それは、ひらひらと風に揺られて呑気そうに散っていた。見ているだけで震えてくる。憎憎しいばかりだが、それ以上に恐ろしかった。
 内に着込んだ白い装束を正し、肩にかける羽織りの袖に手を通して、珍妙な服装を整えながら、相沢祐一は何ともやるせない息をついた。
 そんな景色にも今はだいぶ慣れてきたのだ。だというのに、もはや祭りの後だった。
 サクラの花びらは、眺める花見客の思いなど知る由もなく、たとえ知っていたとしても、どうでも良いといわんばかりの風情で舞っていた。
 なんとも侘しくむなしい。我を忘れるほどに騒いだとなればひとおしだ。そこいらに転がる残骸の一つにすら奇妙な感傷を覚えてしまう。
 それでも、ここまでだった。
 祐一は隣にいる紅色の少女――ミトに目を向けた。いつも無造作に頂点辺りで結びつけた髪は下ろされ、長く腰までたらされている。これもまた無造作に流しっぱなしだ。
 それでも目元あたりは隠れていないので、すぐに合わされる二つの瞳が彼を見上げていた。祐一は頷いてみせる。

「オシマイだな。引き上げるとしよう」
「もういいの?」
「大事なもんは拾えるだけ見取った。おかげで歩くぐらいならどうにでもなる」

 ゆらゆらと危うく揺らいでいる祐一を見上げるミトは、なんとも不安そうだ。だからといって、一休みなんてできる状況でないことは確かだった。
 あたりに突き立った数十本は言うに及ばず、目に入るどこもかしもが今や包み込まれんばかりのサクラに覆われていた。
 花びらは無限に舞い散っている。空気はほのかな香りに満たされている。胸に吸い込めば吸い込むほどに蕩けてしまいそうになった。
 もはやあたり一帯というかあの花およぶところ全てが、完全に祐一の手にはおえない領域にまで沈み込んでしまっていた。

「ミト……、お前のこれ、あとどれくらい持つ」

 そんな淡い白桃色のなかに埋もれそうになっている二人のまわりを、わずかな異色が漂っていた。紅の光りを強く輝かせて、少しでもサクラの色彩とのあいだに溝を作っている。
 それはミトの髪からこぼれ落ちるようにして漂う紅の光りだ。長い前髪をかきあげながら、光りのこぼれ具合に目を細める彼女は、ぽつりと呟いた。

「一刻はたぶん……、あとは、わかんない」

 祐一は一考する。
 だいぶ弱りきっている自分の有り様からすると、現状は思っている以上に、この紅の色に救われている。それがなくなったらどうなることか。
 もはや化生の花びらは、彼の手から離れた。あからさまに全てをどうにかしようとしている。そんなものと今の自分が対峙して、抗いきれるかと問われれば流石に厳しいといわざるを得なかった。
 それでも少女の言ったとおりの時間もてば大丈夫だろうと、祐一は不安をおくびにも出さずに淡々と頷いた。

「それだけあれば十分だ。俺なら逃げ道を探し当てられるから安心していいぞ」

 顔をうつむかせているミトの頭に手を置く。そうしてあたりを見回しながら軽く息をついた。

「それにしても、まったく……、花見をするぶんには、文句ないんだがな」
「花見……?」
「なんだ、知らないのか。よんで字の如く、花を見るだ。心の豊かさを養うためにも、たまには花でも呑気に眺めたらどうだ?」
「これを見るの? のんびりできるとは思えないんだけど……」

 ミトは疑わしそうな目つきで花びらを見つめた。そんな彼女の視界を祐一は慌てて遮った。

「ば、ばか、これなわけがあるかっ、まじまじと見るな!!」
「う、うん」

 目隠しされたミトは微かにぎこちなく頷いた。
 反応があることに安堵する祐一は軽く息をついた。

「いいか、花見がしたいんなら……そうだな、あの女狐の棲み処だ。こんな戯けたもんじゃない普通のがまあまあ生えてる」
「わかった、……こ、今度、一緒にやろうね」
「今度といっても、そろそろ散り時だからな。ちょうどいい頃合いは、今日含めて三日と考えておいたほうが――って」
「それじゃ、三日後にしよ」
「え……」

 祐一の反応が途絶えた。目隠しする両の手からは僅かばかり力がぬける。
 少しばかりひらけた視界をミトは上目づかいで覗いた。不思議そうに目を瞬かせる。
 彼は固まっている。

「……」

 祐一は一考する。
 ここまで終わったのであれば、今年のサクラが散るまで住み家に引きこもっていても問題ない。むしろ外にでるほうが問題ありだ。
 いまのメンタルでは確実にサクラ景色の中に見えてはいけないものを見出してしまう。白桃色を目にするだけで瞳孔が開きそうになる。間断なく吐き気がこみ上げてくる有り様なのだ。
 今を無事に切り抜けられたらあとは視界に入る全てのサクラが散る頃までゆっくり寝ていたいと、心底思う祐一は恐る恐る視線をさげて、こちらを見上げてくるミトを見る。

「一緒に花見ってことは……つまりは、俺も――」
「……」

 そんなあからさまに嫌そうな祐一の言動を受けて、彼女の表情は見る見ると曇っていく。そのわかりやすい反応を無視できるほど祐一の血は残念ながら冷たくなく、どちらかというと暖かいもんだからわかりやすく焦ってみせた。

「いや、待て、一つ確認するべきだった。花見をする場所はどこだ? 少なくとも、ここじゃないんだろうな?」
「え、あ、うん、タマモ様のところならいいんだよね……?」
「あー……ああ、そうだな。あそこならたぶん平気だ。いやなに今回の件はだいぶ堪えたからな……ここじゃないっていうなら話はまた別だぞ」
「……」

 戸惑ったように目を瞬かせるミトに笑ってみせる祐一は、瞬時に自身の体調を考慮しながらこれからの予定を組み立てる。

「今日……は、さすがに準備を考えると厳しいか。やるからには徹底だ。半端にやってもつまらないからな」
「う、うん」
「そうと決まればどうするか……」

 住み家に帰る途中でことづけするぐらいならどうにか体力は持つ。一昼夜寝床で死んでればなんとか動けるようになる。精神的なボロ加減は、百薬の長で洗い流せばいい。あとは花見会場を前にして平静を保っていられるかどうかが問題だが、祐一は覚悟を決めた。
 よくよく考えれば逃げてどうにかなる問題でもないのだ。

「三日後の今時分なんてどうだ。ちょうど満開のサクラが散り始める頃合だ」
「うん、それでいいよ。あなたがいいなら」
「よし、それなら三日後だ。準備は……棲み処で寝ぼけてる女狐に一日かけてやってもらうとしよう。奴にも労をねぎらわせる機会ぐらい与えてやらないとな」

 しみじみと呟く祐一は、どことなく震えている自身の声色に小首を傾げる。喉が痙攣してつまる。うまく笑えず顔面がひきつる。不安そうな目を向けてくるミトに、祐一はおかしくなったわけではないぞと何とか首を横にふった。

「どうも最近は奴のことを少し考えるだけで調子が狂ってな……あの首をキュッとしたくてたまらなくなるんだが、なんだろうな。まさかこの俺としたことが奴にくびったけ……なんてことはありえないと思うんだが」

 額に血管筋が浮かび上がる。無意識のうちに目がつりあがっていく。それら変化をこれまた無意識のうちに打ち消した祐一は、頭に手を押し付けて深い息をついた。

「まあ、深く考えるとますます悪化するから置いといてだな。何はともあれこんだけやったんだ。盛大に歓待してもらおうな、ミト」

 その言葉に一寸考えるそぶりを見せるミトは、うん、と一つ頷いた。

「歓待してあげるね」
「……あまりややこしくなるようなことは……、いや、まあ、とりあえず少しでも発散できればいいんだ。そろそろ大事な何かのタガが外れてしまう気がしてならないからな……」

 こめかみがピクつき始めたのに違和感を感じる祐一は、軽く頭をふって深い息をついた。そして、ふと、思いついたように呟く。

「そうだ、折角だから他の連中にも声をかけてやっていいか。今回はぞんぶんに盛り上がったからな。慰安する意味もこめて――」

 そこで再び祐一の動きが止まった。
 だが、今度は先ほどと違って固い表情ではなく、呆気にとられたと言わんばかりにぽかんとしていた。
 サクラの花が散っている。行く先のどこを見ても呑みこまれんばかりに舞っている。
 その中に、祐一はあるものを見つけた。サクラ景色にうんざりしていた顔色が見る見ると緩んでいく。
 花びらの敷きつまった地面に人が倒れていた。こんなところで、ウーンウンと、盛大に青ざめた表情でうなされている。
 それに隣のミトも気づいたのか、不思議そうに目を瞬かせた。どうしてこんなところに人が倒れているのか。しかも生きている。
 ここは少し前まで戦いの場であり、矢鱈めったら無造作にいろんなものを巻き込んでいたのだが。
 なかば呆然としている祐一は、ミトの問うような視線に気づかない。地面に転がっている輩の顔を見つめて、徐々に顔を緩ませていくばかりだ。そして、心底嬉しそうに呟いた。

「そうだった……今回の件で世話になった諸々も招待してやらないといけないな……」

 祐一は地面に転がっている男の顔に覚えがあった。この戦いの場でやりあった冒険屋の一人だ。最後は、その他大勢と同じく花びらとなって散っていった。
 それがどうしてこんなところで倒れているのか。問われても答えるのは難しい。
 だが、何ともなしに理解できる祐一は、本当に嬉しそうに転がっている死に体の男を見下ろした。

「押し付け代価は、生涯の傷痕、と……誰も、そう簡単に、シなせやしない……」

 延々の悪夢にでもうなされているかのような風情で地べたに寝転ぶ男。寝汗というよりは、冷や汗と脂汗の入り混じった心底の体調不良からくるぬめりに全身を犯され苦悶のうめき声をあげていた。
 それを見下ろすように見つめる祐一は、テンションあがってきたみたいな感じで首のコリを解しながら鳴らした。
 このような憐れなむくろは、この樹海の中にどれほど落ちているだろうか。今現在も落ち始めているのだろうかと、そんなことを思う諸悪の根源――苗床たる相沢祐一は、素晴らしいことを思いついたとばかりに顔をほころばせた。

「俺だけが花見を味わうなんて、よくよく考えると不公平だったな。俺としたことがうっかりしていたぜ」

 ちらりと目線をさげる祐一は、こちらを見上げたままでいる紅色の少女をみる。そこで一旦すこしだけ楽しくなる未来予想図を打ち消した祐一は、わざとらしく咳払いして伺いを立てた。

「なあ、ミト。良ければなんだが、他の面々も誘い出していいか」
「え、あ、うん、わたしはいいよ。あ、でも……、あなたはわたしが歓待するんだから」
「好きにしてくれ」

 苦笑しつつも、祐一は嬉しげに笑った。肉体精神共々つかれきってボロボロではあるが、現状から目をそらせる楽しい未来を思って心のそこからの笑みを浮かべた。

「話は決まったな」
「あの人、放っておいていいの……?」
「起きたら悲鳴の一つでもあげて逃げ帰ってくるさ。骨の髄までしゃぶり尽くした獲物に、もう一度手をつけるような悪食じゃないからな。貪欲な癖して、味にはうるさいんだ」

