配列する機能性とともに、陰陽五行思想に関わる思想性をあわせ持つことが確認できる。ところが日本の漢文史書では四時の記載は行われなくなる。これは中国的な思想性が日本の漢文史書では次第に見失われ、それとともに機能性はかえって強化されたことのあらわれである。日本紀略はその過程を端的に示していると考えられる。
『栄花物語』花山院叙述の「さとし」について
2007年5月 山中裕氏・久下裕利氏編『栄花物語の新研究 歴史と物語を考える』(新典社)
『栄花物語』巻二の花山院出家の記事にあらわれる「さとし」の語は、『源氏物語』の「さとし」をふまえて理解されてきたが、平安中期語をしての「さとし」の本義を考究することによって、『源氏物語』をふまえて理解することが適切でないことを述べた。「さとし」の語は平安時代において一般的に日本的な陰陽道をふまえて理解されていたが、『源氏物語』では例外的に中国の陰陽五行思想をふまえてこの語が使われている。その背景には中国の陰陽五行思想の政治性・倫理性が日本では正しく理解されず、日本的な陰陽道に変化したという思想史の現象が存在するのである。
奇跡の起こる場所─今昔物語集巻第十九第四十三語を読む─
2007年5月 藤本勝義氏編『王朝文学と仏教・神道・陰陽道』(竹林舎)
平安時代の後期から末期は仏教哲学に大きな変化があった。中期の理論書として重要な『往生要集』では信仰と性的なものは対立するものとして二元論的に峻別されていた。一方本覚思想に代表される後期以降の一元論的哲学ではその両者は対立するものとは扱われない。しかもそれは哲学の問題にとどまらず、日本人の思考法に由来し、日本人の本質にかかわる問題であった。その様相を、『今昔物語集』などの文学作品に記された信仰と恋愛・結婚の描写を通じ、仏教哲学の変貌との平行現象を指摘した。
国語前の「国語」―隋書経籍志瞥見―
2008年12月 研究と資料第60輯
近年の言語研究において「国語」の語には批判が多いが、一方で学校教育においては教科名は「国語」である。そこで「国語」の語を中国正史について調査すると、遼史国語解を見いだすことができ、そこでは「漢語」に対する語として用いられている。さらに遡ると隋書経籍志によって、北魏王朝において用いられたことが知り得る。つまり、「国語」は「漢語」に対して民族の情意を込めて使われる語であった。
日本語を第一言語とする外国籍のこどもの言語権と国語教育
2009年3月 近大姫路大学教育学部紀要第1号
不法滞在する外国人のこともについて、その第一言語が日本語であっても、本国に送還することを日本政府は方針としている。彼らは日本に住んで日本語で教育を受けることを望んでいる。しかし日本の司法は彼らの望みを受け入れていない。彼らは本国においてその言語を理解できないために、困難な状況に立つことになる。彼らの言語権は守られるべきであり、第一言語である日本語による教育が保障されなければならない。
「き」と情動
2009年11月 国語と国文学2009年11月号
王朝文学における助動詞「き」の情動性を論じた。「き」は元来、現在と対照して過去をとらえ、現在との違いを捉える語である。この語が和歌や源氏物語などでどのように働くかを考察し、そこにかかわる深い情動について確認した。さらにその延長線上に、枕草子の日記的章段の段末で「き」が用いられるばあいの機能を指摘し、それが枠構造の萌芽となっていることを述べた。
フィンランドの言語教育制度との比較より見たる国語教育の一側面についての予備的覚書
2010年3月 近大姫路大学教育学部紀要第2号
フィンランドにおいては、フィンランド語とスウェーデン語との二つの「国語」および五つの教育言語が存在する。一方日本においては日本語のみが「国語」であり教育言語である。日本の「国語」は単純であるが、フィンランドの言語教育制度は複雑である。我々がフィンランドの言語教育制度から学ぶところは大きい。
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東北大学言語学研究室の国内言語学関連研究機関WWWページリストはとてもいい。