 祐一は一歩を踏み出して歩き始める。道々で、桜吹雪が舞い踊る。飽くことなく尽きることなく満遍なく。
 ここから、どこに辿りつけるというのだろうか。どの道の先にも魔性の化しか待ち受けていないように思える。
 だが、そのような心配は不要なのかもしれないと、ミトは彼の後に続いた。
 サクラに染まらぬ明日を見つめる祐一は、酷く楽しそうだった。

「三日後が楽しみだ。しっかり離れずついて来いよ、ミト。なんなら手でも繋いで」
「わかった。放さないからね」
「……今さらなんだが、ずいぶんと態度が違わなくないか」
「そ、そんなことないよ」















イノチ紡がれ世界は狂う
08 X 終わった戦場の挽歌















 木々があふれかえる土地のなかにぽつんと、異彩を放つ屋敷があった。広さにして三百坪はいこうかという敷地を木の塀で囲い込んだ様は、自然だらけの中で際だって不自然にあった。
 だが、それでいて、不思議なことに調和はとれているのだ。
 色あせて朽ちている塀の列なり。両開きの重厚な門戸は、一度として閉じられることのないような面持ちで開け放たれている。そこから覗ける庭園は、手を加えられてはいるが不自然ではない緑の敷地だ。季節柄の色彩に富んだ草花が、見目麗しく生えそろっている。
 そのどれもが長い年月を風雨にさらされてきた風情を醸し出していた。生半可な雑木では到底及ばない貫禄をただよわせている。下手をしたら自然に生えてきたはずの若木が不自然に見えてしまうほどだった。
 自然のなかにある不自然な屋敷は、見事なほどに自然との境目を支配して、ゆうゆうと鎮座していた。何の因果か多々訪れる機会に苛まれる極一部の者にしてみれば、その偉そうなたたずまいは忌ま忌ましいかぎりだろう。

「……」

 そんな門戸をくぐり抜けていく姿がぽつぽつと見受けられた。
 今日がそういう日だと心得てはいたつもりだが、実際に目にするとやはり不自然な光景だった。それを見つめる少女にしてみれば実に珍しかった。
 ここは見た目威光を放ってそうではあるが、普段は訪れるものなど皆無に等しく、うら寂しい場所だったりするのだ。

「一体何を考えているのか……」

 もう何十年とこもっているように思える屋敷の空気が久方ぶりにかき乱されていく。掃除したところでは掃きだしようもない朽ち木のように古びた匂いが、生き生きと活力に溢れた空気で洗浄されていくようだ。
 ここの空気は肌に合わないなどと、訪れるたびに彼は言っていた。だからか庭のオブジェの配置を変えたり、しょうじや窓、戸などをやたらめったら全開放にしたり、庭石を池に放り込むなど唐突な奇異行動でもって、彼なりの改善を試みているのを何度か見かけたことがあった。目くじらを立てて小言を言わねばならないような所業ばかりだった。
 最近ではどこかしらから拾ってきた小動物を放し飼いにする始末である。
 ただ、そうまでしても、彼一人では屋敷の空気は微動だしなかったが。

「……」

 とはいえ、今日という日が、屋敷の空気を入れ替える為だけに準備されたわけでは当然ないだろう。
 いつも通り突然やってきたかと思えば、屋敷の一応の主に向かって居丈高に、労らせてやると、言い放ったのが今から三日前。そのまま崩れ落ちて、殆どはいつくばりながらも睨みつけてくる姿が、何かしらの怪物っぽくて印象的だった。
 けだるそうに頬づえをついていた屋敷の主は、その姿を愉快そうに眺めていたわけだが。
 ただ、さすがの彼女も四肢を震わせながら息もたえたえの容態でがんばる彼の姿をみて憐れに思ったらしい。

「……んふふ、いいわ、わかったわよぅ。いたわってあげる」
「頷くんなら早いとこ頷け、くそ……」

 彼の姿を三十分ほど眺めた後に、彼女は珍しく承諾するように息をついたのだった。
 その後、はいずりながら帰途につこうともがく彼に肩を貸しての道のりは大変だった。
 そのときのことを思いかえす少女は、小さくため息をついた。淡い緑の紬を着込んだ彼女は、両頭部のネコミミを力無くしおらせる。
 そんな諸々の事情があって、今に至った。
 とはいえ、だ。
 彼を労わることはやぶさかでないが、これほどまでの規模となると、頭を抱えるしかない。寂れた屋敷の管理運営を一手に担い、その主の面倒まで見ているミコネは、ここが会場となってしまった以上、もはや諦観するしかなかった。





☆ ☆ ☆





 その庭は季節ごとに色彩が移り変わるよう整えられている。春夏秋冬どの時節でも庭には色があった。そして、今。
 旬の花は誰に遠慮するわけもなく色とりどりに並んでいた。
 その中で際立って目につくのは、いわずもがな。
 祐一は薄く笑った。

「くく……」

 桜の木だ。
 ぽつぽつと桜の木が並んでいた。
 あの戦いの場にて咲き誇ったサクラと比べると、規模も色鮮やかさも大人しく慎ましやかではあるが、これこそ花見に相応しいといえよう。
 気を張らずにのんびりと眺められることの何と幸せなことか。
 庭木にしてはかなりの規模となる十数本の桜木が、淡い花を咲かせている。ひらひらとサクラの花が舞い散っている。ゆるやかな風にふかれて、いかにも儚げであった。
 心が落ちついてくる良い景色だ。

「はは……」

 それに比べて、俗世の有様ときたらとんでもないザマだった。
 ふつうから反するにもほどがあるだろうに、さらに突き抜けんとしている。
 桜の下に広がる光景は、まさに阿鼻叫喚だった。
 自分だけが花見を味わうのは不公平だからと招集した面々。あの戦いの場に赴いていた冒険屋勢の顔があちらこちらにあった。
 彼らは体よく道連れにされるしかない哀れな意地っ張りどもだ。
 あの魔性のサクラに散々な目に合わされておきながら、それでも誘われたとなれば彼らは断れなかった。花見をしようと、何もかも理解している祐一からの誘いを蹴るという選択肢は、彼らにはなかった。
 断るということは、つまりは完全に負けを認めることになってしまう。桜を見るだけで身体中の震えが止まらなくなると、桜の花が怖いんですなどと、面をきって言えるほど素直な連中は一人としていなかった。
 そういう輩を祐一がピンポイントで狙ったということもあるが。
 ともかく妙な意固地をはる彼らは、ノコノコと出向くしかなかった。
 だから、今ここに広がる光景はまさに阿鼻叫喚だった。
 ただ、あれからまだ三日しか経っていない。それだけの期間でここに姿を現せるということは、それほど弄ばれていない、もしくはタフな輩なのだから酒の肴にしてもいいだろうと、祐一は歪んだ笑みを浮かべる。

「……はっはは……」

 祐一は絞り出すようにして笑った。目論みは八割がた予想どおり。その景色のなんと愉快なことか。そして、顔色を青くして乾いた笑いをこぼす裕一は、手を休めることなく杯を口に運んだ。

「……」

 右隣に座りこむ七瀬留美は、そんな彼を半眼で眺めやった。彼の今の振る舞いは、次から次へと芽生えそうになる不安を飲み込まんとしているようにしか見えなかった。

「言動が噛み合ってないわよ。……やけに苦しそうじゃない」
「……そう見えるか」
「おもいっきり」

 苦々しく表情を引っ込める祐一は、けだるそうに一つ息をついた。
 現状は、彼が予想していたとおりだ。自身の状態も含めて、予想通りだった。

「ふん……見ろ、あいつら。出たり入ったり右往左往してるぞ」
「そうね。ここに座り込むまでのあんたとそっくり」
「……なんでお前が知ってる」
「見てたからに決まってるでしょ」
「盗み見するなんて乙女にあるまじき行為だな。見て見ぬふりぐらいしろ。気の利かんやつだ」

 七瀬はますます乙女から遠ざかりそうな視線で祐一を睨みつける。それを無視して祐一は空になった杯に視線を落とし、まわりに目をくばる。宴席には花より団子と目が移ってしまうのも仕方なしと、色とりどりの料理が並んでいた。
 だが、その中に祐一が求めるものはない。それは全て七瀬とは逆側に座り込んでいる少女に抑えられていた。

「おかわり?」
「……そうだな」

 諦めたように息をつく祐一は、左隣へと杯を差し出した。丁寧に頂点のすこし後ろで結ばれた紅色の髪が嬉しそうに揺れた。慎重に瓶が傾けられる。
 その様子をうかがっている数多の視線があった。会場の桜木の下に用意されている十とちょいの宴席からだ。点々と散らばっている円座は、十人前後が座り込めるようになっている。
 今は半分ほどが埋まっており、あとは定員の半分にも満たない人数がいるばかりだが、それら各円座から興味、好奇、胡乱げ、憎憎しげと、いろんな念を含んだ刺すような視線が祐一に突き刺さっていた。
 完全に見世物である。ひどく居心地がわるい。
 だが、そんな生易しい感想を抱けるほどの余裕もないのが祐一の現状だった。

「くっ……また風が……」

 何の因果か、この庭で一番豪勢に咲いている桜木の下が、祐一の席になっている。この庭で一番多くの花びらが舞い散っていた。
 一枚が降ってくるたびに、祐一は直撃を避けようと身体を小刻みに動かしていた。
 無駄な努力なのは見てわかるほどに明らかだったが。それでもどうにか、まったくどうってことないぜと、言いたそうな顔つきを祐一は作っていた。これまた無駄な努力で引きつってしまうが。
 舞い終わった花びらはそれほどでもないが、枝から解きはなたれ地におちるまでの僅かな時を生きる花びらには、何ともいえない悪寒を覚えてしまう。祐一は一枚受けるたびに確実に何かを削られていっていた。
 今はまだ大丈夫そうだが、いつ狂乱してもおかしくない。むしろ花びらの影響範囲外で楽しそうに転げまわっている面子に混じっていたほうが、祐一も幸せかもしれなかった。
 彼らは例外なく我武者羅になって桜の花びらを避け回っているので、大本である桜を直視する暇なぞなかった。そのぶんだけ心の負担は少ないことだろう。
 中には我を失っているものもちらほらと見受けられはしたが。
 それでも今から逃げられるだけ祐一にはマシに見えた。たとえ後日、記憶の混濁や得体の知れない不安感に苛まれることにだろうと、だ。

「うおおっ!」
「ポぉウっ!」

 桜の花びらが降ってくるたびにゴロンゴロンと転がり逃げる胸板がむさ苦しい男と、軽快なステップと身のこなしで花びらをくぐり抜ける頭髪がソウルな男が祐一の目につく。というか目につかないとおかしいぐらいに跳ね回っている。
 胸毛とアフロは桜並木を十メートル進んでは、舞い散る花びらに道を遮られたと言わんばかりに十五メートル仰け反るようにとび退っている。一枚とて触れてたまるものかという形相である。そんな奇行を繰り広げる両者と祐一との距離は、ゆうに五十メートルはあるだろうか。
 最も絢爛な桜木の下にいなければならない祐一は、できるかぎり自身の状況から目を背けるために彼らを眺めていた。
 自分だけが味わうのは不公平だからと呼んだ面々。その中でも花びら全てを避けられるほど器用でない者たちときたら酷いものだった。
 花びらに触れられたかと思うと気が狂ったように振り払っては、全身を総毛立たせて声なき悲鳴をあげる。そして、その一瞬の硬直が命取りとなるのだ。
 西の大樹海を染め上げた魔性のサクラには程遠いが、ここにある桜木も控え目ながら結構花びらを散らしていた。固まっているところで二枚目、三枚目と続けてくらった輩の狂乱率は今のところ百パーセントだった。
 そんな様を肴にしながら祐一は、複雑そうに重たい息を吐いた。

「どんなところで何をされたかは知らんが……まったく、人が招いてやったってのに失礼な奴らだな。自分の席にも座らないで、いつまで踊ってるつもりなんだ」
「その席につくまで一時間かけたあんたのいう台詞じゃないわね」
「……おい、七瀬。さっきからやけに突っかかってくるじゃないか。なんか俺に言いたいことでも」

 じとっという半眼の彼女を見て、祐一はため息をついた。言いたいことなど有り余るほどにあることだろう。

「何なのよ、ここは。あれとあれ、それにあれ……っていうか、どいつもこいつも散ったような顔ばっかりじゃない……」

 留美はあたりを見渡して、もっとも凄惨な目つきで彼を睨みつけた。

「何だったのよ、あそこ……それに、あんたは」
「おい、深く考えるな。忘れろ。理解する必要もない。意味がない。お前には、何一つ関係ない」
「関係ない、って……」

 七瀬の瞳が凄惨から陰惨になった。彼女は直と見届けたのだ。その温もりも、色褪せていく瞳も、力なく滑り落ちていく手のひらも、失われていく命そのものを。あれは決して偽者でもなんでもなく、あそこにあった事実だ。
 だからこそ、ここにいることが最も信じられなかった。
 そんな留美の目つきに祐一は大きくため息をついた。

「だから、意識しないでくれ。あんときのことは、どうでもいいから。お前がそうして怒り心頭になっていること事態まずいんだ。アイツはほんの少しの隙間でも見つけてくるぞ」
「何ワケのわかんないこといって……」
「まともな手でどうにかできる時期はとう過ぎてた。ああするしかなかった。あの場所はどうしようもなかった」

 そんなことも分からないほど付き合いは短くなかったろうと、祐一は留美を見る。そして渋々ではあるが反論の言はないと彼女は押し黙る。

「今は、そこにある結果だけを見て納得してくれ。……一応は世話になった身だ。落ち着いてきたら今回の埋め合わせはするから」
「……」
「だから、今は、本当に……、勘弁してくれ」

 そういってうな垂れる祐一は、おもむろに手に持つ杯をあおった。その肩がびくりと竦む。近くに花びらが舞っているのを見ずとも感じ取れるほどに重度の何かを患っているらしい。
 その様子を見ていた右二つ隣に座しているネコ耳少女がぽつりと言った。

「ほんとうに苦しそうですね。見て分かるなんて珍しいです」
「……だからそれを意識させないでくれないか、ミコネ。病は気からだ。そんなこと言われたらますます病んでくるじゃないか」
「何があったかは知りませんけど……」

 サクラの花びらが舞っている会場のなかで、極端な反応を見せている面々。必死になって桜から逃れようとしている彼らの姿や、彼の言動を眺めていたミコネは、一応の理解を得たといわんばかりに頷いた。

「会場の手前で青白い顔して進んだり戻ったりしてたのは、こういうことだったんですね」
「ほっといてくれ。というか、お前も見てたのか? まったくデリカシーのない連中ばっかだな」
「そういうことは、自分に常識がないことを自覚してからにして下さい。すこし目を離した隙にいなくなったかと思えば……」

 どうしてか台所で落ち合った。平然と佇もうとしている彼の姿があった。ほのかに酒気をもらしながら。

「……台所に用意してあった徳利が半分近くなくなってたのは、やっぱりあなたが原因ですね」
「おい、勝手に決め付けるなよ。俺はそんなの知らん」
「しかもいきなり運ぶの手伝うなんておかしな言動するからすごく警戒したんですけど……残り半分もここには持ってきてないようですね」

 その言葉を受けて、逆側の二つ隣に座している紅髪を前に垂らした少女がぽつりと続いた。ミトにお酌されている祐一を軽く眉をひそめつつも黙って見ていたエンだ。行儀良く淡々とつまみを摘んでは呑んでいた手をおさめて呟いた。

「話が見えてきたぞ。そのあとだ。両手に大盆かまえて何か思い悩んでるかと思えば、会ってそうそうの私に手伝えなんていって押し付けてきたな」
「おい、エン、待て」
「早くも酒の匂いを漂わせておいて、手伝えも何もないと思ってたんだ。しかも片方の大盆を受け取ってやれば空いた片手で呑み始め――」
「――おい!! だから待てと」
「呑むから手伝えなんて意味に気づいたのも後の祭りだったが……なるほど、そういうことだったのか。花見会場に入ってからは、やけにぴったり後ろに張り付いてきて鬱陶しかったのも……おかげでミトにどれだけ睨まれたか」
「エンっ、すこし調子に――!!」

 と、そこで祐一の言葉は止まった。彼の杯になみなみと注がれた水面へ花びらが降ってきて色をそえたのだ。
 それだけで、はた目から見てもわかるほどに顔を引き攣らせる祐一は、これまでのやり取りなどすっ飛んだかのような顔つきで杯を飲み干していた。そして、深い息をつくのだった。
 そんな前後の会話と、花吹雪く中にある景色を見つめる留美は、彼の様子に改めて眉をひそめた。さすがに冗談や酔狂で装っているわけではないらしいと思えた。

「さっきからずっと呑んでばっかり……心ここにあらずね、あんた」
「なーにを、そんなに怯えちゃってるのよぅ? んふふ」

 間をおかずに的ついてくるのは、右三つ隣りの性悪女の狐だ。櫻色の着物を着崩してだらしない格好のタマモは、何もかもわかったような顔つきで嫌らしく祐一を酒の肴にする。
 だからこそ、祐一も彼女にだけは嬉々として応じられる。この場で唯一遠慮なく壮絶な視線を返せる対象にむけて、祐一はまさに鬼気と喜々の両極端を織り交ぜた瞳を投げてやった。

「……言ったってわからんさ。理解できるとしたら、それは、あのとき俺の敵だった連中だけだ」

 ちょうどよい具合に咲き乱れた桜の下、祐一が厳選した招待客の面々は面白いぐらいにのた打ち回っていた。
 その景色を握り締めるように手をかざした祐一だったが、ほどなくして嘆息するなり再び酒を呷るのだった。

「それだけに惜しいな……。あのとき、あの場にいたら、お前だってきっと共感してくれただろうに――いや、なんだったら今ここで改めてやっても」

 その言葉にまわりはそれぞれの反応を示した。円座にして十二人ばかりの宴席。対面に位置するものほど強張っており、そこから近づくほどに緩くなる空気が一様に強張った。
 その中でも一つ、円座からわずかに外れているところにある雰囲気が色濃くなったことに祐一は気づいた。

「……?」

 祐一が背をむける大樹の傍らにひっそりと佇む暗い男だ。
 少しばかり出遅れたせいですでに満杯だった祐一を含む円座。仕方なしに個人で完結する独りぼっちの宴席へとしゃれ込んでいた黒い犬は呻るように呟いた。

「……二度と、するな……」

 相変わらず言葉少なで何を言いたいかはっきりと分からないが、祐一は首を横に振った。慣れてくると意外に雰囲気だけでどうこういけてくる。

「そいつは無理だ。聞けない話だぞ」

 祐一は心底忌ま忌ましそうに西の樹海の方角を睨みつける。そして、まわりに目を配って何ともいえない息をついた。

「こっちは身も削る思いでやったってに……あれだけやって、成果がこれじゃあな。次は、マジで身を捧げるしかないじゃないか」

 心底本気の目つきを隠すように祐一は酒をあおった。ただ、言葉の端々にすら感じられる本気は押し隠せるようなものではない。それには、隣に座り込んでるミトも非難するような目をむけた。そして、それ以上に厳しい空気で祐一の背にいる黒いのが呻った。

「……俺がやる。お前は手をだすな」

 いつもの暗い感じではなく、熱のこもった言葉だ。それでいて背負う影だけはより一層濃さを増していた。黒い犬は力無く拳をにぎる。

「義理はない……目の前で、二度だ……俺は、何も」

 その言葉でまわりの空気がまた少し変わる。極少数ではあるが、誰しもの顔色が曇った。
 それを見咎める祐一は顔つきをことさらにしかめて吐き捨てた。

「だから、思い違いしないでくれ。あれは、誰にとっても関係ない。むしろ害になるから今すぐ忘れろ。あのときのサクラと同類みたいなもんなんだぞ」
「……忘れられるものか」
「冗談じゃないッ……勘弁してくれ……」

 険しい顔つきで祐一を睨みつけるクロナギの瞳は、心底真剣だ。祐一も睨み返してはみるも、すぐに嘆息して自分の宴席に目を配り、左隣の席に目を向けた。確保されている酒瓶の一つをよこせと手を差し出す。

「一つこっちに」
「だめ」

 沈黙。
 祐一は渋い顔でミトの背後に手を伸ばす。

「いいから」
「いーやーっわたしがつぐの!」
「……それなら後ろで暗雲ただよわせてる奴にたんまりとついでやってくれ」
「えー……」
「えー……?」
「いや」
「いや、って……」

 祐一の左手後方に座り込んでいるクロナギを見るミトは、すぐにプイッと顔を背けた。

「やだ」

 その反応にクロナギも淡々と応じた。

「……そう易々と、つがせるわけにもいかないな……」

 そんなやり取りに不穏な空気をひしひしと感じとる祐一は、とまどったように二人を見た。

「あれ、お前らってそんなに仲悪かったか……?」
「よくなかった」
「……らしい」
「いや待て、そんなことないだろう。互いの生還を喜び合う仲だったじゃないか。ほら、シロの爺さんも含めて……」

 二本離れた桜木の宴席に祐一は視線を投げた。そこいらには、あの戦場を最後まで戦いきった猛者たちが蔓延っている。花びらにも動じることなく堂々と酒杯を傾けていた。
 その隅っこに祐一のいう爺さんはいた。全長一メートルとデカイ白い猫が寝転んでいる。それの隣には裏山の主と呼ばれるベンガル山猫のベンさんの姿も見られた。
 共に戦場に飛び込んで死地の一角を見事に制した猛者だ。ただ、かなりの激戦区だったのか、白猫、通称シロの爺さん、本名弾(タマ)は物理的に死にかけている。包帯でぐるぐる巻かれて息も絶え絶えだった。

「……何しにきたんだ、シロの爺さんは」
「ベンさんに担いできてもらったみたいだよ。お近づきになる機会は逃せない、って」
「あんなんでよく生きてられるな……」
「こんなんでも生きてるワシ超すごくね、って口が聞けたら言ってるだろうね」
「よく見たらなんか泣いてやいやしないか」

 顔の体毛があって見づらくはあるが、確かに白い毛並みを伝う雫が見てとれた。祐一は怪訝そうに白い猫を見つめた。
 答えるようにクロナギがぽつりと呟いた。

「……想像はつく……」
「何だ?」
「お近づきになろうにも相手がいないからね、弾さんのまわりに」

 そう告げたのは紅いのだった。黒いのの言葉尻を持っていって少し得意そうだ。答えをとられた黒いのは憮然とした。
 とりあえずはそんな両者を無視して、祐一は憐憫のまなざしで白い猫のあたりに向けてやった。

「まあ、確かに……見事にむさっくるしいのやら変なのしかいないな……」

 自身の身体も省みずにやってきた目的を考えると、あれでは涙の一つも零れるというものだろう。隣に座るベンさんを始め粗野で豪快な毛むくじゃらやら、威圧的な巨体やら物言わぬ獣が集っている。
 酒樽がいくつも並び、それらが次々と消費されていく。料理は無造作に食い散らかしだ。何というか山賊とか蛮族とかを彷彿とさせる野郎どもの世界ができていた。
 始めから加わっているならまだしも、今からあそこに割って入るのは些か難易度が高い。しかも周りの宴席にはまだまだ空きがあることを考えると、もはやそこの集いに新たな客が座ることはないように思えた。
 それを弾爺さんも悟っているのだろう。望むべく出会いはもはやない。だから泣いているのだ。
 偏頭痛でもするのか祐一は額に手をあてた。

「数世紀ぶりの顔触れだっているだろうに……、この際だから傍にいる連中とお近づきになれってんだ。そうすりゃこっちも近づける口実ができるってのに……」

 白猫の寝そべってるあたりは、どいつもこいつも雄々しく、豪放磊落を体言したような存在だ。酒杯を傾けながらこっそりと眺めやる祐一は、記憶をほじくり返すような顔つきで目を細める。

「豚っ鼻と鼻輪の牛野郎に土竜は使えたか……、ゴリさんに手長に尾長は北欧の巨人相手に最後まで奮闘してやがった……、長っ鼻に虎柄は見かけ倒しじゃなかったし……、豹柄に鷹の目はずいぶんと手酷くやってくれたな……くそ、それになんなんだあの馬面は、なんで頭部だけ馬なんだよ、あの姿形であの目が怖ぇ……、ッ、こっち見やがった」

 祐一は僅かに口をつぐみ、少しばかり強張った顔つきを意識して消した。そして何ともいえない息をついて、これまたなんともいえない薄い笑いをこぼした。

「……こんだけの奴らがまとまってくれりゃだいぶ楽になるんだがな……」

 とても纏まってくれるようには思えなかった。これから先の付き合いを考えると何とも憂鬱で、祐一は乱暴に酒杯をあおる。そうして空になった杯にすかさずおかわりをついでくるミトが、祐一の耳元に口を近づけて囁いた。

「それで、どれからやっていこうか?」
「……なんでそんな物騒なこというんだ」

 耳をくすぐるこそばゆい感触とは裏腹な響きに、祐一は顔を軽く引き攣らせる。その囁きが聞こえていたのか、クロナギも呆れたように吐息した。

「……まったくだ。一々同意を取らずともやることは決まっている……先ずは、あいつとあいつだ」
「おい、やめてくんない! そんなあからさまな目で相手見ん……馬がちらちらこっち見てんぞっ早く目をそらせ」

 本当に馬が嫌らしいということがわかる祐一の口調に紅いのと黒いのは、不服そうにしながらも目線をそらした。ただ、刺々しい意識は向こうにやったまんまだ。あまり意味がない。

「……花見の最中だぞ、不粋な真似はよせ、クロナギ、ミト」

 まさか自分がそんなことを言うことになるとは思わなかったと、神妙な顔つきで祐一は落ち込む。それを察したか少しづつ空気を大人しくさせていくクロナギは軽く頷いて見せた。

「……そこまで言うなら。今日は控えよう……」
「今日というか、いやまあ、とりあえず今日はな……」

 祐一は安堵の息をつく。
 だが、すぐにもう片方の気配に気付いて顔を強張らせた。なぜか紅いのは治まっていない。どころか怒気が膨らんでいく。
 ただ、その矛先は向こう側ではなくすぐそばだ。祐一自身に突き付けられているように思えた。あと黒いのにも。

「……あとだった」
「……?」
「あとだった……!」

 怒っている。これは残念ながら意味がわからなかった。
 自己解決にかかる時間を弾き出した祐一は、素早く目配せした。誰かに聞いたほうが早い。

(エン)

 黙々と枝豆を口にしていたエンは、ヘルプを見て取って口パクで答えた。

(……呼び順だバカ)
「そうか、呼び順かバカ……って」

 ますます意味がわからない。軽く顔をしかめつつ祐一は、ミトに意識を向けた。ぷりぷりしてる。どう対応すればいいか皆目見当がつかなかった。
 困る祐一は、右隣りにいる七瀬に視線を投げた。こちらも無心で料理に手をつけて杯に口をつけている。こっちはこっちで機嫌が悪そうだが、まだ思い当たる理由があるだけマシだ。
 祐一の視線に気付いたのか、渋々と視線を返した七瀬はとりあえず呟いた。

「モテモテね」
「……ポジティブに考えろ、ってわけだな」

 俺モテモテと、祐一は酒杯を煽る。そしてまわりを見渡して、再度モテモテ俺と、呟いてゆっくりと視線を落とした。

「……ちょっと待てくれ。今半分ぐらいと目があったぞ。モテモテなのかこれ……っていうか馬がまだこっち見てた怖ぇ……!」
「それは自意識過剰なだけでしょ」
「……なるほど、ポジティブ過ぎるのも考えものってわけだ。よし、もう少しネガティブに行こう」

 祐一は酒杯をあおって再度まわりに視線を流した。そしてすぐさま身を強張らせて顔色を青白くした。

「何人か目つきが尋常でない奴がいるんだが……あいつら、俺を見ながらどんな世界を脳内で創造してやがんだ……っ」

 しいて言うなら人の尊厳を根こそぎ持っていかれそうなプレイで、今にも全開で襲われそうだ。

「――っ、七瀬。弓を番えろ。全力で」
「知らないわよ」
「冷たいやつだな……っ」

 そして左隣のミトに意識を戻せばさっきよりも厳しくなっていた。なぜか黒いのも心なしか険しい。ただ、祐一にとって幸いなのは、それが自分に向けられているわけではないということだ。
 右隣りの七瀬に移っていた。
 祐一は軽く眉をひそめて一考。少しだけ右隣りから身を遠ざけた。

「……すまん、ひょっとしたらエンガチョ的な何かが要因なのかもしれない。七瀬に移ったぞ」
「んなわけあるかっ、って何であたしが睨まれなきゃいけないのよ……!?」
「俺に返すなよ。誰か別のやつに」
「……」

 七瀬は呆れたようにため息をついたが、ふと、真顔になって祐一をじとーと見つめた。そして恐る恐る人差し指でちょいとさわった。その一連の動作を怪訝そうに見守った祐一は、ジト目で彼女に問いかけた。

「おい、なんで今さわった? んなわけないんじゃなかったのか」
「……あんたの場合は別だったわ。こんなことが、何を招くかわかったもんじゃない」

 そんな今にも唸りそうな顔つきで警戒心をあらわにする七瀬に、祐一は一瞬ぽかんとした。そして、久方ぶりに笑ってみせた。

「いいぞ、それだ。その心構えがお前には足りなかった」
「なにを偉そうに……ッ」

 そんな両者のたわいないやり取りを、ミトとクロナギが難しそうな顔つきでうかがっていた。そして不承不承といった感じに頷きあった。

「……当面は、あいつだ……」
「犬っころより何十倍も手強そう」
「……確かに厄介だ。……紅狐より数段階は先に進んでいる……」
「……」

 一瞬の沈黙。祐一たちを余所に、紅いのと黒いのは再び視線をかち合わせた。ギスギスとした空気が膨れ上がっていく。
 祐一はため息をついて、今にも唸りそうな紅いのと黒いのに目を向けた。すぐそばでそんなものを発生されては、気付かぬふりをするのも苦しい。

「なんで、なんでそういうこと言うの、答えて早く」
「……それはこっちの台詞だ。……いくらなんでも、何十倍は、ない……」
「そこまでにしろよ、お前ら。特にミト」
「え、なにっ?」

 さっきまでの尖った空気はどこにいったものやら。名前を呼ばれて喜色満面の彼女に、祐一は気圧されつつも杯を差し出した。

「俺を歓待してくれると言ってなかったか? いや、疲れているんであれば構わないんだが」
「ぜ、全然疲れてなんかないって! わたしやるよっ」
「しかしな……、俺の要求レベルは高いぞ? たまに立ち寄る馴染みの土地で受けるもてなしが最上すぎてな……普通じゃ満足できない身体になってるんだ」
「わたしがんばるよっ、がんばって満足させてあげるから!」
「それなら、まわりに気を取られている暇はないな」

 祐一はそういって酒杯を差し出して軽く笑った。ぱっと顔つきを色付かせるミトは嬉しそうに頷いた。
 ただ、そんな風に紅の彩りが増すほど反比例の現象を見せ付ける黒いのがいた。そっぽを向いて何ごともないかのように構えているが、まとう空気の暗さが尋常ではなかった。
 それを感じとる祐一は、慌てることなく隣に合図を送る。
 何であたしがと、言わんばかりにというかぶつくさ呟きながらも渋々と、七瀬が動いた。祐一の背後へと盆を差し出す。

「……ほら、受け取りなさいよ」
「……」

 祐一の斜め後ろであぐらをかいてるクロナギは、どこの円座にも属していない。料理に手を伸ばし難いなんとも微妙な位置にいた。それでいて一番近くにいるのが、どうしてか仲たがいしているミトと、行動に制限がかかっている祐一だ。料理を届けさせようにもミトは嫌がり、祐一が渡そうにも酒瓶の一つすら自由にできない境遇だった。
 しかしこれでようやく宴席の料理と酒が届けられることだろうと、祐一は嘆息した。気分を紛らわして欲しいものだと。
 だが、そんな配慮は新たな問題を浮き彫りにするだけだった。七瀬から差し出された料理に黒い犬は目もくれない。

「……」
「……」

 恐ろしく険悪だった。七瀬に対するクロナギの態度がつっけんどんであり、それに応じるように留美の空気も尖っていく。
 こいつらもだったかと、頭を抱えたいのを精一杯堪えて、祐一は静かに息をついた。そしていくぶん躊躇うように間を置きつつ、重々しく呟いた。

「……クロナギ、俺たちはこれから一緒にやってくんだぞ」
「…………………………」

 その言葉にクロナギは最初反応しなかった。ただ、何か理解し辛いような言葉が発せられたかのように、軽く眉をひそめる。
 それからしばし。
 黒い犬は、えらい勢いで祐一に振りむいた。

「…………ッ!!」
「……」
「……?!」
「……まあ、よく分からんが、たぶん――ああ、そうだ。一緒に、だ」

 酒杯を傾けて飲み干して、吐息と共に祐一は頷いた。そこで祐一のまわりは一旦沈黙した。異様なほどの静けさをおとした。
 本人の同意はどうあれこれまで一緒にやってきて何をいまさらと、七瀬は怪訝そうに祐一をみる。もてなしに気をやるミトは、祐一の酒杯を満たしてから改めて言葉をなぞった。そして、クロナギは無言で目を見開いていた。
 そんな様子を見て円座でもっとも強張っている対面の少女が、羽毛の翼をびくりと動かした。
 同時、クロナギが口を開こうとする。

「い、いま――っ!!」

 同時、ミトが彼を突き飛ばした。一瞬遅れて彼女も言葉の意味することを把握したらしい。すごい形相で祐一を睨みつけた。

「――俺、たちって!? たちって……たちって!?」

 木におもいきりどたまを打ち付けたクロナギを一瞥し、ミトは再度祐一を睨みつける。なんだか泣き出しそうだった。思いもよらぬ反応だ。
 ただ、彼女の言動から恐らく思い違いをしていると、今回はすぐに見当がついて、祐一は両手で待ったをかける。

「待て、タイム」
「たちって……俺、たちって……」
「いやだから、落ち着け」

 二の言葉は瞳を潤ませる紅狐のとなりの瞳が怖いエンに向けながら、祐一は一瞬毎に切り替わる事態を真剣に見据えた。こうして久々に落ち着いてまわりを見てみれば、思っている以上に複雑で奇妙な因果にがんじがらめにされているようだった。
 今の祐一は余裕がなさすぎて実感することでしか気付けない。これより前は日々の生活に追われるやら生きていくことに明け暮れるやらでもっと無理だ。つまりは後手後手にまわざるをえなかった。
 祐一は茹だりそうになっている脳髄をさらに過熱して状況に望むしかなかった。脳みそが汁になって出てきやしないかそろそろ本気で心配しないといけない時期かもしれないなと心底思いつつ、祐一はミトを見つめて彼女のこだわる問いかけに最善と思われる言葉を口にする。

「いいか? ミト、クロナギ、それと七瀬を加えて……それが、とりあえずの俺、たちだ」
「――」

 ミトは目を見開く。これまでの曇り空を一転させて快晴一直線の顔つきにさま変わりだ。

「それって、つまりは……」

 言葉をつまらせるミトを継いで、クロナギは重々しく、ただ、本当に珍しく一欠けらの暗さも含ませずに呟いた。

「これで、一群、その一人……ようやく、決断してくれたわけか……」

 そして、七瀬留美はわけもわからないまま嫌な予感だけを察して、暗澹たる顔つきで祐一を睨みつけた。

「……ねえ、話が見えないんだけど」
「まあ、とりあえず……、三ヶ月が過ぎて一旦の区切りもついたわけだしな」

 それだけ経って一緒にやってけそうだと思えるのがまだ三人という状況に祐一は暗澹たる思いだが、もちろん今は置いておくし、おくびにも出さない。これまた思っていた以上に空気が華やいだのに水をさすわけにはいかないのだ。
 というか、次から次へとなんだってこうも躓いてもとより果てている精根を削っているのだろうか。一応は慰労をかねての宴席の筈なのだが。
 そんな思いを忘却の彼方に押しやる祐一は、重々しく告げる。

「いいか、お前ら。別に仲良くしろとはいわないが、これから一緒にやってく仲だ。ささやかな好意ぐらいは感謝して受け取るようにしてくれよ。群れるってことはそういうことだ。そんなことすら繕えないようじゃいくらなんでもやってけないぞ」
「……任せろ。料理、ありがたく頂戴しよう……女」
「女ってのもひどい呼び方だな。ななぴーだ、名前はななぴー」
「わかった……戴くぞ、ななぴー……」
「……あんた、今度そんな風に呼んだらしばくわよ」
「……?」
「気にするな、クロナギ。照れてるんだ。素直じゃないんだよ」
「……そうか。思うところは、多々あると思うが……これからは一群に属する同士……きがねなく行こう、ななピ――ッ!?」

 そう言いきる前に、あご下から突き上げでも喰らったかのようにクロナギがのけ反った。背後の桜木に再度どたまを叩きつける。

「……」

 祐一は七瀬を見る。彼女の立てた親指からシュウシュウと煙りのようなものがあがっているように見えた。そして視線を落として転がってる片石を見て、祐一は感心したように頷いた。

「なかなか芸達者だな。しかし突っ込みにしては少しばかり過激に過ぎやしないか」
「うっさい!!」

 つっけんどんに七瀬はそっぽを向いた。祐一は嘆息しながら酒杯を舐める。少しでも減ったらすぐにミトがついでくるので常に酒杯はなみなみだった。
 そんなミトはニコニコと、見るからに機嫌が良さそうだ。祐一は山の天気をうかがうような心持ちでコロコロとかわる表情を眺めた。今日のところはこれで安定してくれると良いのだがと、思いながら啜るように酒に口をつけた。そしていまだに安定もせずに暗雲たれこむ七瀬に向き直る。

「お前もそろそろ機嫌を直してくれないか」
「……直すも何ももとから悪くないわよ」

 半眼でのたまう七瀬に祐一はため息一つ。

「そんな目付きで言っても説得力ないぞ」
「なによ、人の顔にケチつける気?」

 ますます据わってくる七瀬の目つき。祐一は彼女の席に目を向けて顔をしかめた。よく見ると空瓶がゴロゴロとあった。

「だいぶ飲んでるな」
「文句でもあんの」
「なんだ、嫌なことでもあったのか? 俺でよければ相談にのるぞ」
「よくもそんなことがぬけぬけと……」

 目つきは吊り上がっていく一方だ。何を言ったところで、自分では火に油を注ぐ結果にしかならないようだった。
 当然といえば当然ではあるだろうが。

「……」

 ここ最近にあった出来事はいうに及ばず、今この時ですら腹立たしいことに違いない。もはや何もかもが気に障るのだ。
 祐一は肩を竦めつつも、自業自得であることはわかっているので特に気にした素振りも見せずに笑いかけた。

「嫌われたもんだな。まあ、それはともかく。これからもよろしく頼む」
「イヤ」
「悪いな。嫌といわれても引き下がらんぞ」
「……もうヤだ」

 そして、祐一がさらに言い募ろうとした瞬間、ここにきて七瀬は思いもよらぬ反応を表に出してきた。強気も意地も底をついてしまったのか怒り顔から転じたのだ。
 涙ぐんだ。

「ッ!?」

 その変化を一瞬でマジだと祐一は見抜く。そして虐め過ぎてしまったのかと、今さら思って危機感を募らせるも手遅れだった。
 彼女は、そういった予兆を感じさせない程度には強いが、貫き通せるほどには達していなかった。なぶられて粉骨砕身で向上はするが、必要以上に受けてさらに羽ばたくような変質態ではなかったのだ。
 七瀬留美という少女は。
 祐一は、またまた過剰に見誤ってしまっていたらしい。以前に評価を再修正していたというのに、この三ヶ月を経たことで、今さら気づいてみれば以前よりもはるかに増して、大前提となる彼女のスペックを高評価にしてしまっていたようだ。

「ッ――」

 祐一は偏頭痛に顔をしかめながらも考える。
 自分と同じく因縁深い土地の飯を食っていたという過去と、彼女のツインなテールと白木の得物が、過去に散々恥辱を味合わせてくれた誰かさんを彷彿させる。
 それにばかり意識を取られて、彼女自身の評価を過剰にしてはいなかっただろうか。もし自分が想像していた以上に劣るとしたら、これまでにしでかしてきたありとあらゆることの意味が一変する。
 祐一はさらに顔をしかめて、ここ一ヶ月ばかりを思う。厳し過ぎやしなかっただろうか。冷た過ぎやしなかっただろうか。自分は単なるひどい奴じゃなかったろうか。
 そうして祐一は、まじまじと留美を見つめた。なんだか嫌な汗がでてくる。

「お、おい、頑張れ、お前は強い子だ」
「……ひん」
「うおっ、ちょっ待て! ここでいくのか!?」

 祐一は留美の高ぶる感情を見てとる。どこに到達するかは容易に想像できた。その結果がどうなるかなど想像するまでもない。これから一緒にやっていくと言っておきながら初っ端から何たる体たらく。
 そんなザマをすかさずついてくる性悪がいた。

「んふふ、なーかした〜なーかした〜」
「――おい黙れ女狐、俺の命を投じてお前んとこだけ魔境にしてやってもいいんだぜ?」
「してる暇ないから怖くないも〜ん」

 童女のようにコロコロとタマモは笑う。あんな姿を見て誰がこの国の半分を率いる長だと思うことか。

「何がもーんだ舐めやがって……あのザマこそ何たるザマ、だ……」

 しかしあんまりにもひどいもんだから逆に誰も気にしてない。むしろまわりを気にする程度にまともな振る舞いをしようとするがゆえに、祐一には見る目が留まってしまうような気がしてきた。
 祐一は盛大に零れそうになるため息を飲み込み、脂汗を気力でひっこめて、七瀬の頭に優しく、壊れ物にでも触れるようにびくついたそぶりで手を置いた。彼女のビクリとすくんだような動きを宥めるように軽く撫でる。
 今このとき、どんな悪あがきをしている余裕もなかった。

「……ほら、泣くな。悪かったよ。よくよく思えばお前は最初から頑張ってたな。俺の虐めにもよく堪えてた」

 そうして七瀬の顔を自分の肩に軽く押し当てる。精魂尽き果てているのか少しはあるかと思った抵抗もない。肩に顔をふせる彼女の頭から背へと手を伸ばしあやすように軽く叩く。肩を震わせながら、留美は押し殺したような呟きをこぼした。

「いじめって……やっぱり……、今さらなによ……」

 押し付ける顔をわずかにずらして上目づかいで祐一を睨む目つき。微かに覗けた眼光は鋭くはあったが、あいも変わらず涙ぐんでいる。もはや祐一に攻め入る隙はなかった。

「返す言葉もない。最初のいきさつだけで目の敵にし過ぎた。本当に悪かった、ごめん」

 癇癪を起こしかけている子供をあやすように、祐一は頭をかいぐり肩に寄り掛からせながら耳元で囁く。かけらの冗談もからかいも含ませる余地はなかった。今の彼女に対抗するには生粋の箱庭の内人たる心底の子供にしかやらないような、見せられないような手段を用いるしかなかった。
 だが、一片の悪意なく裏表のない顔を今この場で晒すのは余りにもリスクが大きかった。一面とはいえこれが底だと見られるのも忌ま忌ましい。
 とはいえ、今の祐一は姿勢も空気も七瀬にやっている。動かせるのは視線だけだった。
 ゆえに仕方なし。祐一は瞳をギョロりとあげる。
 いまだに強張ったままの体面の少女と目が合った。対面にいるのでいの一番に目についた背に羽をもった少女――ソラは、視線に気付いてビクンと震えて大仰しく背のつばさを広げた。その隣に視線をやれば戸惑ったように目をパチクリするタヌキ耳――ヤチだったが、意味はわからずとも危機感を煽られでもしたのかどこからともなく子狸、狸がわらわらと集まり、次いでぼんっという煙幕を発したかと思うとでかい茶釜がそこに生まれた。

「な!? い、いきなり何してやがんだってぅえ――」

 さらに隣のくたびれた風情の野良犬は、いきなり出現した茶釜に押し潰されて呻いた。
 祐一は満足そうに目を細めて、さらに視線をうごめかした。奇行に走るやからが多ければ多いほど視線は分散されるので、野良犬の鈍臭さは今だけ称賛に値する。
 基本は眼力で、時には懇願も入り混ぜて目と目で通じ合う。うち半分はすでに酔ってるなり何なりして気付かなかったが。意外とこっちに視線を向けないで頑なに逸らしている者ほど敏感に反応してくれた。
 視線を十秒足らず巡らせただけではあるが、場はいい感じに乱れる。自身がもたらした結果を受け止めるように祐一は目にした。
 気付きはするものの何を言わんとしているのか分からないまま適度にパニクる者が十分の一。それに巻き込まれて何らかの対応に追われる者が十分の三。現状を把握した上で仕方なそうに動く者がちょいとばかり。
 そして、あとは意にそぐわぬことをしてやろうと企む者と、意を汲み取り害しようとする者を阻まんとするニ名だった。
 それから一息つく間もなく、点々とちらばる宴席からぽつぽつと音もなく人影が飛びだした。それに狙いをすませて黒いのと紅いのは飛んだ。
 激突は、次の瞬間。

「――やーっぱりお前らからかぁ! ついた頃にゃ粗方喰われちまってる連中よりは、楽しませてくれるんだろうなぁ!?」

 尋常ならざる体さばきで桜の花びらの合間を縫うように駆けてきた狩人は、獲物に狙いを定める目つきで紅を見据えた。対して落ち着きなく無駄にはしゃぎ回る相手の姿に、紅の光りが苦笑するように揺らいだ。

「しゃべってる暇があるなら、もっと早くこっちに来る。ぐずぐずしないのっ、遊んであげる。犬っころ」
「――お、おまっ、今、ん、んだとぉ?! ぶっこ――」
「手加減してあげるからね」
「――がぁ!!」

 紅の色が吹き上がるような火花を舞い散らし、桜の花びらの中に生じるさらなる障害となった。その隙間のなさに狩人はうなり声をあげた。
 それらを置いて、また別の動きが確認できた。いくつもの影が急くように飛んでくる。
 細長い両腕やら尻尾が揺れ動き、桜の枝を伝うように跳ぶ勢いで。または、最初の一足でトンをこえる衝撃を生み出して跳んで。はたまた、吼える高音と共に三足跳びで獲物へと向かった。
 それらを黒い影が覆うようにして応じた。絶好調に黒い牙が閃いた。

「く、黒犬――ッ! って、お、おい、待て!? 俺たちゃ別に何をしようってわけじゃない! 世話になってたってのに事情があったとはいえ、その――」
「……今は、黙ってろ……」

 相手の言い分も立ち位置も聞く耳もたずに黒い犬は腕をなぎ払った。中空の二人組みがぶら下がるために掴もうとした枝の一本一本を切り落とす。それで体制を崩した二人からわずかに意識を移して、クロナギはこちらに向かってくる新手をにらみつけた。
 つぶらな瞳の半身半獣が迫ってきいた。恐ろしいほどの足運びで宴席の一つも蹴散らさず、ランナーのように完璧に整った形で走ってくる。
 祐一が妙に怯えていた頭が馬のやつだ。
 クロナギは引き締めた口元から牙をこぼしてうなり声をあげた。

「……特に、お前は、駄目だ」
「フッフッ――背の君――見つけたり」

 一足一足で力強く大地を踏み鳴らす駿馬は、つぶらな瞳を見開かせた。
 場は一気に加速していく。





 最初の激突で、瞬く間に円座の二つが巻き込まれてぐちゃぐちゃになった。その席の客は当然の如く怒って暴れだした。余波が広がるのは面白いぐらいに一瞬だった。

「……」

 酒宴には相応しい賑わいだ。落ち着いて呑めるような状況ではなくなったが、注目されるよりはマシだろう。慰労という言葉はもはやかけらも見当たらないが。
 そもそも始めからあってなかったようなものなので気にするのも馬鹿らしい。
 じっくりと回りに視線を流すこと数瞬、せめてもの抵抗をばらまき終わった祐一は、意識を再び彼女へと戻した。これからが本番である。気を引き締めてかからねば色々と後に響くのだ。
 だが、そこで気付いた。
 肩にもたれ掛かるようにして俯く彼女の微かな吐息に、祐一はようやく気付いた。

「……やってくれたな、七瀬」

 そうして俯いている七瀬の顔を覗き込んだ祐一は、やる瀬ない気持ちに押し潰されそうになった。肩にもたれ掛かるようにして、彼女は寝ついている。
 そんな祐一のザマをタマモが指差して笑っていた。
 ある意味窮地に陥っていた彼に対して珍しく消極的な態度だったのは、こういうわけだったのかと、祐一はため息をつく。もたれかかっている七瀬がずりずりと姿勢を崩しているので膝に頭を乗っけて収拾した。そして改めて目にした花見会場は、もはや収拾つきそうになかった。
 もうどうにでもなってくれ、だった。





☆ ☆ ☆





 いくつもの円座で小さくまとまっていた会場の面影はもはやない。祐一の一瞥で始まった騒動は、それから三十分後の今も拡大していく一方だった。
 花びら舞わせる桜木に近づけずに悶えていた連中のうちから、ちらほらと耐性がついてきた者が出始めたのだ。とことん荒れていく模様である。
 どんよりと周りを眺める祐一の傍で座り込んでいるのは、今やたったの二人だった。そして寝付いているのが一人だ。

「んふふ、たまにはいいわねぇ、こうして賑やかなのも」
「暢気だな。今すぐにでもお前を破裂させたい」
「なによぅ、少しは感謝しなさいよ。誰のおかげで暢気にしてられると思ってるの」
「忌ま忌ましいかぎりだ」

 膝というか腿に感じる微かな重みを一瞥し、祐一は隣に目をやった。相変わらずだらしなく着崩した着物姿のタマモは、嫌らしく笑いながら祐一と、そのひざ元を眺めている。

「ずいぶんな可愛がりようねぇ。一体どんな関係よ」
「白々しいことを……。俺に関することで耳に入らないことなんてないだろ。こいつとはやるかやられるかの関係だ」
「それじゃあ……だったになったのは、ついさっき?」

 祐一は不機嫌そうに鼻をならして酒杯に口をつける。タマモはニマニマしながら妖しく瞳を光らせた。

「……七瀬留美とは、どんな関係よぅ?」

 祐一は眉をしかめてタマモを睨みつけた。

「やっぱり知ってるじゃねえか。だったらいうまでもない。お前の知ってることが俺とこいつの全部だ」
「ワタシは知らないことを尋ねてるの。ここじゃないどこかでの繋がりがあるんでしょう?」
「……」

 それは七瀬との初邂逅時にちょろっと出ただけの話しのはずだ。その会話を耳にしているような輩もいなかった筈だ。そもそもあれだけの会話に耳を貸すほどの暇人がいるような時期ではまだなかった。
 祐一はマジマジと相手の顔を見た。心の底から憎々しげに得体の知れない敵を眺めやる。屋敷の外で彼女の姿を見かけたのは、最初に出会った時以降は一度としてなかった。一国の半分を治める王様は引きこもりだ。それでいて何ら不自由なく娯楽に勤しんでいられるらしい。

「ミコネ……こいつに娯楽を提供しているのは、お前か?」
「そんなことをしている暇が、私にあると思ってるんですか」

 深く静かな息がこれまた祐一の隣からこぼれる。タマモとは反対側で正座を崩さずきっちりしているネコ耳少女。あさぎ色の着物姿にはかけらの乱れも見られないが、その表情にはありありと疲労の色が見てとれた。その原因の何割かは今目の前で繰り広げられる乱痴気騒ぎにあるわけで、祐一も原因の一つに数えられることだろう。

「……だな。悪かった」

 しかしそうなるとますます厄介なことになると、祐一は暗澹たる思いだった。
 相手の手口をつかめないことには対策の立てようがなく、情報は漏洩するばかりだ。これは面白くない、どころの話でなく致命傷もいいところだ。

「こいつ、最近は出歩いてたりするのか?」
「私が屋敷にいる間は、一度もそのような気配は感じませんでしたけど」
「屋敷にいる間って、お前四六時中いるよな?」
「ええ、まあ。だから、タマモ様のその日一日の行動なら、大体把握してますよ。……あなたの面倒を見るためにいなくなった時を除いては、ですけど」
「……睨むなよ。俺のせいじゃない」

 ますます謎は深まるばかりだ。

「お前以外の間者に心あたりは?」
「間者なんて人聞きの悪い言葉を許すのは、今だけですからね」

 ミコネの瞳がすぼむ。とりあえず肩をすくめる祐一は、答えをうながした。ネコ耳を力無くしおらせる少女は憔悴したように儚い笑みを浮かべた。

「そんな便利な子がいたら、私の負担も少しは減るというものです」
「……だな。悪かった。この話題は一先ず置いとこう」
「ちょっとー、黙ってきいてれば好き放題ね、あなたたち」

 非難がましい目付きで二人を見るタマモは、ミコネをよりいっそう責めるように見やった。

「とくにミコネー……最近なんだかすっごく冷たい。今だってどうしてそっち側に座ってのよぅ……」
「はん、日頃の行いが物言うんだ、ミコネは俺のほうがまだマシだとさ」
「ノーコメントです」
「あれ、なんで、いま否定しなかった……!?」

 ミコネは小さなおちょこに口をつける。祐一は意地の悪い笑みをこぼしてタマモを見た。

「おい、どうする? ついに愛想つかれ始めたんじゃないのか」
「そ、そんなことないわよう、ねぇ、ミコネ」
「……」

 沈黙だ。祐一は小気味よさそうに小さく笑った。

「こいつは思ったより重症そうだ。そろそろ活躍してるところを見せないとまずいな」
「何よー、してるじゃない」
「こんなところで、そんなこと言われてもな」

 祐一は鼻で笑ってまわりに目をくばった。乱痴気騒ぎは酷い感じに続いている。
 だが、その騒ぎにいの一番で巻き込まれてもおかしくない祐一は、傍観者の如くこうして腰をすえて眺めることができた。その点だけは、彼女を褒めてやっても良いかもしれない。が、やはりそんな気分にはさらさらならないので何も言わずに酒を口に含んだ。
 現状、彼と彼女らは淡い金色の光りにまわりを囲われていた。何万本と絡み合うようにして極細の糸が漂っている。微かな風にも揺らぐそれは、一本の巨大な尾っぽのように見えた。
 祐一の顔は嫌そうに歪められる。それはこの土地に足を踏み入れて間もなく、盛大な歓迎をしてくれた光りを思い出させてくれた。
 それほどまでに危ない代物だった。
 近くで暴れていた酔漢がそれに触れるのを目にして、祐一は小さく嘆息する。瞬間、金色の絹糸は刹那の光りを瞬かせた。そして間もなく。
 グほぅっと酔漢はのけ反るようにして弾けた。遥かなどっかを目指さんと飛ぶ勢いで跳ね飛ばされていった。
 まさに触れるな危険だ。そんなのに祐一は囲われていた。客観的にみてこれは保護されているというより幽閉されているだ。
 感謝の念などわきようがなく、むしろこんなときだけ圧倒的な彼女の存在がもはや理解できない。さすがの側付きも側を離れるというものだ。
 光りの発生源である隣の女狐は、だらしない格好でけらけらと笑っていた。

「もはや、あらゆる意味でお前をしめたい」
「なによう、怖い目つきして」
「上機嫌だな」
「んふふ、そう見える?」
「ああ、ただ、それでいて……」

 祐一は顔つきを怪訝そうにしてタマモをみた。機嫌が良さそうに見えるというのに、どこかピリピリと肌を刺す空気をもらしている。ワケがわからない。

「不機嫌そうにも思えるから不思議だな」
「なによう、それ?」

 おちょこを含んでタマモはけたけたと笑った。今このときを心底いつわりなく楽しんでいる。しかしそれでいて彼女は、これまた偽りようのない大いなる不満を抱いてるらしかった。
 ただ、それは彼女の標準を下回る胸のうちにしまい込まれ、それの存在を彼女自身はまるで認識していないようだっだ。
 上機嫌なのに不機嫌そうな酔っ払いは実に意味不明だ。

「危ないなんてもんじゃないな。何なんだお前? 本当に何を考えてやがる」
「なーによう、小難しい顔しちゃって。ワタシが慰労してあげるなんてそうはないんだから味わいなさいよ」

 タマモは杯に口をつけてとめどなく液体を流し込む。そしてちらっと促すように祐一をみる。

「手、とまってるんじゃない?」
「ふん……」

 無視してやろうか良しそうしよう、と祐一は思ったが空いてるジョッキにどぼどぼと酒が注がれた。

「……何してるんだ、ミコネ」
「一人だけ呑まずにいるなんてずるいです」
「んふふ、そうよう。ミコネ、ナイス」
「……」

 親指を立てたタマモに応えず、ミコネは自分の杯に酒をついだ。そんな対応にさすがに堪えたのかタマモの額に一筋の汗がたれたように見えた。その姿は、ジョッキを口に運びたくなる良い肴だった。
 ざまあみろと、言わんばかりにくぐもった笑いをこぼして祐一はジョッキを傾けた。
 それにつられるように両脇も、片方は憮然と、片方は無言で酒を口にする。誰からともなく一息がこぼれた。万とただよう金色の光りは音すら阻むのか、飲んで暴れて歌って踊る喧騒のさなかにいるとは思えない沈黙が落ちた。

「……すー……すー……」
「……」

 彼女の静かな寝息が耳に入ってくるほどだ。何ともなしに視線を落とした祐一に気付いて、タマモが続く。そして、ああ、といわんばかりに指差した。

「それ、七瀬留美について」
「……しつこい奴だな。話の種なんざ数えるほどしかない。それも残念ながら芽吹かせることなく横から全部ついばまれたからな。躾のなってない狐に」
「そんなこと言われるなんて心外だわ。自分の庭で身も知らぬ輩が暴れてたら誰だって様子見たり聞き耳も立てるわよう」
「ほう、俺の行動範囲を知った上での言葉がそれか? まるで自分は王様だと言わんばかりだな」

 一瞬の間を置いて、ミコネは言った。

「……あ、でも、そうですよ、王さまです。異なる種族を束ねる皇王さまですよ、タマモ様は」
「え」

 今初めて聞いたと言わんばかりの顔つきで心底驚愕してみせる祐一は、じつに不可解そうに言葉を反芻してタマモをみた。

「待て、いや、なんだ……え」
「はい、ストップ、ループ入らないのっ。なによう、前から知ってるじゃない。そんな風に話を逸らそうとしたって無駄なんだから!」
「いや、しかし……いやいや、ない、それはない」
「真実はいつだってせちがらいものなんです」
「うぅ、牙がどんどん尖っていくわ……ミコネはそろそろ飲むの……」

 だが、ちらちら見てとったミコネの様子がいつもとだいぶ違うのを感じとったタマモは軽く呻いてすぐ諦めた。そうして気分直しと口直しに祐一へ目を向ける。
 その視線を欝陶しそうに無視する祐一だったが、ほどなくして眉をひそめ視線を返すことになった。
 相手は意味もなく絡んでくる酔っ払いではなく、至ってまじめな顔つきで祐一を見ていた。ますます嫌な感じだ。彼女は何かを知りたがっている。

「おい、なんだ、何がそんなに気になる? はっきりいってくれ、こんなんじゃいつまでたっても落ち着いて飲めやしない」
「そんなに難しく考えることないじゃない。ワタシの知らないことでいいの」
「……、ここに来る以前にあったこと、とでも言いたいわけか?」
「そうそう」
「……ここに来てからのことは何でも知ってると、遠回しに脅迫されてるような気がしてならないんだが」
「さもありなんですね、でもさすがにそこまで万能じゃないですよ、タマモ様も」
「なによぅミコネ、主は何でもお見通しの偉人なんだから」
「……では、一つお尋ねしますけど、一昨日の夕餉はどうでしたか」
「すごくおいしかったわ。特に春の芽のテンブラと米酒のコラボはさいこうだったわよぅ」
「そういって頂けると腕によりをかけた甲斐があります」

 にこりと笑って杯に口をつけるミコネに、タマモはにこにこと顔をゆるめた。これまでにない態度で機嫌の悪さを示していたが、どうやら落ち着いてきたらしいと安堵する。
 しかし、ここでふと会話の流れに違和感を感じて首を傾げた。

「どうしてそんな話になるのよぅ」
「何でもお見通しのタマモ様に説明なんて、そんな恐れ多いことできません」
「ぅ……」

 ミコネの機嫌が直ったと思うのは早計だったらしい。いまなお機嫌は宜しくない。そんな彼女が意味ありげに切り出した言葉には、どのような毒が含まれていることか。
 ただならぬ空気に触れないようにする祐一は、ジョッキからおちょこに切り替えてちびりと舐める。そして、酒の肴に目を落として何ともなしに呟いた。

「おい、そういえば春の芽とか言ってたが」
「はい」
「ん、何? あなた何か知ってるの?」
「いや、春の芽というからには地面に生えてる野草も含まれるのかなと」
「なに言ってんのよう、当たり前じゃない」
「そうか……、いやそういえばこの間ミコネがそこいらで雑草を摘んでたのを見かけたぞ」
「そこいらって……どこよ、菜園でしょ」
「いや、だからほんとにそこら辺でだな」
「そこら辺って……」

 だんだんと祐一の言ってることが飲み込めてきたのかタマモの顔から笑顔が消えてくる。応じるように祐一の顔色も優れなくなってくる。

「そこらへん?」
「ああ、そこら辺だ。雑草むしりにしては随分と色とりどりだなと思ったんだが……」

 非常にむつかしい顔つきで、ある一点を見つめる祐一は呟いた。

「ひょっとしてあの日の食材に使われたのか……あそこら辺にあったのも」

 恐る恐る突き付けた祐一の指の先。その地点に目を向けたタマモの顔からついに笑みが消えた。

「え、ぇえ、そ、それは……」
「あそこら辺はピンポイントでマズすぎるぞ」

 広い庭園の中、人の目には寂れた隅っこの一画ではあるが、ちっこい生き物たちの間ではなぜか人気スポットだった。縄張り争いが苛烈だった。
 祐一とタマモは目を合わせて、珍しく調子の合った様子で瞳を揺らがせた。
 春の芽を摘んだのが菜園であるなら何ら問題はない。食材という利用目的の周知が徹底してあるからこその菜園なのだから。
 だが、

「き、きっと子猫が嫌がる花があったのよう」
「だといいんだがな……」

 戦々恐々といわんばかりの仕種で目を向けてくる祐一に、ミコネは不服そうに目を細めた。

「何を勘違いしてるんですか。あなたが見たときは、タマモ様の言うとおり特定の子にだけ嫌がる香りの花がありましたから、不公平かなと思ったまでです」
「そ、そうか、そいつはよかった。っていや別に変なことを考えてたわけじゃないぞ」

 きっちりと合わせて覗き込んだミコネの瞳に嘘はない。祐一は安堵の息を飲み込んで、軽くいなすようにして笑った。ただ、そんな彼と違って彼女は安堵できなかったようだ。むしろ不安が増して洒落になってないと言わんばかりに呻った。

「ちょっと待ってよぅ。あなたが見たときは、って? ワぁって?」
「はは、もうそんなことどうでもいいじゃないか。気にしすぎると身体に毒だぞ」
「あの日だけのあなたはいいわよぅ! ワタシはあの日以降もときどき……」

 タマモは半泣きだった。本気の涙目だ。祐一はけらけら笑ってやった。そうして口に含んだ酒の何たる美味なことか。人で無しぃと祐一を睨みつけるタマモの姿は、いつもの自分の姿だ。祐一が不備に思ってやる理由は皆無だった。
 ただ、普段の様子と比べると十分過ぎるほど薬が効いたと見たのか、ミコネが複雑そうな息をついた。これまで一度として手を抜いたことのない仕事に、そのような疑いを抱かれるのは甚だ不本意だという気持ちを多分に含ませて。
 とはいえ、台所を預かる者の態度としては少々悪趣味ではあっただろう。ミコネは軽くおちょこを含んで唇を湿らせながら小さく呟いた。

「タマモ様は何がそんなに気になるんですか?」
「え、その、何が気になるかっていわれると……」

 そんなタマモの様子から、面と向かっていうほどあからさまに疑われているわけではないらしいとミコネは思う。半信半疑よりもまだまだ下だ。信じられないと今でも思ってもらえる程度には信じてもらっている。
 それで一先ず納得するように頷くミコネは、タマモを責めるでもなくやんわりとした笑みを向けた。

「何を気にしてるか知りませんけど……、タマモ様が言ってたとおりです。あの子たち、屋敷の外にも飛び出しているみたいですから、たぶん去年に変な花粉やら種を運んできていたんだと思います。屋敷のところどころで見かけたら、摘んで引越しさせていたんです。タマモ様は知らないかもしれませんけど、毎年のことですよ」
「ほんとっ? 本当にほんとう?」

 タマモは念を押すような瞳でミコネを見る。ただ、そのような態度を長く続ければ状況悪化は目に見えているのですぐに引っ込めた。
 それでもミコネを不機嫌にさせるには十分だったらしいので、タマモは口早にいう。

「べ、別にあらぬ疑いをかけてるわけじゃ――そ、そもそも何も疑ってなんかいないわ!」
「そんだけ慌てといて、今さらんなこと言っても白々しいだけだぞ」
「あ、あなただってそうだったじゃない!」
「言い掛かりはよしてくれ。何がそうだっていうんだ。俺が慌てるようなことでもあったか?」
「あの日の春の芽の天ぷら!!」
「それがどうしたっていうんだ?」
「摘んだ場所が、その、あれじゃないかって……」
「ほう、何か問題でも?」
「だ、だからぁあの子たちが苛烈に匂いづけした……」
「ああ、なるほど。つまりお前はこう言いたいわけだな?」

 ニヤリと口元を歪める祐一にタマモは顔を引き攣らせた。

「子猫やら子狐やらちんまい小動物がわんさか集まっては粗相してく厠のような場所に芽吹いた春の芽を摘んで、あろうことかそれを食材にもちいて俺とお前に食わせたんじゃないか、と」
「そ、そんなこといってないわよう!」
「要約すると言ってるも同然です、タマモ様」

 その呟きにびくんとするタマモ。ミコネは猫耳を怒らせながら、米酒を口にしていた。いつのまにかちんまいおちょこではなく大皿サイズの盃を手にしている。

「お仕えしてもう14年になるのに……すごくむなしいです」
「まったく心中察するぜ。時と場所とその日の夕餉がたまたま不都合に組み合わさったとはいえ、こうまであげつらって疑いにかかるとはな。ミコネの14年に報いる態度が、それとは……さすがの俺も恐れ入ったぞ、この人でなし」
「あ、あなたねぇ……」
「ヒドイ奴だな? お前は」

 いかに鉄壁だろうと、わずかでも歪みが生まれればいくらでも掘っていける。SでもMでも臨機応変に切り替える祐一が今握り込んでいるのは、ドSのピッケル二刀流。薄く笑うさまは思わず背筋が震えそうになる類いのものだ。

「そんなしょうがないお前に一つ、いいことを教えてやろう。俺の経験則に基づいたもっともシンプルかつ分かりやすい謝りかた」
「い、いいわよぅ、そんなの」

 嫌そうに首を横にふるタマモに、祐一は構うことなく任せろと笑いかけた。

「土下座しろ。もちろん無様にだ。足元にはいつくばる礼儀を忘れるな? きっと踏んでくれるさ。それでたいていの連中は溜飲を下げてくれる」
「や、や〜よ……」
「そうか……身も粉にして働いてきた14年に対して、お前は頭一つ下げることも厭うわけだ」

 祐一は歪んだ笑みを浮かべる。隙だらけなのに鉄壁に近い女狐を攻める好機が今だった。攻められる時にとことん攻めておくべきだろう。
 理由が理由なので得られるものなど一時の勝利に酔うことができるぐらいではあるが。
 この場で得られるのであれば満更悪くもなかった。勝利して宴に幕を引けるなら上等だと、祐一は徳利からちょろっと垂らした酒を舐めた。
 だが、やはり彼女は一筋縄ではいかない。祐一の苦手なタイプだった。
 一寸考え込んだタマモは、しぶしぶと頭を下げたのだった。

「ミコネ、ごめんなさい」
「――おい、コラ! 簡単に頭をさげるな。謝んなよ。もっとふてぶてしく構えていいんだぞ、皇王さま」
「な、なんでよぅ、さっきと言ってること違うじゃない」
「さっきはさっきで今は今だ! っていうかなんでこんなときばっか素直なんだふざけんなっ!!」
「な、なんで今度はあなたが怒るのよう」
「お前が悪いに決まってんだろ!? 俺にも謝れ土下座しろ」
「む、無茶苦茶ねぇ……」

 と言いつつも素直に頭をさげて再度ごめんなさいというタマモ。一瞬目を白黒させる祐一は、軽く目をこすってマジマジと彼女を見て、普通に怒った。

「だから謝んなよ!? なに謝ってんだテメエ!!」

 もはや意味がわからない。理不尽であることは傍目から見てもよくわかるが。
 ミコネは嘆息して祐一の袖を引いた。

「そこまでにしたほうがいいです。よくわかんない人になってますよ」
「ちくしょう……だから嫌なんだ、この手合いは……!」

 祐一は心底憎々しそうにタマモを睨みつける。そして相手をころしかねない壮絶な目付きへと瞳の色を変えた。
 一段落ついたといわんばかりに酒をふくんだ彼女は、にこりと笑う。何事もなかったかのように顔色一つ変えない面持ちで視線を落とした。
 いまだに祐一の膝元にいる七瀬を見つめていた。

「それで話を戻すけど……あなたとこの子の関係は?」
「おちょくってやがったのか……」
「お、おちょくるって……、なに言ってるのよぅ。自慢じゃないけど、ワタシが頭を下げてまで謝るなんて百年となかったわ」
「……嘘はいってませんね。少なくとも、わたしが生まれてからこれまでで……頭をさげて普通に謝られたことはなかったです」
「……お前、本当にひどい奴だな」

 マジで引く祐一は、タマモを見つめる。そこまで徹底している輩が、頭をさげるなどよっぽどのことだ。そこまでして彼女がこだわる理由が、祐一の膝元にあるというのだろうか。

「なんだ、……何がお望みだ?」
「だから、言ってるでしょ? この子のことを教えて」

 そういって笑うタマモの顔に冗談はなかった。それでいて害をなそうという色もなく、七瀬を見つめるその瞳には、どちらかといえば逆のものが色濃く現われるほどだ。それは、祐一に対しても向けられる。
 ただ、こちらは若干ながら害してやろうという悪い成分が多く含まれているような気がしてならないが。
 どういうことだと、首を傾げてとりあえず酒盃を口に含む祐一は、ため息をついた。

「お前とはつくづく噛み合わないな。珍しく真面目になっているとこ悪いが……ここ以前のことで俺が知ってることなんて本当にないぞ」
「ふ〜ん、まあ、嘘をついてるって風でもないわねぇ……」

 じっと真剣な眼差しを向けること数秒。タマモはけだるそうに長い髪をかきあげて息をついた。

「となると、厄介ねぇ。少なくとも三系統以上の手口で弄られてるじゃない、あなたの頭」
「……お前、俺の発言を切って捨てて平然と俺の脳を疑ったか今」
「そんな頭でよくも普通に生きて……って、そんなわけないわよぅ。むしろ普通には生きてないから……つまりは異常に正しく生きてきたんじゃない。んふふ、それならなんら問題ないわ」
「嬉しそうに安堵の息ついて俺をとぼしめないでくれないかお前を今すぐどうにかしてしまいたくなるから」
「でも、そうなると骨が折れそうねぇ。あなたが、彼女に何をしたのか……どんないかがわしい手を使ったのかしら」
「……なんだってそこまで自信満々に人の過去を黒く塗り潰せるんだかな。お前、何を知ってる? こいつについて……」

 タマモは答えず視線を落とした。静かな寝息をたてる七瀬留美を見つめる瞳は、ひどく神妙そうでかけらの冗談も混じってはいなかった。
 背筋がわずかに凍り付くような奇妙な感触を覚えた。
 祐一は顔をしかめてタマモを睨みつける。いまのは自分が感じたというより彼女から伝染した二次的な感触だ。

「なるほど……少なくとも冗談や嫌がらせだけじゃなさそうだな」

 だが、それならそれで厄介であることには違いなかった。急速に別の問題が浮上してくる。得体の知れないもやもやしたものが祐一の胸の淵より滲み出てきた。
 祐一は舌打ちをもらして酒杯を流し込んだ。そして隣へと杯を差し出し、今は黙々とついでくるミコネの手で並々となった杯に二度三度と口をつけた。
 そんな彼の様子に女狐は目を細めて薄く笑った。

「なにか、思い出した?」
「知るか」
「んふふ、そう……。まあ、今はまだいいんだけどねぇ」
「いちいちカンに障るやつだな」
「そんな本当っぽく言われたら傷つくわ」
「本気じゃないと思えるお前の神経が俺には信じられんね」
「ワタシを知っていながらそこまで無礼講になれるあなたもおんなじようなものでしょう」
「同じでたまるか、化け物」
「――同士、よね〜。これからも仲良く、共にこんなんに当たるわよ。あなたをぶつけると凄く新鮮なんだもの。まだまだおもしろいものが見られそう」
「……あれ、なんか言葉の前後で意味が食い違ってるというか建前のあとに普通に本音を続けないでくれないか建前を耳にしなきゃいけないぶん俺の貴重な時間が削られるからていうか頼むから――、一度でいいからマジでお前をぶたせてくれ」
「ヤだ」

 胡座をかいて酒杯に口をつけつつも次の瞬間には標的に飛び掛かれる祐一だったが、彼女はやはりいやらしく憎たらしい女狐だ。手に持つ杯からの先走った水滴が金毛の一房に気付かせてくれた。
 あたりを一瞥してみれば欝陶しく漂う金色の光りがあった。
 祐一は口元を苦々しく歪めた。

「これから仲良くしてく相手への態度がこれか。さっそく裏切られた気分だぜ」
「それだけあなたが本気だったってことじゃない。それが動くなんてよっぽどよう。傷ついたわ」
「常々思うんだがお前の安っぽい傷つくと、俺の深くひそやかに傷つくの意味は確実にイコールじゃないよな」
「そりゃそうよぅ。ワタシの心におったキズと、物理的に重傷おってすぐ死にかけるあなたの傷じゃぜんぜん意味が違うわ。一緒くたにしないで」
「……一生に一度のお願いだ。今すぐぶたせろ」
「やーよ」

 タマモは口を尖らせ、祐一は目付きを尖らせた。見合うこと数秒。どちらからともなく酒を差し出して相手の杯に傾け、とりあえず互いに牽制しあって態度を改めた。

「それにしても、だいぶ呑んだような気がするが……あんまり呑んでる気がしないな。すさまじく損した気分だ」
「いいお酒なのに……、もったいない飲み方してくれたわねぇ」
「今はこうして味わってるさ、たぶん何とか」

 小さなおちょこに舌を湿らせる祐一は、一つため息をついた。

「向こうもだいぶ潰れたな」
「お酒に潰れて、力に呑まれて、賑やかしいわ」

 タマモが緩んだ笑みを浮かべて目を細めた。
 いまや連なる円座を五つほど空けた空間で派手な見世物が広げられていた。入れ替わり立ち代りに牙が振るわれ、一つ欠ければすぐに新たな牙が追加される。
 そこには刃も入り混じっている。祐一の同業者である冒険屋勢もぽつぽつと参加していた。サクラに翻弄されずとも済む程度の態勢を整えられたらしい。タフな奴だと、祐一はとりあえず顔を一瞥しておく。
 それの始まりであるここも最初だけは華々しかった。
 しかし腐ってもこの地の長たる九尾の金毛を相手にするのは、勇猛ではなく蛮勇でもなくただ愚か、と早いうちに見切りをつけられ今や寂れた宴席だった。
 それを寂しく思っているような風情のタマモと、逆に大変具合が良さそうな祐一は、ミコネと寝付いている七瀬だけを交えて、こうして顔を付き合わせていた。
 これで女狐もいなければ誰にきがねすることなく呑めるのだが。
 ただ、彼女がいなければ花びらに悩まされ、酔漢や暴漢や挑戦者や復讐人に襲われて、今ごろは公開プレイの真っ最中であったことだろう。それを思えば、今この状況も致し方なく、精神的苦痛も和らぐというものだ。
 そんな祐一の心理を理解しているのかしていないのか、タマモはことさら緩い笑みを浮かべて、目の前の光景に目をやって酒盃を軽くかかげた。そうして促がすようにして祐一とミコネをみる。

「今は、生き残っている子たちを祝してね。楽しい時間はあっという間よ」
「……」
「警戒しなくってもいいわよぅ。今だけは、あなたも楽しむべきだわ。約束は違えないから。ワタシはあなたを慰労してあげるっていったんだから」
「……お前、今まで俺を慰労してるつもりだったのか!?」
「なに言ってるのよ〜! そうに決まってるでしょうっ。ばっちりじゃない、ねぇ、ミコネ」
「……ノーコメントです」
「え」
「え、じゃねえ! ふざけんのも大概にしろコラぁ!!」

 肯定してくれない側付きに裏切られた顔をむけるタマモを、マジ信じられない顔つきで見つめる祐一を、憐れんでやるミコネ。
 あたりには、ゆったりと風に吹かれて舞っていく桜の花があった。

 西の大樹海は、陥ちた。
 今は、化生の花に蝕まれ。
 それも何れは枯れていく。
 全てが散るのに一ヶ月。
 あの地が枯れ果てた根に埋め尽くされる前に。

「……前途は考えるまでもなく多難、と……」

 西の樹海そのものを滅ぼしかねない目つきで睨みつける祐一は、まわりに目を配って表情を一転、今にも死にそうな感じに曇らせて酒盃を傾けた。ため息はとうに尽いていた。












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